nous letter
2008年5月21日 14:22

 先日お知らせした配島庸二さんの個展を見てきました。下記は報告を兼ねたそのレヴューです。
(本稿は『日本女性新聞』のために書き起こしたものであり、6月1日発行の本紙に掲載される予定です。会期中であるいまのうちに、ご案内かたがたここに紹介させていただくことを日本女性新聞社に感謝いたします。また、配島の配の字は草冠がつくのが正しい表記であることを念のため書き添えておきます。ウェブ上のフォントの問題ゆえ、ご了承ください)。
 本展は5月28日(水)まで、六本木ストライプハウスギャラリーで開催中です。未見の方は、くれぐれもお見逃しなきよう。

配島庸二個展『グーテンベルクの塩竈焼き ---8月の雪』レポート 
【炭書による文明の浄化と再生への祈り】  

080521.jpg 現代美術家・配島庸二の個展が東京・六本木で開かれた。社会のグローバル化や「大きな」価値基準の消失にともない、中心も周縁もなくなった観のある現代アート界。しかし、つねにその先端に身を起こし、一見、無謀とも思える活動を企てつづける配島氏は、本紙にも何度か寄稿したことのある文筆家であり、エディターでもある。本展は、言葉(概念)と造形の「あわい」で多面的な創作活動を行い、アートという行為をとおしてユニークな文明論を展開している配島庸二の集大成的作品展であるといってよいだろう。(会期:5月9日〜28日 場所:東京・六本木ストライプハウスギャラリー)

 茶室ほどの小さな空間に、数多くの黒い“物体”が置かれていて、そのいくつかは表面をうっすらと雪のような白いものが覆っている。個展タイトルによって、黒いモノは焼かれて炭になった書物であり、白いのは雪に見立てた塩であることがただちに推測できる。だがそれよりもまず、この室内に足を踏み入れたとたん、異次元の本屋に迷い込んでしまったような不思議な気分にとらえられてしまう。

2008年5月 7日 12:02

バリ島が好きだ。一言でバリの魅力を語ることはむずかしいけど、バリは何度行ってもいいし、なにかきっかけがあれば、いつでもすぐにでも飛んで行きたくなる。熱帯の植物に囲まれたヴィラスタイルのホテルで終日のんべんだらりとするのもいいし、ウブドやその近辺で夜ごと演じられるガムランや舞踊の波動に身をゆだね、軽いトランスに酔うのもまた格別である。それに、行くたびに、変わらぬものと変わるもののバランスが絶妙のバリの多様性を体験できて、なつかしいと同時にいつも新鮮な感触を味わえるのもバリならではのことだろう。数年バリを訪れる機会がないと、とにかく“あの”空間に戻りたくていてもたってもいられない気持ちになってくる。戻りたいというより「つかりたい」といったほうがよいかもしれない。温泉みたいなものだけど、どっちにしろバリは循環的に往還したくなる地なのだ。

熱帯の旅人じつはごく最近も、ある人に誘われバリに行く計画が具体化、ほぼ4年ぶりに「バリ熱」がぶりかえしたのだが、私自身の仕事や他の事情であきらめざるをえない状況でちょっとガックリきているところ。バリは誰と行くかによっても楽しみ方が微妙にことなり、私にとっては同行する人に合わせていろいろプランを練るのも“もうひとつ”のバリのたのしみ方なのだということに改めて気づいた次第。

それはさておき、この機会にバリに何度も行っている人にも、はじめての人にもお勧めの本を一冊紹介しておこう。
今回はバリの旅を逃したが、この話が持ち上がったときに、何年も前に買ったままで「積ん読」状態になっていた本を開き、読んでみた。バリの文化に興味ある人にはよく知られているもので、コリン・マックフィーの『熱帯の旅人―バリ島音楽紀行』(大竹昭子訳、河出書房新社。1990年初版発行)というのがそれ。

2008年5月 1日 15:59

シュルレアリスムと写真展 きょう、事務所への出がけに恵比寿の写真美術館まで足をのばし、『シュルレアリスムと写真 {痙攣する美}』展をのぞいてきた。

会場に入るなりアンドレ・ブルトンの『ナジャ』で使われていた写真のプリントが目にとまり、既知であると同時に未知であるようなこの出合いに軽いめまいがして、なつかしさと期待感ではやくも胸がさわいだ。

壁に穿たれた窓をのぞき込むように、一点一点の写真(ほとんどモノクロ・プリント)を見ていったが、アジェやブラッサイ、マン・レイ、ベルメール、日本の植田正治など、すでに一度ならず目にしたことのある写真が全体で200点ほどの作品の半数以上をしめていて、目新しさの点で少しものたりなくはあった。しかし、写真というのはいつも、新旧に関わらずどこかなつかしいもので、全体としてはどの作品も、結果的に、これみよがしの“芸術性”などという基準を超えた視点において選ばれているのがよかったと思う。
見る人にとって「よい」写真はそれ自体が一種の不思議と触れ合っているものともいえるわけで、それが真正の「シュール」な作品なのかどうかといった“事前”の区分が不要なことを改めて感じた。

それぞれの写真については、余裕がないのでここでは触れない。写真とオブジェ、写真と身体がのっぴきならぬ関係にあることを、ことさらのように感じたことだけ述べておこう。写真がオブジェを、そして裸体を“発見”したということ。そのことを再発見できた写真展だったといってよいだろう。

おもしろいことに、これらの「現実」の瞬間を切り取った写真を見て外の現実世界に戻ると、自分が現実をいつのまにか写真のように見ようとしていることに気づく。目が超現実を探しはじめているかのようだ。

本展は5月6日まで東京都写真美術館にて開催中。

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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。