nous letter
2008年10月15日 16:25

 以下は、2004年のバリの旅の記憶。中断されている『ウブドの光る雨』を、再び書き継いでみたいと思います。これは、[ウブドの光る雨1ー1]にあたります。

 <……岸辺に打ち上げられた漂流者のように、私は眠りの海から吐き出されていた。>

 朝食には、まだ早い。私はピタ・マハの敷地内を少し見て歩いたあと、部屋のテラスに戻り、日本から持ってきていたガイドブックや空港で手に入れたリーフレットの類いを外のテーブルに広げ、写真や地図などを見るともなしに見ていた。
 
 ランドスケープ・アーキテクチャーという、なにやらいかめしい肩書きを持つ友人のひとりが、「地図で見るバリ島は、なんとも面白い、いい形をしているよね」と言っていたことがある。彼は以前、王立庭園の造園工事ために、デザイナーとしてブルネイに一年間暮らしていたことがあり、自然と人の技術との接点を探ることに深い関心を持っていて、自然や都市環境、ヨーロッパや日本の庭園、いわゆるランドアートのことなど、よくふたりで語り合ったものだ。
 この前の爆弾テロのために、いっしょに計画していたバリ旅行が直前で取り止めになり、今回も病気のためにこの地に来ることがかなわなかったが、バリの景観をじっさいに見たら、彼なら何と言うだろう、などと考えていた(この旅の2年後、彼はこの病から回復できず亡くなった)。

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 ここバリ島は、インドネシアの州のひとつ。大小合わせて1万数千〜2万あるといわれるこの国の島々のなかのひとつで、面積はほぼ愛媛県くらい。西にジャワ島、東にロンボク島が近接している。ロンボク島とのあいだには、そこから動物の生態分布ががらりと変わる境界といわれる、かの有名なウォーレス線がひかれている。ウォーレスとは、ダーウィンと「進化論」を競い合ったあの博物学者・探検家アルフレッド・ウォーレスのことである。

 ガイドブックによると、この小さな島に310万人が暮らしているとある。1平方キロあたり、550人というから、かなり人口密度は高い。イスラム国インドネシアのなかで、唯一のヒンドゥー教の島であるが、インドから伝わったこの宗教に、バリ特有の自然信仰がミックスされて形成されたバリ・ヒンドゥーの教徒が、住民の95パーセントを占める。人口密度は高いけど、いたるところに寺院があり、面積に占めるお寺の数の比は世界一高いといわれる。

 ★

 とこうするうちに、早く起きて敷地内を“探索”していたらしい「玉さん」(今回の旅の仲間をこのような符号で呼ぶことにする)がヴィデオカメラを望遠鏡のように目の前に構えたまま、土塀の狭い入り口から入ってきた。もうひとり同部屋の「秋さん」もちょうど出てきたところで、隣の一棟の「北さん」「竹さん」(この2人は女性)も現れて、小さな前庭になっているテラスに5人の顔がそろった。
 みなあまり寝ていないはずだが、さわやかな朝にふさわしい、朝のようにさわやかな表情をしている。私も椅子から立ち上がってカメラを構え、私たちを撮影している玉さんと向き合った。一枚、カシャッ。

 ロビー脇のレストラン。さほど広くはなく、テーブル数も多くはないが、自然光と風が窓から入り、開放的。つい、窓といったが、2階にあるこのレストランは、外壁が腰の高さまでしかなく、屋根とのあいだには数本の柱があるだけで、媒介なしに外の自然とつながっている。バリに限らず、熱帯地方には「窓」といった概念はほとんど意味をなさないことに、いまさらながらに気がつく。

 そのことは別にしても、バリの“外と内”の境目の作り方は、とても興味深い。開放的で閉鎖的、オープンかつクローズとでもいえばよいか。バリ独特の、山を垂直に刃物でたち割ったような寺院の門(チャンディ・ブンタール)の間口は、たとえば日本や他国の寺社などと比べても極端に狭く、家屋を囲う塀や部屋の入り口は、せいぜい人が一人やっと通れるかどうかぐらいしかない。しかし、一般家屋の塀や壁、敷地の囲いは低く、そんなものがない場合もあって、なかへ入ろうと思えば人はどこからでも入ることができるのだ。
 バリの境界は、人ではない、なにか別のもののためにあるような気がする。

2008年10月 2日 12:23

081002.jpg 先日、ある人(アーティストの配島庸二さん)から、佐藤春夫が書いたバリ島旅行記の存在を教えられた。

 それは「バリ島の旅」という題名の随筆で、私が読ませてもらったのは、筑摩書房の現代文學全集30『佐藤春夫集』に収録されたものである。昭和20年の正月の数日をバリ島に遊んだ佐藤春夫は、自身で「たわいもない」といいながら、そのときの印象を短い旅行記として自由闊達に、とても愉快に綴っている。

 公表されたのは昭和26年(私の生まれた年!)のようだが、「はしがき」に「餘人にはたわいも無いものであろうが、當年の旅人にとっては焚き捨て難いのをここに録して貰うことにする」とある。

 配島さんからお借りしたこの本は、配島さん自身、最近どなたかから贈られたものであるという。配島さんは、本サイト「カフェ・ヌース」でも紹介されているように、書物を焼いて(焚いて)炭にする「炭書」を作っておられる。もし、この本が、「炭書」制作のために材となる可能性をもって、配島さんに贈与されたものであるとすると、逆説的でありながら、バリ好きの私にとってはなんだかとても不思議なめぐりあわせのような気もしてくる。
 贈与の循環…。

 逆説的といったが、配島さんの炭書が「焚き捨てる」ことを本意としたものではなく、むしろ焚いて(焼いて)保存し、機能を変換して別の「なにか」に再生させることであるならば、逆説どころか、もしかすると芸術行為というものの「本説」、つまり原因と結果、過去と未来が逆転するような一種のマジックを見る思いがする、といったらアーティスト本人からは深読みと笑われるだろうか。
 
 …と、ここまで書いて漠然と「贈与」のことを考えていたら、事務所のドアをノックする音が聞こえた。いつかは読まねばと思い「アマゾン」に発注していたマルセル・モースの『贈与論[新装版]』(勁草書房)が、配達されてきたのだ!(本当ですよ)。

 バリ島は、私にとってはつまり、ある意味で「贈与」のトポスであるといってよい島なのである。
 いまくわしくは書かないが、バリからはじつにいろいろなものを贈られた。それはいったいなんなのか。それを少しずつでも言葉にしようという試みが、このバリコラージュであるともいえるわけで。

 また、本来的な意味での芸術活動にしても贈与という面から捉えてみる必要があるのではなかろうか、とも思う。前々回にも書いたひとつの言い方をすると「市場経済を超えた領域」に生起するものとしての芸術=贈与。この場合、それは自然からの贈与が大本であるといってよいかもしれない。自然からの贈与を人々と分かち合うものとしての、また自然にたいするその返礼としての芸術、そして芸能。

 だから「深読み」「こじつけ」はある程度承知のうえである。配島さんとそのアートに出会ったときから、「贈与」という概念が自分のなかに芽生えてしまったのだからしょうがない。概念によって導かれた“ひとつの”読み(思考)として、まあ、許してやってください。

2008年6月16日 10:42

[ウブドの光る雨0-1(つづき)]

 ★

 私にとって今回のバリは、5度目のバリである。はじめてこの島を訪れたのが20数年前で、前半の10年間に4回来たので、ほぼ10年ぶりということになる。一度は計画しつつも出発日直前におきた“あの”爆弾テロ事件のために、キャンセルを余儀なくされるということがあり、またバリに行きたいという想いを抱きながら、機会を待ちつづけた10年であった。

 5度目のバリ、そして、5人の旅人。
 私にとってのバリの旅の重要な要素は、いつも“旅の仲間”がいることである(バリにおいて「5」という数字が重要な意味を持つことは後になって知ることになる)。

 たとえばヨーロッパの都市などとちがい、なぜかバリにひとりで行きたいと思ったことはなく、じっさいにこれまでのバリの記憶はすべて、同行者たちのそのときの面影と一体化している。何度目かということもさることながら、誰といっしょにバリで過ごしたかによって、それぞれちがったバリが目の前に浮かんでくるのだ。
 喜びや快楽は共有されることでこそ喜びや快楽になるという、あたりまえのことではあるが、バリという土地はそんな要素がとくに強いのかもしれない。
 それと、もしひとりでバリに来たら二度と帰れなくなるかもしれないという恐れが、気持ちのどこかに潜んでいるのかもしれないのだが(夢の世界から日常に戻れなくなる恐れとでもいうか。悪夢というのは、帰り道を失うことの不安が大きな要因になるわけで)。

 私以外は、バリの初体験者であったこと、このこともよかった気がする。
 10年という年月の隔たりと、4人の旅の仲間たちは、私に一旅行者としてバリをもう一度“はじめて”体験するための、新鮮な“まなざし”をあたえてくれることになるはずだから。

 男2人、女2人の同行者たちは、夜の向こうに何を見ることになるのか。

2008年6月13日 11:40

[ウブドの光る雨0-1]

bali00_1.jpg 旅先へは夜に着くのが、私は好きだ。

 暗い海の上空を飛ぶ飛行機の窓から、海よりももっと暗い島影に、黄色い星々のように煌めく明かりが見えてきたかと思う間もなく地上に降下していく感覚が好きだし、飛行機を降り、見知らぬ町、見知らぬ人々の前に一気にストレンジャーとしての身をさらすのではなく、その地に人知れず静かに潜入していく感じもいい。
 なかでも格別なのは、バリだ。

 デンパサールのングラライ空港に降り立ち、空港に迎えに来ていたバリ人スタッフの運転するミニバンに乗りこんで、宿泊地ウブドへの道を走りながら、やっぱりバリには夜に着くのがいいなと思った。
 到着時間の遅れもあって、飛行機が赤道を越えるあたりで約1時間の時差を調整した腕時計を見ると、もう夜半に近い。

 ひさしぶりのバリである。タイヤから伝わる振動で、たしかにこの地に自分がいることを感じながら、旅の高揚感と、また来たいという想いがかなったことの安堵感、そして幾分かの不安が入り交じった気持ちで、私は窓から外の暗闇に目を凝らしていた。

 ヘッドライトが照らし出す道路や周りの景色は、まるで映画館のスクリーンに投影される映像のようにフロントガラスを流れていく。道は夜の川のようでもある。暗い車内。かなり、飛ばしている。助手席からバリ人スタッフが流暢な日本語で話しかけてくる。

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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。