nous letter
2008年8月22日 11:34

赤い風船を追いかけて

 久方ぶりに、映画の話題。

 夏の休暇を一日しかとれず、旅行にも行けなくて(ここ何年も!)、なんやかんやの欲求不満がたまるきょうこのごろ。少し時間ができたのでせめて映画でも見たいと思い、夕方事務所を早めに出て銀座に向かった。
 出がけにネットで調べたら『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』の情報が出ていて、「これこれ!」とシネ・シャンテに参上した次第。タイミングよく、開映30分前。目の端に赤い風船が写ったポスターがちらつく。早めにいい席を確保し、自販機で買ったアクエリアスを飲みながら、予告編がはじまるまで本(池澤夏樹『光の指で触れよ』)を読んで時間をうめた。

 最初に同時上映の『白い馬』。すばらしい構図のモノクロ映像にひきこまれ、ラスト、波の彼方に消えていく馬と少年に涙しそうになったら、休憩をはさまずすぐに『赤い風船』がはじまった。ファーストシーンの階段の向こうに俯瞰した早朝のパリが見え、少年が猫と出会うカットからしてやはり見事で、しかもこれはカラー作品なのだけど、すぐにでてくる風船の赤がなんともいえず美しい赤で、これだけでも見に来た甲斐があったとうれしくなったのだけど、…だけどなのである。

 同じ「赤い風船=レッドバルーン」ではあるが、『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』は50年代のフランス映画をリメイクした作品であることだけ(それだけ)は知っていた。それで、ホウ・シャオシェンの新作!というだけでわきめもふらず映画館に飛び込んだのはよかったけど、スクリーンに映し出されているのは、リメイクというにはあまりに「昔のパリ」そのまんまなのである。あれっ…!?

 もうおわかりかと思うが、私が目にしているのは、ホウ・シャオシェンのリメイク版ではなくオリジナルの『赤い風船』だったのである。
 タイトルがいかにも昔風にデザインされたフランス語だし変だなとは思いつつも、そのことにはっきりと気づいたのははじまってから10分以上はたっていただろうか。じつは『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』は、同じ館ですでに何日か前に終映していたのである(帰りがけに売店の人に確かめて、やっとわかった)。

 この勘違いは、たんなる私のおっちょこちょいが原因だが、別に後悔はしていない。逆に、リメイク版よりも本編のほうを自分の意図を超えて先に見ることのできた幸運に感謝すべきだろう。そして、これを異種なものと感じさせず、むしろ一瞬にしろホウ・シャオシェンの映画と勘違いさせてしまう、これまでの彼の詩的な映像の力のすごさに感嘆を新たにする、といったらうがち過ぎだろうか。
 なんだか狐につままれたような気分だったけど、勘違いがなければこの『赤い風船』を見ることはなかったかもしれないし、これも不思議な映画的出会いだったような気もする。

 もちろんアルベール・ラモリス監督のこの『白い馬』(1954年)と『赤い風船』(1956年)は、映画であることだけを目的とした、永遠に回帰すべく映画の時間を生きる、ステキな贈り物のような映画作品だった(白い馬と赤い風船。これはひとつのエスプリが姿を変えただけの同じものだ)。私の記憶に永く残り続けるにちがいない。だからこそ、映画の精霊(そんなものがいればだけど)に感謝したい気持ちで、こんなことを記しておきたくもなったわけだ。時を超え、私のもとへ漂ってきた風船…。精霊からの贈り物は、誰かに引き継ぎ、手渡していくものなのだろう。

 オリジナルかリメイクかという区別はこの際不要だ。『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』を、見ることのできる日が楽しみである。“もう一度“、彼の映像に漂ってくる赤い風船を追いかけてみたい。

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コメント(3)

ちょっと違う話題ですが。

文庫本を持っているのにその本の初版の単行本を見つけたりすると、ついつい買ってしまう。

特に感銘を受けた本であればあるほど、前の読者がこの本を読んでどんなことを考えたのだろうかと想像しながら手が離せなくなる。

奈良の繁華街(といっても商店街程度)にある、時代に取り残された古本屋で谷川健一「魔の系譜」71年刊の初版本を見つけた。

2000円という値段がついていた。

分厚いめがねの奥から値踏みするような目線を送ってきた主人が、「負けとくよ」と一言。


宿に戻って、独特の時代臭が立つ本を開く。

頁の折りこみがあったりするところで、文庫本で読んだ時に気にとめなかった文章が、光を持ち始める。


同じ本ですらこんなに伝える力が違う。

リメイクの映画なら全く別物だよね。

そうなんですよ。この本の話もわかるなぁ。
内容が異なるわけではないのに、同じものが違って見える。違う見え方をする。
だから、逆に、違うはずのものが同じに見えることがある。
見る側の目(感覚)=脳と対象の間に「現実」は立ち現れるっていうことなんでしょうね。
奇しくも「魔(の系譜)」という言葉が出てきましたが、これも一種の魔のいたずらなのかもしれません。

これを書いた自分でもわかりずらい文だなと思いていたところ、するどく言いたいことを汲み取っていただき、捕捉してもらったような気持ちで感謝です。

「赤い風船」に「白い馬」か 、、

色彩的にも事物的にも対比として秀逸ですが、1950年代後半に撮られたオリジナルのフランス映画に心として惹かれます。

<残念ながら、映画には疎くアルベ−ル・ラモリス監督も作品名も初耳でしたが、、>

ワタシ的には、「五つの赤い風船」とか「ス−ホ−の白い馬」なんてものしか頭に思い浮かびませんでしたが、、、

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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。
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