nous letter
2008年10月27日 15:08

 事務所への出がけに、上野で途中下車して『フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち』を覗いてきた(東京都美術館、12月14日まで)。

フェルメール展 平日(木曜)の午前なのに、かなりの混雑で、作品を見る前からいささかうんざり気分が先に立ったが、駆け足ぎみに見てまわった。「どうせ混むんだから、そんな混雑のなかでフェルメールを見たってあまり意味ないんじゃない…?」という知り合いの美術史の先生の助言があったにもかかわらず、欧米の美術館を訪ね歩いて観賞する時間もお金もない当方からすれば、こういうチャンスは滅多にないのだから仕方ない。

 フェルメールは7作品が出展されていた。作品名をあげると「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」「ヴァージナルの前に座る若い女」、そして「手紙を書く婦人と召使い」。
 私にとって実物を見るのはすべてはじめてだったが、事前に何も調べずに行ったため、出会えるものと勝手に思い込んでいた「真珠の耳飾りの少女」を見ることができなかったのは残念(スカーレット・ヨハンソンが主演であの少女のモデル役を魅力たっぷりに演じていた映画『真珠の耳飾りの少女』をかつて面白く見ていただけに、当てが外れてちょっと落胆)。

 しかし、だからでもあろうか、逆に興味を惹かれたのは「ワイングラスを持つ娘」という絵。「真珠の耳飾りの少女」の少女に比べると、この「娘」はなんだかちょっと“いやな”顏をしている。ともにこちらを向いて絵を見る者を見つめ返しているが、「少女」のほうはずっと視線を交わしていたい気持ちになるのに(印刷物などで見るかぎり)、「娘」のほうは反対に目をそらしたくなる、というか目をふせたくなる。「娘」のほうがわずかに品を欠いた、どこかしら隠微な感じがするからであろうか。笑みをたたえた口元は、こちらの羞恥心を見越した意地の悪さのようなものまで漂わせているように見える。衣服の色、青(ターバン=少女)と赤(娘)の違いも影響しているかもしれない。
 (会場入口付近を撮った上の写真のポスター、向かって左が「ワイングラスを持つ娘」。右は「小路」)

 館内の人混みから抜け出して早く外に出たい気持ちが先走り、黒い人影の頭越しに視線をさっさと画布に走らせて出口近くまで来て、なんだか気になる感じがのこっていたので、もう一度動線を逆戻りしてこの絵の前に立ってみた。
 娘に寄り添うように上目づかいでワインをすすめている男、これがなんとも怪しいのだ。下心みえみえといった様子で、娘もそれを察知しており、「あらま、どうしましょう」とこちら見る側に問いかけているように見える。それは、私たち見る側の“女への視線”にまぎれこむ下心さえ察知し、了解済みのオトナとしての微妙な笑顔でこたえているかのようだ。視線をそらしたくなるのは、こちらの見ることに潜む欲望を見透かされている感じがするからではないか。
 そう考えると、この男(紳士)は私たち見る男の鏡像にも思えてくる。

2008年10月21日 14:51

「亀甲館だより」などカフェ・ヌースでもおなじみの現代美術家・蓜島庸二さんの個展が開かれます。タイトルは[Fragile]。「炭書」というコンセプトがさらに先鋭化され、文明の“危うさ”が日常空間に忍び込む…!? 従来の作品や展示という概念を覆す、この高貴でスキャンダラスな「事件」の現場に立ち会えることの“幸運”を分かち合いたいと思います。
 下記は蓜島さんからご案内いただいた個展の概要です。英文と略歴を含めた詳細は「亀甲館だより」をご覧ください。

 ☆

蓜島庸二個展 Yoji Haijima Exhibition
グーテンベルク炭書 Gutenberg Charcoal Books
[Fragile]ーーフラジャイルな炭書/フラジャイルな日常ーーー
2008年11月10日(月)~22日(土) 12時~6時p.m.(最終日4時p.m.)
会場:ギャラリー 水・土・木
オープニングパーティ:11月10日(月)4時p.m.より
ギャラリートーク:11月16日(日)2時p.m.より

081021.jpg 本を炭に焼くというこのスキャンダラスなプロジェクトは、名付けて『グーテンベルク炭書』。今回はその4回目の発表になるが、それにしてもこの炭書は、もともとが一枚の紙だから、そのまま炭に焼いてもなかなか木炭そのもののような堅固な形を得るのが困難で、しかし試行錯誤の末、今ではかなり安定した形を得られるようになった。

 とはいえ、それはブロンズ彫刻のような強さが得られるというわけではなく“本の姿焼き” といった程度のものだから、ちょっとした衝撃にもぽろぽろと崩れていく。そのフラジャイルなさまは、今や私には、このグーテンベルク文明そのものの姿に思えて・・・、

 そういう思いの中で開かれる今回の個展。

 この水・土・木(みず・と・き)ギャラリーは、東京西北部に古くから開けた有数な住宅街のまんなかにあって、そのせいか世に言う美術空間のホワイトキューブとはほど遠く、白い格子の出窓なぞしつらえてあって、どこか小市民的日常感覚の漂う空間だ。そういう中にこのスキャンダラスな、いかにもフラジャイルな炭書を持ち込むことを想像したとき、

  いま、わたしたちの日常が、さまざまな日常が壊れようとしている? といった不安が・・・。

(炭書の炭焼きはすべて、青森県深浦町、炭工房「勘」の技術に成るものです)

 ☆

蓜島庸二略歴
1931年:東京に生まれる。1950年始め頃より作家活動を開始。美術文化協会、新象作家協会、読売アンデパンダン展などを経て現在はフリーランスに。以後、幾つかの個展、幾つかのグループ展、コンクール、美術展などで発表。
2005年:国際芸術センター青森における、春のアーチストインレジデンスに参加。書籍を炭に焼くプロジェクトを「グーテンベルグ炭書」と名付けて開始、現在に至る。

〈本展以外の今後の予定〉2009年2月:日本橋砂翁に於ける蓜島庸二/和田祐子二人展を、同じく2009年5月:愛知県常滑市INAXライブミュージアムに於いて個展グーテンベルグ炭書「海を孕む」を、2009年5月:六本木ストライプハウスG.での個展を予定している。

2008年10月15日 16:25

 以下は、2004年のバリの旅の記憶。中断されている『ウブドの光る雨』を、再び書き継いでみたいと思います。これは、[ウブドの光る雨1ー1]にあたります。

 <……岸辺に打ち上げられた漂流者のように、私は眠りの海から吐き出されていた。>

 朝食には、まだ早い。私はピタ・マハの敷地内を少し見て歩いたあと、部屋のテラスに戻り、日本から持ってきていたガイドブックや空港で手に入れたリーフレットの類いを外のテーブルに広げ、写真や地図などを見るともなしに見ていた。
 
 ランドスケープ・アーキテクチャーという、なにやらいかめしい肩書きを持つ友人のひとりが、「地図で見るバリ島は、なんとも面白い、いい形をしているよね」と言っていたことがある。彼は以前、王立庭園の造園工事ために、デザイナーとしてブルネイに一年間暮らしていたことがあり、自然と人の技術との接点を探ることに深い関心を持っていて、自然や都市環境、ヨーロッパや日本の庭園、いわゆるランドアートのことなど、よくふたりで語り合ったものだ。
 この前の爆弾テロのために、いっしょに計画していたバリ旅行が直前で取り止めになり、今回も病気のためにこの地に来ることがかなわなかったが、バリの景観をじっさいに見たら、彼なら何と言うだろう、などと考えていた(この旅の2年後、彼はこの病から回復できず亡くなった)。

bali_map_omuni2.jpg

 ここバリ島は、インドネシアの州のひとつ。大小合わせて1万数千〜2万あるといわれるこの国の島々のなかのひとつで、面積はほぼ愛媛県くらい。西にジャワ島、東にロンボク島が近接している。ロンボク島とのあいだには、そこから動物の生態分布ががらりと変わる境界といわれる、かの有名なウォーレス線がひかれている。ウォーレスとは、ダーウィンと「進化論」を競い合ったあの博物学者・探検家アルフレッド・ウォーレスのことである。

 ガイドブックによると、この小さな島に310万人が暮らしているとある。1平方キロあたり、550人というから、かなり人口密度は高い。イスラム国インドネシアのなかで、唯一のヒンドゥー教の島であるが、インドから伝わったこの宗教に、バリ特有の自然信仰がミックスされて形成されたバリ・ヒンドゥーの教徒が、住民の95パーセントを占める。人口密度は高いけど、いたるところに寺院があり、面積に占めるお寺の数の比は世界一高いといわれる。

 ★

 とこうするうちに、早く起きて敷地内を“探索”していたらしい「玉さん」(今回の旅の仲間をこのような符号で呼ぶことにする)がヴィデオカメラを望遠鏡のように目の前に構えたまま、土塀の狭い入り口から入ってきた。もうひとり同部屋の「秋さん」もちょうど出てきたところで、隣の一棟の「北さん」「竹さん」(この2人は女性)も現れて、小さな前庭になっているテラスに5人の顔がそろった。
 みなあまり寝ていないはずだが、さわやかな朝にふさわしい、朝のようにさわやかな表情をしている。私も椅子から立ち上がってカメラを構え、私たちを撮影している玉さんと向き合った。一枚、カシャッ。

 ロビー脇のレストラン。さほど広くはなく、テーブル数も多くはないが、自然光と風が窓から入り、開放的。つい、窓といったが、2階にあるこのレストランは、外壁が腰の高さまでしかなく、屋根とのあいだには数本の柱があるだけで、媒介なしに外の自然とつながっている。バリに限らず、熱帯地方には「窓」といった概念はほとんど意味をなさないことに、いまさらながらに気がつく。

 そのことは別にしても、バリの“外と内”の境目の作り方は、とても興味深い。開放的で閉鎖的、オープンかつクローズとでもいえばよいか。バリ独特の、山を垂直に刃物でたち割ったような寺院の門(チャンディ・ブンタール)の間口は、たとえば日本や他国の寺社などと比べても極端に狭く、家屋を囲う塀や部屋の入り口は、せいぜい人が一人やっと通れるかどうかぐらいしかない。しかし、一般家屋の塀や壁、敷地の囲いは低く、そんなものがない場合もあって、なかへ入ろうと思えば人はどこからでも入ることができるのだ。
 バリの境界は、人ではない、なにか別のもののためにあるような気がする。

2008年10月 2日 12:23

081002.jpg 先日、ある人(アーティストの配島庸二さん)から、佐藤春夫が書いたバリ島旅行記の存在を教えられた。

 それは「バリ島の旅」という題名の随筆で、私が読ませてもらったのは、筑摩書房の現代文學全集30『佐藤春夫集』に収録されたものである。昭和20年の正月の数日をバリ島に遊んだ佐藤春夫は、自身で「たわいもない」といいながら、そのときの印象を短い旅行記として自由闊達に、とても愉快に綴っている。

 公表されたのは昭和26年(私の生まれた年!)のようだが、「はしがき」に「餘人にはたわいも無いものであろうが、當年の旅人にとっては焚き捨て難いのをここに録して貰うことにする」とある。

 配島さんからお借りしたこの本は、配島さん自身、最近どなたかから贈られたものであるという。配島さんは、本サイト「カフェ・ヌース」でも紹介されているように、書物を焼いて(焚いて)炭にする「炭書」を作っておられる。もし、この本が、「炭書」制作のために材となる可能性をもって、配島さんに贈与されたものであるとすると、逆説的でありながら、バリ好きの私にとってはなんだかとても不思議なめぐりあわせのような気もしてくる。
 贈与の循環…。

 逆説的といったが、配島さんの炭書が「焚き捨てる」ことを本意としたものではなく、むしろ焚いて(焼いて)保存し、機能を変換して別の「なにか」に再生させることであるならば、逆説どころか、もしかすると芸術行為というものの「本説」、つまり原因と結果、過去と未来が逆転するような一種のマジックを見る思いがする、といったらアーティスト本人からは深読みと笑われるだろうか。
 
 …と、ここまで書いて漠然と「贈与」のことを考えていたら、事務所のドアをノックする音が聞こえた。いつかは読まねばと思い「アマゾン」に発注していたマルセル・モースの『贈与論[新装版]』(勁草書房)が、配達されてきたのだ!(本当ですよ)。

 バリ島は、私にとってはつまり、ある意味で「贈与」のトポスであるといってよい島なのである。
 いまくわしくは書かないが、バリからはじつにいろいろなものを贈られた。それはいったいなんなのか。それを少しずつでも言葉にしようという試みが、このバリコラージュであるともいえるわけで。

 また、本来的な意味での芸術活動にしても贈与という面から捉えてみる必要があるのではなかろうか、とも思う。前々回にも書いたひとつの言い方をすると「市場経済を超えた領域」に生起するものとしての芸術=贈与。この場合、それは自然からの贈与が大本であるといってよいかもしれない。自然からの贈与を人々と分かち合うものとしての、また自然にたいするその返礼としての芸術、そして芸能。

 だから「深読み」「こじつけ」はある程度承知のうえである。配島さんとそのアートに出会ったときから、「贈与」という概念が自分のなかに芽生えてしまったのだからしょうがない。概念によって導かれた“ひとつの”読み(思考)として、まあ、許してやってください。

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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。