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    <title>町まちの文字を訪ねて</title>
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    <title>道しるべの文字「&#26625;緑花紅」─ その１ ─</title>
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    <published>2011-09-18T15:30:58Z</published>
    <updated>2011-09-20T09:36:27Z</updated>

    <summary>--　大津追分の道標　-- 　写真１（左）、写真2（右）　今回は石に彫られた道し...</summary>
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        <category term="No.13：道しるべの文字「&#26625;緑花紅」 " scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div class="sub2">--　大津追分の道標　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:246px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_01b.jpg" title="「ひ多りハふしミみち（左は伏見道）」"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_01s.jpg" alt="「ひ多りハふしミみち（左は伏見道）」" width="120" height="320" border="0" /></a><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/333333.jpg" alt="line" width="6" height="320" border="0" /><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_02b.jpg" title="「みきハ京ミち（右は京道）」"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_02s.jpg" alt="「みきハ京ミち（右は京道）」" width="120" height="320" border="0" /></a><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /><span class="cap2">　写真１（左）、写真2（右）</span></div><p>　今回は石に彫られた道しるべの文字です。</p>
<p>　東海道から伏見、奈良に分かれる三叉路、追分に建つ道しるべですが、「ひ多りハふしミみち（左は伏見道）」（写真１）もう一面には「みきハ京ミち（右は京道）」（写真２）と、かな、変体仮名、ひらがなを混ぜたゆったりとした行書体の文字が彫られています。</p>
<p>　「京」だけが著しく漢字です。これなら大方の旅人に読めそうですが、よくみると「ふしミみち」の「み」の字の重複を、一方をカタカナにしたりして造形的に変化をつくっているのですが、そのために読み易いばかりではなく、微妙な美しいリズムがうまれています。それはもう一面の「みぎ」と「京ミち」の「み」の重なりも同じです。</p>
<p>　ところがもう一つの面では「&#26625;緑花」（&#26625;は柳の異体字）（写真３）と読める堂々たる行書体の文字がゆったりと、旅人の目に立ち塞がってきます。よく見るとその下に踞るような文字があって、これが上の三文字から極端に小さく、しかも草書体で「紅」と書かれています。</p>

<div class="sub2">--　じつは５０年前にも　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 15px; padding: 4px; width:150px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_03b.jpg" title="「&#26625;緑花」（&#26625;は柳の異体字）"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_03s.jpg" alt="「柳緑花」（&#26625;は柳の異体字）" width="150" height="320" border="0" /></a><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /><span class="cap2">　写真3</span></div><p>　これは、いまから５０年も前のことになりますが、夏休みを掛けて訪ね歩いた私の「文字への旅」の、このとき八月の暑いさなかを、大津から京都三條へ向かう街道の取材をしていて、追分の分岐点に建つこの道標に出会ったときは、その偉様に感激！だったのですが（「蓜島庸二編著『祈りの文字』芳賀芸術叢書1975年刊」参照）、今回改めて、その分岐点に立ち戻って「京ミち」つまり都への道を辿ってみたいと思うのです。</p>
<p>　いまでもありありと記憶しているのですが「&#26625;緑花紅」。その時とっさに私の頭に浮かんだものは「見わたせば柳桜をこきまぜて・・・（素因法師）」という、かの古今集の情景。また一方で、なんだこれは茶会の床の間などで、どこそこの禅僧の墨跡としてよく目にする、あの「柳緑花紅」じゃないか。いずれにしても、なんとも月並みで、その時はむしろその道標の根方に建つ「蓮如上・・・」とだけ見せて、おそらくこれは「蓮如上人御塚道」と書かれていたはずで、もう一面に「明和三年（1776）」と。</p>
<p>　これは蓮如上人の没後（1449）270年経ってからの建立です。私は半ば埋もれかけた小さな道標の方に心を魅かれて、そこからいわゆる「蓮如道＝民衆の道」を辿ることになったため、しかしそれは断続的に継続していて、ついに福井の吉崎御坊まで足を伸ばすことになるのだが、ついぞこの「&#26625;緑花紅」の碑文には触れずじまいだった、そのことが、以来何んとなくわだかまりながら長い歳月が過ぎたわけです。</p>
<p>　そういう、私にとってちょっと因縁めいたこの「&#26625;緑花紅」ですが、先にも書いた通り、これは当時からちょっとした人ならば「ああ、あれか」と、誰でも、しかも中には「&#26625;緑花紅真骨頂」と、その本歌まで読み通す者ももちろんあったでしょう。</p>
<p>　さて前置きは措くとして、碑文はまず、&#26625;の旁の&#21353;（ふしづくり）の縦画を極端に伸ばして、次の緑との間をぐっと引き離しているために、そのあおりを食ってか最後の「紅」が・・・。活字やフォントで育った者にはなかなか理解しにくいのですが、もともと筆で書く文字は、基本的に心と手の連携による身体行動によって生み出されるものですから、そのときの書き手の気持ち次第で、このようなことはまま起こりうることです。</p>
<p>　この碑の場合には、そのことがうまく作用して、というよりもむしろ碑面の字配りとして始めから書き手の作為がそのようにあった、と見るべきで、一つの大きなアクセントを作り出していて、忙しく行き過ぎる人々の目を引く強さを生み出しています。</p>
<p>　更にその下に小さく「法名未微」と割って添えられていますが、これはたぶん未微という僧侶が、この道標を建立し、あるいは揮毫もした、ということかも知れません。昔はよく勧進聖とか勧進坊主といわれる僧侶が、このように必要と思われるインフラを、寄付を募っては整備する、といったことが行われたらしいのです。</p>
<p>　それにしても「&#26625;は緑　花は紅」とは、あまりにも当たり前すぎて、はて、どうしたものか？　先にも述べたように、モノの本によるとこの本歌は、中国宋代の政治家であり詩人の蘇東玻の詩の一節だということです。人生いろいろと迷ったり理屈をつけるけれども、結局、その変哲も無い当たり前とみえることこそ真理なのだ、ということらしいのです。ちょうど「空即是色」と言い返すようなものかもしれません。なるほど「&#26625;緑花紅真骨頂」と、そこまで一気に読み切ってみると、このことばの強さ、世界をすぱっと両断するような気迫が伝わって来ます。と、いわれても凡人にはなかなか・・・。また、そこだけ取り出して刻んだこの碑の真意は？　そんなありがたい言葉がなぜ道標に？　と、誰しも思うところです。ここは取り澄ました茶室などではなく、日々刻々、人が行き交う埃っぽい路上だからです。</p>

<p>　旅の途上で、「やなぎはみどり、はなはくれない」という至極当たり前の、それゆえかえって謎めくこのメッセージを、道行く人はいったいどのような気持ちで見たのでしょうか。</p>

<p>　案内に従って京道をとるならば、はるばる東海道を上って来た、例えば旅人Aにとって、都はすでに目前にあるわけで、先にも引いた素因法師の歌の、下の句「都ぞ春の錦なりける」といったそんな高揚感でふと胸を一杯にしたかもしれません。それがたとえ冬の最中にあっても、です。</p>

<p>　また反対に都から東国その他へむけて旅立つ旅人Bにとってならば、最初のこの分岐点にさしかかって、都の華やかさの裏側で、決して幸せではなかった自分の来し方を思い、またこれから先の旅の苦労が眼前に立ちはだかって、あらためて世の無情変転の様を、しみじみと噛みしめながら、同じ花でも、</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 0px 10px;">「世の中は地獄の上の花見かな」</div><br />

<p>　などと、どこかひりひりするような達観？　を胸に、うそぶきながら・・・、だったかもしれません。</p>
<p>　あるいは旅人Cでは、そしてDでは・・・と、それが武士であるか、そしてその身分は。もしかして敵討の、追う方かそれとも追われる方か、編み笠は深いものか、はたまた・・・。また町人であるか、男か女か、さらに傀儡や放浪の旅芸人やが、この碑文を見上げながら（大男の背丈ぐらいある）行き過ぎたはずの、じつにさまざまな旅人の立場々々に、つまりそれぞれのトポスに、それはどのように作用したのか、という思いにかられるのです。あるいは、</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 0px 10px;">「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也」（芭蕉／奥の細道）</div><br />

<p>　とつぶやきながら、これは旅そのもの、というよりも、人間の上を不可逆的に過ぎ去ってゆく「時間」を主人公にして、これは、柳や花ではなく、ちょうど日々天空を旅する太陽と月という神話をそのまま自身の詩神に託しながら、終世を旅に生きた詩人の、この場合は北へ向けての、いくぶんネガティヴな寂びた旅のトポス、というものもここには当然あって、そんな旅人の気持ちも、この碑文はそのまま、受け止めていたのにちがいないのです。</p>

<div class="sub2">--　文字にこめられた時間／ waheiさんへ　--</div>
<p>　と、ここまで書いて来て、なんだか旅のアレゴリーの迷路に踏み迷いそうな、もちろんテーマが道標ですから、それもアリなのですが、それは後のことにして、もういちど、ではそれらがこの道標の文字に、具体的にどのように止められているのか、つまり文字そのものに立ち返って、見てみなければ、と思ったのです。</p>

<p>　というのもじつは、この「町まちの文字」という私のホームページのNo 11「アルカイックな・・・・」に書き込みをしてくださった waheiさんという方のご指摘を思い出したからです。</p>
<p>　詳しくは<a href="http://www.cafe-nous.com/font/2011/07/20110620.html#comment-135">No. 11のコメント</a>をご覧頂くとして、それを要約すると、</p>
<p>　筆やペンで書かれた文字には、人を惹き付ける引力を感じるのに、ケータイや電子ブックの「フォント」にはこの力が感じられない。それは活字やフォントには、一つの文字を書くにあたっての時間の「経過」がみられないせいなのではないか。その経過が「完全なものに向かっていく力」として働くのではないか。</p>
<p>　と、およそそういった意味のものでしたが、文字を「時間の経過」とみる waheiさんのご指摘はまさに卓見で、およそ手書きの文字は、まず起筆から一点一画書き進んで書き上げていくわけですから、どんな小さい文字でも、そこに時間の経過が内在しています。つまり「筆順」あるいは「書き順」といわれるものです。やはり（またアレゴリーの・・・と笑われそうですが）その極小の旅の一節であり、やはり「過客」の一員であった、ともいえそうですが、それではそれが、この「&#26625;緑花紅」という江戸時代に書かれた道標の、石の文字ではどうなっているのか、ということを見てみたいと思うのです。</p>

<div style="margin: 0px 0px 5px 50px; padding: 4px; width:420px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_04b.jpg" title="&#26625;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_04s.jpg" alt="&#26625;" width="203" height="250" border="0" /></a><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/333333.jpg" alt="line" width="6" height="250" border="0" /><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_05b.jpg" title="花"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_05s.jpg" alt="花" width="107" height="250" border="0" /></a><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/333333.jpg" alt="line" width="6" height="250" border="0" /><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_06b.jpg" title="京"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_13_06s.jpg" alt="京" width="98" height="250" border="0" /></a><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /><span class="cap2">　左から写真4、5、6</span></div>
<p>　まず「&#26625;」の旁の&#21353;（ふしづくり）の起点が左のタと重なる部分（写真４）、その重なりがが、はっきりと浮き出すように彫られていることに注目してください。「花」のイ（にんべん）の縦画の起筆（写真５）、「紅」の糸（いとへん）から、旁の工へ続く一筆書きにした草書の線など（写真５）、京の縦画（写真６）などまだまだありますが、それらは明らかに筆の線が走った時間的な経過が、線の重なりとして、辿ることが出来ます。</p>
<p>　つまり後になる方の線が上に、ちゃんと浮き出すように彫られて、これらの文字を書いた、その時の人間の身体行動の、時間的なありさまつまり「筆順」がはっきりととどめられています。これを仮に文字に込められた「時間の相」と名付けるとすると、それを可能にしたのは、この重なりの表現、例えばイの縦画の起筆の重なりの部分、よく見ると重なるところが部分的に双鉤（そうこう）＝袋文字としてその輪郭を残しています。そのことで前後の関係が現れ、時間的な経過として「表現」されているのが分かります。</p>

<div class="sub2">--　石工の工夫　--</div>
<p>　じつはこの表現には少し工夫が要って、書き順序の通り彫っていってはこうはならないのです。つまりノの方を先に彫ってしまっては、残すべきこの袋文字の輪郭線が削られてしまうからです。そこで石工は、筆順とは反対にイの縦画なり、その頭の重なりの部分かを先に彫っておく、そうしておいてから、ノの画を、その縦画の頭の輪郭線を残しながら彫っていく、というわけです。文字の｢時間の相」はこうして表現されていたのです。</p>
<p>　ただ、昔の石碑ならみなそのように彫ってあったか、というと、必ずしもそうはなっていないのですが、それはまたそれでさまざまに興味深い問題をはらんでいるのです。</p>
<p>　まあ、それはともかく、いまどきの文字は、道標にしても墓石の文字にしても、コンピュータを駆使して機械で彫りますから、これが出来ない。それでも、そのように彫ろうと思えば出来るはずですが、それは、waheiさんの云われるように、そのような時間的な視点が、どだい抜け落ちてしまっている、ということでしょう。</p>
<p>　れは、<a href="http://www.cafe-nous.com/font/2011/08/20110701.html">前回のNo.12「多重の碑」</a>でも、文の最後に付け加えた、建て直した新しい「神國大日本」の文字も、とうぜん機械彫りでしょうから、こうした筆順に対する配慮はなく、平板なものになっていたのは、やむを得ないといえば云えるのですが・・・。</p>
<p>　またこれも前の<a href="http://www.cafe-nous.com/font/2007/06/post-1.html">No.2「表札鑑賞の楽しみ」</a>で書いた昨今の家々の立派になった表札事情も、それがたとえフォントでなくて手書きの文字を原稿にした場合でも、それをデスクトップで処理し、彫刻機に送るわけでしょうから、一字一字正確に同じ深さに彫ることが出来て、そういう美しさが文字の、あるいは表現の価値になって、それではこの碑で見るような、文字に込められた｢時間の相」、旅のドラマは生まれようがないのです。</p>]]>
        
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    <title>多重の碑（いしぶみ）</title>
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    <published>2011-08-23T03:02:04Z</published>
    <updated>2011-08-26T07:41:19Z</updated>

    <summary>季刊「銀花」別冊『手紙』第二号掲載記事より 　千葉県いすみ市岩船（旧夷隅郡大原町...</summary>
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        <![CDATA[<div class="asset-name_b"><span class="asset-name_c">季刊「銀花」別冊『手紙』第二号掲載記事より</span></div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:240px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_12_01b.jpg" title="石標"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_12_01s.jpg" alt="石標" width="240" height="387" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　千葉県いすみ市岩船（旧夷隅郡大原町岩船（浪花村））　八幡神社</span></div><p>　「神国大日本」。あの時は子供心にも確かに私たちのこの国をそう考えて来ました。どんなに空襲で火の海を這い回りながらも、いつかきっと神風が吹きおこって、こうして爆弾の雨を降らすあの者たちを残らず滅ぼしてくれる・・・そう信じていたものです。だから誰も彼もが進んで身を鸛毛の軽きにおいて（懐かしい言葉です）その神国の守りに就きました。そのとき村の八幡様はその神の護りと人間の護りが一つに出会う場で、兵士たちもそこから征途に上ったものです。これは私の村のその八幡様の入口のところに立てられた石標です。裏には皇紀二千六百年記念、□軍中将柳田平助書と鏤まれてあります。</p>
<p>　ところが次にやって来た時代は、神国というそれは全くの嘘で、こんどは新来の民主主義という神様の前に、私たちはこんなことをしてしまったのです。"神"も"国"もモルタルでべたべたと塗り込められて、まるでこれは瘡蓋のような焚書坑儒の痕跡です。その時、軍国的な一切が抹殺される勢いの中で多くの忠魂碑も引き倒されました。つい昨日までは威儀を正して対面し、あるいは仰ぎ見る象（かたち）に造られた忠魂の文字が、今度は道ばたに見下ろす文字として横たえられているのです。これらは私たちの民主主義がこのようにして始まった懐かしい風景であると同時に、後々その解放や繁栄の喜びの裏側にぴったりと張り付いて止まぬ私の光景でもありました。</p>
<p>　実は私はここに十年来、ずっと方々の、例えば看板の文字や暖簾や道標などの文字を訪ねては写真を撮って来ました。そして小さいものですがそれらは二冊の単行本にさえなりました。なのになぜか今迄この懐かしいものと正面から向き合えずにに来たのです。思うにこのべたべたとしたモルタルのこれも私たちの造った明らかに一つの文字で、それがこんなふうに瘡蓋のイメージを持つことが耐え難かったのかもしれません。</p>
<p>　そして今、ふと気がついてみるとそれらの忠魂の文字も、いつの間にかもとの位置に、ニョキニョキと立ち上がっているのです。そしてよく見ると誰かがこの碑文のモルタルに執拗な引っ掻き疵をたくさん付けています。この民主主義の瘡蓋をまた剥がそうというのでしょうか。だとするとこれもいま、自分たちの上にさらにまた何事かを書き加えようとする新たな線刻文字に、私には見えるのです。思うにこれはこうして、三層もの碑文が折り重なるように鏤まれた、今世紀私たちのまぎれもない多重の、そして奇しくも現在進行形の碑なのです。（季刊「銀花」別冊『手紙』第二号掲載昭和５９年１２月）</p>

<p>付記／この石碑は、その後、自動車事故で根元から折れて、おそらく対物保険ででも作ったのか・・・、新らしい碑にが建てかえられた。その「神国大日本」の文字も、今度はくっきりと彫られている。</p>]]>
        
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    <title>アルカイックな明るさの秘密 ─ 関宏夫 刻字の世界『鑿で彫る論語のことば展』</title>
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    <published>2011-07-26T01:47:25Z</published>
    <updated>2011-08-10T07:41:01Z</updated>

    <summary>── 2011年4月27日〜5月9日「ギャラリーKOUSHICHI」 --　板刻...</summary>
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        <![CDATA[<div class="asset-name_b">── 2011年4月27日〜5月9日「ギャラリーKOUSHICHI」</div>
<div class="sub2">--　板刻という書と論語について　--</div>
<p>　書家の関宏夫さんの書は、紙に書くのではなく、板刻という独特な書で、一口に言えばそれは、板に書いた筆の文字を彫刻刀で浮き彫りにする、というものです。しかも、中国哲学史を専攻した関さんは、かの「論語」の中から人口に膾炙したフレーズを選んで、板に刻るのですが、なかには1.8m X 1.8mという大きな作品もあります。</p>
<p>　会場を見渡すとすぐに目についたのが「三省」という扁額様の作品です。ゆったりとした楷書で、かなりポピュラーなフレーズですから、すぐさま「曾子の曰く、吾は日に三たび吾が身を省みる・・・」と暗記している人は、ここを訪れる人の中には、かなりいるはずです。しかしこの言葉は最後に「習わざるを伝うるか」と、その「三省」のデテールに続くのですが、私のように、こんな風に文章を書く身にとって、この作品を我が家のパソコンの壁に飾ることを想像して、思わずぎくりとするのです。</p>

<div style="float: left; margin: 0px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img alt="関 宏夫作品" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_11_04s.jpg" width="530" height="129" class="mt-image-none" style="" /></div>

<p>　また「父母在」という甲骨文字の作品。この全文は「子曰く　父母在せば　遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。」というのですが、私は関さんのこの作品が大好きで、関さんご自身も好きらしく、今回も三点出品していました。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:200px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_11_02.jpg" alt="『甲骨もじで あそぶ ちゅうごくの 十二支の ものがたり』より" width="200" height="258" border="0" /><span class="cap2"> 『甲骨もじで あそぶ ちゅうごくの 十二支の ものがたり』より</span></div><p>　特にこの中の「母」の甲骨文字、「母」と「女」の文字は、「<a href="http://www.cafe-nous.com/font/2011/04/20110405.html">No.09：ねー、うし、とら、う</a>」で紹介した『甲骨文字で遊ぶ十二支ものがたり』の絵本の中にもこの文字は載っているのですが、二つとも殆ど同じで、ともに女性が膝をついて座った形象。ただし、母の方には二つの「点」が付いており、これは子どもにとって大切な乳房だというのです。</p>
<p>　三点のなかの一点には甲骨文字の「母」という文字が少し進化？ して、膝の部分がとれて、今見る「母」の形に近くなっています（下写真）。こちらの方には「父母在不遠遊々必有方　里仁」と、このフレーズの全文が、伸びやかな行書で添えられています。「里仁」はそれが収めてあるセクションの名前で、全体がゆったりとした気品に満ちています。
<div style="float: left; margin: 0px 0px 15px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img alt="関 宏夫作品" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_11_03s.jpg" width="530" height="157" class="mt-image-none" style="" /></div></p>

<p>　この甲骨文字というのは文字通り獣骨や亀の甲羅を刀で彫りだした文字です。関さんの場合は板ですが、それに刀を当てて文字を彫りだすわけですから、従って甲骨文字などはまさにこの板刻であることの良さが、つまり関さんの板刻はすなわち現代の甲骨文字ともいえるかと思うのです。</p>

<div class="sub2">--　アルカイックな明るさ　--</div>
<p>　会場は木のかおりが印象的でしみじみとした明るさに包まれていました。そう、ある明るさが・・・。そこで今回は関さんの書の、その "明るさ"の淵源とでもいうものに分け入ってみたいと思います。</p>
<p>　会場の真ん中には久しぶりで見る関さんが笑顔で座っておられるのですが、驚いたことに、傍らによく研ぎすまされた彫刻刀が何本かと、鑿の頭をたたく木槌、それから素材である板が何枚か、そしてもちろん墨硯紙も並べられていて、誰かが望めばその場で揮毫し、即刻に彫刻してくれる、というのです。いわば書道のライブです。このライブ感覚。つい最近、テレビドラマで高校生の書道パフォーマンス「とめ、はねっ」というのを見ましたが、関さんは以前、この町の女子校の先生をしていて、当時、といってももう十年も前になりますが、生徒たちにそういう指導をしているところを見せていただいたことを思い出しました。とにかくそこには子どもたちの身体行動のとともに生み出される明るさがありました。</p>
<p>　この明るさ。例えば、近代の詩人石川啄木にこんな歌があります。

<div style=" color: #2f4f4f; font-size: 14px; padding: 0px 0px 20px 30px;">大といふ字を百あまり<br />
砂に書き<br />
死ぬことをやめて帰り来たれり</div></p>


<p>　というときの、この「大」という文字。これは関さんのように木ではなく、砂浜に指で書くわけだから、おそらく陰刻状のもので、そして百個の、というよりは、百回（こころが静まるまで）も、といった文字の情景がうかびます。</p>
<p>　この砂、はたして乾いていたのか、湿っていたのか。それによっても、そこに書かれた文字の字様はかなり変わったものになるはずです。おそらく人差し指かなにかの指で書いたのでしょうが、濡れていればわりあいとしっかりと彫れて、指の動きに従って線の縁に砂が盛り上がって来て、一種のバリのようなギザギザが盛り上がってきます。かなりグロテスクな文字になるのではないか。それを何度も、これもおそらく、ですが、物思いに耽って座っているわけですから、殆ど同じ位置に重ねて書いてゆくような仕儀になるのでしょう。</p>
<p>　それに引き換え、もしこの砂が乾いていたとすれば、指の文字は、書くそばから崩れて、又その上に書く。まことに生きるむなしさの表現には、むしろこの方がふさわしいのかもしれません。握ればさらさらと指の間からこぼれ落ちる、そういう崩壊の感覚に満ちた砂、そして文字。己の生と文字との間合いを極端に詰めて、今で云えば「ケイタイ短歌」みたいな新感覚の歌（すべて口語体で、しかも一首を３行に割ったりして）を託した文字。思うにこの「大」という砂の文字は、日本の近代が生んだ、記念すべき「町まちの文字」であったのです。</p>
<p>　そのようにこの砂文字「大」にこめられたものは、なにか底知れぬ敗北感、或る挫折、への思いといったものが、これは必ずしも、経済的な挫折や貧ばかりではないのかもしれないが、いずれにしてもそれらは、近代から現代へ、という時代の変革の中で、国家的な資本の収奪が生んだ格差社会のなかで生じた自我、の苦しみの姿です。やはり暗い。</p>
<p>　これをもし関さんの書のテーマ、論語に当たるならば、さしづめ
<div style=" color: #2f4f4f; font-size: 14px; padding: 0px 0px 20px 30px;">「子の曰わく、粗食を飯らい水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し」（巻第四、述而第七）</div></p>
<p>　などが思い浮かぶのですが、　もっともこの論語が、日本でいちばん流行した江戸時代、それは全国各藩の「武士道」といういわばローカルな思想に対して、それを束ねる役割を果たすべく公用の思想として、いわばフランス語やイタリア語に対するラテン語のような役割を与えられていた、といわれています。</p>
<p>　だからその時代、これの学習は、習字やそろばんとともに、世の中に用いられるためには、どうしても欠かせぬ必須科目であったわけで、各藩校はもちろん、町の、あるいは村の寺子屋でも、誰もが競ってこれを学習し、また意味もわからぬ幼時から、「シ　ノタマワク　マナビテトキニコレヲナラウ　マタ　ヨロコバシカラズヤ。トモ　エンポウヨリキタルアリ・・・」という具合にです。</p>
<p>　これからすると啄木の近代的挫折感は、いわば「不易流行」という言葉で云えば、その「流行」の部類に属し、それに対して、それらのもっと底の方に横たわって変わらぬもの、それはたえず流行してやまぬこの世の相をも包み込む「不易」、古典的な知恵、哲学とでもいう、そういうアルカイックな明るさ、のものではないか。それがこの関さんの個展の会場を支配していた明るさ。もちろん関さんにだって、現代的な苦しみや悩みが無い、などとはけっして考えられませんが・・・。</p>

<div class="sub2">--　ジョセフ・ニーダムの受けた衝撃　--</div>
<p>　そんなとき、ふと、かのジョセフ・ニーダムの『中国の科学と文明』のその日本版への序文のなかのこんなフレーズを思い出したので、以下に抜粋してみます。
<div style=" color: #2f4f4f; font-size: 14px; padding: 0px 0px 20px 30px;">「何年か前に福沢諭吉翁（1835〜1901）の自伝を読んだとき、私は、日本の近代化へ向けての彼の努力をかきたてた深い確信や、彼とその同胞たちが中国文化なかんずく新儒学の影響から、どのような犠牲を払ってでも脱皮したいと、する感情にはなはだ衝撃を受けたことがあった。彼は、それを抜きにしては、ひとりヨーロッパにおいてのみ近代科学が興隆したがゆえに、西方に発する近代世界の相続財産にあずかることができないであろうと考えたので　あったのである」</div></p>
<p>　どうも孔子という人そのものについては、何しろ二千年以上も昔のことであるし、なかなか捉えにくいところもありますが、いずれにしても、論語に対する処遇は、まさに封建時代の反動ともいうべく、日本の近代という時代はそのようにして築かれたのであったのですが、更にニーダムは続けます。
<div style=" color: #2f4f4f; font-size: 14px; padding: 0px 0px 20px 30px;">「今日では、われわれは正反対の傾向、言いかえれば世界の科学と技術の発達に対する東アジアの貢献についての完全な再評価を、目のあたりにしつつある。非常に重要ものが中国から発したし、その多くがルネサンスおよび17世紀の科学革命に欠くことのできない背景として、ヨーロッパへと引きつがれたのであった。<br />
　日本文化は、商（殷）と周の時代に始まった黄河文明という古い樹幹から生まれ、見事に花ひらいたひと枝に似ている。それはわれわれの西洋文化が古代エジプトに由来したのと、あるいはまたインドの友人たちがインダス流域の神秘的な文明から来たのと同様である」</div></p>
<p>　というように、自分の置かれている時代（歴史）をもう少し引いて、あるいは複眼的にみることが出来るならば、関さんの書が湛えているような明るさ／希望を、この世界に見いだすことが出来るのではないか。そんなふうに思うのです。</p>
<p>　関さんの書のもつ、明るさの秘密を訪ねて、かなりのことばによる旅をしてきましたが、近頃元気を与えるゲイジュツに出会った気がしました。（おわり）</p>
]]>
        
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    <title>複眼の眼差しによる現代の入木道 ─ 関宏夫 板刻展『論語刀華』</title>
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    <published>2011-06-15T05:22:46Z</published>
    <updated>2011-06-20T06:50:28Z</updated>

    <summary> 関 宏夫『論語刀華』より 　関さんの仕事ぶりを、初めて見せてもらったとき、私は...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.10：複眼の眼差しによる現代の入木道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[

<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="『論語刀華』関 宏夫　論語板刻集成" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_10_02.jpg" width="530" height="344" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">関 宏夫『論語刀華』より</span></div>
<p>　関さんの仕事ぶりを、初めて見せてもらったとき、私はふと「入木道（じゅぼくどう）」という言葉を思い浮かべました。入木道とは、なんでも分厚い祝版に書かれた王羲之の書を大工が削ってみると、墨痕が三分も木に浸みこんでいたという故事によるもので、後に「羲之ハ石ニ空海は木ニ入ル」などともいわれ、能書の持つなにかしら一種の超越的な強い気迫をたたえた言葉として、以後書道の別名にさえなっています。</p>
<p>　もちろん関さんは板に直かに書くわけではありませんが、その分、刀という鋭い切れもので、自分の書いた文字に丹念に形を与えてゆこうとする、その切迫感に置き換えていると私には思えたのです。</p>

<p>　初め関さんの刀は、自分の書いた文字の輪郭をなぞるように彫りを入れていきます。</p>
<p>　輪郭をなぞる。私はこれは書のデッサンということを考える上で、とても大切なことだと思っています。輪郭をなぞる。つまりこれは昔から書道の古典の勉強の一つである「搨模（とうも）」、つまり「双鉤填墨（そうこうてんぼく）」ということにあたるかと思うのです。目指すマスターピースの上に直接紙を載せて、上から透かしながら輪郭を写し取っていく、いわゆる敷き写しの方法です。</p>
<p>　この敷き写し、やってみますと、例えばこの "払い" がこんなところまで入り込んでいたのか！ この線はこんなふうにうねっていたのか！ といったような驚きに出会うことが少なくありません。つまり書を造形的に捉え、デッサンを養う上では大切な方法だと思うのです。</p>
<p>　としますと関さんは、自分の書を改めて彫刻しようとするとき、刀で文字の輪郭をなぞりながら、いやでも自分の書に造形的な検証と少なからぬ工夫を加えていくことになります。</p>
<p>　例えば筆のカスレなどにしても、そのまま忠実になぞろうとするのではなく、その時の筆の勢いを読み取って、かなり簡略化・抽象化を施して彫っていく。当然、文字の造形的な表情はつよいものになります。そしてそれをまた紙の上にフィードバックさせて自分の書の訴求力を高めてゆく、関さんの芸術はそういう、書と彫刻の間の相互関連から生まれる、複眼的なやりとりの上に成立するものだと思いました。</p>
<p>　また、これらの文字の多くには色彩が与えられていて、それは漆、日本画の顔料、紅殻や砥の粉など、もちろん墨の場合もあります。金箔が置かれる場合もあります。また既に彫り上がった板をバーナーで焦がして、その焦げ色を色彩とする場合もあります。</p>
<p>　それらは、一つは文字に色の層を作って色彩そのものを書のひとつの表現としているもの、もう一つは彩色することによって実は、その基胎となっている木材の材質感を、例えば木の年輪や鑿による手わざの跡などを、完全に覆ってしまうのではなく、それぞれの色材の材質を通して却ってなまなましく捉えることになっているもの、とがあり、特に後者では、それが彩色されていない地の木肌の部分との間に微妙な造形的なイリュージョンをひきおこして、文字の表現をより重層的なものにしています。</p>
<p>　その上、ここでは当の色彩さえもがそのことによってそれぞれに、より材質的な層を露わにされています。色彩とマテリアル。とかく現代の書の表現に欠けているこの二つの面を追求することで、関さんは書道の可能性を問いかけているのだと思います。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_10_01.jpg" alt="『論語刀華』関 宏夫　論語板刻集成" width="280" height="340" border="0" /><span class="cap2"> 『論語刀華』関 宏夫　論語板刻集成</span></div><p>　次に、関さんの板刻のモチーフになった［論語］。それも人口に膾炙された六十七のフレーズを選んで、しかも十年の歳月をかけて彫りためたものだそうです。ならばこれは、中国哲学史を専攻した関さんのいわばライフワークのようなもので、関さんはそれに対して自ら『論語刀華』という名前を与えました。</p>
<p>　刀華というのは何でも、彫刻の最中にふと刀が滑って、そこに思わぬ疵を付けてしまうことがある。これは勿論疵には違いないのですが、実はこの疵と思われるものこそ自分の書の表現に、ある豊かさをもたらす、まさに「刀の " 華 "」なのだ、という気持ちなのだそうです。</p>
<p>　ここにもまた関さんの、モノの理法を単一に見ない、複眼的でおおらかな、しかもきわめて人間的な眼差しが読み取れてとても興味深く思ったのです。さしずめ洗濯機やエアコンなどで今盛んに言われている "ファジー" そのものです。</p>
<p>　そして同時に、この論語の意味するところも、孔子とその弟子たちとのその時々の "会話" ということですから、それは必ずしも一貫しない、矛盾があったり迷ったりどこか人間的な、だからこそ、生活のエッセンスといえるものです。そして絶えず論理的な一貫性を求めて止まない西欧的なデカルト的な思考とは異質のものです。</p>
<p>　今、公害問題などを含めて、西欧的な物質文明に動きがとれなくなっている私たちの環境に、関さんは自分の『論語刀華』という芸術を掲げて、是非ともそうした複眼的な柔軟な思想のあり方を言外に訴えたいのではないでしょうか。</p>]]>
        
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    <title>ねー、うし、とら、う・・・</title>
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    <published>2011-04-06T06:06:09Z</published>
    <updated>2011-06-15T05:25:57Z</updated>

    <summary>── 猫はなぜネズミを追いかけるのか 甲骨もじで あそぶちゅうごくの 十二支の ...</summary>
    <author>
        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.09：ねー、うし、とら、う" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">── 猫はなぜネズミを追いかけるのか</div>
<div style="float: right; background-color: #333333; padding: 10px 7px 10px 8px; margin:3px 0px 5px 10px; font-size: 13px; line-height: 20px; color:#ffffff; border-top:5px solid #000000; border-right:1px solid #000000; border-bottom:5px solid #000000; border-left:1px solid #000000; text-align:left; width:280px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4882842424/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4882842424"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_09_01.jpg" alt="絵本／甲骨もじで あそぶ『ちゅうごくの十二支の ものがたり』" width="280" height="278" border="0" /></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4882842424" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<div style="font-size: 16px; text-align:center; padding:7px 0px 10px 0px;"><span style="font-size: 14px; ">甲骨もじで あそぶ</span><br /><strong>ちゅうごくの 十二支の ものがたり</strong></div>
［甲骨もじ］おうよう かりょう（欧陽可亮）<br />
［お話］せき とみこ（関 登美子）<br />
［構成］みかみ まさこ<br />
［発行］JULA出版局<br />
［定価］本体1200円＋税</div><p>　今年はなに年？　と、突然聞かれて、えーっと、と口ごもりながら、指を出して、ねー、うし、とら、う、そうだ卯、つまり、うさぎ年。それも、年が明けたばかりのときはまだ覚えているが、４月、５月・・・と月日が経つにつれて、こんな会話が聞かれるようになる。</p>

<p>　その年に生まれた人間にも、例えば私なら羊の年に生まれたので、羊のような温和な性格の持ち主、といったことまで割り振られてしまっている。これはどうしたことか。なぜ年の循環を動物で、しかも12匹の動物で表すのか、ということには、ふつうだれもあまり注意を払ってはいない。年ばかりではない、刻々と移る時間も同じように12匹の動物によって運ばれている。それはなぜか？　そしていつ頃からそうなったのか？　いちど気にしはじめると、それこそ漫才の文句ではないが「眠れなくなっちゃうんです」なのだ。</p>

<p>　そんな年の始め、暦と動物の謎に答えてくれる、すばらしい絵本を手に入れた。絵本といっても、ふつうの絵で読むお話の本、というのとはいささか違っていて、一見すると、筆で書かれた、なにか絵ともつかない、かといって文字というにはどこか絵のような、記号のようなものが、あふれていて、えっ、これが絵本？</p>
<p>　それもそのはず、この記号こそは中国三千年以上も昔の、文字の原点ともいえる、甲骨文字で描かれたお話の絵本なのだ。</p>
<p>　なぜこんな難しい文字を？　と、おもうのだが、そんな事情をこの本の著者は、その最初のページで、こんなふうに語っている。</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 20px 20px;">わたしが　こどもだったころ、<br />
とうさんは、わたしを　ひざのうえで　あそばせて、<br />
３０００ねんいじょうも　むかしの　ちゅうごくの　えもじ、<br />
甲骨もじを　サラサラと　かきながら、<br />
いろんな　おはなしを　きかせてくれました。</div>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 20px 20px;">たとえば、<br />
としと　どうぶつたちの　おはなし。<br />
こんなふうに・・・ね。</div>

<p>　この "とうさん" とは、欧陽可亮（おうよう　かりょう／1918〜１９９２）という甲骨文字をよくする書家で、なんと唐の欧陽詢（557~641)の４４代目の直系、という。欧陽詢の書は我が国でも、欧法とか顔法とかいわれて、王羲之とともに、長い間書道のお手本となってきたものだ。</p>

<p>　これから紹介しようとする絵本は、この十二支の由来を、欧陽可亮の書き残した甲骨文字の中から選んで、絵本の形に構成した、３千年前の中国の神話を綴った楽しい絵本だ。</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 20px 20px;">むかし　むかし　にんげんは、<br />
としを　かぞえるのが　むずかしくて、くろうしていたんだ。</div>
<p>　という言葉で始まる "とうさん" の話を要約すると、年は、人間たちの上を、何の区切りもなく、のっぺらぽうに過ぎていくばかりで、皆困っていた。そこで神様はまわりの動物たちに競争させて、神様の前に到着した順に名前を付けることになった。そのころ猫とネズミは仲良しだった。初めに大きな川をわたるために困っていると、優しい牛が、背中に乗せてくれるのだが、なんとしても一番乗りがしたいネズミは、猫を騙して川に突き落としてしまう。ぶじにわたり着いたとたんにネズミは、ウシの頭から、ひょいと着地して、そのまま駈けて一着に。優しいウシは２着に、ほかの動物たちは我こそは、と、みんな一生懸命走って、３番がトラ４番が・・・というようにして、十二支が決まったという訳だ。えっネコがどうなったかって？突き落とされて溺れそうになって、それでもやっと神様の前に着いたときは十二支レースは既に終わってしまっていた。このときの動物のレースの実況は、絵本の楽しいお話に任せるとして、</p>
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 20px 0px 20px 20px;">「ねずみを　おいかける　きもち、わかるよ。ねこちゃん！」</div>
と絵本は結んでいる。</p>

<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="左馬の鏡文字" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_09_02.jpg" width="530" height="289" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">『甲骨もじで あそぶ ちゅうごくの 十二支の ものがたり』より</span></div>

<p>　そして、</p>
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 20px 20px;">おはなしが　おわると　とうさんは、<br />
ちいさい　わたしの　てを　とって<br />
いつも　いつも　いいました。<br />
さあ、こんどは　とうさんと　<br />
えを　かいて　あそぼうか・・・ってね。</div>
<p>　そういいながら、次から次へとお話に出てくるものたちの絵＝甲骨文字を描いて、あるいは書いてくれたというのだが、とうさんの膝のなんともいえぬ暖かさが伝わってくるようだ。</p>
<p>　ここに出てくる甲骨文字は、ものの絵のすぐ隣にある文字だが、現在使われている漢字は、さらに文字としての進化を遂げていて、ちょっとみたところでは、どのように絵につながっているのか、必ずしもはっきりとはしていない。次回は文字の起源について書いてみたい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ミサワホームの『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.cafe-nous.com/font/2011/02/20110215.html" />
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    <published>2011-02-28T08:54:14Z</published>
    <updated>2011-04-06T08:22:24Z</updated>

    <summary> 　昨年は個展やグループ展の発表が立て込んで、この「町まちの文字」を書くのも久し...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.08：ミサワホームの『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<br />
<p>　昨年は個展やグループ展の発表が立て込んで、この「町まちの文字」を書くのも久しぶりという感じです。</p>

<div class="sub2">--　ダ・ヴィンチはやはり謎だ　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_01.jpg" alt="ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ" width="280" height="347" border="0" /><span class="cap2"> ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』 ダ・ヴィンチの表紙（リンク：<a href="http://www.misawa.co.jp/calendar/">『偉人の生涯と筆跡カレンダー』ミサワホーム</a>）</span></div><p>　ミサワホームの「偉人筆跡カレンダー」の今年は、かの「モナリザ」の画家（というよりは、今や小説「ダ・ヴィンチコード」の）として有名なルネサンスの画家レオナルド・ダ・ヴィンチ特集。</p>
<p>　昨年の初めにこの欄で書いたのはその<a href="http://www.cafe-nous.com/font/cat19/">「宮澤賢治」編</a>で、やはり同じように今年も、ダ・ヴィンチの生涯のあらましを12ヶ月に分けて、それに表紙も加えて、つまり一年をかけてその多彩な仕事を見渡せるようになっていて、なまじの美術書よりも惹き付けられる。</p>
<p>　また賢治編でもそうだったが、ダ・ヴィンチが生まれてから67歳で没する（1452年〜1519年）までの丁寧な年表が付いている。主要作品の制作年代や事情、ライバルのミケランジェロとの関係や友人のボッテチェルリの『ヴィーナスの誕生』、フェレンツエの怪僧サボナローラの火炙りなど、当時の中世からルネサンス時代への光と闇の、ダ・ヴィンチとの関わりが、ごく簡潔に描かれていて、そこがこのカレンダーのすばらしいところだ。</p>

<div class="sub2">--　知っているダ・ヴィンチ・知らないダ・ヴィンチ　--</div>
<p>　この12枚もののカレンダーには、今年もレオナルドの仕事の代表的なものが12ヶ月の各月に割り振られているが、その他に、解説ページとして改めて１ページ挟まれており、各月に割り当てられた彼の仕事がきわめて手短に要約されて、つまりダ・ヴィンチの仕事に対する編集者の目がよく通っている。</p>
<p>　例えば１月。「愛の金言２小節」では、音楽家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは、楽器を考案し、手作りし、演奏し、歌った。彼の自筆の楽譜とともに、「ミラノ君主の前で馬の頭蓋骨の形に手作りした奇妙なリラを持って現れ、即興演奏をしながら神業のように歌った」というタレントぶりが、当時の画家ヴァザーリの言葉で紹介されている。この調子で十二ヶ月をたどっていけば、私たちが知っているダ・ヴィンチ、知らないダ・ヴィンチへと、さまざまにリンクできる、という仕組みになっている。</p>

<p>　以下、各月のテーマをみると、
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 0px 10px;">
2月「老人と若者を対比させた横顔」<br />
3月「集中式の教会建築のスケッチ」<br />
4月「少女と一角獣の習作」<br />
5月「光の効果と変化の証明」<br />
6月「鳥の飛翔」<br />
7月「果物の聖母子」<br />
8月「飛翔の力学」<br />
9月「特徴のある人々の頭部のスケッチ」<br />
10月「都市設計図」<br />
11月「女性の頭部習作」<br />
12月「『最後の晩餐』のための習作」</div>
　このタイトルをみるだけでも、すこし美術に興味のある人なら、彼の作品との関連が、おのずから頭に浮かんでくる。</p>

<div class="sub2">--　ダ・ヴィンチの愛した数式　--</div>
<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_02.jpg" width="530" height="305" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">カレンダーの表紙。「倍数計算表」の部分</span></div>
<p>　まず表紙だが、1〜10の数字が縦横に並べられた謎めいたマス目で、思わず、ん？　これぞダ・ヴィンチ・コード！　と、目を凝らすのですが、これはダ・ヴィンチ自身が書き写した「倍数計算表」というもので、縦10個、横10個、計100個のマス目の上端と左端の列に、1〜10の基本になる数字が書かれ、その交わったマスに縦と横の数の倍数が書き込まれている、いわば九九の表みたいなもの。</p>
<p>　これはダ・ヴィンチ自身が書いた『マドリッド手稿 II』に載っているものだ。いまダ・ヴィンチ自身が書き写した、といったが、その元本は、当時、簿記などを体系化した数学者としても知られるルカ・パチョーリの著「数学大全」で、そこから写し取ったものだ。</p>
<p>　当時の風習として、庶子として産まれたレオナルドは、正規の教育を受けさせてもらえなかったそうで、43歳で「最後の晩餐」の制作に取りかかったころ、数学という新しい知識に出会って、それをどん欲に自分のものにしていくレオナルドの、知に対する開かれた ── 人体はもとより風景画も、数学的な解析を基本に据えた ── 彼の仕事への萌芽が見られると同時に、宗教的な世界観から、徐々に人間的な世界知のパースペクティヴを獲得してゆくルネサンスという時代の鼓動、高揚感がまざまざと伝わってくる、そんな思いの１ページだ。</p>

<div class="sub2">--　神から人間への目線へ　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_03.jpg" alt="ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ　表紙「倍数計算表」の部分" width="280" height="245" border="0" /><span class="cap2"> 「倍数計算表」の「21」の部分</span></div><p>　そうした一つのポイントにある、といえそうな彼のこの「倍数計算表」だが、これはかなりのスピードで急いで書き写されたらしく、そのせいかかなり乱暴に、例えば７などは「く」の字を裏返したようになってしまって、もしそれが７のマスになければ、７とは読めないほどだし、５なんかも、Sの字が乱暴にぐしゃぐしゃと崩れたみたいになっている（後述するが、もしかしてこれは、左利きの彼が左手で表文字を書いた不自然さ故かも）。おまけに所々でインクがペンからドボッとしみてしまったために、８とか４、６などの輪の部分が黒くつぶれてしまったりしている。私の子供のじぶんのペンは、インク壷に浸しながら書くので、うっかりするとそういうことがよくあったものだ。</p>
<p>　さらに幾つかの誤記もあって、たとえば横軸の7と縦軸の3との交わった点21を、24と、その他にも、9、15、21、48、そして最後の100は10になってしまっている。なかには誤記に気づいて、何回かなぞって、自分にしっかりと記憶させるかのように、書きなおしているようにみえる箇所もあるのだ。そういう一見ネガティヴな痕跡 ── 人間的なぐしゃぐしゃが、しかし、新しい知識にふれて、それを自分のものにしようとする高揚感として、このカレンダーの月々の表を、起伏に富んだものにして、それが私たちの日常にまで波及して、まさにこの「偉人筆跡カレンダー」の醍醐味といえるところだ。</p>
<p>　先に述べたルカ・パチョーリの『数学大全』が書かれたのは1494年。岩波から出ている『知られざるレオナルド・ダ・ヴィンチ』に、この数学大全と手稿の表との該当箇所の写真が出ているのだが、数学大全のほうは明らかに印刷されたもので、とすると、これはいわゆるインキュナプラ。わがグーテンベルクの活版印刷術が発明された1455年から、わずか40年たらずに印刷された、まさにグーテンベルク印刷術のインキュナプラ（揺籃期本）といえるものだ。それまで写本から写本へと書き次がれた書籍というものが、グーテンベルクの発明になる活版印刷術の出現によって、権力者や聖職者の専有物から、ひろく民衆の手に行き渡るようになったとはいえ、おそらくまだまだ高価なもので、それをダ・ヴィンチが借り出して、せっせと写し取った、というわけだ。</p>
<p>　しかし、グーテンベルクの発明はマインツで、それからわずか40年あまりの後、イタリアのフィレンツェでこの『数学大全』の筆写が行われたわけで、地続きのヨーロッパとはいえ、その印刷術の伝播のスピード感は、それと知るわたしの胸を突きあげるような、やはり大きな高揚感となって迫ってくるのだ。さらに驚くことに、わずか50年足らずのその頃には、なんとすでにベネチアのアルド出版という本屋から、今いう文庫本の原型のような、いわば袖珍本が出版されている。それのために、より字間を節約できる、イタリック書体の活字までが考案されたというではないか。（塩野七生『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/410118108X/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=410118108X">イタリア遺聞 </a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=410118108X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（新潮社）／今福龍太『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904575024/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4904575024">身体としての書物</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4904575024" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（東京外国語大学出版会）。 ── 前者ではそのマインツとヴェネチア間の伝播の時間的距離をおもに、後者では主に袖珍本の活字とページどりの構成を ── ）</p>

<div class="sub2">--　ダ・ヴィンチの愛した鏡像文字　--</div>
<p>　ところが、この倍数表には、横から何本かの引き出し線が描かれていて、そこに何事か、例の鏡像文字（裏文字）で書き込まれている。</p>
<p>　この鏡像文字、ダ・ヴィンチの得意とした表記法で、鏡に映すことではじめて正しく読めるという、裏返しに書かれた文字。とうぜんこれらはちょっと見ただけではよく読み取れない・・・。さすがに表中の数字は正体で書かれているが、表から引き出し線が引かれていて、そこに何事か文字が書かれているが、明らかに鏡像文字になっていて、おいそれとは読めない。</p>
<p>　先述の『マドリッド手稿 II』に付属の翻訳によると、</p>
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 0px 0px 0px 10px;">multiplici　倍数的　二倍<br />
　　　　　　　　　  三倍<br />
　　　　　　　　　  四倍<br />
superparticulare　sesqui　単超過的</div>
<p>　と読めるのだそうだ（単超過的というのは１と1/2、１と1/3、１と1/4・・・）。（レオナルド・ダ・ヴィンチ『マドリッド手稿 II』（岩波書店刊）本文翻刻／ラディスラオ・レティ　翻訳／裾分一浩、久保尋二）</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:226px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_11.jpg" alt="ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ" width="226" height="226" border="0" /><span class="cap2">一文字で 「per」と書かれた部分</span></div><p>　ことのついでにこの翻訳のいちばん下段の一行 "superparticulare" の筆跡を見てみよう。鏡像なのでとうぜん右から左へ読むわけだが、頭から３つ目の文字、興味深いことにこれは、訳文ではperと３文字からなるシラブルが、筆跡では一文字に書かれているもので、高頻度ででる文字を書く場合の慣用文字で、一種の異体字。</p><p>　これは日本でも同じようなことが起こっていて、昔なら「このコト」と書くとき、「コト」を縦書きなので縦に「 &#12543; 」の縦画の右に付けて点を書いて一文字にしたり、「より」なども「&#12447;」と簡略化して一文字に書いたり、活字もそのように作られている。</p>
<p>　インキュナプラの時代、印刷そのもののデザイン的美観というよりは、いまだ、写本の美しさをどのように再現するか、といういことに主眼が置かれていて、したがって活字も、書かれた文字に準じて作られる、という経緯があって、頻出するシラブルの活字にはこういうことがまま起こった、ということだ。</p>

<p>　しかし、なぜ鏡像文字のようなそんな難しいことをしたのだろうか。書かれたものを秘密にしたいから？　そうとしても、これでは、これを書いた当の本人さえも、必ずしも読みやすくはなく、ずいぶん不便だったのでは・・・と、ついよけいな心配をしてしまうのだが、それも１字や２字ならいざ知らず、５０００ページとも１３０００ページともいわれる膨大な文書量だ。慣れてしまえばそれほど苦にもならないのかもしれないが、そのことがダ・ヴィンチそのものをいっそう謎めいた、異能のものにしていることは確かだ。</p>

<p>　それにしてもこの鏡像文字はどのようにして書かれたのか。幾つかの説があって、一つには、両方の手にペンを握って、裏と表の文字を、中心から左右へ向けて同時に書き分けた、という説（『知られざるレオナルド』（岩波書店刊）ラディスラオ・レティ／小野健一訳）。もしそうだとするなら、右手で書いた表文字の方は、どこか別に伝わっているのだろうか。もし別々の２つの文章を同時に、となるとこれはまさに聖徳大子的神話？。この天才の、謎はますます深まるばかりだ。</p>


<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ミサワホームの2011年『偉人筆跡カレンダー』ダ・ヴィンチ" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_04.jpg" width="530" height="334" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">5月のページの鏡文字</span></div>
<p>　私は20年ほど前、この「町まちの文字」への旅の途上で、私はついにその手稿の影印本（前出の「マドリッド手稿」）を手に入れて、しげしげとその謎に向き合い、その美しさに驚嘆したものだ。変色した紙とインクの色合い・・・。</p>
<p>　文字のラインからアセンダの線が、優雅なカールをみせて立ち上るかと思えば、反対にデセンダがゆっくりと下方にのびて先端が美しくカールして、それらがすべて右から左へ流れていくので、少なからぬ違和感とともに、読めないせいか、よけいに抽象的な、生き生きとした線の響宴として伝わってくる。</p>


<div class="sub2">--　「向かいめ」の絵馬　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 15px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_06.jpg" alt="「向かいめ」の絵馬" width="280" height="240" border="0" /><br /><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_07.jpg" alt="「向かいめ」の絵馬" width="280" height="260" border="0" /><span class="cap2">眼病平癒祈願として奉納された「向かいめ」の絵馬。下が専門の絵馬屋が書いたもの</span></div><p>　しかし、いったいどのようにしたら、そんなに美しい文字が書けるのか。</p>
<p>　もう一つが彼が左利きだったからという説がある。確かに左利きの人にはこの鏡像文字は、わりあい容易に書けるようだ。</p>
<p>　これは今から４０年も前のこと、私が「町まちの文字」探索の旅の途上で出会った「向かいめ」という眼病平癒祈願の絵馬を取材しているときに思い当たったことだが、この絵馬「め」という仮名を二つ並べるのだが、そのとき向かって左の「め」だけを鏡像にして、ちょうど人間の目の玉が、鼻梁を中心に向き合っているように、文字でありながら絵であるようなウイットを効かせたおもしろい絵馬なのだが、この鏡像の裏文字の「め」は、やはりなかなかうまく書けないらしく、どの絵馬も一生懸命な稚拙さにあふれており、そのことがかえって誓願者の真摯な祈りのこころを伝たえてくる。神様もその真摯さを嘉したもう、という仕組みだ。</p>
<p>　ところが、専門の絵馬屋なら、さすがにうまく書いている。これらを取材しながら、そのとき私は、ふとダ・ヴィンチの先述の筆法を思いついて、左手で書いてみたのだが、左利きでない私には、とうぜんうまく書けない。ところが、もう一つの、両方の手に筆を持ち、同時に書くという方法、つまり、中心から左手で裏文字を、右手で表文字を、その場合、意識は７０％ぐらい右手に置きながら書くのがこつで、左手だけで書くのとは違って、かなりうまく書けることがわかった。</p>
<div class="sub2">--　鏡像文字で「左馬」--</div>
<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="左馬の鏡文字" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_09.jpg" width="530" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">両手に筆を持ち、鏡像となるように書いた「馬」の文字</span></div>
<p>　さらにもう一つ、山の神信仰に「左馬（ひだりうま）」とよぶ鏡像文字の表象がある。これは焼き畑農耕の山の神信仰が、後に稲作の伝来とともに、習合的に受け継がれたものとおもわれるものだが、その由来はこうだ。すなわち、春の到来とともに山の神を里に迎え下ろし、里に十分な実りをもたらし、秋になって稲の刈り入れが済んだ後には、こんどは再び山にお帰りいただいて、山の豊猟をもたらしていただく。そのときの山の神の乗る馬を、春の里方では、「入り馬」とよび、馬の字を鏡像に、とうぜん秋には「出馬」で、このときは馬の文字を正体で表す習わしとなっている。</p>
<p>　山の民からすると反対に、春は「出馬」で、秋は「入り馬」ということになる。里にしても山にしても、神様はとうぜん豊穣／豊猟を約束してくれるわけだから、たぶんに "客人／まれびと" 信仰と相乗して、こちらに向かって入ってくる神様は、つねに歓迎される存在だ。その連想 ── ここはかのフロイトなら、抑圧された過去のものの回帰、とでもいうところだが ── から、客の入りを願う飲食店など客商売にもこの表象の文字が人気で、今でもよく店先に「入り馬」つまり墨書した馬の鏡像文字を掲げる習慣がある。</p>
<p>　だから、この神の祠は、田んぼと里山の境界近くの山の裾あたりによくみかけるのだが、稲作以前にはそれは、純然とした山の神で、どこか山中のしかるべきパワースポットに置かれていたのだと思う。</p>

<div class="sub2">--　中国の鏡像文字　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 10px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_14s.jpg" alt="大&#64080;文皇帝の墓陵に建てられた石柱" width="280" height="340" border="0" /><span class="cap2">大&#64080;文皇帝の墓陵に建てられた石柱</span></div><p>　パワースポットといえば、古代中国の皇帝の廟にもこの鏡像文字が書かれている。この鏡像文字を「反書」対するに普通の文字を「正書」とよんでいる。</p>
<p>　写真は502年／天藍元年、梁の大&#64080;文皇帝の墓陵に建てられた石柱の額に彫られた文字で、正書と反書がちょうど向き合わせになるように立てられたものだ。もちろんわたしが実見したわけではない。解説によると、シンメトリーを尊ぶ風習とが作り出したものだというが、それにしてもそうしたパワースポットにそれが現れるということが、なにか不思議だ。</p>

<p>　そして、この反書は正書を裏返しにして刻まれたものではなく、わざわざ左文字に書かれたものだ、ということが、拓本を裏返してみると、筆法や文字の結構が不自然であることからわかる、ということだ。（「書道全集５　中國５／南北朝１（平凡社））</p>
<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:530px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="鏡文字" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_15.jpg" width="530" height="126" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">鏡文字</span></div>

<p>　現代の書道でも、左利きのひとに、わざわざ右手で筆を使わせるのは、不自然で、むしろ、左手で鏡像文字を書く、という書道があってもいいのでは・・・という意見を聞いたことがある。なるほど面白いかもしれない。そんな看板やのれん、サインボードが町中をにぎわすことで、わたしの「町まちの文字」への旅も、いっそう豊かなものになるかもしれない。</p>

<div class="sub2">--　Wの字の発見　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 15px; padding: 4px; width:226px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_08_08.jpg" alt="Wの字" width="226" height="226" border="0" /><span class="cap2">カレンダーの「Wの字」（水曜日）</span></div><p>　話が横道にそれたが、もう一つ、このカレンダーの制作途上で、彼の筆跡の中にWという文字を発見したという、感激的な記事が出ている。カレンダーは七曜の表象として、アルファベットの頭文字が必要だが、その時代には独立したWという文字はまだなくて、Vを二つくっつけて並べて書いていた。要するにDouble 'u' (=v)。したがってこのカレンダーも、おそらく、多くの筆跡から二つ並んだVを探し出して、載せるところだったのだろう。が、幸運にも、ひと文字でWと書いた筆跡を発見した。</p>
<p>　つまりこれは、Wという文字が独立して書かれるようになったその境目で書かれたことの記念すべき、感激的なしるしなのだ。
文字の旅をしてきた私にとっても、このWは、それかあらぬか七曜のちょうど真ん中で、まさに "光り輝いて" いる。</p>
<p>　しかし一方で、そうであればなお、というべきか、Vを二つ並べた古体のままのWの実物も・・・だって、そんなカレンダーって、そうそう見られるものではありませんから。（おわり）</p>
]]>
        
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    <title>貴乃花部屋の看板</title>
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    <published>2010-04-19T01:54:13Z</published>
    <updated>2011-04-24T13:41:17Z</updated>

    <summary> 　貴乃花部屋の看板　先日のこと、友人の写真展を観ようと、地下鉄丸ノ内線の中野新...</summary>
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        <![CDATA[<br />
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:127px; background-color:#333333;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_07_01b.jpg" title="貴乃花部屋の看板"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_07_01s.jpg" alt="貴乃花部屋の看板" width="127" height="360" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　貴乃花部屋の看板</span></div><p>　先日のこと、友人の写真展を観ようと、地下鉄丸ノ内線の中野新橋という辺りを探し回っていて、ふと、貴乃花部屋の看板を発見しました。協会の理事長選挙とか、このところ何かと話題の多い貴乃花ですが、それだけにTVに映るこの看板はおなじみのものですから、そうか、此処だったのか！ と、よろこびのシャッターを切りました。建物はコンクリートづくりのビルで、看板はその玄関に、それは身の丈ほどの大きさの、堂々とした、いかにもこの横綱に相応しい現代的な明るさに充ちていました。その明るさの原因が「貴乃花部屋」という文字の屈託のない、衒いのない、そんな素直さにあることが、おそらくこれを見た誰しもが感じるところではないでしょうか。永いこと町々の看板を見てきて、なかなかこういう文字に出会うことは少ないものです。</p>
<p>　<a href="http://www.takanohana.net/" target="_blank" >部屋のホームページ</a>によると、誰か京都の知り合いの画家の文字だそうで、ああやはり専門の書家のものではなかったか、と、何となくほっとする思いと同時に、横綱の屈託のない貌がしぜんに浮かび上がってくるのです。ご覧のようにごくまじめな行書体で、いわゆる書法にとらわれず、しかも肥痩をほとんど無視した、大仰な身振りのない、ゆったりとした運筆のうちに、わずかにみられる、トン、スー、トンに加えられたはずのそれぞれの力も、すべて太々しい線のなかに仕舞い込まれて、抑制の利いた結構をなしています。特に横画の終筆の止めがそのままトンと終わりきらずに、つまり仕舞いきれずに、ちょこっと撥ねているのが、何ともかわいらしいのです。それに面白いのは"貴"の文字の下の"貝"の終いの筆の下ろし方が、逆に反っていて、それがもう少し深くえぐれると"見"になってしまいそうな、無縫さ。そう見えるひとつには止めた後、やはりちょこっと撥ねているからでしょうが、そんなところが何とも言えぬ魅力になっています。</p>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:240px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_07_03.jpg" alt="「貴乃花部屋」の「乃」の字" width="240" height="184" border="0" /><br /><span class="cap2">「貴乃花部屋」の"乃"の字</span></div><p>　もう一つ"乃"の字ですが、よく漢字の昔は象形文字だといいます。3000年前の中国の甲骨文字。改めて見てみると、モノにしろコトにしろ、それぞれよくそのモノ、そのコトを現しています。アルファベッドとはそこが違います。ここに書かれた"乃"の字を古代の甲骨文字まで遡ろうというわけではありませんが、もしそんな感覚でこの文字を見るとすれば、どことなく仕切り線で両手をつくお相撲さんの、出来るだけ円くなって、瞬発力を内に撓めた体の感じ・・・、そう思ってみるとどこか肉感的にさえ見えるのです。古代の象形文字はモノやコトを極端に抽象化して、仕舞いには1本の線や点にまで肉を削ることで出来ています。けれどもこの場合は、もちろん"乃"の象形文字とは関係ありませんが、一度削った肉を、別の、この看板が要求するイメージに替えてそれを受肉させている、という感じです。お相撲さんの体って強いのですが、この看板を見ていると、強いだけではなく、とても軟らかい感じがします。それに、よく、自分の型を持つ、といいますが、しかしそれは自分本位に型に固執する剛直さでなく、相手も型を持っているわけですから、立ち合いの瞬間瞬間で、相手の出方に対応出来る、柔軟な心も大切なはずですし、そう思ってみると、「貴乃花部屋」という文字全体の角かどの不思議な円み・・・。なかには、ぐっと突き出した"&#38429;"の頭の、ぐっと突きながらもあくまでも円い表現に込められた想いが、立ち上がってくるのです。しっかりとした型を踏襲する相撲字とはひと味違った、いかにも若々しい優しい強さに充ちています。</p>
<p>　そのようにおよそ表面的には武張ったところを感じさせない字様なのですが、その分、看板の板、そうした文字の支持体としての板には思いっきり命の木目がとぐろを巻いていて美しい文様を浮き上がらせています。これはケヤキの古木か、いずれにしても銘木です。そののたうつ文様をこの文字は力ではなく、横綱の風格で押さえている、といった感じです。</p>

<p>　さて、いろいろと申しましたが、改めて「貴乃花部屋」の文字の全体を見渡してみますと、まず第一文字の"貴"で、いきなりその頭の"口"を、草書的にちょんちょんと二画に省略してリズミカルに始まるのですが、それと対応させるかのように最後の"屋"の中の"土"。上の横画を、やはり草体に線を崩しています。ふつうの筆順としてはこの横画を先に書いてから縦画ですが、おそらくこの場合は縦画をまず書いてその勢いのまま連続感を強調しながら横画をつくっています。おそらく同じ横線がたくさん重なることを、ふと、避けているのでしょう。その点は始めの"貴"の字もそうで、頭の"口"を正直に書くと一字の中に7本もの太い横線が重なってしまいます。この始終、そんなに理詰めに書かれたわけではないのでしょうが、だとするとそれはまさに立ち合いの、一瞬の"変化"。見事と言うほかありません。果たしてどんな方が書かれたのか、気になるところです。</p>

<p>　余談ですが写真をよくみると、脇に警備会社のマークがみえるではありませんか。へー、こんなに強い人たちのお住まいでもやはり・・・！！なのでした。</p>

<p>　＊甲骨文字のことにちょっと触れましたが、近々、甲骨文字のとてもすばらしい童話の本を紹介いたします。なぜ猫はネズミを追いかけるようになったか、という中国のお話です。</p>]]>
        
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    <title>ミサワホームの『偉人筆跡カレンダー』宮澤賢治</title>
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    <published>2010-03-30T02:38:31Z</published>
    <updated>2010-04-30T10:15:54Z</updated>

    <summary>  ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮澤賢治（リンク：『偉人の生涯...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<br />
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_09.jpg" alt="ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮澤賢治" width="280" height="345" border="0" /><span class="cap2"> ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮澤賢治（リンク：<a href="http://www.misawa.co.jp/calendar/">『偉人の生涯と筆跡カレンダー』ミサワホーム</a>）</span></div><p>　ちょっと時季外れですが、今回はとても面白いカレンダーの紹介です。毎年12月はカレンダーの季節ですが、いつも幾つかのカレンダーを送っていただいくので、部屋ごとに掛けてはたのしんでいますが、中に、いつも心待ちにしているカレンダーがあります。それは私が文字に関心を持っていることを知って、お送りくださるもので、12枚もので全ページがタマだけで構成されているのです。それも毎月、月替わりで世界の有名人、例えば文学者というより文豪、科学者、音楽家、芸術家、要するに世界の偉人の肉筆の数字とサインです。いつもカレンダーを開くたびに、よくもまあ集めたなあ、という感慨にみたされます。</p>
<p>　例えばゲーテとか、モーツアルトなどの現存する原稿や書簡などの中から数字やサインを選んで、カレンダーのタマとして構成するのです。だから選ばれた人物によっては漢数字になっていたりして、ちょっと変わった時間が流れています。</p>
<p>　このカレンダーの名前は『偉人筆跡カレンダー』。筆跡とくれば、文字好きの私にとってはまことにこたえられない魅力を発しています。しかも今年は宮澤賢治特集なのです。</p>

<div class="sub2">—　目を見張る企画　—</div>
<p>　サイズは横45cm x 縦50cm、最後に+ 5cmの頁がもう一枚ついていて、そこにはその年の365日が月別の一覧表に、その上部には、いままでに出たこのカレンダーの紹介とカレンダー展での受賞歴、そしてその本体からはみ出た+ 5cmの部分には「ミサワホーム」のロゴがついている、こういう類のカレンダーにはよく見られるデザインになっています。</p>
<p>　その間、「『１九８８』世界の建築家・芸術家」、「『Bel Air』世界の音楽家」、「『上下』日本の文学者」、「『PEACE』世界の科学者」ではアインシュタイン、ガレリオ・ガリレイ、ニュートン、ライプニッツ、キューリー夫人、ダーウィンなどの筆跡が集められており、なんとも興奮するカレンダーです。「『日記』幕末・明治を生きた偉人」というのもあり、もちろんいま人気の渦中にある坂本龍馬も、その９月号で、「日記」の中から抽出された数字やサインが登場しています。なかでも私が感激したのが2000年の「『二千年』中国と日本の偉人」でした。１月の空海に始まって魯迅、小堀遠州、王羲之、光悦、孫文、雪舟、乾隆帝、一休、毛沢東、沢庵の筆跡で一年間を送るというものです。</p>
<p>　その他にも「『21世紀』未知の扉を開いた先覚者」とか「New Air／新しい環境を築いた偉人」などといった、世界の知を仕分けするそのコンセプト、たとえば、先に挙げた「『二千年』中国と日本の偉人」にしても、この人選には、ずいぶん苦労したことでしょうが、とにかくどの年も、とても刺激的なのです。とうぜん、このユニークなカレンダーは、1988年の第39回全国カレンダー展での受賞を始め、ニューヨークのADS賞、国際カレンダー展で、毎年のようにかずかず多くの受賞を果たしています。</p>
<p>　そして今年の宮澤賢治の特集の表題は『お母さん。いま帰ったよ。』なのです。先述のように、たいていの年は12人筆跡を集めたものですが、個人で特集は、去年2009年の夏目漱石「『新しい家』不動の人気作家・夏目漱石」（これは私は残念ながら見ておりませんが）と今年と２回目になるものです。</p>
<p>　特集ですから、賢治さんのすべてではないにしても、いま挙げた優しい言葉にしても、またその筆跡にしても、このカレンダーに付いている解説がまた、短いながら賢治さんの創発的な生活の宇宙に深く思いをとどかせた、すばらしい文章で、しかもどの月もきっちりと304字なのです。それは先年完結した筑摩書房版の「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E6%96%B0%20%E6%A0%A1%E6%9C%AC%20%E5%AE%AE%E6%BE%A4%E8%B3%A2%E6%B2%BB%E5%85%A8%E9%9B%86&tag=cafeface-22&index=books&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">新校本 宮澤賢治全集</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」の校訂版を、ぎゅっと濃縮して、カレンダーというもう一つの宇宙をこしらえた、という趣で、賢治さんのさまざまなことがとりあえず解ってしまう。それも一年かけて解ればいいのですから、かなりスローライフです。いや、そんな暢気なモノではなくて、賢治さんの灯す「　仮定された有機交流電燈の　ひとつの青い照明」に照らされながら、まさに「わたくしという現象」を、一年をかけて生きる、という仕組みになっているのです。</p>

<div class="sub2">—　「お母さん。いま帰ったよ。」　—</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_01.jpg" alt="ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮沢賢治" width="280" height="344" border="0" /><span class="cap2"> 同カレンダーの表紙</span></div><p>　これは「銀河鉄道の夜」第３章の「家」のなかで、「工合悪くなかったの。」に先だって発せられるあのジョバンニの優しい言葉です。カレンダーの表紙にはその原稿からとった文字が、その優しさを一身にあつめるように、「賢治」のサインと、宮澤という篆刻の朱印とが共にデザインされています。おそらく実際の字の何十倍もの大きさに拡大されていて、書くときの速度や細かい息づかいまでもが伝わってくるような気がするのです。1月から始まる各月のタマにしても、またいままでのどの年のカレンダーにも言えることですが、これがもし活字だったらこうはいきません。そういう息づかいを自分の部屋の中に掲げてすごすという日常は、私のように文字を愛好する者でなくても、おそらくこころを躍らせられるモノがあるに違いありません。</p>
<p>　童話から宗教、農業、地質学、音楽、肥料会社経営、学校の教師、などなど、賢治さんの活躍は文字通り多岐に亘る、忙しい賢治さんのことでしたから、それに生きた時代も、私たちのつい幾代か前のことなので、遺された筆跡もたくさんあります。そんなことから一年を通して特集的に作ることが可能だったのでしょう。それになんといってもいま、世上では賢治さんへの関心が非常に高まっている、そういう時代感覚をうまく捉えています。</p>

<div class="sub2">—　活字的に組み合わせる数字　—</div>
<p>　そして月文字とタマですが、これが世のカレンダーいっぱんの役目でもあり、それがミサワホームのカレンダーでいえば、賢治さんの書き遺した筆跡の中からアラビア数字／算用数字だけを抜き出して、それを30日、31日分作るのです。１，２，３はそのままですが10日は１と０を、11日は同じ１を二つ、12日は１と2を、以下もそのように組み合わせて作るのです。これは毎年のカレンダーのすべてが同じ方法で作られているので、だれの場合でも最低１〜９と０の10個の数字を見つけられれば出来ることになります。それは活字を組み合わせるのと同じです。</p>
<p>　賢治さんの場合、アラビア数字だけでなく、縦書きの日本数字の月もあります。この場合はアラビア数字の場合とちがって、０ではなく十にした日本数字10個で組み合わています。よく見るとアラビア数字、日本数字それぞれふた組で12ヶ月を展開しています。</p>

<div class="sub2">—　賢治さんの懸腕（けんわん）直筆　—</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_03s.jpg" alt="ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮沢賢治　1月のページ部分" width="280" height="245" border="0" /><span class="cap2"> 同カレンダー1月のページ部分</span></div><p>　１月のこの頁には月文字のところに、賢治さんの小学５〜６年生頃に書いたという「国語綴方帳」。その中の「古校舎をおもふ」という文章では古びた校舎への思いやりとして「あの風あたりの強いところで寒さに泣いてゐるであらう。」といった文章の、これは鉛筆ではなく筆書きの文字と、風に翻る幟の絵が紹介されています。この絵（右写真）は「国語綴方帳」の表紙の裏に書かれていたもので、賢治さんも私もそうですが、小学校５〜６年生というと、かなり懸腕の筆遣いに慣れてきたはずで、翻る幟の線なども、すいすいとよどみなく、いきいきと引かれています。墨継ぎの跡もあざやかで、それこそ息づかいの抑揚がありありとあらわれています。昔は私などもそうですが、よみ、かき、そろばん、といって「書き方」は小学校の必修科目でした。帳面の表紙に書かれていた宮澤賢治というしっかりとした楷書の署名が、トン、スー、トン、とか、スー、トンとか、これがかなり律儀です。</p>
<p>　この、月文字に添えられたイラストは、その他にも「永訣の朝」（三月）、「涙ぐむ眼」と題された花壇の構想図（４月）、「春と修羅」（5月）や「銀河鉄道の夜」（7月）の手稿からのものもあります。もちろん「雨ニモ負ケズ」もあり、それは十一月。変わったところでは賢治さんが練習したチェロの自筆の楽譜（2月）とか、まさに「チェロ弾きのゴーシュ」を思わせるものもあります。そうそう「風野又三郎」もありますが、たしか私が５〜６歳の頃、下町の映画館で初めてこの映画を見たのですが、そこでうたわれた「どーどど、どどーどど、ああかいリンゴも吹き飛ばせ、酸っぱいリンゴも吹き飛ばせ・・・」と歌いながら「風野又三郎」ごっこをしたことを思い出します。また小学校を出た辺りで「永訣の朝」に出会いました。（あめゆじゅ　とてちてけんじゃ）という、死に瀕した妹のことばは、解説で意味はわかりましたが、東京生まれの私には、なかなか実感できないままに、その悲しみの一節を記憶していたことを思い出します。</p>

<div class="sub2">—　筆跡の謎　—</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:166px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_07s.jpg" alt="ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮沢賢治　2月の数字部分" width="166" height="320" border="0" /><span class="cap2"> 同カレンダー2月の数字部分</span></div><p>　この算用数字の字様の特徴をみながら、思わずそういう賢治さんの生活と関係づけて見たくなるのですが、全体が円みを帯びて、一瞬もとどまらぬ、ある速度を保ちながら、すいすいと走っていく、そう、まさに行書、いや、或る場合にはまったく草書体のものもあります。</p><p>　じっさい各月の右下に措かれている賢治さんのサインも、中にはまるで草書。しかしけっしてずらずらと続いてしまっているわけではないのですが、一画一画にこめられた動勢、たえず一瞬の未来をはらんでうごめいています。多岐に亘る賢治さんの活動とともに在った身体行動のさまを強く感じさせるのです。</p>
<p>　ところが、カレンダーには日本数字を集めた月もあるのですが、この日本数字、十五とか二十二というふうなものですが、もちろん縦書きです。しかし、私がこのカレンダーを手にして以来、ずっと眺めているのですが、横画の書き方が異様なのです。どのようにペンを走らせたのか、一画一画きちんと書こうとすれば、ふつう横画の起点は上から、とん！ と押さえるように始まって、そのまま横へ引かれます。ところが賢治さんの場合よく見ると、下からぐっと突き上げるように書き上げて、それから横画に移って、そして終筆のところでもう一度下へ下げて止める。どうしてそうなるのか謎です。</p>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_06.jpg" alt="ミサワホームの2010年『偉人筆跡カレンダー』宮沢賢治　5月の「一」" width="280" height="225" border="0" /><br /><span class="cap2"> 同カレンダー5月の「一」</span></div><p>　もう一つ、五月の一などは、斜め左上へ、鋭く跳ね上げています。このほうはなかなか美しい筆致ですが、これは書道の行書体などでは時として見られるものですが、たとえば大という字の横画から次の払いの頭へ移ろう、などというときにこのようにして続きの感覚をだすのですが、そういう書道の下地がペン字でも出たのでしょうか。</p>
<p>　先の筑摩書房版の「新校本 宮澤賢治全集」の校訂版では、インクの色については書いてありましたが、どのようなペンであったか、というところまでは書いてありません。</p>

<div style="float: right; margin: 0px 0px 35px 5px; padding: 4px; width:510px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_10s.jpg" alt="寿司屋さんの看板と赤坂小学校の校歌の碑" width="510" height="291" border="0" /><br /><span class="cap2"> 先日、青山一丁目で見かけた、寿司屋さんの看板（写真左）。「美」という字は羊が大きいということだというのですが、その下の大という字の横画の止めが、まさに次画の頭へ向けて跳ね上がっています。<br />
 もう一つ、近くの赤坂小学校の正面に建っている校歌の碑ですが、「赤」の始めの横画の止めや、「校」の木偏の横画に、同じような、しかしこちらはかなりダイナミックな跳ね上がりが見られました。</span></div>


<div class="sub2">—　懐かしのGペン　—</div>
<p>　ペンといえば私たちの子どもの頃はGペンというのがもっぱらで、用途によっていろいろな形のペンが出ていました。ペン先がカモノハシのように、平べったく2枚になったものもありました。いま思うとそれはたぶん、アルファベットのロマン系の文字のために、太い縦画と細いシェリフを書きわけるためのものではなかったかと思うのですが、どなたかもしご存じでしたらお教えください。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_06_08s.jpg" alt="ガラスペン" width="280" height="186" border="0" /><span class="cap2"> 参考：ガラスペンとインク （<a href="http://www.flickr.com/photos/sigwyg20/3304854862/">Photo by Sig.</a>）</span></div><p>　また、非常にポピュラーなものにガラスペンというのがありました。先を油砥石で研ぎながら使うのです。溝が何本も通ったガラスの棒をバーナーで捩りながらとかして作るのです。捩ることで溝の長さが長くなって、インクの保ちがよくなるのです。文具屋で売られているのですが、縁日の夜店などで実演しながら売っていたりして、懐かしい思い出です。それから子どもの頃、万年筆を初めて買ってもらったときの感激は未だに忘れられません。</p>

<div class="sub2">—　その年譜　—</div>
<p>　かなり丁寧な年譜も付いていて、賢治さんが生まれたのは1896年、1931年生まれの私よりちょうど33歳年上です。そしてかのウォーターマンによって万年筆が発明されたのが、ネットによると1884年ということですから、賢治さん12歳の時ということになり、はたして賢治さんは万年筆を使うことが出来たのでしょうか。そしてこれらの筆跡の中に万年筆で書かれたものがあるかどうか、進歩的な賢治さんのことですから、ついには使ったのかもしれません。</p>
<p>　また私が３歳の時、つまり1933年に肺結核でこの世を去った彼と私の間には、傑出した文学者とその読者、という以上の何の関わりもないのですが、でも、そのとき私は３歳でしたから、たった３年間であっても、私は賢治さんの生きた、あるいは呼吸した、同じ宇宙の空気を吸ったのだ、という感慨。「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です」という、そういう世界と、ほんの一瞬間でしたが、すれ違ったという得難い事実を、なにかとても希有なことのように思わずにはいられないのです。とにかくずっと送り続けてくださったミサワホームに感謝です。(了）</p>
<br />
<div class="sub2">—　ちょっとしたいいわけ　—</div>
<p>　毎年12月はカレンダーの季節です。と書き始めましたが今は3月も末で、何とも季節外れですが、毎年、書き始めては途中下車。というのもここ数年、私の展覧会がどういうわけか一月に開催されてきたため、準備などでつい後回しにされて書き上げられませんでした。幸いというか、今年は１月の展覧会が、再開発にかかったギャラリーのビルの取り壊しのため突然キャンセルになり、次の5月の個展の間にちょっとした隙間ができたので、思い切って書き継ぎます。</p>]]>
        
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    <title>東京の和筆</title>
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    <published>2010-03-02T07:46:47Z</published>
    <updated>2010-04-30T11:58:19Z</updated>

    <summary>つくりの容（かたち）とつかいの象（かたち）『デザインの現場』1988年2月号掲載...</summary>
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        <category term="No.05：『東京の和筆』つくりの容とつかいの象" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">つくりの容（かたち）とつかいの象（かたち）<br /><span class="asset-name_c">『デザインの現場』1988年2月号掲載記事より（文：&#x84DC;島庸二／写真：冨田祐幸）</span></div>
<div class="sub2">--　筆の容（かたち）に命あり　--</div>
<div style="float: left; margin: 2px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:520px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_01b.jpg" title="フランスの美術家で書道を習うドミニク・エザールさんによる運筆の妙味。使用する筆は名村大成堂製"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_01c.jpg" alt="フランスの美術家で書道を習うドミニク・エザールさんによる運筆の妙味。使用する筆は名村大成堂製" width="520" height="429" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　フランスの美術家で書道を習うドミニク・エザールさんによる運筆の妙味。使用する筆は名村大成堂製。</span></div>
<p>　筆の、先端がすっと尖ったあの容ができるには、命毛（いのちげ）とよばれる鋒先（ほさき）になる芯の毛を中心に、何種類かの質のちがう毛を、何段階かの長さに少しずつずらしながら重ねていってつくります。ずらして短くとっていくために、手前にくるにしたがって、はみ出してくる根元を、最初の命毛の長さに合わせて切りそろえなければなりません。この作業を"寸切り"とよびます。この段階になると、それぞれの毛の束は、すべて水を浸ませて五、六センチほどの板状にぴっちりと固められています。これで小筆だと六本文ぐらいの分量ですが、そのなかから"半さし"とよばれる、刃をつぶした切り出し小刀のような金篦（かなべら）で、一本分ずつ小分けしていきます。</p>
<p>　書筆にしろ画筆にしろ、さまざまな用途に対応してさまざまな種類のものがつくられていますが、それぞれの用途にしたがった筆の容は、すべてこの段階で決まります。たとえば、〈削用（さくよう）〉という日本画筆。これは鉄線のような強い線を引くためのものですが、昔なら、鋭い命毛の線にニュアンスを与えてしまうような、余分な毛を肩のところから削ぎ落として使っていました。私も若いころ、その削ぎかたを先生から教わった経験があります。もちろん〈削用〉はすでにありましたが、戦後の、手に入りにくいときでした。この〈削用〉は、削る部分を、毛を組み立てる段階でのずらしをきょくたんに強くして重ねることで、はじめから人工的につくりだしておくのです。</p>
<p>　この例でも推し測ることができるように、筆は、はじめはそれほど種類が多かったわけではなく、書筆画筆の別さえもなかったといいます。「書画同源」という言葉がありますが、じっさい水墨画のようなもならいいでしょうが、岩絵具をたっぷりと含ませた、たとえば琳派のような絵を考えると、これは少し意外でした。</p>

<div class="sub2">--　筆舌につくしがたい掌中の無意識　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_02b.jpg" title="原毛各種。宮内不朽堂で"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_02s.jpg" alt="原毛各種。宮内不朽堂で" width="280" height="141" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　原毛各種。宮内不朽堂で。</span></div><p>　上野池之端にある日本画筆専門の筆匠、不朽堂宮内親房さん（七十五歳）は、かの有名な得応軒、宮内得応の孫にあたるそうで、親房さんの話では、画筆というものが今のように独立した存在になったのは、みな明治の初め、得応のくふうになるそうです。</p>
<p>　なんでもそうでしょうが、この筆という道具も、時代が進むにつれ用途が分化し、表現技術が分節化して、それに対応するいくとおりもの筆が生まれてきたのでしょう。</p>
<p>　宮内さんは八畳ほどのコンパクトな日本間で、ちょうどその組み立て作業のさいちゅうでした。やはり水で固めた、艶々とした茶色い毛のかたまりを注意深く重ねていって、宮内さんの左の掌では、段々に積み重ねたかたまりが徐々に厚みを増しています。これは山馬筆だそうです。山馬とはいっても、鹿の毛で腰が強く、文字を書いても、あるいは南画なんかでも、特有のカスレの味をうまくだす機能があります。</p>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_04b.jpg" title="宮内不朽堂の画筆各種。右から彩色、兼用、如水、長流。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_04s.jpg" alt="宮内不朽堂の画筆各種。右から彩色、兼用、如水、長流。" width="280" height="159" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　宮内不朽堂の画筆各種。右から彩色、兼用、如水、長流。</span></div><p>　と、かたわらで、こちらは白い毛の、やはり同じようなかたまりをいじっていたお弟子のひとり、阿部信治（三十五歳）さんが、つっと宮内さんの前の、やりかけの小さなかたまりをつまんで、私の前にかざすようにしながら、「こうして見ていると、ただ一段ずつ単純に組み立てていっているようだけど、じつはその一段を手に持った瞬間、その手のなかのかたまりを、親指の腹でほんの少しだけしごいているんです」と教えてくれました。そうすることで、同じ一段のなかでもさらに微妙に長さが調節されて、より滑らかな筆のかたちになるというのです。そんなことだれにだって見えませんよね、と、宮内さんの手の内を解説しながら、スローモーションヴィデオでも見るように、それを演（や）って見せてくれました。もちろん阿部さんも、はじめのうちはまったく気づかなかったそうです。</p>
<p>　そして阿部さんは、けっきょくこの仕事は、そういうほとんど無意識の、そして微細な、したがって外から客観的に捉えがたい手の動きにみちているというのです。見たって見えないし、ほとんど無意識的な自分ひとりのブリコラージュですから、「この仕事ばかりはいくら口で説明しようとしても、じっさいにやったものでないとわからない」のです。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 18px 5px 0px; padding: 4px; width:152px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_05b.jpg" title="宮内不朽堂の画筆各種。中央に連筆をはさんで右から長穂白狸、白玉面相、極品面相、長穂鼬毛面相。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_05s.jpg" alt="宮内不朽堂の画筆各種。中央に連筆をはさんで右から長穂白狸、白玉面相、極品面相、長穂鼬毛面相。" width="152" height="370" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　宮内不朽堂の画筆各種。中央に連筆をはさんで右から長穂白狸、白玉面相、極品面相、長穂鼬毛面相。</span></div><p>　じつは阿部さんは、宮内さんによると、大学院まで出てロシア語を専攻した、本来ならば学者か通訳になるはずの人だったのですが、それがここのお嬢さんと結婚するにおよんで、一転して筆職人の道を選んだのだそうです。そしていま、親方でもあり舅でもある、この道六十年の宮内さんの膝下で筆作りの仕事を一から勉強しはじめ、かれこれ十年がたちました。しかしいくらここのお嬢さんと結ばれたからとはいえ、学者から職人へという転身はすこし唐突です。大学院出の筆職人は、おそらくほかに例がないそうですが、だとすれば、なおさらのことそういうインテリ職人の視野に映る筆作りの仕事がいったいどういうものか、興味が湧くのも無理からぬことだと思うのです。しかし阿部さんは、それは他人にはわからぬ、筆舌に尽くしがたいことだというのです。</p>
<p>　もちろん筆というひとつの道具の特性とか、原料である毛のメカニズムも、現代ではかなりの部分にまで科学の光が届いています。つまり言葉にすることができます。しかしなんといっても、相手は生きた動物の毛です。</p>
<p>　さっき筆の容をつくる毛の組み立て作業を見ましたが、筆の機能を決定するものに、毛そのものの質の問題があります。筆として使う毛は馬、羊、山羊、いたち、鹿、狸、りす、そのほかむささびや猫にまでおよびますが、そして油絵筆ならば、豚や貂などまで加わりますが、それらの毛のもつ剛柔、硬軟から太さ細さ、腰のフィーリング、絵具の含み具合など実に多様で、筆作りの仕事は、それぞれの用途に向けてそれらの毛を調合しなければなりません。兼毫（けんごう）といいます。もちろん純羊毫（毛）とか、いたちゾッ生（き）などとよばれる単一の毛でつくる筆もありますが、それさえも、場合によってはその単一のなかで、それぞれ硬軟異質な毛を混ぜ合わせたりするそうです。そして、この感覚がまことにむずかしい。</p>

<div class="sub2">--　原毛の性質を瞬時に解読する手さばき　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_07b.jpg" title="名村大成堂の原毛見本帖。数十種の獣毛が部位別、産地別に整理されている。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_07s.jpg" alt="名村大成堂の原毛見本帖。数十種の獣毛が部位別、産地別に整理されている。" width="280" height="190" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　名村大成堂の原毛見本帖。数十種の獣毛が部位別、産地別に整理されている。</span></div><p>　もう一軒たずねた。これも有名な筆匠、名村大成堂の名村光男（六十二歳）さんは、いちおうのマニュアルはあるにはあるが、「なにしろ同じ毛でもその動物の生い育った環境の、その年の気象条件によっても、それが一頭一頭、みな毛の性能や毛癖が微妙にちがうんですから、どうにもなりません」といいます。そのうえ、それを使う作家の側もまた生きものですから、それぞれの仕事に個性のちがいがあって、そのふたつの相乗によって、筆に要求される微妙なニュアンスは、それこそこれも筆舌につくしがたいものだ、というのがやはり結論だったのです。</p>
<div style="float: left; margin: 15px 0px 20px 0px; padding: 4px; width:520px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_06b.jpg" title="名村光男氏による付立筆の製作。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_06c.jpg" alt="名村光男氏による付立筆の製作。" width="520" height="292" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　名村光男氏による付立筆の製作。数種の原毛を用いるのは、筆の用途によって、その運筆上の便宜をはかるため。付立筆の場合、鋒先となる命毛に対する他の毛の使用比率は、およそ10対12。<br />
【精毛】材料となる羊、狸、馬の尾脇の毛、鹿の原毛は、それぞれ４、５時間煮沸して、油脂分や汚れをとり、原毛のくせを矯正して伸びをよくするよう、"火のし"しておく。<br />
【選毛】原毛の質、太さ、長さなどを選び、粗悪な毛をとり除き、手板に軽くたたきつけながら根元をそろえ、櫛をいれて不要な綿毛をとり除く。<br />
【毛揉み】長短数段階に分けた各種原毛を、米のモミガラ焼き灰をふりかけて、手の平でよく揉む。<br />
【先寄せ】手板で毛先をそろえ、櫛で逆毛や屑毛を取り除く。この作業をくりかえして、筆芯を形成する命毛（羊）、喉毛（狸）、腹毛（馬の尾脇）、腰毛（鹿）などの各部位をそれぞれ精選していく。<br />
【毛組み】各部位の毛を水でしめらせてまとめ、適当な長さに切りそろえたものを、半さしを巧に操って板状に広げ、丈の長い命毛の上に順に、喉、腹、腰の毛を重ねる［右上］。<br />
【混毛】重ね合わせた毛を半さしで紙状に広げ、さらにおりかえす。この作業を6、7回くりかえして、各部位を均一に混ぜ合わす［右下］。<br />
【芯立て】混毛した一本分の毛をコマとよぶ芯立て壺に入れて、太さを決め、芯を形づくる。<br />
【上毛かけ】付立筆の上毛は羊と馬の混毛。筆芯と同様によく混ぜ合わせ、紙状に広げたものを芯の周囲に均等にかぶせる。これで筆鋒の構成がおわる。<br />
【緒締め】乾燥した筆鋒の尻に焼きごてを当てて固着させ、根本を麻糸で括り締める。<br />
【竹軸の面取り】切り出しを利用した筆ガンナで軸の小口の角をとりをし、刳り盤という小刀付きの道具で軸の内側を削りとる。日本画筆の場合は、凹状にえぐるので熟練を要する。<br />
【仕上げ加工】筆鋒の根元に接着剤をつけて、竹軸に挿入し固定する。筆鋒全体をフノリにひたしたのち、手でしごいたり、口にくわえた絞り糸で余分のフノリを絞りとって形を整える［左］。自然乾燥ののち、竹軸の歪みを修正、品名を刻し、サックをかぶせてできあがり。</span></div>
<p>　そういう名村さんは、ちょうど〈長流〉と名付けられた「付立筆（つけたてふで）」を手がけているところでした。これも絵筆で、そしてかなり腰の強さを要求される筆ですから、名村さんは、羊（といっても中国産の山羊）を命毛にして、それに狸、馬の尾脇の毛、そしてさらに腰の強み（こわみ）を増すために、鹿の毛を調合しているそうです。その強みは、たとえば雪舟の破墨山水、あの力強いスピード感に充ちたカスレをだすのなんかによいはずです。それにしても、そのとき自分が手にした毛の質や状態によって、微妙にその混毛の割合を加減していかなければならない、そういう加減のほど----毛の質が、はたしてどうであればどのくらいの割合に加減するのか、というそこのところは名村さんにも、またさきの宮内さんにも、ついにまったく言葉にしてもらうことはできませんでした。いわば長年の勘どころなのです。</p>
<p>　こうした原毛のおもな生産地の、自然破壊と農耕形態の急激な変化により、上質な毛を持つ動物が、私達の環境から姿を消してしまったうえに、輸送手段の発達や国交が改善されるなどして、いまでは世界のかなり広範囲にわたってそれを求めるようになったのだそうです。とくに中国のものはやはり上質で、そのほかにソ連のシベリア、そしてカナダ。油絵のセーブル筆はシベリアで獲れるコリンスキーとよばれているイタチの尾、しかも雄の毛が最高だということになっています。そういうものも、入手しにくいとはいえ輸入されています。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_08b.jpg" title="名村大成堂では、あぐら座で筆作りをする。作業台には、製筆の道具として、ガラス板、金櫛、半さし、手板、フノリや水を入れた容器などがみえる。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_08s.jpg" alt="名村大成堂では、あぐら座で筆作りをする。作業台には、製筆の道具として、ガラス板、金櫛、半さし、手板、フノリや水を入れた容器などがみえる。" width="280" height="133" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　名村大成堂では、あぐら座で筆作りをする。作業台には、製筆の道具として、ガラス板、金櫛、半さし、手板、フノリや水を入れた容器などがみえる。</span></div><p>　名村さんの仕事場も東京で、それもたった一本だけ通っている路面電車の、有名な鬼子母神の電停のすぐそばにあります。こちらは十畳間をふたつ打ち抜いたくらいのやはり和室で、ここに十二、三人の職人さんが働いています。そして名村さんのこの仕事場では書筆から画筆、それに油絵の筆もつくっているのですが、私たちには、油絵の初歩からすでになじみ深いナムラの筆は、この部屋から生まれていたのです。十二、三人の職人さんがあぐらの姿勢で坐って、それぞれにひと握りほどの毛を、掌のなかでなだめすかすように小さく揺すぶっていたり、あるいは前述のようにぺたぺたとした毛のかたまりを"半さし"で操っていたり、掌のなかの毛を櫛で梳いて、無駄毛を自分のあぐらのなかへしきりに降らせていたりしています。そうしながらさきの宮内さんや名村さん、そしてこれら熟練のそれぞれの掌は、こうして自分がいま感触する毛の一本一本に刻み込まれた、それが生い育った風土の、あるいは気象の記憶を敏感に解読しては、いま、なにをどのようになすべきかということを、その瞬間瞬間に自分の指に言い聞かせている、そういう手の動きなのです。</p>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_09b.jpg" title="完成した筆鋒は自然乾燥される。まるで小さな虫が群生しているようである。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_09s.jpg" alt="完成した筆鋒は自然乾燥される。まるで小さな虫が群生しているようである。" width="280" height="148" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　完成した筆鋒は自然乾燥される。まるで小さな虫が群生しているようである。</span></div><p>　さっきの阿部さんが"言葉では伝えられない"と、つれなくもいったそのひとつは、こういう感覚のことだろうと思うのです。またそういうときの阿部さんの若々しい眼は心なしか、言葉を超えた、いや、言葉をあてにしないこの世界の、まだまだ自分にはとらえられていない、たくさんの技術や原理が存在するという予感をたたえていて、そのことにかえって大きな安心の境地を見出しているようなのでした。</p>

<div class="sub2">--　水をよぶ筆　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:160px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_10b.jpg" title="名村大成堂では洋画筆もつくられる。たくさん集まると、筆づくり職人のかたわらに咲いた花みたい。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_10s.jpg" alt="名村大成堂では洋画筆もつくられる。たくさん集まると、筆づくり職人のかたわらに咲いた花みたい。" width="160" height="340" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　【上】名村大成堂では洋画筆もつくられる。たくさん集まると、筆づくり職人のかたわらに咲いた花みたい。【下】名村大成堂の水彩画筆各種。平筆、丸筆とも、大小とりそろえてある。</span></div><p>　原毛にそなわる風土の痕跡のことを書きましたが、職人のだれもが言葉にするものに、筆の毛管現象のことがあります。さっきのいったように、筆に関するこの部分は、かなり科学的なミクロの光が届いています。そしてその結果、一本一本の毛に鱗状の積み重ねがついていて、それがその筆の墨や絵具の含みぐあいや、画面への流動のぐあいを決める要因になっている、ということがわかります。</p>
<p>　そういう鱗は人間がつくるわけではありませんから、考えてみると、この仕事はほとんど自然そのものが素材となっていて、しかしそれは、人間がその素材と闘って跡形もなく粉砕して、ぜんぜんべつなものをつくりあげるというものではなくて、その素材（もの）にそなわった自然の摂理を見抜いて、それをいかに自分の手元へ引き寄せて、筆という新たな文脈へ組み立て直してやるかという、そういう作業なのだとおもうのです。職人たちの掌の、いちようになだめすかすような仕草も、あるいはそういう感覚のあらわれかもしれないのです。だから、このふわふわと、ちょっとした風の動きにも飛び立って、ふつうなら手に負えないものを、それを貫いている自然の摂理さえ呑み込んでその扱いに熟達すれば、なんなくわがものとすることができます。
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:260px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_11b.jpg" title="名村大成堂の書筆各種。上にあるのが純羊毛筆、下右から狸毛水筆、長鋒兼毫陽明、純白春嶺、極品朱陽毛筆、極品老松。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_11s.jpg" alt="名村大成堂の書筆各種。上にあるのが純羊毛筆、下右から狸毛水筆、長鋒兼毫陽明、純白春嶺、極品朱陽毛筆、極品老松。" width="260" height="337" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　名村大成堂の書筆各種。上にあるのが純羊毛筆、下右から狸毛水筆、長鋒兼毫陽明、純白春嶺、極品朱陽毛筆、極品老松。</span></div><p>　さっきから見ていると、職人たちはしきりに、毛のかたまりをちょいちょいと水に浸けては、次の作業に移ります。ちょうど小鳥が鉢の水に嘴を突っ込むみたいに、ちょっとした動作をくりかえします。こうして水を介在させているかぎり、毛の反乱はしっくりと圧え（おさえ）られています。そしてそのうえに、いま水に浸けたものをそのまま口へ持っていって、つっと一瞬、口に含みます。毛先を舐めるのです。そうしてその鎮圧の、すなわち含まれた水分のぐあいを確かめたり、吸ったりして調節するのです。</p>
<p>　よく"画家（日本画の）は五色の糞をする"といわれるくらいよく筆を舐めます。けれどもそれをつくるにあたってもまた、このように舐めていたのです。口唇という、もっともデリケートな部分の、しかも唾液という人間の生理を、毛管現象という自然の摂理にそわせて働かせることによって、そのときその筆が匿しもっている自然の気配のようなものを、いちいち感じ取っていくのではないでしょうか。</p>
<p>　私たちが書く、あるいは描く文字なり絵なりは、じつは人間と自然のそういうやりとりの、そのすぐつづきのところに象（かたち）をなすところのものだったのです。</p>
<p class="quo2">＊本稿に記載されている年齢等は雑誌掲載当時のものです。</p>
<br />
<div class="sub2">--　追記　--</div>
<p>　このルポルタージュを書いたのは1988年、つまり今から22年もの昔に書いたこの記事をここに再録することに快い許諾を与えてくれた美術出版社「デザインの現場」編集部に、まず心からの謝意を表したい。</p>
<p>　そしてそんな昔に書いた文章をいまここに、改めて読み直して、私自身の、また世界そのものの上に流れた22年という歳月の、まさに"隔世の感"を禁じ得ないものがある。</p>
<p>　その間に画家であり編集者としての私の、ほぼ60年間にわたる作家生活の上に起こった変化もまた隔世のものがあった。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:250px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_12b.jpg" title="グーテンベルク炭書"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_05_12s.jpg" alt="グーテンベルク炭書" width="250" height="320" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　グーテンベルク炭書</span></div><p>　それは2005年に国際芸術センター青森における、３ヶ月におよぶアーチスト･イン･レジデンス体験から得た「グーテンベルク炭書（詳しくは<a href="http://www.cafe-nous.com/haijima/cat15/">「亀甲館だより No.11　グーテンベルクの塩竈焼き」</a>をご覧ください）」と名付けた"書籍を炭に焼く"というプロジェクトが加わったことだった。それは一口に言って、情報というキーワードをもって我々の住む地球環境を、自然／宇宙という巨大な情報システムのなかに脱自的に没入する、そのような人間の姿に出会うというものだったし、それまでの私の画家／編集者というデュアルな生き方を、世界という情報環境へ向けて脱自的に、自分の生き方を統合する契機となるものだった。</p>

<p>　しかし私のこの筆作りのルポの取材はそれに遡ること10数年も前のことで、私はそのとき、筆作りの現場に見たものを、以下の言葉で締めくくっている。</p>

<p class="quo">よく"画家（日本画の）は五色の糞をする"といわれるくらいよく筆を舐めます。けれどもそれをつくるにあたってもまた、このように舐めていたのです。口唇という、もっともデリケートな部分の、しかも唾液という人間の生理を、毛管現象という自然の摂理にそわせて働かせることによって、そのときその筆が匿しもっている自然の気配のようなものを、いちいち感じ取っていくのではないでしょうか。</p>

<p>　と・・・。いま改めてこれを思い直してみるに、これこそ宇宙／世界という巨大情報システムのなかに没入的に生きる人間が、自分の環境の、アリストテレスのいう、この世界の、または自然の形相ないし形相因と出会いながら、その生の瞬間々々を創発してゆく真の姿を見たことに対する感動だったのだと・・・。さきの筆作りの場合は獣毛のもつ自然という"情報"のそなえる形相と、人間という自然／社会の中で生きる情報的形相の出会う、まさに創発的"場"の在処をそこに見たのだ。そこにはもはや孤立的な"物"も"心"もなく、また対峙的な"自"もなくしたがって"他"もありえない、そういう世界を・・・。</p>
<p>　そして再度これを、先に述べた私の60年におよぶ画家／編集者というデュアルな生涯に引きつけて顧みるに、画家としてはつねに自分という個と対面し、いっぽう編集者としてはグーテンベルクと出会い、またいけばなという仕事を通して自然と出会いしてきた、そういうなかから得ることができた「グーテンベルク炭書」という今の仕事も、じつはこうした私のデュアルな生き方によって、いちいち獲得してきた（それはきわめて卑小なものであり、本来的に美術作品とはほど遠いものだが）ものだったことをあらためて思わずにはいられない。</p>
<p>　いま私たちはエコロジーという眼鏡をかけた、かつてない自然に直面している。またいっぽうでは、かつて経験したことのない電脳世界という情報社会に投げ込まれた人間の姿に直面している。そういうときに私は、私の「グーテンベルク炭書」という今の仕事によって、本のもつ"情報"というキーワードの形相を、よりふかく迫っていくことで自分の作品を生み出しながら、その瞬間々々の私の、生の未来を、生きてゆきたいものと思っているのだが・・・。</p>
<p style="text-align: right;">2010年３月１日しるす</p>]]>
        
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    <title>子を思う母の文字二つ ＜その１＞</title>
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    <published>2010-01-19T13:49:17Z</published>
    <updated>2011-06-15T07:20:14Z</updated>

    <summary>小料理屋「&#24503;竹」の明かり看板 　「町まちの文字」の今回は、東京の現...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">小料理屋「&#24503;竹」の明かり看板</div>
<p>　「町まちの文字」の今回は、東京の現代に現れた文字と、中国北魏の龍門石窟の牛&#27227;造像記の文字、2000年の歳月を離れて書かれた、ともに子を思う母の文字について述べます。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_01b.jpg" title="小料理屋「徳竹」の明かり看板"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_01s.jpg" alt="小料理屋「徳竹」の明かり看板" width="280" height="377" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　小料理屋「&#24503;竹」の明かり看板</span></div><p>　その1は明かり看板「&#24503;竹」の文字です。</p>

<p>　私は、仕事の都合でよく、永代橋西詰に広がる新川という町に行くのですが、その途上で見かける小料理屋の看板です。</p>
<p>　茅場町から永代橋へ通ずる永代通りの二筋南よりの道筋に、それはあります。</p>
<p>　この一帯は平岩弓枝の小説、明治維新をすぐ目前にした「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167168804?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4167168804">御宿かわせみ</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4167168804" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」という旅籠のあった辺りで、その女主じ庄司るいの許に通う、八丁堀同心の次男坊で、まだ部屋住みの神林東吾が、ふと立ち寄りそうな、この&#24503;竹の、黒いガラス格子の中は、板場と向き合った６〜７席の腰掛けと、その後ろに小揚がりならぬテーブル席が３つほどの、小態（こてい）な構えの料理店なのです。</p>

<p>　店の前の道を東へまっすぐに下ると、すぐに鍛冶橋通りで、そのまま向こうへ突っ切ればそこはもはや大川端。美しい公園になっていて、そこへ降りると、すぐ右手に永代橋の橋桁が高々とそびえ、満潮のときなどは胸を浸しそうなたっぷりとした水嵩が橋桁を洗いながら迫ってくる。永代橋を東にとれば北側に富岡八幡宮、その向かいには辰巳の花街が開けるという舞台装置です。</p>

<p>　そんな書き割りの中で見る、ほんのり暖かい『&#24503;竹』の明かり看板。看板というのは多かれ少なかれ、その店のキャラクター、主の気概のようなもの、熱い思いが込められています。ここを通るたびに、この店の料理の、この文字のように飾らない、それでいて豊な風味が思われて、かれこれ２０年以上もこの前を通るたんびに、特に夕べの時分どきなど、一度はこのガラス格子を開けてみたいと思いつつ、ついに果たせずにきたものです。</p>

<p>　ところが、つい先日のこと、ちょうど昼どき、その店の前を通りかかると、いつもは立てられているガラス格子が、どうしたことか開け放されて、若い娘さんが一人、ケータリングの弁当を並べていたのです。このデフレ騒ぎのなか、もしかして少し業態を変えたのかもしれません。弁当をねえ！　私は一度は通り過ぎようとしたのですが、思い直して、今日こそこの文字の主を訊ねてみたいと思ったのです。恐らくここのご主人かだれかが書いたものか、そうだとしたらどんな人物か、ちらっとでも見てみたい、という予てからの思いを遂げる絶好のチャンスです。</p>

<p>　その娘さんも、さあ？ ......といったまま奥の板場へ向かって「ねえタイショウ（大将か）、この看板の字、誰が書いたのかってさ」。</p>

<p>　板場からこっちに顔を突き出した"大将"と呼ばれた男は、この文字からするともっと年配かと思っていたこっちの予想を裏切って、案外若く、まだ四十そこそこの、おまけにちょとしたイケメンで、なんと「私の母親が書いたものです」というではありませんか。六十代後半の、書家ではないが、文字を書くことが好きなご婦人、ということがわかったのです。</p>

<p>　そうか、女手だったのか......。それも店を持つことになった自分の子どものために、その成功を祈って書かれた母からの餞の文字。一画一画一生懸命に書かれています。「&#24503;」の字も、旁の心の上に、当用漢字にはない一画をきちんとのせています。そう思って改めて眺めるとこの明かり看板の文字が、この店のお守りのようにも見えてきます。温かいはずです。</p>
<p>　お守り、といってもそれは、神社や寺院に見られる護符などのおどろおどろしい超越性を持った文字とは違って、なんとも飾らない筆遣い。結構といい、一筋な息づかいまでが、ひたひたと感じられる文字です。かといって単なる味に堕してもいません。特別にうまく書こうとか、反対にこのごろ街でよく見かける"ヘタウマ"のおもしろさを衒う、といった、斜に構えた、或はいたずらな自己主張もありません。かといってこれがもし、例えば王羲之の文字のような、貴族的なソフィスケートされた文字であったならば、確かに店の格式は表せたかもしれませんが、このようにゆったりとした余地、いわば陰圧の隙間、とでもいった空間を、創り出すことは出来なかったのではないでしょうか。特に、竹の字の、何というか、一切を放下したような左右の呼応。特に右側の縦画のずっ、ずっずっ、と無心に、ゆっくりと降ろした線。終りの撥ねるところは、ふつうならもっと鋭角に切れ上がりたいところを、ゆっくりと、少し開き気味に運んで、最後に穂先の線を微妙に曳き上げながら、辻褄を合わせてここの空間を力あるものにしています。そんなあたりの暢達な感じ、ふと人を誘い込む惚れ惚れとする筆の運びではありませんか。</p>
<p>　そのようにこの文字の一画一画を味わってゆくと、起筆の筆のおろし方、縦画の終筆の、その止め方、払いの起筆など、次回の龍門の像造記の文字もそうですが、どちらかというとこの方筆、実際に書いてみると、小学校の手習以来の、いわゆる楷書の書法になれた手からすると、これがなかなか難しいのです。</p>
<div style="font-size: 11px; text-align: center; margin:15px 0px 0px 0px;">その2はこちらから <a href="http://www.cafe-nous.com/font/2010/01/-2.html">&gt;&gt;子を思う母の文字二つ ＜その2＞龍門牛&#27227;像造記（りゅうもんぎゅうけつぞうぞうき）</a></div>]]>
        
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    <title>子を思う母の文字二つ ＜その2＞</title>
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    <published>2010-01-19T03:22:37Z</published>
    <updated>2010-04-30T12:03:28Z</updated>

    <summary>龍門牛&#27227;像造記（りゅうもんぎゅうけつぞうぞうき） その１はこちらか...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">龍門牛&#27227;像造記（りゅうもんぎゅうけつぞうぞうき）</div>
<div style="font-size: 11px; text-align: center; margin:0px 0px 15px 0px;">その１はこちらから <a href="http://www.cafe-nous.com/font/2010/01/post-2.html">&gt;&gt;子を思う母の文字二つ ＜その１＞小料理屋「&#24503;竹」の明かり看板</a></div>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:200px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_02b.jpg" title="牛&#27227;像造記印影"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_02s.jpg" alt="牛&#27227;像造記印影" width="200" height="379" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　龍門牛&#27227;像造記の印影</span></div><p>　もう一つのカクカクとした「母の文字」として、私がこれから述べようとするのは、はなはだ唐突ですが、中国ー北魏の、中でも「龍門牛&#27227;像造記」（太和十九年／495年）です。</p>

<p>　これから述べることは、「町まちの文字を訪ねて」という私の文字の旅からすると、いささか書道という芸術に専門的に偏りすぎている恐れがあるものです。したがって、その道に素人の私のよくするところではありませんが、ことの成り行きで、いわゆるモノの本にたよりながら話を進めることにいたします。</p>

<p>　実は私は、この牛&#27227;像造記には、そこにもう一つ、平安の三蹟に数えられる藤原佐理の「離洛帖」とともに、特別の思いをもってきました。それはほぼ十代の終わりの60年程前、私が抽象絵画に傾倒し始めるころ、たしか夜店の本屋かなにかの山の中から探し出した法帖からはじまるものです。抽象絵画と書道。私はこのとき、日本画を描いており、自分が画面に描き出す抽象的な「線」というものの、西洋絵画の流れとは違う、日本のアイデンティティを求めていたのだろうと思います。佐理については今回は措くとして、問題は牛&#27227;像造記です。これを始めて見た若き日、私はこの、異民族の創りだした線や豪快な形に少なからず衝撃を受けたのです。それまで私がみてきた書／楷書の、王羲之流のまるやかな形とは違う、強靱な精神力と、いわば北魏の騎馬民族的な人間の、強靱な膂力に託された精神力のありかをみる思いだったのです。特に縄文以来の定住生活に明け暮れた、その末裔としての自分とは著しく異質なモノを感じたのです。</p>

<p>　もう一つ、これが、たんに筆によって書き出されたモノではなく、加えるに石工の刀の切っ先によって生み出されたモノ、という点です。これはその後の私の画面の作り方に大いに影響を与えていると思っています。さらに60年代に画業とパラレルに編集という仕事を始めて、グーテンベルクの印刷術に出会い、そこに私なりの問題を見出してゆく、その過程に大きく繋がっていったと思っています。</p>

<p>　前置はそのくらいにして本題に戻りますが、この牛&#27227;像造記は、唐に負けず仏教の熱心な信仰者だった北魏の開発した龍門石窟に刻された中の弥勒菩薩像に付随して、その縁起を記したモノです。龍門石窟とは洛陽の南にあって、雲崗、敦煌と並ぶ磨崖仏の宝庫です（と申しても、そこを実見しているわけではないのですが）。なかでもこれは息子牛&#27227;を亡くした亮夫人、尉遅（いぢ）と呼ばれる母親が奉納した、一躯の弥勒菩薩像に託する願文です。</p>

<p>　それは「願わくば牛&#27227;、分段の境を捨てて、無礙の郷に騰遊し・・・」というように、ほぼ50年以上も、この拓本の複製を手に、今では暗唱できるほどです。そして、「どうかそれが妙楽自在の處であるように・・・若し苦累があれば、即、解脱せしめ・・・」と、いまや我々が住むこの分節世界の、不自由な重い衣を脱ぎ捨てた牛&#27227;の、あの世での、楽しさに溢れた在り方を願う、切々とした文章へと続くのです。</p>
<p>　ですが、これは先の「&#24503;竹」の文字と違って、どうも母の尉遅が自ら書いたのではないのだそうです。なるほど今の私達も先祖の法要に供える白木の塔婆なども僧侶が書くように、それは尉遅の願文も「請工鏤石」つまり「工を請い石を鏤み・・・」といっていますから、やはり当時から石工、といっても仏師である石工かもしれませんが、あるいはもっと僧侶か誰か、とにかく専門家がかかわっていたのでしょう。とすれば前回で述べた方筆というのも、もともと北魏の筆遣いが、つまり像造記の原稿そのものがカクカクしていて、その上に、石を鏤んだ専門家が、槌と鑿の切っ先でつくりあげた、そういう、筆とは違う切れ味の表現がだだよっています。それに、ここ龍門の軟らかめの石そのものの質も与っていたかもしれません。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:185px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_03b.jpg" title="「&#159636;拓龍門二十品／上」上海有正書局発行"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_03s.jpg" alt="&#159636;拓龍門二十品／上" width="185" height="320" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　拓本を本の規格サイズに切り貼りしてつくられた牛&#27227;像造記のページ。（「<img alt="kyu.gif" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/kyu2.gif" width="12" height="14" style="vertical-align: middle;" />拓龍門二十品／上」上海有正書局発行）</span></div><p>　先にも申した私が若き日に出会った法帖の表題は「<img alt="kyu.gif" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/kyu3.gif" width="14" height="17" style="vertical-align: middle;" />拓龍門二十品／上」（きゅうたくりゅうもんにじゅっぽん）」とありますが、上海有正書局発行というものです（右写真）。龍門の像造記の優品二十点を選んで二十品としたもので、この牛&#27227;像造記はなかでもトップクラスのものだということもその後、だんだんとわかってきました。表紙も酸性紙なのか、いまではもうぼろぼろになって、和綴じ様の綴じ目もほつれてしまっていますが、法帖ですから、拓本を本の規格サイズに切り貼りしてつくられたものです。ところが、あるとき感激的なことに、この拓本のもとの姿そのままの印刷物、つまり印影を手に入れたのです（本ページ一番上の写真）。そのとき初めてこのいしぶみのもとの姿を知ることができました。それともう一つ、「<img alt="kyu.gif" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/kyu3.gif" width="14" height="17" style="vertical-align: middle;" />拓」ですが、文字通り古くとられた拓本、という意味でしょうが、これは版画のように実際の石面に紙を押しあてて、上からタンポンで墨を打ちながら写し取ったものです。ですからそのときの技術者の能力とか、紙、墨など、石そのものの風化や事故などによる変化もあるかもしれません。早い時代に取られた拓本のほうが、その刻字のオリジンに近い、という意味もあるのでしょう。実際、法帖を比べてみると、石の摩滅のためか、ディテールの抜け落ちたりしているものもかなりみられるのです。ですから「<img alt="kyu.gif" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/kyu3.gif" width="14" height="17" style="vertical-align: middle;" />拓」というのはそういう意味でしょう。木版画や石版画などでもおなじようなことがおこります。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:185px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_06b.jpg" title="「鄭長猷像造記」景明2年（501年）拓本部分"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_06s.jpg" alt="「鄭長猷像造記」景明2年（501年）拓本部分" width="185" height="338" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　「鄭長猷像造記」景明2年（501年）拓本部分。もう一つ、同じ二十品の中のここに掲げた「鄭長猷像造記」などはもっと激しく角張っていて、なにか、この人たちの持つ、私達とは違った、雄大な天地感覚、文明の朗らかささえ感じます。</span></div><p>　しかし素人考えながらそれとなく疑問を感じるところもあります。たとえばこの弥勒像の施主が、なぜ牛&#27227;の父親ではなく母親だったのか（この時代のこの民族の社会制度？）、とか・・・。この家は代々北魏帝室と婚姻関係を結んできた有力な家柄で、夫の亮は中山公主と結婚し重任せられ・・・502年没（平凡社「書道全集6」による）。牛&#27227;像造記が495年ですから、まだ夫は在世中です。どうもつまらないことが気になります。そしてどうしたらこんなカクカクとした文字が書けるのだろうか。筆は？　などなどです。いや、それよりも何よりも、こんな四角い文字に価値を見出すこの民族のセンスとは？</p>

<p>　ちなみに、わが空海の最初の入唐求法は、牛&#27227;の文字から300年ほどのちの804年。当時唐の都でもてはやされていた、特に王羲之や顔真卿などの書法を持ち帰ったといわれています。また、すこし早い天平時代に光明皇后の臨模（搨模／敷き写し説も）した王羲之の「楽毅論」の雄渾な文字が、あの正倉院の御物として伝わっています（<a href="http://shosoin.kunaicho.go.jp/">印影は正倉院のサイト内「宝物検索」で「楽毅論」と入力すると、ご覧になれます</a>）。一緒に筆も保存されています。これは唐からの舶来ものなのでしょう。</p>

<p>　また、あの天平時代の写経の、あの切れるような筆遣いの魅力は、兎毛の筆が創りだした独特の表現、と聞いたことがありますが、この方は写経所による国産でしょう。</p>

<p>　そのように唐の文化は当時の日本にとっても憧れの的でした。従って私達の書の風景は、1500年もの間そのように、基本的に王羲之風であり、円やかな楷書の、つまり唐の都振りの字様が基本でした。</p>

<p>　今書いている北魏の文字には、刀の効果を差し引いても、どうもそうした貴族趣味の軟らかさは見られません。</p>

<p>　ところが話はそう簡単にはいかなかったようで、騎馬民族であった北魏の場合も、自分が征服した高度な文化への憧れから、王羲之などの書風をまねようとする動きが出てくるのだそうです。そう思ってみると、後述する敦煌の勝鬘義記写経の文字と比べて、この牛&#27227;像造記にも、いくぶんエレガントな円みと文化的な落ち着きのようなモノを感じるのですがいかがでしょうか。</p>
<p>　しかし被征服者の文化に憧れる、ということは、後に中国大陸を制したチンギス・ハーンの元がそうですし、古代ギリシャを征服したローマ帝国も・・・。その辺りは、近世以後の植民地主義的支配の様相とは違うところかもしれません。</p>

<p>　それにしてもその北魏の筆そのものはどんな毛質で、どんな形をしていたのか。どんな筆だったらあんな文字が書けるのか、気になるところです。ところがある時そんな私の疑問にひとつの解を与える機会に恵まれました。</p>

<p>　じつはこれらの文字は始め、というか長らくというか、北方の異民族の文字として、書法としてかえりみられることがなかった、ということ。それともう一つ、これは今申した彫刻刀の力が創りだしたもので、筆でつくる書からみて、手本に値しないものだ、つまり筆によってはこのように書けるわけがない、という説さえ現れたそうです。</p>

<p>　たしかにそう思うのも無理からぬことですが、しかし20世紀の初め、イギリスのスタイン探検隊や日本の大谷探検隊他の考古学者によって発掘された敦煌莫高窟や楼蘭から発掘した木簡、写経などの文物が私達の目に触れるようになって、さまざまなことが解るにつれ、かなり見方も変わってきました。</p>

<p>　私は1983年正月に東京上野松坂屋で催された大英図書館収蔵　敦煌・楼蘭古文書展をみて大変感動するのですが、そこには我々を魅せてやまない木簡30点の、古びた木肌に隷体、篆体の美しい文字がしみじみと浮かんでいます。その他に巻子本の写経10巻が展示されていて、そのときはなるほどこれが我が天平の写経の元祖なのか、と。</p>

<p>　私にはそれらのどれもが同じように筆先の鋭い切れ味とか躍動感が感じられ、わが天平の写経を頭に思い浮かべながら、つくづくと感じ入ったのでした。そしてこれもやはり兎毛筆によるものなのだろうか。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:242px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_04b.jpg" title="右から「勝鬘義記」、「北魏・魏&#38728;像造記」、「北魏・楊大眼像造記」。左二字は「北魏・始平公像造記」。"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_04s.jpg" alt="右から「勝鬘義記」、「北魏・魏&#38728;像造記」、「北魏・楊大眼像造記」。左二字は「北魏・始平公像造記」。" width="242" height="320" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　右から「勝鬘義記」、「北魏・魏&#38728;像造記」、「北魏・楊大眼像造記」。左二字は「北魏・始平公像造記」。（大英図書館収蔵　敦煌・楼蘭古文書展パンフレットより）</span></div><p>　この展覧会のパンフレットの解説によると、その大半は北魏の写経だったのですが、その中に「雑阿毘曇心経巻第六　北魏　太和三年（479）」、それから「勝鬘義記　北魏　正始元年（504）という二つの写経をとりあげて、これはわが「牛&#27227;像造記」が太和十九年（495）ですから、ちょうどその中間にあたるものですが、前者は一行17字という写経の決まりどおりに書かれているが、後者は一行の字数を、数えるのもつらくなるほど詰め込んでいます。そしてなによりも有り難いことに、その解説に、像造記の文字と、この写経、特に勝鬘義記の字様と、牛&#27227;像造記ではありませんでしたが、同じ龍門の魏霊像造記、楊大眼像造記の文字を、写真で比べて見せてくれているのです。これがまさに像造記の文字の、刀で削らない生（なま）の姿をみる思いなのです。そうかあのカクカクした文字も、その原稿はこのような字様だったのか、と、思わず納得なのでした。</p>

<p>　ところが「文字の文化史」の著者藤枝晃先生も、著書の中で、この敦煌や楼蘭の発掘写経の、特に北魏の文字に触れ、兎毛ではこれほどの強さは出せないはずで、あきらかに、堅い木簡を書くために用いた鹿毛の筆によるものだ、といって、清の阮元が唱えたという北碑南帖論に対して、むしろ筆の違いが大切で北鹿南兎という説をたてておられるのです。つまり兎毛筆は紙に書くことが定着してきた南朝風のものだというのです。兎毫竹管、わが正倉院に遺っている御物の筆がやはりそうです。</p>

<p>　さらに藤枝先生によると、写経は何人かの写経生が一人の先生の工房で生産したチームワークだったのだそうで、そのためその工房で作られた写経は、どれも同じような書体になっているということです。つまりこれは人類が最初につくりだした紙媒体としての書籍は巻子というもので、それをこうして組織的に作りだしていた、というごく初期の風景なのです。たぶん牛&#27227;像造記も、その原稿は、そういう人たちの誰かによって書かれたものなのでしょう。</p>

<p>　しかし、その敦煌の、北魏時代の写経が発見されたのであれば、何も石窟の拓本に依らずとも、その生の文字を手本にした方が、手っ取り早いはずだし、もっと正確に真に迫れるのではないか、とは、誰しも思うところです。しかし、そのようにはいっていない。なぜか。</p>

<p>　思うに、やはり龍門石窟群の文字は、確かに写経に代表される文字をもとにして彫られてはいるが、石に彫られた以上、写経の肉筆の文字とは、やはり別物で、刀が加わった分、造形的な変形が加わり、そこに新たな魅力が生まれたのだと思います。つまり両者はほとんど別物で、当然といえば当然のことで、だから石窟の拓本を臨書する人は、北魏の文字に憧れはするが、敦煌で発掘された写経のようななまの文字を、この拓本から書き起こそう、とは思っていないのでしょう。</p>

<p>　つまり北魏の刻字の原稿としての肉筆がまずあって・・・刻字・・・そして拓本という印刷、それを再びこのように、臨書というコピーとして、もうひとつの肉筆が生産されるという・・・・その一連の過程で起こる手とか目の背後に存在する文明の変化、それぞれの書き手の身体的な遺伝子の履歴とか、そういうものが歴史を通じてつくりだす文字のダイナミズム。</p>


<p>　ところが先日、NHKテレビで「とめ　はねっ」という、なんと高等学校の書道部をテーマにしたNHKドラマを見ました。いま若い人の間で書道がはやっているとは聞いてはいましたが、びっくりです。舞台は鎌倉にある鈴里高校。う！ すずり（硯？）、<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%AF%E3%81%AD%E3%81%A3%EF%BC%81&tag=cafeface-22&index=books&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">河合克敏作の漫画</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />がベースになったドラマだそうです。</p>

<p>　ドラマは鈴里高校が、書道甲子園に出場することになりましたが、その背景にも、一瞬でしたが、高校生の作品として、龍門像造記の部分的な臨書が、半切に何文字か、かなり拡大して書いた文字が映りました。だれか専門家の手によるものでしょうが、なるほどこういう字になるのか、と、感心しながら、しかし拓本を見慣れた目には、どこか情緒的なにおいが先行して、やはり筆というものの作り出す表現の生々しさが妙に気になる、といった感じでした。まさに「とめはねっ」という言葉が言い当てているように、筆の穂先の鋭さとか、撥ねの筆先の利かせ方の、それに筆のかすれも、つまり書道という身体行動そのものの生々しさ、「肉筆」とはよくいったもので、それは龍門の法帖では、陰刻の線の空白のなかに、すべてしまい込まれているものです。</p>

<p>　いろいろ述べて参りましたが、じつはこれからが本番。もったいぶるようで恐縮ですが、この稿で私がほんとうに述べたいことなのです。</p>

<p>　それはこれらの文字が、先述の通り、肉筆を原稿にして刀で彫りだした、文字、というまさにそのことです。この法帖の北魏の文字がつねに頭にあり、抽象画を描き、いけばなの雑誌を編集し、当然印刷術にもふかくコミットし、そういう生活の流れの中で、北魏の文字は私の中で、つねに見直され、新たな美をうみだしてきました。</p>

<p>　そして特に1973年に発行した「町まちの文字」と75年の「祈りの文字」（いずれも芳賀書店芸術叢書）の二冊を作るための、約10余年にわたる取材の途上で出会った、活字ないしはグーテンベルクにおいて、そうなのでした。</p>



<p>　その二冊は、書道という芸術の文字から又こぼれ落ちた民衆の文字、というテーマを持つもので、いわば書道界からシカトされた文字たちの写真集という態のものです。</p>

<p>　その過程で気づいた書道界からシカトされた文字、の一つ（刀が作りだしたものだから、書法としては不適）としてのわが牛&#27227;像造記の文字も、先述のように、まず民族的な差別、そしてもう一つ、それが筆によらない、刀の切り出した文字、という美的差別にさらされた文字だったという発見です。</p>

<p>　その本の中で私は、グーテンベルクの印刷機そのものよりも、むしろ彼が活字の鋳造器をつくりだしたことの意味を述べました。それは銀細工職人だったという彼の出自に興味を引かれたからです。そしてさらに中世の錬金術へと想像の輪はひろがったのですが、それはともかくとして、古い写本の文字を一字ずつ丹念になぞって、それをまた銀細工で培った職人の技術で丹念に彫り上げて、文字の、活字の父型（原型）を作り上げた、という点です。</p>

<p>　グーテンベルクではそれが印刷機というかれのもう一つの発明品によって、大量なコピーを生み出す、ほとんど神話的豊穣のイメージをもつ仕事の基となったわけです。そして良かれ悪しかれ、この巨大な現代文明を作り出す基となりました。</p>

<p>　いっぽう、何度も申しますが、北魏の像造記の文字においても、肉筆原稿を刀で切り出してつくった独特な文字だったということ、またそこに紙を押しあてて、それをこすって写し取る、拓本という一種の印刷術も加わって、その総合で出来上がったものだということに、両者の相同性をみるのですが・・・。</p>

<div class="sub2">--　會津八一　--</div>

<p>　石の文字から肉の文字へ・・・。肉筆。ここで會津八一先生の独特な書法の書のことを思い出すのです。先生は古代への憧れから、まるで万葉集から抜け出したようなすばらしい歌を作ることで有名ですが、若き日、奈良を旅行するときなぞには、決まって先生の歌集を持参したものです。</p>

<p><strong>「ならさかの　いしのほとけの　おとかひに　こさめなかるる　はるはきにけり」</strong><br /><span class="cap3">古い街並みで有名な奈良町へ通じる道筋で、ちょうどこれから三月頃、この先の元興寺へはよく通ったものです。</span></p>
<p><strong>「ふしはらの　おほききさきを　うつしみに　あいみることき　あかきくちひる」</strong><br /><span class="cap3">法華寺の十一面観音。先の楽毅論の光明皇后によって創建され、インドの仏師が皇后を写したと伝えられています。</span></p>
<div style="float: right; margin: 0px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:185px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_07b.jpg" title="写真はその前５、７、５の部分ですが、ご覧になってわかるように、平安の歌切れなどとはずいぶん違うものです。（西田松香氏採拓）"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_07s.jpg" alt="写真はその前５、７、５の部分ですが、ご覧になってわかるように、平安の歌切れなどとはずいぶん違うものです。（西田松香氏採拓）" width="185" height="209" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　写真はその前５、７、５の部分ですが、ご覧になってわかるように、平安の歌切れなどとはずいぶん違うものです。（西田松香氏採拓）</span></div><p>　などと、次から次へと口をついて出る歌に誘われながら歩いたものです。<br />　先生はこれらの歌を、墨で書かれるのですが、それがまたすばらしいのです。私も一枚、歌碑の拓本を持っています。私のは、</p>
<p><strong>「ひそみきて　たかうつかねそ　さよふけて　ほとけもゆめに　いりたまふころ」</strong></p>
<p>　と、すべて仮名文字です。</p>

<p>　そういう先生の書法には独特のものがあって、なんと、新聞の活字を手本に稽古する、というのです。いま出先なので資料が手元にありませんが、確か先生も北魏の文字などの金石文を好んで居られたと記憶していますが、活字が一番いいのだ、と云われるのです。</p>

<p>　活字となれば我がグーテンベルク。先述したように彼の発明した活字も、写本の手書きの文字を、金属の文字に変換したものです。そうであれば、活字こそ現代の金石文。先に述べた會津先生のお習字は、活字という金石文を刷って作った新聞という「拓本」を、お手本にしていたということで、先生の書法は活字というものの底に流れる古代の薫りをかぎ取ってのことだったのではないでしょうか。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:270px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_05b.jpg" title="「壺中居」の看板"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo_04_05s.jpg" alt="「壺中居」の看板" width="270" height="155" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　「壺中居」の看板</span></div><p>　そういう會津先生の揮毫による看板があります。これは日本橋の有名な古美術商「壺中居」の文字です。秋艸道人とあるのは會津先生の雅号ですが、この文字、いかがでしょうか。「はねとめっ」という筆の穂先を全部文字の線の中にしまい込んだような、やはり方筆といった感じが、私にはするのですが・・・。</p>]]>
        
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    <title>レトロフューチャーの文字1</title>
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    <published>2007-10-13T09:35:57Z</published>
    <updated>2011-04-24T10:55:50Z</updated>

    <summary> 「蘭奢待」：神田神保町にて 　「町まちの文字を訪ねて」の今回は、最新感覚であり...</summary>
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        <category term="No.03：レトロフューチャーの文字" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[
<div style="float: left; margin: 15px 0px 5px 0px; padding: 4px; width:520px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="蘭奢待" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_01.jpg" width="520" height="297" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="cap2">「蘭奢待」：神田神保町にて</span></div>
<p>　「町まちの文字を訪ねて」の今回は、最新感覚でありながら、なおレトロな懐かしさをたたえた文字を、というよりは、レトロな文字こそ、この時代の最新感覚であり、従って人々の心を強くとらえることが出来るのだ、とでもいうような、いわば確信犯的レトロ文字を訪ねてみましょう。</p>

<div class="sub2">--　ええっ！ 焼き鳥屋がなぜ？ 蘭奢待　--</div>
<p>　まず実物を見て頂きましょう。先日も東京神田の神保町界隈の書店を素見していて、ふと「蘭奢待（らんじゃたい）」という看板、しかも焼き鳥屋のそれをみつけました。蘭奢待ってあの、世にも名高き名香の蘭奢待か？ そして何で焼き鳥屋の屋号が蘭奢待なのだ。という疑問が思わず私を引きつけます。この店は何でも秋田の比内鶏、例のきりたんぽには欠かすことの出来ない鶏肉を使っているというのだが、よほど香ばしいに違いありません。しかしそれはいいとしても、問題はこの看板の文字です。筆先が目一杯くねっています。文字にそういう身振りをさせることで、人目を引こうという魂胆なのでしょうが、お見事です。これはまさに空海の飛帛（ひはく）、雑体書。つまりかなりレトロなのですが、そのユーモラスで強烈な文字そのものの体臭、これが生半なことでは驚かない今時の若いサラリーマンや学生達の心を捉えるという読みなのでしょう。</p>

<p>　これはほんの一例に過ぎませんが、文字を書く側、その看板を掲げる店の態度の側に、この「レトロこそ！」という思い入れが見られる様に思うのです。これは看板だけでなく、食品その他のパッケージにもどんどん現れて、中には筆文字でさえあればパンチがでると思い込んだ見るに耐えないようなだらしない感じのものもあるのですが・・・。ここに至ってはもはや「レトロ」などという言葉そのものがすでに無いのかもしれません。</p>
<p>　ところで『蘭奢待』ですが、よく見てゆくとまず「奢」の日の字の筆の運びが、煙が渦巻くように、それに「待」の最後の筆の行く先が、まるで煙が宙に漂って、黄昏の街に流れ出してゆくみたいです。筆運びの順序に従って、そうした書き手の身体的な生々しい動きとともに、そう見えないでしょうか。およそ焼き鳥屋の屋号に『蘭奢待』という不似合いな言葉を掲げるオーナーの、つまりレトロフューチャーな心意気を人々に納得させる、説得力が無理なく伝わってきます。それに今の横書き風に、左から右へ書かれています。昔なら「待奢蘭」と書いたでしょう。下で紹介している長谷寺の扁額を見ても、「寺谷長」と書かれています。</p>
<p>　その上に最近の繁華街では、昨日新店が開店したかと思うと、何時の間にかまた新しい店に代替わりしている、といった昨今のはげしい飲食店事情があって、そういう繁華街にはどうしても有名なチェーン店がどしどしと進出してきて、街の表情を非個性的なものにしてしまう、という面もみられるわけで、そういう非個性的な中で、いわば一匹狼であるこうした店では、コンセプトも、従って看板も勢い工夫を凝らされたものが出てくるわけです。生半可のことでは人目に留まりません。</p>
<p>　もっともこの手の表現の誇張というのは、何も今に始まったことではなくて、江戸時代の滑稽本などにもこんな言い方をされています。</p>

<p class="quo">　「大道直（だいどうなおう）して髪結床（かみゆいどこ）必ず十字街（よつつじ）にあるが中（なか）にも、浮世風呂（うきよぶろ）に隣（とな）れる家（いえ）は、浮世床（うきよどこ）と名（な）を称（よび）て連牆（のきならび）の梳髪舖（かみゆいどこ）。間口（まくち）二間（けん）に建列（たてつらね）たる腰高（こしだか）の油障子（あぶらしゃうじ）。油で口（くち）に粘（のり）するも浮世（うきよ）と書（かき）きたる筆法（ひっぽう）は、無理（むり）な所に飛帛（ひはく）を付（つけ）て、蝕字（むしくひ）とやらん号（なづけ）たる提燈屋（てうちんや）の永字八法（えいじはつぽふ）・・・」（『柳髪新話浮世床』初編巻之上／式亭三馬／小学館日本古典文学全集）</p>
<p>　飛帛とは掠れ書き、そういう表現を専らとする書法のことで、つまり浮世床の看板は、掠れなくてもいいところに無理に飛帛を付て表現を誇張したやりかただと揶揄されています。これは前に申しました、私の『町まちの文字』という本の中に入れたものです。しかし「無理な所に飛帛を付て・・・」などというわりには、この時取材した文字たちは、いまにして思うに、どれも、古さとか、書道の持つ古典的な雰囲気をかりて、その店の由緒ある歴史とか品格を演出しようとする、至って素直なものでした。もちろん今でも屋号を筆書きにしている店の多くは、そうしたものが大半です。ですから基本的にはこの町まちの文字探索の旅自体がすでにレトロという感を免れないものですが、その時の私の心の中には、この激しく移り変わる文明社会にあって、人々の心の奥深くに潜んでいて、当の本人さえも忘れ去ってしまっているようなセンスの一つとして、古い感覚の文字を訪ねて、そこに込められた前近代の心性の身振り、とでもいうものを、すべて新しさこそが美徳という現代社会に差し出してみよう、といったような気分があったのです。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_03b.jpg" title="南無妙法蓮華経"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_03.jpg" alt="南無妙法蓮華経" width="210" height="280" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">　「南無妙法蓮華経」：栃木県宇都宮市にて。文字の身振りが他の種字よりは鋭く直線的に見えるが・・・。</span></div><p>　それでも今回ここで取り上げる文字のように、レトロこそ最新感覚、という視点は無かったし、またそういう看板や文字も、私には見えなかったのです。そのことに私は、４０年にわたるこの文字の旅の、歴史的な変化を読み取る思いです。</p>

<p>　しかしこういう書体というのは何も今に始まったことではなく、超現実を旨とする神社仏閣の扁額の類いにも無いわけではありません。その道で、何といっても有名なのは空海の雑体書ですが、そんな大変なものでなくても、それに類したものは、ちょっとその辺を歩けばすぐに出会います。いちばんポピュラーなものは、日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」のあのひげ文字です。筆遣いは起筆から強さが走り、確りと止めていますが、そのスピード感だけでなく、一方で筆は思いっきりたゆたって、宙に漂い出しています。また「華」という字の中身はくるっと渦巻きを作ってさえいます。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_04b.jpg" title="長谷寺"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_04.jpg" alt="長谷寺" width="280" height="210" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">「長谷寺」：長野県長野市篠ノ井にて</span></div><p>　次の長谷寺（はせでら）はいかがでしょうか。これは長野県長野市篠ノ井地区で出会ったものですが、この寺は信州１８番札所です。大きな屋根をしっかりと支えている字様の身振りが、派手な緑色と枠の金彩と映えて見事です。谷という文字の頭が鳥が向き合った形をしています。これは八幡様の八の字などによく見られるものです。寺の字の下の「寸」の終筆が渦を巻いて、何事か不思議を呼び込むような勢いです。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;" class="pg"><a href="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_02b.jpg" title="梵字"><img src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo03_02.jpg" alt="梵字" width="210" height="280" border="0" /><br /><img alt="zoom" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/common/images/zoom2.png" width="105" height="16" border="0" style="vertical-align: middle;" /></a><span class="cap2">「梵字」：青森県深浦で出会った円覚寺に掲げられた真言の文字は、この寺の本尊である十一面観世音の種字。この文字自体がこの本尊仏の象徴になっていて、その身振りがこの宇宙に遍く染渡るようだ。</span></div><p>　しかし、これは筆勢とか、飛帛とかいった気合いで見せるのではなく、一種の図案的なものがあります。筆の勢いではなく、図案的な形で見せようという意図がみられます。つまり先の「南無妙法蓮華経」のあのひげ文字もそうですが、長谷寺という文字そのものが、単なる意味を伝えるものではない、聖なる象（かたち）として、人々の礼拝の対象となっています。その一つ一つが仏の象徴となっている梵字の種字も同じことで、この長谷寺は真言宗ということですから、寺域全体がすでに他の顕教とはひと味違う、神秘感が漂っているのです。山号は金峰山。わが愛する孫悟空でもひょっこり現れてきそうな、何となくそんな嬉しい予感さえします。しかし悟空が生まれたのは花果山の石から生まれたのですが、悟空は西遊記では「金公」と呼ばれて金と火の性質を備えた聖獣です。まあ、単なる連想にすぎないのですが・・・。（<a href="http://www.cafe-nous.com/font/2007/10/2.html">レトロフューチャーの文字2へ続く</a>）</p>]]>
        
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    <title>レトロフューチャーの文字2</title>
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    <published>2007-10-12T09:49:28Z</published>
    <updated>2010-04-30T12:48:00Z</updated>

    <summary> ★1 「蘭奢待」：神田神保町にて　前回の「蘭奢待（らんじゃたい）」★1には後日...</summary>
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        <category term="No.03：レトロフューチャーの文字" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/font/">
        <![CDATA[<br />
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="神田神保町" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo04_01.jpg" width="210" height="135" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★1 「蘭奢待」：神田神保町にて</span></div><p>　前回の「蘭奢待（らんじゃたい）」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★1</span>には後日談があります。あの記事を読まれた東京の I さんという方から、下のようなメールを頂戴致しました。それは「何で焼き鳥屋の屋号が蘭奢待なのだ。」の私の違和感を拭い去ってくれるものでした。</p><br /><br />

<p class="quo">　神保町の裏通りで「蘭奢待」をご覧になられたのですね。あの店は私のごく親しい酒仲間が作ったもので、われわれに近い限られた銘酒を提供することをコンセプトに７〜８年前開きました。愛知「九平次」「義侠」、岐阜「醴泉」、高知「酔鯨」、静岡「開運」など東京では珍しい品揃えをしておりました。近年、経営者が変わり焼き鳥屋になってしまい・・・。<br />
　さて、件の「蘭奢待」はご推察の通り正倉院の御物から名づけました。東大寺をうまく隠すウイットがいいですね。</p>

<p>　メールはまだ続くのですが、そうか、看板はそのままで焼き鳥屋に代替わりしていたのです。そのメールではさらに、岐阜の「醴泉」に件の「蘭奢待」という名の銘酒があること、そのラベルの文字もなかなかいいのですが、同じ岐阜に住む舘さんという方の揮毫（きごう）だそうで、神保町の「蘭奢待」もその舘さんの染筆（せんぴつ）によるものだ、ということを教えてくれました。</p>
<p>　 I さんも指摘されているように、東大寺という文字が隠されているこの「蘭奢待」は、沈香のなかの最高級品である「伽羅」の古木だそうです。伽羅＝最高級、という比喩は、モノの本によると、江戸時代の俗謡に</p>
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 15px 0px 20px 20px;">伽羅の香りと　この君さまは・・・</div>
<p>　と謡われて、自分のいい人を最高の香木「伽羅」と並べてみせたり、街行く美男、つまり今云う"イケメン"を「伽羅様」などと呼んだりしたのだそうです。</p>
<p>　ところで「蘭奢待」の、言葉の意味はよく知りませんが、同じ音の蘭麝という熟語があって、字義からいえば蘭は植物の、麝は動物性の、いずれも最高の香料で、それを二つ並べて、香り高い高貴なもの、というような意味があるそうです。これはまったくの当て推量ですが、それから推して、「香り高く贅沢（奢）な待（もてなし）」といった感じでしょうか。そうだとすれば確かにそのように凝った銘酒、思い入れを込めた呑み屋の屋号なら似合いそうです。しかしそれにしても名付ける側の思い入れの重さがひしひしと伝わるような物語ではありませんか。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="和伊の介" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo04_02.jpg" width="280" height="210" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★2 「和伊の介」</span></div><p>　名付けに込めた思い、ということで、最近飯田橋付近で見かけた「和伊の介」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★2</span>というレストランの傑作な看板は、まずこの字様の異様さに目を奪われます。と、同時に「和伊の介」という奇異な屋号。えっ「わいのすけ」？　一体何のこと。誰かの名前にしてはいささか変な名前ですが、変といっても「きんすけ」といった呑み屋、シンスケという寿司屋もあることだし、「ますのすけ」という魚もいます。先に"名付けの重さ" と書きましたが、「わいのすけ」という名前をこの店に与えた経営者の気持ちの在り処は？　或はもっと若者風に"わいわいと皆で楽しむ「わいのすけ」"、今という時代ならそんな名前もアリかもしれません。しかし、ふと看板の文字をよくみると、「和伊の介」の文字の上に「炉端いたりあん」とおどけた文字で書かれているではありませんか。そうか「和風伊太利亜料理」のことだったのか。蘭奢待に東大寺の文字が隠されているように、こちらは、日本と伊太利亜を、ぎゅっと縮めてこの店の料理のウリを、店名として編み出した、ということのようです。</p>

<p>　ところで本題の文字のことですが、この筆運びの異様さ、書道では線の表情を云うのに「肥痩」という言葉がありますが、しかしこれは到底そんな尋常なものではありません。細い画はなにげにひょろひょろと遠慮がちに伸びています。太い画はもくもくっと何かが這っているようで、全体としてどこかおどけた表情をたたえています。果たして一本の太い筆でこの極端な肥痩を書き分けたというのでしょうか。「の」の字に注目してみると、一本のかなり太い筆を操って、まず真ん中の太い線を書き下ろしていって、次第に力を抜きながら、気持ちを穂先に集中させて、上に向かう円の外周の部分に入って行って、すでに書いた右側の「伊」を微妙に避けながら細く途切れそうな線になって上行しています。そして再び太さを増しながら円の頂点に達し、やがて下降に転じ、そこからは一気に膨らんで、まるで下降結腸みたいにむくむくとして動いて静かに止めています。そう見てくると、俄に起筆の穂先の神妙な打ち込みが際立ちます。見事です。和ののぎへん、伊のにんべんや隣の尹のはらいなどの起筆の筆のばらけが、なんとなく七、五、三に見えるのも殊勝です。この文字は、もしかしたら、イラストやタイポグラフィーを書くように作っているのかもしれない、とも思えてくるのです。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="しゃら亭" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo04_03.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★3 「しゃら亭」</span></div><p>　次に「しゃら亭」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★3</span>という無国籍料理を標榜する店の看板です。「しゃら」という音からすぐに浮かぶのは娑羅ですが、そうとすれば両側の漢字からしても、全体に東洋的な匂いがしてきます。その漢字も面白いことに一画づつが切り離されていて、かしこまった漢字なりに思わせぶりな身振りたっぷりです。真ん中の赤い屋号の文字の身振りとは反対に、もっと筆太で剽軽な身振りです。</p><p>　それから亭の起筆のなべぶたや口は極端に右肩上がりに書き始めながら、下の丁で平衡をとり、その縦画は体をきゅっと反らせて身振りを誇張しています。もうひとつ面白いことに、うっかりすると全体で一つの文字の偏と旁であるかのように見えるのも、この文字の表情を作り出しています。そういう一種のデザイン感覚ともいえる配慮が、普通の筆文字とはひと味違った、そして明朝体やフォント文字ではもちろん味わえない、新鮮なメッセージを発しています。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="どんと" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo04_04.jpg" width="210" height="234" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★4 「どんと」</span></div><p>　左は「どんと」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★4</span>という、魚に特化した、マグロその他の丼もの専門の店のマークに使われている「魚」の文字。篆書（てんしょ）をデザインソースにして、人目を引いています。篆書というのは線に肥痩を作らず、今で云えばデザイン的な感覚の文字ですが、それを普通の書道の文字のような筆遣いで、どこか人間的な表情を作り出しています。</p><p>　茅場町から永代橋へ向かう道筋をちょっと八丁堀の方へ折れたところにある店ですが、方々で見るのでチェーンストアなのかもしれません。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="食神" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo04_05.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★5 「食神」</span></div><br /><p>　最近、市谷駅付近の外濠通り沿いに開店したちゃんこ料理屋の看板「食神」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★5</span>は、いっそうデザイナーの関与を感じさせる文字です。前回揚げた江戸の滑稽本よろしく、まさに「無理なところへ」思いっきり「飛帛を付け・・・」て、その面白さを強調しています。いったん筆の線を要素的に分解して、改めてその魅力的な要素を集めて、一種の装飾文字として組み立て直している、といった感じで、まことに見事です。良の頭の点とは形を変えたしめすへんの赤い点もチャーミングです。</p>

<p>　次回は暮れのカレンダーシーズンに向けて、ある建築会社が毎年作っている、世界の文豪や大芸術家の筆跡を集めたカレンダーを取り上げます。</p>]]>
        
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    <title>表札鑑賞の楽しみ</title>
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    <published>2007-06-21T09:10:36Z</published>
    <updated>2010-04-30T12:50:08Z</updated>

    <summary>--　表札鑑賞の楽しみ　-- 　町を散歩する楽しみの一つに、家々の表札に思わぬ美...</summary>
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        <![CDATA[<div class="sub2">--　表札鑑賞の楽しみ　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo02_01.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo02_01.jpg" width="210" height="158" class="mt-image-none" style="" /></span><br><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo02_02.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo02_02.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　町を散歩する楽しみの一つに、家々の表札に思わぬ美しい文字に出会うという楽しみがあります。私の東京の住居は、新宿区のちょうど神楽坂の近くにあるものですから、この古くから栄えた花街は、何かの用のついでにとか、食事やお茶をしたり、あるいは散歩の足を伸ばすとか、かなり足しげくふらふらと歩きます。この辺にはまだ古い家もかなり残っているし、大通りは別としても、一歩裏道に入ると小粋な料亭や小料理屋、呑み屋が立ち並んでいます。そういう店では看板も大仰なものではなく、やはり小粋なしっとりとしたものが多く、そういう店店に交じって一角曲がると「新内横町」などと、飄然とした文字が息づいているのに出会います。新内節教室の、看板というにはあまりにもささやかな看板です。そこをもう一つ曲がると「鶴賀／高橋」と洒脱な文字の表札。鶴賀といえば新内の流派で、これはその太夫さんのお宅でしょうが特に｢賀」の下の貝の下のちょんちょんを極端に長くとって、何かがふっと抜けて通るような字様です。こういう表札に出会うと、全く嬉しくなってしまいます。</p>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo02_03.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo02_03.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　江戸時代三味線の音を「淫声」と云った、と伝えるのは江戸学者の田中優子氏ですが（『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309473385?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4309473385">江戸の音</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4309473385" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』河出書房新社刊）、この新内節こそ正にその淫声の極み、と云えるのではないかと、これは私の独断ですが、そう思います。この神楽坂の細い、水を打った路地を、連れ弾きを伴った新内語りの二人連れが、三味線をつま弾きながら流して歩く、そんな姿を目にしなくなって、もうかなりの時代が過ぎました。しかし、こうしてその芸が脈々と今に受け継がれているのは感激です。次の「新内協会」というのはそうした伝統芸を支えている組織のことでしょう。拭き漆を掛けたようなそれこそ渋い色の塀を背景として、生き生きと息づいています。</p>

<div class="sub2">--　蒲鉾の板　--</div>
<p>　その渋い塀の色を背景にして、表札の素材もこの文字を、文字たらしめている要素の一つかと思われます。表札の大きさは大体縦20cm横9cmほどのものですが、素材は大体が木で、いちい、さわら、さくら、ひば（あすなろ）、えんじゅ、ひのきなどが主なものでしたが、その他に陶器や銅、中には名刺をそのまま玄関に画鋲で貼付けたモノもありました。しかしもう一つ、庶民の間では隠れた、しかしかなり一般的な素材がありました。それは蒲鉾の板です。</p>
<p>　その昔、といっても今から40〜50年ぐらい前の事ですが、同じ神楽坂に柳家金語楼というエノケン、古川緑波と並ぶ喜劇役者が住んでいましたが、テレビのまだ無い時代でしたから、その金語楼の漫談をよくラジオで聴いたものです。ヤマシタ・ケッタロー（山下敬太郎）と自分の本名を呼ばわるその体験から編み出した兵隊落語は、子供たちにもなかなかの人気がありました。それとは別に、今でも覚えている表札の場面があります。のっぽで近眼の男性が、友達の引っ越し先を訪ねるというのですが、一軒一軒の表札を、ぐっと顔を近づけて名前を読みながら探し廻るのです。やっと目指す友人の家を探し当てるのですが、近眼氏がぐっと目を近づけたとたんに、「む、なんだこりゃ、魚の匂がするな！」というギャグ。新所帯の蒲鉾の板を利用した真新しい表札だったので、まだ魚の匂いが残っていた、というわけです。何度聴いてもおかしくてみんな笑ったものです。</p>
<p>　そしてこれがおかしいのは、われわれの回りにそれはよくある事、もしかして今笑った自分の家もそうだったからです。始めて所帯を持ったときに、玄関に掲げる表札には誰でも、少なからぬ思い入れがあるものです。たとい蒲鉾の板であっても、かな釘流でも、その家の主が自分で認めたものなどに出会うと、こちらもともに生きているという共感が湧くものです。所番地が初めに書かれているのや、奥さんの名前が小さく寄り添うように書かれていたり、なかなかいいのです。</p>

<div class="sub2">--　方階級？　--</div>
<p>　わたしが生まれたのは、世に云う昭和の世界大恐慌の真っ只中で、その余波はしばらく続いて、大学を出たけれど、所帯を持っても家を一軒借りることが出来なくて、間借りとか寄食に甘んじる人々が随分居たのです。例えば二階を間借りに出すとか、玄関横の四畳半を、とか離れとかを、他人に貸すのです。当時、階級社会とか無産階級といった言葉の流行と同時に、それをもじって「方階級」などというスラングが流行ったのです。つまり手紙の宛名に常に、「誰々方」と書く、そういう身分という事ですが、その家の表札の下に名刺や厚紙に自分の名前を小さく書いて張り出すのです。「方階級」。ついでながらデモクラシーをもじったモトクラシーというのもありました。「灯台下暗し」という意味です。これらはれっきとした新語辞典に掲載されていたのです。</p>

<div class="sub2">--　神様の表札　--</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:320px; background-color:#333333;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo02_04.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo02_04.jpg" width="320" height="197" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　長野市内にちょっと「変わった表札あり」との知らせを受けて、早速飛んでいきました。「神様の表札」だというのです。神様の表札といえば神社の扁額の類いかと思いきや、なんと普通のいわゆる表札。これは街によく方位方角を観たり、姓名判断、祈祷をするような人がいるものですが、この家もそういったいわゆる易断所、祈祷所というものでした。私が来意を告げていろいろとお尋ねしましたが、全部で8枚の札が並んでいる右端は住所、次が神様の本名、次の三枚目は家族、次からはその時時の自分の運命を自分で占って、つまり姓名判断によって改名していったものです。真木田晃義、晃という字は日＋光で何となく太陽神をイメージしているような感じですが、これはよほど気に入っているようで、次からは姓の方は色々に変えるのですが、この晃義だけはずっとこれで通しています。右から5枚目の文字は棚田と読めるのですが、不思議なことに木へんではなくのぎへんです。それも文字の画数を合わせるための方便によるのだそうです。姓名判断ではよくそういうことが行われていたようで、例えば、本来は点が無い文字でも、縁起の良い画数に合わせるためにわざわざ点を一つ付けておく、といったようにです。</p>
<p>　そして次のは、いかなるご託宣によるものか、突然画数を減らして本田に。そして一番左の二枚は、いよいよ神様らしくなってきて、なんと天國（てんくにではない）そしてさらに天神、と、つまり自分自身が天の神様になってしまったのです。この二枚の天の文字の第一画の横画の長さが違うことにも、おそらく運命的な拘りがあるのでしょう。</p>
<p>　私が訪ねたとき、神様は確か70代前半といった感じでしたから、この表札の左右では30年ほどの年月が経っているように思います。</p>

<div class="sub2">--　フォント文字の表札　--</div>
<p>　ところがこのごろ、この表札の事情にかなりの変化が起こって、その楽しみも少なからず減少させるものがあります。というのは、このごろの住宅事情が非常に向上したためか、或は建築の素材が多様になったために、この表札がどの家のものも立派になった、なり過ぎた事です。例えば材質も大理石とか、何かその他の美しい縞目をもった石の板に、大方は陰刻で、非個性的な楷書、中にはコンピュータのフォントをそのまま使ったのではないかと思われるようなものも見られる始末です。これは例えば建て売り住宅や、建築会社のデザインモデルの中に、表札のサービスとして最初から組み込まれている、と聞いたことがありますが、ありそうなことです。立派になったのはいいのですが、そのようにどの表札も画一化されたものになっていることです。ちなみにデパートやネットの表札揮毫では実にさまざまのデザインの表札が並べられていて、しかしどれも同じような顔をして並んでいます。中には書道の個性的な文字の見本まで用意されているのですが、それがまた、同じものが何処にでも並んで売られている、といった始末です。その家に住む人の個性とか人となり、もしかして人生を感じさせるようなものがなくなりました。それでは楽しみはありません。</p>
<p>　そのお陰で表札が真っ黒に古びてしまって、肝心の文字が読めなくなって、郵便屋さんを手こずらせるようなことも、これならば無さそうです。同じようなことですが、やはり古びた表札で、表札本体は風雨にさらされてそげ落ちるように痩せてしまっているのに、文字が墨で確りと書かれているために、文字の形そのままに、そこだけが腐食せずに盛り上がっている、そういう表札を見るというのも、また感動的です。書道の事を一名「入木道」といいますが、なんでも板に書かれた空海の文字が、かなりの深さまで深々と染通っ出ていた、という故事からそう呼ばれることになったのですが、そのままの出来事です。そんな表札に出会うと、自然と闘う強い意志のようなものを感じて、多いに共感するのです。</p>]]>
        
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    <title>夏暖簾と初鰹</title>
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    <published>2007-06-06T09:12:36Z</published>
    <updated>2011-04-24T07:47:06Z</updated>

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        <![CDATA[
<div class="sub2">--　プロローグ　--</div>
<p>　私は画家ですが、写真家でもあります。といっても極めて特殊なもので、それは商店の看板とか暖簾、或は寺社の扁額とか石標といった、いわば書道という芸術からこぼれ落ちた書ー文字、とでもいえるものを、町からまちを訪ね歩いては撮って歩く、といった写真家です。画業とともにそんな仕事を、もうかれこれ４０年も続けてきました。そしてそれは、既に２０年前に「町まちの文字」と「祈りの文字」という二冊の写真集にさえなりました。しかし世の中にはそういった文字は無数にあり、また年々変化してゆく、芸術の書と違って、いわば消耗的な面もありますので、それで終わりというわけにはいかずに、その以後もずっと続いていて、画業と並んでもう一つのライフワークとなっています。</p>

<p>　これから月一回ほどで、そんな"文字への旅"の中から面白いものをご紹介致しましょう。</p>

<div class="sub2">--　夏暖簾と初鰹　--</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_01.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_01.jpg" width="210" height="158" class="mt-image-none" style="" /><br /><span class="cap2">★1 「三州屋」：三州屋は飯田橋の交差点に架かる横断陸橋の下の路地をちょっと入ったところの呑み屋で、元々は紺染めに白抜きです。</span></div><p>　５月〜６月は世に云う「更衣」の季節。行きつけの呑み屋もそろそろ夏暖簾に代わって、そんなこざっぱりとした感触を、手の甲で分けながら潜る味わいは何とも云えないものです。</p>

<p>　草体で軽やかに書かれた「三州屋」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★1</span>の特に州の字。起筆をいちいちストンと落とさないで、全体のリズムの中で生み出すような線に、まことに好もしいものがあり、人目を引きつけます。三州屋とはもしかして主が三河出身なのかもしれませんが、おそらく同郷の客は故郷でしょう。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_02.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_02.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★2 「京八」：京八は永代橋東詰めから茅場町へちょっと寄った角にある小料理屋で、ふだんは柿暖簾で文字は白抜きですが、この夏暖簾の文字は白地に墨です。</span></div><p>　「京八」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★2</span>のほうはそれとは反対に起筆から終筆をしっかりと運び、全体にどっしりとしたものがあります。特に八という字の払いの起筆の形がごつっとして、そこからゆったりと払ってゆく筆遣いに好もしいものがあるうえに、八字の中心で暖簾が割れていて、風の動きで八の字が異常に割れたりデフォルメされて面白い効果を出していて、思わず見とれてしまいます。</p>

<p>　暖簾や看板など、どの店でもこの"字様"というものには、何がなしその店の、ポリシーという程ではないにしても、商売をしてゆく上での主人の気っ風のようなものが、巧まずして現れているように思えるのですが、客はその文字に込められた気っ風に魅せられて暖簾を潜ります。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_03.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_03.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★3 「鰹塚」</span><br>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_04.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_04.jpg" width="210" height="158" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★4 東京・築地の「鰹節問屋の暖簾」</span></div><p>　そして初鰹。東京は佃島の住吉神社の境内で「鰹塚」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★3</span>という巨大な石標に出会いました。２メートルは優に超そうという大きなもので、雄渾な文字が深々と刻まれて、見るものの胸を圧します。</p>

<p>　しかし字様はその割にはどこか厳めしくないのは、解説によると、もともとこれが此の島の回船問屋衆の建立になる、という、つまり政治とか権力をダイレクトに表徴するものではないためかもしれません。</p>

<p>　そのせいか、例えば偏の「魚」ひとつにしてもその運筆が、どことなく軟らかく、下の烈火なども四っつではなく三っ点に省略<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★4</span>するなど、それは間々あることですが、それが例の魚河岸のロゴ程ではないにしても、ふとそれを思わせる定型的なところがあったりするのです。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_05.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_05.jpg" width="210" height="267" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★5 魚がしと書かれている「賽銭箱」：日本橋一石橋近くの神社の賽銭箱にこんな金ぴかのロゴが。</span></div><p>　ついでながら魚河岸のロゴ<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★5</span>ですが、よく見ると筆の掠れの表現が７筋、５筋、３筋と、つまりすべて七、五、三と、縁起のいい奇数に書き分けられて、極端に様式化された身振りになっています。これは何も魚河岸のロゴばかりでなく、商家のロゴでも近代的なモダンなデパートの例えば「三越」とかの商標にさえにも見られることです。</p>

<p>　先述の「京八」の文字もよく見ると、これも払いや撥ねの筆のバラケや掠れを全て奇数の３筋にしています。</p>

<p>　先の鰹碑のある住吉神社には他に写楽の碑や江戸川柳の水谷緑亭の碑があります。初鰹と云えば緑亭とは関係ありませんが、こんな句があります。</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 20px 0px 20px 20px;">二代目の　伊勢屋　近江屋　初鰹</div>

<p>　これは二代目ともなると創業者の苦労を忘れて、すでに初鰹に代表される贅沢を始めた、というものです。神奈川沖から八丁櫓で飛ばして運ばれてくる初鰹。そのうちの何本かは決まって殿様に、もう一本は有名な歌舞伎俳優が、次に料理で名高い八百善、そしてこうした大店が引き取るのだそうですから、高価なこと間違いありません。</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 20px 0px 20px 20px;">爪で火を　灯す後から　倅　消し</div>

<p>　などといったようなことが起こって、創業者が折角汗水流して残そうとして身上ですが、そばから道楽息子がそれを水の泡にして、創業者は苦労の上塗りを強いられることになります。それがついに</p>

<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 20px 0px 20px 20px;">売り家と　唐様で書く　三代目</div>

<p>　といった仕儀に成り果てて、ここで我が「文字探索」の領分に入ってくるのですが、三代目当主ともなると、たとえ没落しても自分の文化的ステータスとしての、せめてもの「唐様」という書法へのこだわりの有様をこの川柳は、まことにシニカルな笑いを以て描いています。ここで云う「唐様」というのは｢和様」に対するもので、この時期、明末清初、亡命ないしは旅行で長崎へ訪れる中国文人たちの書のスタイルが、その時代の日本の「唐様」という書の流行を創りだしたと云われています。</p>
　
<div style=" color: #8b4513; font-size: 15px; padding: 20px 0px 20px 20px;">詩は詩仏　書は鵬斎で　狂歌俺　芸者小勝で　料理八百善</div>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_06.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_06.jpg" width="210" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★6 鵬斎の楷書「戊辰臘八大雪賣酒」部分：書道全集より</span><br><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_07.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_07.jpg" width="210" height="287" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★7 鵬斎の草書（部分）：平凡社書道全集より</span></div><p>　これは狂歌師太田蜀山人の作です。確かに亀田鵬斎は時のスター書家ですが、その書法は今述べた明代の文人の影響を強く受けたような、文人趣味をにおわせる楷書<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★6</span>もなかなかいいのですが、一方で晩年には、唐の懐素を学んだり、それをベースとして良寛の書に心酔したりして、楷書とは対照的に少なからずアブストラクト。躍るような草体<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★7</span>を特徴とし、特に懐素も鵬斎も酔狂の書人といわれ、常に酔余のうちに書をモノした、と云われています。どちらも容易くは判読しがたいものですが、江戸人の気質を満足させるところがあったのでしょう。そういう時代の文化圏での三代目の「唐様」です。</p>

<p>　ついでながら「詩仏」とは大窪詩仏、この人の書も詩人の文字らしく剛胆なものがありなかなかいいのです。「狂歌おれ」のおれとは俺、此の歌の作者太田蜀山人＝大田南畝。「小勝（こかつ）」とはあの「おせん泣かすな　馬肥やせ」とともに有名な「ダンナハイケナイ　ワタシハテキズ」の電文の主、日本橋芸者の小勝？ しかし活躍した年代がちょっとずれるように思えるので別の小勝かもしれません。</p>

<p>　「八百善」は江戸は浅草三谷にあった、当時の文化人のサロンであった高級料亭です。此の手のサロンは時に、例えば今で云う「アリ研」のような会とか、書画の展示会なども行っていたようですから、ときには鵬斎の書の展覧会も当然開かれたでしょうし、或は川柳の云う三代目の書の先生などもここで発表会をしたかもしれません。そのおりには、店の商売をよそに出入りしてはいささかのパトロネージもしていた、というのもあながち空想とばかリは云えないようです。</p>

<p>　私たちがまだ子供だった昭和の初め頃、不動産屋などという便利なものが無かった時代には、どこの街にもこの文字、つまり『売り家』とか『貸家』と書いた半紙大の貼り札をよく見かけたものです。これは決まって斜めに貼ってあるのが習いで、だからこの唐様、ミミズののたくったような字では、いくら唐様を気取っても誰も読めないかもしれない、と、筆を持ちながらも当の三代目の心をふとそんな心配が過ったかもしれません。でも斜めに貼りさえすればいいわけだから、と、思い直して一気に書き上げたことでしょう。今で云えばビルの前に「テナント募集」などとワープロの文字で貼られるところです。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_08.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_08.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★8 「住吉神社」</span></div><p>　住吉神社にはもう一つの見るべき文字があります。それは鳥居に掲げられた珍しい陶板の扁額に染め付けで書かれているの文字です<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★8</span>。住吉神社というと、私などにはどうしても夏の神社という感じがあります。多分祭りが八月にあって、それが水を掛け合いながらの勇壮な神輿渡御があるからなのかもしれません。その夏の社にはぴったりの清々しい扁額です。</p>

<p>　此の文字の書家は脇にあるように、一品幟仁親王。これは明治の皇族、一品つまり皇族の第一位で即ち一の宮、有栖川宮幟仁（たかひと）親王のことで、書道の方では代々伝わる有栖川流という書法を大成させたことでその名前があります。此の他に広島の厳島神社の大鳥居の扁額の染筆もしています。此の流派の書法は、先年亡くなられた高松宮妃喜久子殿下に伝わっているということを最近知りました。私はよく殿下のサインに接する機会がありましたが「き<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">※</span>久子」と書かれる字様が、殿下の出自が徳川の御姫様ということもあって、てっきり御家流と思い込んでいたのですが、それは全体にぼってりとした行書のそういう字様なのです（<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">※</span>「き」の字は、漢数字の「七」を「品」の字のように3つ組み合わせた「喜」の草書体）。</p>

<p>　さて此の扁額の文字ですが、今も云ったように、社号の文字が陶板に呉須の青い釉薬で書かれています。親王の生年が1812年、没年が1886年、明治17年ということですから此の扁額は、その４年前の74歳の、最晩年の染筆ということになります。</p>

<p>　起筆終筆が極端に誇張された感があります。陶板には私も幾つか書いた経験がありますが、慣れないととても書き難いものです。普通の書道の筆ではなく、釉薬専用のダミフデという少し太めの軟らかい、穂先の長めの筆で書くわけですが、そうだとすればなおさらです。いずれにしてもたっぷりと釉薬を含むことの出来るような筆を、呉須の容器にどっぷりと浸して、なるべくたくさん含ませて書くわけです。それは一画ごとにくたんくたんとして、なかなか上手く線が引けません。その上に書く傍から素焼きか更に本焼きをした陶板が、釉薬の水気をすうっと吸い取ってしまって、次の画へと繋げる運筆のリズムを取り難いものです。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:210px; background-color:#333333; color:#ffffff;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="fo01_09.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/font/images/fo01_09.jpg" width="210" height="280" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap2">★9 「住吉神社」：文字部分拡大</span></div><p>　中心の「住吉神社」<span style="vertical-align: super; font-size: 11px;">★9</span>という社号の文字などは、かなりたっぷりと釉薬を含ませて、それぞれの画の起筆、終筆をしっかりと押さえて、鳥居という高所にあって、神威を伝える文字に相応しく、かなり誇張して書かれています。</p>

<p>　全体として、始めの「住」がいちばん大きく大小、大小とリズムを取りながらしっくりと納めているのですが、画と画を繋ぐ筆の運びが「住」の旁りや「神社」の示へんに、筆者の呼吸づかいが聞こえてくるようで、此の文字を生きたものにしています。</p>

<p>　それから両脇に書かれた年号と署名では、釉薬を少し薄めて書いているために、青の色がかなり明るく出ており、運筆の様もかなりリズミカルに滑らかです。そして、神社の扁額ということと、陶板という特殊な支持体に書くために起こった、力の誇張ということが、この流派の書法のいわば「骨」を、より明らかに見せているように思うのです。</p>

<p>　額縁に当たる部分の雲紋はもちろん専門の絵付け師のものでしょう。それにもう一つ、此の扁額全体を覆っている、保護のための美しい金網も見モノの一つです。それもよく見ると、中央の陶板の部分の金網は七宝紋に、回りの額縁の部分は麻の葉紋にと編み分けられていて、なかなか芸が細かく、凝った造りを見せています。</p>]]>
        
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