nous letter
2007年10月31日 16:41
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 ▲『タロットカード殺人事件』のプログラム
 ウディ・アレンの『タロットカード殺人事件』を観ました。場所は『長江哀歌』につづき、日比谷シネ・シャンテ(今度は4F)。このところ、この界隈には縁がつづいています。しかし今回は、この映画を見るぞと目的を決めて見に行きました(上映時間もネットで調べて)。

 だから見る前にいろいろ期待があったのだけど、『タロットカード殺人事件』というタイトルに惹かれて見に行くとハズレます。タロット(タローともいう)というカードの象徴的暗号の解読でも、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーン風ミステリーの謎解きを中心に愉しむ映画でもないからだ。これは、あくまでウディ・アレンの新作映画として愉しむべき映画です。久方ぶりにウディ・アレン自身が出演しているし、70歳になった彼と、いま若さと成熟度の按配が危うく絶妙な、魅力はちきれんばかりのスカーレット・ヨハンソンのオトボケ・コンビぶりを味わうのが一番。

2007年10月30日 16:44

 はいじまさんから次のようなメールが来ました。

 石井さんの文字の旅、まさにナジャ的な、石井さんが発見する、というよりは、石井さんが文字に誘われてする、意識の旅。美しいですね。ワン、1、11、犬の画像の連鎖的に行き交うおもしろさ。「無元」の文字の喚起するイメージ。確かに有楽町の一帯に、それは未だ健在?の「無元」ラーメン。確かにあの一帯は未だに猥雑な地域として残されて、つまりあの「ブレードランナー」のソフィステックな高層の街の下に、やむを得ず?作られたあの猥雑な飲屋街の町のつくりみたいで、随分昔からあるあの「無元」の文字は、せめて残されたあの街の象徴的な文字として、私などはうれしく見ています。  石井さんがいわれる、あの街の新しい部分には、見るべき文字が無い、というのは正にその通りで、しかし、この間から石井さんに大きな示唆をいただいたレトロフューチャーの文字が、あるとすれば、その部分で生まれるのでしょうね。レトロフューチャーの文字、というのはそういう文字なのでしょうね。
 勝手ながら「師匠」と目する人にほめられるとは、なんともお恥ずかしく、しかし、うれしいことです。  たしかに、『ナジャ』にちょっと「つきまとわれていた」ところはあるかもしれません。同時にはいじまさん(の言葉の糸。レトロフューチャーの文字)に導かれていたとも言えそうです。「偶然」にも何か導くものがあるのですね。「ブレードランナー」のイメージがでてきたのもうれしかったです。

 そこで、前回の「銀座(〜有楽町)」のつづき。

2007年10月24日 16:50

 きょうの午前、銀座のITO-YAで用事を済ませた後、はいじまさんをまねて『町まちの文字』を探すべく歩いてみました。ほとんどあてもなくブラブラ(文字通り銀ブラ)しながら、目にとまった風景や看板などをデジカメに写し収めていきました。おもしろいもので、こうして行く先の目的もなく歩いていると、これまで気づかず見えていなかったものたちが見えてきたりします。しかも、銀座・有楽町界隈は再開発が進行中で、古いものと新しいものが混在し、なつかしいと同時になにやら見知らぬ都市に迷い混んでしまったような感覚。しかし、この感覚は悪くない。

 全部で5,60回シャッターをきりましたが、すべては無理なので、そのなかに意図せぬ偶然の一致(?)と思えるものがあり、一部を紹介してみましょう。

2007年10月22日 16:55
長江哀歌
 ▲『長江哀歌』のプログラム
『長江哀歌(エレジー)』という映画を見ました。素晴らしい作品でしたので、映画は久方ぶりの、本欄で紹介します。

 18日午後、広尾にある写真家・管(すが)洋志さんの事務所を訪ねました。管さんは、ご存知のかたもあるかと思いますが、「生きている」アジア(とくに東南アジア、中国、インド)を撮らせたら右に出る人はいないカメラマンです。Ars誌2号(「アンコールワットと水の夢」というタイトルで、管さんの写真・文を掲載した)のことや11月の中旬から開かれる管さんの個展『奄美 シマに生きて』の話などをしたあと、日比谷線広尾駅から地下鉄に乗り帰路につきましたが、車内で「次は日比谷…」というアナウンスを耳にして、突然にわかに映画を見たくなり、飛び降りました。
 何を見たいというあてもなかったのですが、いまならどれか最終回の上映時間に間に合うだろうという思いからでした。

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石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。