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    <title>亀甲館だより</title>
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    <title>「和仁栄幸の酒器」展</title>
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    <published>2008-06-27T04:48:01Z</published>
    <updated>2008-06-27T11:10:45Z</updated>

    <summary> 「和仁栄幸の酒器」展のご案内 ［展示期間］2008年6月27日〜7月1日 ［営...</summary>
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        <category term="No.12：「和仁栄幸の酒器」展" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<br />
<div style="float: right; background-color: #fafad2; padding: 10px 5px 10px 10px; margin:3px 0px 5px 10px; font-size: 12px; line-height: 20px; color:#000000; border-top:5px solid #daa520; border-right:1px solid #daa520; border-bottom:5px solid #daa520; border-left:1px solid #daa520; text-align:left; width:270px;"><div style="font-size: 18px; text-align:center; padding:  7px 0px 12px 0px;"><strong>「和仁栄幸の酒器」展のご案内</strong></div>
［展示期間］2008年6月27日〜7月1日<br />
［営業時間］11時〜19時／水曜日定休<br />
［場所］しぶや黒田陶苑<br />　　　　東京都渋谷区渋谷1−16−14<br />　　　　メトロプラザ1F<br />
［電話］03−3499−3235<br />
［URL］<a href="http://www.kurodatoen.co.jp/" target="_blank">http://www.kurodatoen.co.jp/</a></div><p>　私の友人で備前焼の作家、和仁栄幸さんが、このたび東京で<a href="http://www.kurodatoen.co.jp/exhibition/2008/wani2008.htm" target="_blank">酒器の展覧会を開く</a>そうで、案内状とともにそのカタログを送ってもらいましたが、これがなかなか良いのです。</p>

<p>　和仁さんの窯は備前とか伊部からはちょっと離れて、岡山県の津山市郊外にありますが、かの金重陶陽の最後の愛弟子で、その筆法を正直に受け継いで、その作風が多くの人々に愛されています。1999年に田部美術館の「茶の湯の造形展」で大賞を受賞されていますが、このカタログをみると、私はどうも、その精華は、酒をこよなく愛してやまぬ彼の、酒器に、この度は集中しているように思えてなりません。</p>

<p>　今から10年ほど前、日本女性新聞の社長で作家の西川治嘉さんと二人で和仁さんの窯を訪ねたおりですが、和仁さんのお預け徳利ですっかり御馳走になっているうちに、その中の一つにすっかり魅せられてしまった西川さんは、その徳利が手放せなくなって、ついには拝み倒して譲り受けてしまった、という経緯が未だに思い出されます。そんなふうに酒呑みには、そしてつねに手許不如意な当方には特に、いささか危険な魅力をさえ湛えているというわけです。西川さんのその徳利は、ちょうど掌中にすっぽり納まるほどの、やや球体をして、少し青みを帯びたモノでした。その後も、西川さんと会うと、必ずと云っていいほど、自分がいかにその徳利を愛しているか、「おまけに、ちょっとしたほつれを金で繕った、それがまた、たまらないんだ！」などと、若く美しい奥さんを向こうにおいての酒談義で、私を羨ましがらせるのです。</p>

<p>　ところで人は、そして男はどのようにして酒を呑むのだろうか。酒を呑むのに、どのようにも何も有りはしなくて、有り合わせの茶碗で、いわゆる茶碗酒というのも、もちろんアリだろうし、菰樽から注いで木の香ごと呑む升酒、仕事の帰りなどに酒屋の店頭で“もっきり”のコップ酒というのも、なかなかこたえられません。cafe NOUSのサイトに書かせてもらっている「<a href="http://www.cafe-nous.com/font/">町まちの文字を訪ねて</a>」で、神楽坂で見つけた新内の太夫さんの家の表札のことを書きましたが、「初雪に降り込められて　向島・・・」などと俗謡に唄われる、ワケアリの粋な酒ももちろん悪かろう筈がありません。荷風の愛した墨東はいわゆる川向こう、その頃は温暖化の騒がれる今とは違って、大川を吹き渡る川風の冷たさも手伝って、置き炬燵を挟んでの差しつ差されつは、またひとしおの興趣。俗に髱（たぼ）もよし、時には猫いらずもまたよし、なのであります。こんな時の器は、はたしてどのようなモノが似合うのか、などと何とも俗な想像の行方にキリがありませんが、我ながら呆れるかぎりです。しかし下にご覧のような和仁さんの今回の酒器には、そんな俗の影はありません。それに1944年という生まれ年ですから、すでに60歳の半ば。あの呑みようからすると、いよいよ酒仙の境に達したかのような作行きではありませんか。</p>

<table width="520" border="0" cellspacing="2" cellpadding="0" class="cap">
<tr>
<td align="center" valign="bottom" width="50%"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="img023.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/06/27/img023.jpg" width="234" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span><br />手捏ひだすき徳利(15)高さ14.3cm</td>
<td align="center" valign="bottom" width="50%"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="img024.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/06/27/img024.jpg" width="220" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span><br />手捏徳利(14)高さ12.8cm</td>
</tr>
</table><br />
<p>　カタログの中からまずご紹介するのは、互いに対照的な上の二点の徳利です。一口で云えば左が草書なら右は楷書体といった備前のお預け徳利。両方とも轆轤を使わずに手で成形されたようですが、ずいぶん表情が違います。</p>

<p>　左は肩の力を抜いて何の衒いもなくすっくりと佇つ水墨画、付け立てで描く人物画のような、まさに「心身脱落」の態。写真ではよく判りませんが、口縁を少し歪ませて、もしかして三角形にひしゃげて、おのずから注ぎ口をなしているのかもしれません。胴の円筒から生まれるこの三角形の首が、器全体に一方ならぬ造形的な剛さをもたらせていると思います。また火襷ということですが、ここには“為にする”といったわざとらしさがなく、窯詰めの必然から緩衝材として施された藁によって、これは和仁さんが、というより窯が巧まずして描き出した、という自然さがまったく好ましいところです。</p>

<p>　次の右側の徳利は正に楷書体で、左が立ち姿ならこれは姿勢を正して正座した典型的な備前のお預け徳利です。豊かですが徒に大らかさを装ったぶよぶよとした贅肉は微塵もなく、代わりに和仁さんの手に長年にわたって染み込んだ器のデッサン（これはただ表層的な形を超えて、和仁さんのこれまでの60余年の、一陶工としての土や火との付き合いから得た自然観、生命観といったものが、ほとんど血肉化された）が、とつとつと象を成した、という潔さが、器形全体からにじみ出ていています。肩の一部に降り掛かった灰のありありとした焦げ痕が衝撃的ですが、それに呼応するように、降り残した灰がつくりなす、基底から一気に迫り上がるの褐色の文様が、景色の洒落のめした見立てを超えて、窯内で起こった事件の証として、また同時に、この器の膨らみの豊かさを造形的に強調しています。玉縁？ らしい口作りにも灰の焦げ痕が巻いていて、下部のダイナミックな文様をしっかりと抑えています。まことに見事というほかありません。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:251px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="img028.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/06/27/img028.jpg" width="240" height="258" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap">手捏ひさご徳利（10)高さ13.3cm</span></div><p>　ここまで書いて来てふと私は、「水墨画の人物のような」とか、「正座する」などと、どうも人間の姿に見立てて書いてきたことに気付くのです。よく考えてみるにそれは、気のあった友人たちと呑む談論風発の酒も楽しいのですが、それよりも、いつまでたっても纏まらぬ思考のナマズを追って、右往左往しながら呑む、どちらかというと独酌の酒を好んできた、私の長年に亘るその呑み癖にあるようです。特に冬の居間で、囲炉裏の灰に半ば埋めるように温めながらの、そういう時の話し相手には、やはりこの備前のお預け徳利なのです。そんな私の錯覚のナマズを追いかけるのにお誂え向きの逸品は、何といってもカタログ 10番の「手捏ひさご徳利」でしょう。ひょうたんというにはあまりにも僅かな胴なかの縊れですが、そのたたずまいに、かすかな禅味をさえ覚えるのです。</p>

<p>　いろいろ愚にもつかぬ事を書きましたが、これは６月２７日、つまり今日から7月１日までと、会期がえらく短い展覧会なので、しかしぜひとも開催中にアップしたいと、やむなくカタログの写真を見ての感想になりましたが、今日はこれからギャラリーを訪ねて、ぜひとも実作を確かめて、そして何よりも久しぶりで和仁さんに会う歓びを果たしたいと思います。（おわり）</p>

<table width="520" border="0" cellspacing="2" cellpadding="0" class="cap">
<tr>
<td align="center" valign="bottom" width="50%"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="img030.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/06/27/img030.jpg" width="254" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span><br />手捏窯変酒呑（20)高さ6.2cm</td>
<td align="center" valign="bottom" width="50%"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="img031.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/06/27/img031.jpg" width="245" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span><br />手捏ひだすき酒呑（32)高さ6.1cm</td>
</tr>
</table>
]]>
        
    </content>
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    <title>グーテンベルクの塩竈焼き1</title>
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    <published>2008-04-09T08:04:43Z</published>
    <updated>2008-04-16T06:11:17Z</updated>

    <summary>アーティストの料理術［活字メディア終末料理編］（撮影：小林洋治） 　今回のアーテ...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.11：グーテンベルクの塩竈焼き" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">アーティストの料理術［活字メディア終末料理編］<span class="asset-name_c">（撮影：小林洋治）</span></div>

<div style="margin: 0px 0px 20px 0px; padding: 4px; width:520px; background-color:#333333;"><img alt="ki11_01c.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_01c.jpg" width="520" height="346" /><br /><img src="http://www.cafe-nous.com/art/haijima/img/333.gif" alt="333" width="520" height="7"><br /><img alt="ki11_00i.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_00i.jpg" width="520" height="100" /></div>

<p>　今回のアーティストの料理術は『グーテンベルクの塩竈焼き』という、なんとも珍奇なものです。フツー「塩竈焼き」と云えば「鯛」ですが、この料理術では書籍つまり本を、日本の料理の理法で、塩で包んで蒸し焼きにして、実は「炭」を作ろう、というものです。</p>

<div class="sub2">—　なぜ本を炭に焼くのか　—</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:213px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_12.jpg" alt="炭書" width="213" height="320" /><br /><span class="cap2">「C」の活字を埋め込んだ炭書</span></div>　私の考えでは本というのは、特に15世紀半ば、マインツのグーテンベルクによって発明された活版印刷術によって、人間が言葉を話すようになって以来の様々な過剰を一気に拡大して、私たちが今見るような巨大な文明を生み出してきた、その大元にあるものです。しかしそれも今、高度に発達するエレクトロニクスに、知の、或はメディアとしての主役を、譲り渡そうとしています。

<p>　私はそのグーテンベルク期の終末に向けて、そういういわば「文明の書物」を炭に焼いて、この書物の果たした功績にオマージュを捧げると同時に、それが築き上げた過剰な環境の、ささやかな浄化を果たすものとして再生させようという、まあ、他愛が無いと云えば無いものですが・・・。</p>

<div class="sub2">—　事の発端　—</div>
　もともと「本を炭に焼く」というこのプロジェクトは、私配島庸二が、05年春、国際芸術センター青森（以下ACAC）という美術館に於いて、3ヶ月に亘るアーチスト・イン・レジデンス（以下AIR）という、作家滞在型の展覧会に参加して、その時、私に割り当てられたギャラリー空間で、パートナーの山下敦子とともに行った「破壊と再生の茶会／割れ茶会（「亀甲館だより」No.05を参照）」と称するイベントで、殆ど衝撃的に思いついたものです。壁いっぱいに展示されたワークショップの子供たちの分厚い作品が、音の過剰な反響を幾分か吸い取って、茶会の会話をスムーズにしてくれていることに気付いたのです。もし私の薄っぺらな作品だけを並べていたのでは、こういう効果は得られなかったのではないか、と胸を突かれる思いでした。

<div class="sub2">—　自己主張の絵画からの覚醒　—</div>
　今日の今日まで、ひたすらな自己主張に明け暮れて、自分の主張を世界に向かって少しでも押し出してゆこうとしてきた、今までの私の絵画の生き方。こんな事をしていたのではいけないのではないか、という、焦りにも似たその時の衝撃でした。この生徒たちの作品のように、人間が作り上げてきた様々な過剰を吸い取ってくれるマイナスの力を持つアート、という啓示です。つまり絵画という構造の中に、たくさんの隙間、空間を持つ、それも文明の過剰を吸い取る陰圧の袋をもった有袋類アート、とでもいう構想です。

<p>　そして書物を炭に焼く、というアイデアが殆ど瞬間的に生まれました。</p>

<p>　山下／IT時代に入って、メディアの姿もまた激しく変わって来て、例えば街のスーパーやファミレスなどもコンピュータを駆使することで、客の嗜好を瞬時に読み取っては刻々と計量化し、商品を並べ替え、またそれに対応したテイストを付加した新商品を次々と開発してくる、といった、そこでは食品さえも素直に食品ではなく、人々の欲望の縦横に入り組んだ、メディアの網の目の一節に組み込まれてしまいました。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_08.jpg" alt="はいじまようじ" width="280" height="186" /><br /><span class="cap2">塩漬けにした本を一冊ずつ和紙でくるんでいく</span></div>　そしてそれを『環境活性炭書』と名付けて、この文明が作り出した環境の歪みを聊かなりとも浄化するモノとして再生させよう、というプロジェクトをたて、日本海側の町深浦で、建設業の傍ら環境浄化に特化した炭を焼く、岩谷義弘さんの工場へ送って炭に焼いてもらったのです。

<p>　今回はそれを料理という理法に組み入れて塩竈焼きというレシピで、料理ではなく炭に焼こう、というものです。そこで私たちの本棚はもちろん、有り難いことに何人かの友人の事務所の移転や整理ではみ出した本や、また可燃ゴミとして捨てられた本を頂いてきたり、結局800冊近い本が集まったのです。そしてここに積み上げられた本は、一方では、紙を多量に使用するために、今や森林を食い荒らす、ひとつの恐竜とでもいう貌も持つ事になってしまった、そういうメディアでもあるわけです。</p>

<div class="sub2">—　塩竈焼きのメニュー　—</div>
<ul style="font-size: 13px; color:#2f4f4f; padding:0px 0px 10px 24px; line-height: 20px; list-style-type: circle;">
<li>アルファベットに因んで26冊の百科事典の『塩竈焼き』</li>
<li>M・マクルーハン著『グーテンベルクの銀河系』と拙著『町まちの文字』『祈りの文字』の二著を一つにして『塩竈合わせ焼き』</li>
<li>目の下一尺の鯛の塩竈焼き</li>
<li>グーテンベルクのカステラ焼き</li></ul>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_11.jpg" alt="カステラ" width="280" height="187" /><br /><span class="cap2">余った卵黄を利用したカステラづくり</span></div>　山下／それにこれは当初のプランには無かったのですが、カステラというオランダ渡りのパンを焼く事になりました。じつはこの塩竈焼きという料理には、卵白を大量に使います。例えば一個の塩竈焼きを作るのに、卵白5〜7個分が必要で、今までのテスト段階でも卵黄の処分に困っておりました。そこで卵黄をたくさん使う料理として考え出したのがカステラを焼くことでした。「長崎カステラ」実はグーテンベルグの印刷機がローマからヴェニス経由で日本に最初にもたらされたのは、1590年の長崎、そして天草でしたし、カステラは同じ頃スペイン、ポルトガルから、やはり長崎へ。それが、私たちのシステムキッチン上で出会うというわけです。

<p>　『塩竈焼き』は下拵えとしてまず、天日塩25kgで飽和食塩水を作り、それに当の百科事典ほかの本を3日ほど浸します。何といっても百科事典は活字時代の代表選手。その塩漬けを作るわけですが、なぜ塩漬けに？　私たちは先述のように、岩谷さんの協力を得て盛んに『炭書』を作るのですが、実は炭の原料も樹木、本の紙もパルプで同じく木材だとは云え、紙は薄いものですから、木炭のようにしっかりとしたソリッドな「本」という形での焼き上がりが得にくいのです。</p>

<div class="sub2">—　信州姨捨民話との出会い　—</div>
　まあ、それはそれで良かったのですが、そんな或るとき長野市に住む知人Hさんに「塩漬けの縄を焼く」という信州の姨捨（おばすて）民話の事を教えられました。国の掟に従って一旦は山奥へ捨てた老母の智慧に、国中が救われるという話です。

<p>　ちょうどその時、姨捨山棚田で田植えが行われ、そこで、その姨捨民話を語る会が開かれると聞いて、私と山下は早速姨捨棚田に出かけました。</p>

<p>　ここ信州更級の里に伝わる姨捨伝説が、今様語り部、野本洋子さんの、やわらかく、温かい語り口にのせて、初夏の空気の中を漂うように、そしてそれを聞く私たちを優しく包んでいまきす。更級の姨捨地区は日本一の規模を誇る棚田の、従って、いにしえより“田毎の月（たごとのつき）”の名所としても知られた場所で、折しも行われた棚田の田植えを見物し、そして田植えを終えた70余人の中学生に囲まれて、今様語り部、野本洋子さんのによる姨捨の昔語りを聞いているところなのです。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:213px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_13.jpg" alt="縄" width="213" height="320" /><br /><span class="cap2">民話を模して作った炭の縄</span></div>　老人を山に捨てる、といういわば棄老伝説は、日本各地にたくさんのバリエーションがあって、野本さんの語る更級地方のこれも、その一つです。特徴的な点は、老いた母親を一度は捨てに行くのですが、どうしても捨てこられずに、掟に背いて再び家に連れ帰って密かに養う、という、いわば孝行息子の話になっていることです。

<p>　やがてその老母の知恵のお陰で、隣国から「『灰で綯った縄』を出せ、さもなくば攻め滅ぼす」という難題が持ち込まれて国中が困り果てているとき、老母から教えられた「塩漬け」のアイデアのお陰で、国の危機が救われるという物語になっていることです。</p>

<p>「そんなこん、ぞうさもねえこんだわ。まず、塩水によーくほとばしたわらで縄をなって、それを、そうっと焼いてみな」</p>

<p>　そうすれば、恰も灰で綯った縄のように、しっかりとした形に焼き上がる、というわけです。</p>

<p>　野本さん語る姨捨民話の一節ですが、聞いているうちに、野本さんという一人の語り手の話を聞いている、というよりは、こうしてむかしから、何千何百ものお婆さんにいざなわれて、一緒にその姨捨の現場に立ち会っている、そういう気分にさせる、まことに野本さんの“言葉の力”は、私たちを、それこそ言葉通りに「はーらかむかし」の異界に立ち会わせて、現在と過去といった境界を取り払ってくれるように思えるのです。</p>

<p>　私たちの炭書は、こうして「塩」というファクター得て、塩竈焼きという今回の料理術に乗ることになった、というわけです。</p>

<p>　一口に言うと、塩で本の「漬けモノ」をこしらえて、それを更に炭に焼いて「環境を浄化する炭」として再生させよう、というものです。そのアイデアのお陰で私の本も、一段と美しい炭として焼けるようになったのです。</p>

<div class="sub2">—　口頭伝承というメディア　—</div>
　前回のアーティストの料理術『アリストテレスの焼き鳥』が少なからずホメロスをソースにしての料理だとすれば、この姨捨伝説も、元はと言えば口承伝承のもので、いわばメディアとしてひと続きに並べてみる、という事になったわけです。もちろん現代に聞く昔語りですから、ホメロスの叙事詩がそうであったような、また我が国中世の説教節がそうであったような具合に、素直に口頭伝承、と云うわけにはいかないのでしょが・・・そういうものだと思っています。

<p>　野本さんの姨捨物語は、活字の知とはひと味違う、直感的な普遍的な知の共振の様を感じて、「グーテンベルクの塩竈焼き」にさらなる広がりを作り出すことになりました。</p>

<div class="sub2">—　塩漬けのインスタレーション　—</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:280px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_02.jpg" alt="はいじまようじ" width="280" height="186" /><br /><span class="cap2">塩漬けの山</span></div>　私たちも今回、その姨捨民話をなぞるような気持ちで、天日原塩500kgを使って、アトリエと今度の料理の拠点となるシステムキッチンを結ぶ空間を繋ぐ形で、塩漬けの山を築きました。床に塩を敷き、その上に本を並べ、又、塩を積み・・・という具合に、まるで白菜かたくあんを漬けるみたいに、積み上げていくのです。

<div class="sub2">—　岩谷さんの焼く炭　—</div>
　ここでちょっと岩谷さんの焼く炭のことを述べたいと思います。<a href="http://www7a.biglobe.ne.jp/~sumikankuro/">岩谷さんの炭工房『勘』</a>というブランドは、特殊な焼き方で炭にたくさんの隙間を作り、家屋の調湿とか消臭、水質浄化、それに融雪剤、土壌改良材といった環境効果に特化した炭で（もちろん燃料にも十分使えますが）、そこに建設業岩谷さんならではの環境的な目線を強く感じるのです。

<p>　なにしろ材料は商売柄多量に集る建築廃材と、品種の入れ替えなどで出るりんごの廃木ですから、森をいっさい傷つけない炭焼きなのです。そのために岩谷さんは、従来のいわゆる山の中に築く炭焼き竃とは違う、ステンレス製のハイテックな、六畳間ほどもある大きな四角い竃を築きました。焼成温度も初め400度で、その後、800度まで上げる事で、炭の中に残る一酸化炭素などのガスを再燃焼させて抜き去る、という特殊なアイデアです。文明の作り出した過剰を吸い取る、たくさんの空間を内包した炭。少し大げさですが、それは私の絵画の上に殆どコペルニクス的覚醒体験をもたらしました。<br />
</p>]]>
        
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    <title>グーテンベルクの塩竈焼き2</title>
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    <published>2008-04-08T02:46:02Z</published>
    <updated>2008-05-13T07:22:20Z</updated>

    <summary>アーティストの料理術［活字メディア終末料理編］（撮影：小林洋治） 26冊のグーテ...</summary>
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        <![CDATA[<div class="asset-name_b">アーティストの料理術［活字メディア終末料理編］<span class="asset-name_c">（撮影：小林洋治）</span></div>

<div style="margin: 0px 0px 20px 0px; padding: 4px; width:520px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_09.jpg" alt="グーテンベルクの塩竈焼き" width="520" height="347" /><br /><span class="cap2">26冊のグーテンベルクの塩竈焼きと目の下一尺の大鯛。壁面にあるのは、蜜蝋製の盛り皿を鋳込むために利用した紙の母型。</span></div>

<div class="sub2">—　百科事典26冊の塩竈焼き　—</div>
<p>　塩竈焼きのレシピに従って卵白ほかを合わせた塩のペーストを本にべたべたに塗って、和紙で巻いて、順次岩谷さんの炭工房に送るのです。そしてやっと焼き上がってきた26個の『塩竈焼き』をアトリエの床に並べて、さて翌朝のことです。ふと見ると真っ黒に炭化した『塩竈焼き』の表面に水の玉がたくさん浮き出しているのです。頁の間からも透明な水晶のような液がしんしんと沁みだしているではありませんか。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:186px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_04.jpg" alt="水の玉" width="186" height="280" /><br /><span class="cap2">沁みだした透明な塩水</span></div><p>　大いに慌てながら、恐る恐るその透明な液体を指で舐めてみると、これがかなり塩辛い。すぐさまGoogleに「塩を焼く」と打ち込むと、そこで判った事は、高温で焼かれても苦汁分が変化するだけで、塩自身はそのまま残っているということ。しかも環境の湿度が75%を超えると塩本来の吸湿性が再び現れるというのです。更にその日6月27日の天気図は、梅雨の湿舌が東シナ海に深々と張り出して、その前線がアトリエのある房総半島の南海上の目の前まで伸びています。その時のアトリエの湿度は何と、ぴったり75%！ その滲出液の塩分の濃度は17ボーメ。これは海の塩分の約6倍弱という濃度です。</p>

<p>　ここにおいて私たちの『環境活性炭書』である『グーテンベルクの塩竈焼き』は、凄まじい塩の水を吹きながら、活字という『母型と父型の驚くべき結合、調和』の上に成ったグーテンベルクの錬金術的な知が、いま、アトリエの環境に漂う水分を、しきりに還元して止まぬ一つのメディアとして再生する、その神秘的な姿の顕われを目前にして、鳥肌が立つ感動を覚えるのです。</p>

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//-->
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<div class="sub2">—　そして八月の雪　—</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; width:126px; background-color:#333333;"><a href="javascript:OpenWindow();"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/001a.gif" border="0" alt="八月の雪" width="126" height="188" /></a></div><p>　こうして当初、環境の浄化装置としての炭書として企画された「塩竈焼き」の上に、さらに「環境に漂う水分を、しきりに還元して止まぬ一つのメディアとして再生する姿」を見ることになったわけですが、じつはこの『塩竈焼き』にさらなる発展があったのです。</p>

<p>　というのも展示中の『塩竈焼き』がやがて梅雨を過ぎて8月に入ったある日のことです。写真でもいくらか見えるように表面にちらほらと白いものが出来ているのです。指でとって舐めてみると、これはまさしく塩そのもので、とするとついさっきまで、しきりに噴き出していた塩水が、8月の猛暑の中で乾燥して、再び塩に還元したもののようです。ほかの「塩竈焼き」でも、程度の差こそあれ、どれもちらほらと白い粉が噴いています。</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:186px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/ki11_07.jpg" alt="はいじまようじ" width="186" height="280" /><br /><span class="cap2">作品の表面に浮いた塩の結晶</span></div><p>　わたしはふと、その還元をもっと促進させてみたらどうなるのか、と思いついて、「塩竈焼き」を全部、庭先のかんかん照りの日向に並べて天日干しをすることしました。まるで塩田です。その日の炎天の温度は42度。</p>

<p>　するとどうでしょう、小一時間もたたぬうちに、全ての作品の表面にびっしりと塩の結晶が出来ており、思わず「おっ、雪！」と、叫んだのでした。よくみると塩の噴き具合は、もちろんどの作品も同じではなく、不思議な、ある場合は不気味なくらいな文様が出来上がっているのです。或るものは唐草様の連鎖模様をつくり、或るものは部分的に集中的に凍りついていて、まるで北極圏の航空写真のようです。</p>

<p>　こうしてみるとこの「塩竈焼き』は、それが永遠ではないにしても、この先、季節の循環とともに、塩、水、塩、水・・・という形相的変化を循環させる、さらなるメディアとして生きることになるのでしょうか。</p>

<div class="quo2">［スペシャル・サンクス］ グーテンベルク印刷機については天草のコレジヨ館、東京の印刷博物館に、特に鋳造機については同博物館の展示、ライブラリーを参考にしました。炭焼きについては、青森県深浦町の炭工房『勘』の岩谷義弘社長ご夫妻、大船さんの多大なご協力を。また、姨捨民話の取材では千曲市の語り部野本洋子さん、千曲市の馬場條氏、長野市の林巴さん、岡谷市の古畑しずゑさんのご協力を得ました。記して感謝の思いを捧げます。</div>
<div class="cap">※本記事は、財団法人石田財団発行の季刊誌『Ars』2号に掲載した記事に、後日談を加え再編集したものです。</div>
]]>
        
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    <title><![CDATA[Yoji Haijima "Salt-baked Special &agrave; la Gutenberg"]]></title>
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    <published>2008-04-07T01:54:09Z</published>
    <updated>2008-05-14T05:07:37Z</updated>

    <summary>English ver.(Photo: Yoji Kobayashi) The ...</summary>
    <author>
        <name>nous_s</name>
        
    </author>
    
        <category term="<![CDATA[Salt-baked Special &agrave; la Gutenberg]]>" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">English ver.<span class="asset-name_c">(Photo: Yoji Kobayashi)</span></div>

<div style="margin: 0px 0px 20px 28px; padding: 4px; width:455px; background-color:#333333;"><img alt="ki11_01e.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/05/09/ki11_01e.jpg" width="455" height="303" /><br /><img alt="333.gif" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/05/09/333.gif"  width="455" height="7" /><br /><img alt="ki11_00i.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/05/09/ki11_00i.jpg" width="455" height="75" /></div>

<p>The medium of the book saw explosive growth due to Gutenberg's invention of the printing press in mid-15th century Germany. This burst of effusiveness, on a scale never seen since human beings acquired language, gave rise to the colossal civilization that we know today. With the advance of IT, the book is now on the point of being superseded as the primary medium of civilization. To mark the end of the Gutenberg era, I have turned its medium, books, to charcoal, both in homage to the services they have performed, and in hopes of converting them into a kind of filter to purify the effusion-filled environment they have created over the years.</p>

<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; width:213px; background-color:#333333;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki11_12.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/05/09/ki11_12.jpg" width="213" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>Though both charcoal and paper come from wood, it is not easy to obtain solid forms from sheets of paper through a charcoal-burning process. After much trial and error, I learned from an old folktale that paper impregnated with salt would retain more or less its original shape as it burned. Borrowing the traditional Japanese cooking technique of shiogamayaki (baking fish in a salt crust), I decided to "cook," or rather fire, salt-encrusted books, and I named the result "salt-baked special &agrave; la Gutenberg." As the folktale that taught me this trick of the trade is itself a medium distinct from books, I decided, at the same time, to return to the ancient origins of media by adding layers of quipu (knotted cords used for record-keeping by the Incas) to form a more expressive whole.</p>

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<div class="sub2">---　Snow in August　---</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; width:126px; background-color:#333333;"><a href="javascript:OpenWindow();"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/09/img/001a.gif" border="0" alt="Snow in August" width="126" height="188" /></a></div><p>At some point, I noticed something I had not foreseen when I started work: water was seeping out of the slabs of carbonized book. We were in the middle of the rainy season on the Pacific coast of Boso Peninsula, where I have my studio, and the weather map showed a "wet tongue" (a phenomenon characteristic of the Far East) extending deep into the East China Sea, while over the sea to the south, within view, lay the seasonal rain front. The air temperature was 36&deg;C (97&deg;F) with 75% humidity: exactly the right conditions for the salt content of the charcoal to recombine with water. It was very salty water, of course: 17 on the Baum&eacute; scale, almost six times the concentration of seawater.</p>

<p>What's more, while the works were being exhibited, when the rainy season had given way to the intense heat of August, a pure white powder began gradually appearing on their surfaces, until in the end they were coated with it. I couldn't help exclaiming, "Snow!"</p>
<p>My guess is that the liquid sweated out over the preceding weeks had turned to salt in the fierce August heat. </p>

<p>In that case, it occurs to me that perhaps "Salt-baked Special &agrave; la Gutenberg," which I originally intended to serve in some small way as a purifier of civilization, might live on, if not forever, then for a while, as another "medium," activating a cycle of metamorphoses--salt, water, salt, water...--in keeping with the cycle of the seasons in these Far Eastern isles. </p>]]>
        
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    <title>臭いの自分史1</title>
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    <published>2007-09-03T11:56:46Z</published>
    <updated>2008-04-16T06:12:52Z</updated>

    <summary> 旧モンテーニュの家の玄関の前の筆者。左上にモンテーニュの事蹟を記したプレートが...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.10：臭いの自分史" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<p></p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:209px; background-color:#333333;"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/10/ki10_01.jpg" alt="はいじまようじ" width="208" height="320"><br><span class="cap2">旧モンテーニュの家の玄関の前の筆者。左上にモンテーニュの事蹟を記したプレートが見える（撮影／遠藤恵子）。<br>＊モンテーニュに関しては3ページ目を参照。</span></div>　この稿は初め『私たちの教育改革通信』といウエッブ上で発行している雑誌からの依頼で「匂い」について書くことになったもので、同編集部のご好意で、ここに転載させて頂くことになったのです。そして同誌上では、紙幅の都合で割愛した、幾つかの臭いの記憶を加えて「臭いの自分史」としてご覧頂くことにしました。

<p>　そのご依頼を頂いたとき私は、若き日に読んだマクルーハンの「中国人と日本人は何千年もの間、時間を香りの変化によって測っていた」という言葉（『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000JA7ZQI?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000JA7ZQI">人間拡張の原理</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=B000JA7ZQI" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』後藤和彦・高儀進訳／竹内書店刊）があった事を思い出して、その「香りの変化」について書かせて頂こう、と思っていたのです。というのもマクルーハンのそれは、その本の中の「時の匂い」という奇妙な副題を持つ論文の一節で、メディアとしての時計を、グーテンベルグ印刷術との関係で論じた、なかなか面白いものでしたが、私の記憶では、中国と日本とで、その「時の匂い」というものが、果たしてどのようであったのか、が、具体的に説明されてなくて、当時、気になりながらも先を急ぐあまり読み飛ばしたままにしていたことを思い出したからです。つまり今回その部分を自分の為に埋めて、改めて学び直してみるようなものを書きたいと思ったのです。ところがいざ書き始めてみると、仏教や民俗行事や、万葉集とか源氏物語、清少納言などなど、いくら並べても、こちらの力量では、それはもともとが大それた話で、ちっとも面白いものにならないのです。</p>

<p>　考えあぐねた末に、ふと、それにしても人間は、自分の嗅覚の記憶をいったい何歳ぐらいまで、辿れるものだろうか、などと自分の思い出を辿っているうちに、何となく一つの自分史めいたものになってしまった、というのが本音なのです。</p>

<p>　とはいえ、私のような人間が、自分史を書く、或は自伝を、などまったく思いもよらぬことで、（書かない、ということに、一つの頑固な思い入れもあって）とにかくぽつぽつとキーボードを叩き始めたのですが、そのようにして、恐る恐るながら書き始めてみると、何とも情けないような匂い、いや臭いの自分史、それまで気付かずにいた一種の露悪趣味的な自分の姿に愕然たる思いでおります。</p>

<div class="sub2">—　匂いのナショナリズム　—</div>
　さて、私は普段絵を描いておりますが、それとパラレルに「食」乃至は「料理の理法」を基にしたアートイベントをしてきました。つい先頃もArs誌上で『グーテンベルクの塩竈焼き』などという怪しげな料理術のアートイベントをしたばかりですが、それは、本を炭に焼く、という事をテーマにしたイベントです。私達のこの文明をかほどにまで肥大させた元には、15世紀ドイツのグーテンベルクという一人の銀細工師による金属活字と活版印刷術の発明があります。それまで写本に頼ってごく限られた人々、例えば少数の権力者とか僧侶の間でしか流通していなかった本という知の記録を、マスメディアにまで爆発的に拡張することになり、今に至る巨大な文明が創り出された、とはよく云われるところです。しかしそれも今や、ITというテクノロジー革命によって、知の、或はメディアとしての主役を、譲り渡そうとしています。その主役の座を降りようとしている現在、その本を炭に焼いて、「環境活性炭書」として再生しよう、ということから始まったものです。Ars誌にはそれを料理仕立てにして、塩竈焼きをすることになったのです。

<p>　また一方、先頃からNHKテレビで『チャングムの誓い』という人気の韓国ドラマに、私はすっかりハマっているのですが、それを観ながらふと、その民族固有の匂いの存在を思うのです。そこで今、私の食のイベントとして、Ars誌の次号の企画で、匂いのエスノ・ナショナリズムとでもいうような、或はエスノ・ナショナリズムの底深くにある匂い、について、そういうものが果たして有るのかどうか、有るとすればそれはどういうものか、を、料理という理法を通して考えてみたいと企画しているところなのです。</p>

<div class="sub2">—　グローバリズム　—</div>
　と言うのも今、私たちの社会の各方面を覆うグローバリズムの勢いは、日を追って大きくなる一方で、ここに来て、われわれの地球は確かに一回りもふた回りも狭くなったという実感が迫ってきます。生活様式もどんどん変わっていく中で、食の在り方一つにしても、街を歩いても、世界中の料理が殆ど一直線に並んで、エスニック料理などという、一頃はやりのウリは意味をなさないくらい、これでもかこれでもかと目の前に、見慣れない料理が登場してきます。いまやわれわれの舌は、たとえどんな味が乗っかろうともたじろがぬほどの、強靭さ？　別の言葉でいえば、味覚的グローバリズムを獲得した、とも云えるほどです。

<p>　しかし今申したように、私は食のアートイベントをして来て、いろいろな食の在り方を見てくる中で、確かに舌の方はそんな風にグローバルになるのですが、味に伴う「匂い」に対しては時に受け付けがたい拒絶反応や違和感を感じる事にしばしば行き当たります。いったんそう感じると、舌の方も手放しで悦べなくなって「おいしいけどどうも・・・」という味に出会うことがあります。味と匂いはほとんどワンセットですが、私の場合、嗅覚の方が少し頑固なところがあるのかも知れません。それは、味というのは調理という人工によって作られる面が多いのですが、匂いは、そればかりでなく、もっと生理的な、生物的なものに根ざす場合が多いからかもしれません。マトンや牛肉から、或は魚の肉から、たとえそれが嫌だと云ってもその臭いを抜き去ることは出来ません。せいぜい香辛料で中和するぐらいで、料理で下拵えと云われる部分は、大概の場合その中和の方法である場合が殆どです。</p>

<div class="sub2">—　しかし今、オヤジ臭の受難時代　—</div>
　それにしてもテレビのコマーシャルでは今、臭いの受難時代です。オヤジは臭いからスプレーしちゃう・・・とか。アニメ風に描かれた動物の家族が、外出から帰ったお父さんに、消臭スプレーを吹きかけている映像です。特に今はタバコの匂いが標的になっているみたいですが、口臭、腋臭、トイレ、どうもテレビは、さまざまな臭いを摘発しては、絶えずオヤジに脅しをかけてくるみたいです。

<p>　テレビが「カレーシュー、カレーシュー」というのは「加齢臭」だというのです。思わず自分の袖に鼻を当てて、既に十分に加齢した筈の自分の臭いを深々と吸い込んでみるのです。いつもと変わりない、別に何の変哲もない臭いでしたが、この加齢臭の予防法とかいう番組や雑誌の記事がしきりに目につきます。</p>

<p>　オヤジばかりではありません。この間町で見かけたのですが、散歩の若い奥さんの連れた小さな犬が、突然街路樹に片脚をあげて・・・、そこまではよく見かける風景ですが、その時奥さんの片手には小さなスプレーが握られていて、犬が用を済ました樹へ向けて、シュッシュッと、そして返す刀（とは変な言い方ですが）で犬のお尻の方にもシュッシュッ。このスプレー、もしかして消臭と消毒のための、常識的な愛犬用グッズなのかと・・・。しかし、スプレーされて匂いを失ってしまった犬の社会というものは、一体どうなってしまうのだろうか、いささか心配になってくるのです。もっとも犬の鼻は、人間の嗅覚の百万倍も敏感なのだそうですから（M・バートン『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4588762087?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4588762087">動物の第六感</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4588762087" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』高橋景一訳／文化放送）、そのくらいでは何とも応えないのかもしれません。シュッシュッ！とやられる「おやじの臭い」も、愛犬のこれも、いわば「快適生活」という料理術のための「下拵え」なのかも知れません。</p>

<p>　それもこれも、極度に文明化した人間社会では、縄張りとか雌雄の引きつけとか、動物に固有の「臭い」というものが、生存にさほど重要でなくなったということ。反対に、文明化に対応するということは、人間から動物臭をぬぐい去ることなのかもしれません。それでもまだオヤジは臭うから、更にグローバリズムへ向けてシュッシュッ！とやるのです。</p>

<div class="sub2">—　グダニスクのおばあさんのスカートの中　—</div>
　と、ここまで書いてきて、ふと、ギュンター・グラス原作の「ブリキの太鼓」という映画を思い出しました。逃げ場を失った放火魔の少年が、焚き火でジャガイモを焼いているおばあさんの大きな釣り鐘型のスカート（解説によると4枚重ねの）の中に逃げ込む場面です。その時、その焚き火のシーンを観ながら、私は突然、母親の懐の匂いーーそれはいつも微かな竈のけむりの匂いでしたーーが、ふと香ってきたのです。そしてこの映画が主題とするものは、国民国家というものができる以前からあった、或はそれとは別にあった文化的共同性、例えばおばあさんのスカートの、焚き火のにおい、とか、韓国のキムチのにおいといったような、そういうものと権力との葛藤の小説であり映画であるわけですが、そんなふうにシュッシュッ！と匂いを無くしてしまって、この先人間はいったいどうなるのでしょうか。

<div class="sub2">—　極小のナショナリズム／匂いの記憶　—</div>
　とにかく私は、おぼろげな記憶を無理にこじ開けて、行き当たったのが何と、全身どぶ泥の臭いの記憶でした。たしか3歳ぐらいでした。東京は下町のどぶ板長屋で生を承けた私は、いつもドブ板を踏みならしながら遊んでいたのですが、ある日、買ってもらったばかりの三輪車ごとどぶに落っこちてしまったのです。暮れも押し詰まった寒い日のことで、全身どぶ泥、頭からワカメをぶら下げたようになって、その臭いは子供の私にもかなりこたえました。すぐ丸裸にされて、近所のおばさんたちが総出でお湯を沸かしてくれて、「臭い、臭い」といいながら洗ってくれた、そんな臭いの思い出に行き当たりました。

<p>　どぶと云えば昔の東京はまだ下水道が完備されておらず、至る所にどぶ川や溝が流れておりました。私の臭いの次の記憶は4歳から8歳ぐらいまでの 1935〜40年ぐらいなのですが、そこは小学校の裏手の長屋で、家の前の道の向こうは学校のコンクリの塀でした。荒川区町屋町3丁目。学校は第五峡田尋常小学校。その長屋の前にも細いどぶが流れていて、ドブ板で覆ってあったのですが、考えてみると下水道が無い訳ですから、すべてこのどぶ川がその役目を果たしていたのでしょう、何かの折にはすぐに異臭を放ちます。特にひとたび洪水にでもなると、町中、大変なことになるのです。どぶは溢れるし、家々のトイレは汲取ですから、酸鼻を極めることになるのです。まだ我が国の治水はそれほど良くはなかったのでしょう、何年に一度かはそんな状態になって、大人たちは畳を剥がして押し入れの上段に入れたり、腰まで水につかりながら、そして子供と年寄りは小さな船で向かいの学校に避難するのです。子供たちは、この船を結構面白がっていたこと、それから夜になると学校で炊き出しのおむすびを皆で食べた事を覚えています。</p>]]>
        
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    <title>臭いの自分史2</title>
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    <published>2007-09-03T10:15:02Z</published>
    <updated>2008-04-16T06:13:29Z</updated>

    <summary> —　長屋の裏手に立ちこめるカルキの臭い　— 　ところで私の家は四軒長屋の中の一...</summary>
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        <category term="No.10：臭いの自分史" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p></p>

<div class="sub2">—　長屋の裏手に立ちこめるカルキの臭い　—</div>
　ところで私の家は四軒長屋の中の一軒でしたが、四軒が共同で使う裏の空き地に共同水道がありました。ところがその一画に一軒置いて隣の、コイヌマさんという家の野天の作業場があったのです。ドラム缶を縦に切って、それを横に寝かせて舟にして、下から火を焚いて、大人たちは苛性ソーダといっていた記憶があるのですが、たぶんさらし粉、を入れた湯を沸かしながら、ブリキの一斗缶（石油缶みたいな）を洗うのです。ですから長屋の裏庭にはいつも、もうもうとカルキの異臭が立ち籠めていたのです。このカルキの臭いは、おじさんの作業場の光景と同時に、忘れることの出来ない臭いです。

<p>　このおじさんの仕事は、というと、毎日たくさんの四角い缶を大きなリヤカーに、山のように積んでどこからか帰って来るのですが、長靴にゴムの胸当てのついたエプロンを掛けて、ゴムの手袋を肘まではめて、それを一つずつその舟に浸してはピカピカに洗い上げるのです。このブリキ缶は、お菓子、特に飴類を入れたもののようで、中には溶けた飴がこびり付いているのもありましたし、外側にはレッテルも貼り付いていたりしたのですが、とにかく薄茶色をしたお湯に入れて、束子でごしごし洗うのです。もちろんレッテルもきれいに剥がれて洗い上がると乾かしては、またリヤカーに山のようにピカピカに積んで何処かへ運んでゆくのです。</p>

<div class="sub2">—　長屋の養鶏場　—</div>
　今では考えられないことですが、その何軒か先に一棟まるまる養鶏所になっている長屋があって、そこを通るといつも鶏の糞の臭いがするのです。通りに面した引き戸や窓ガラスを全部閉め切って、中は薄暗くいつも裸電球が灯っていました。私の家では殆ど毎朝生卵を食べていたので、わたしがその養鶏場へ買いに行く役目でした。朝早く「ちょうだいな！」と云いながらその扉を開けると、鶏の鳴き声と例の生暖かい臭いが、ひときわけたたましく押し寄せてくるのです。今思うと鶏たちは家の中に何段もに積み上げられた「バタリー式」という鶏舎に飼われていて、薄汚れた割烹着に同じく薄汚れた姉さん被りのおばさんが、何回目かにはその卵を、すらっとした体つきで裸電球に透かせながら「はい、双子だよ」といってサービスしてくれるのです。今産みたて、といった卵の暖かさと鶏の糞の臭い。

<div class="sub2">—　八百屋のミキちゃん／第六感の臭い　—</div>
　どぶ泥のついでにもう一つ思い出した臭い。これは次に引っ越した荒川区尾久町4丁目。近所には当時、軍需工場として名高かった旭電化の大工場がありましたし、何よりも当時の世情を賑わせた例の阿部定事件のあった花柳界はつい目と鼻の先でした。それは昭和11年、5歳の時のことで、多分この街に移ってきてすぐの頃でした。が、この事件などももちろん大人たちの騒ぎでそれとなく知ったもので、これこそは臭いとは違う、臭わない、街の臭い、といったものを、子供ながらに感じ取っていた記憶があります。

<p>　近所に特に懇意にしていた八百屋があって、その家に、貰いっ子という噂のある、ミキちゃんという男の子がいました。小学校を出ると家業の八百屋を手伝って、朝早く父親とともに、やっちゃ場（八百や市場）に、荷車を引いてでかけるのです。そのミキちゃんが13〜14歳、私が9歳ぐらいでしたが、休みの日には我が家へよく遊びに来たものです。遊び、といっても、ミキちゃんのそれは探偵ごっこなのです。が、普通の子供の遊びとは少し違っていて、ごっこの域を超えていたのです。</p>

<p>　まず我が家の小さな物置に探偵事務所を開設するのですが、そこに岩波文庫でしたかの『シャーロックホームズの何とか』という本を何冊か持ち込んで、机代わりの台に並べて、そのうえに虫眼鏡、方角をみる磁石、地図、などというしつらえをするところから始まるのです。私も密かに父の東京市街地図を持ち出して、いつでも拡げられるようにしました。そしてダンロップタイヤ、とか、犯罪、ホシ、尾行とか、それに「第六感」という難しい言葉を覚えたのもその時です。それが何であるのかよく理解出来ないままに、ミキちゃんと二人だけで、他の友達とは違う遊びをしていることを、なんとなく密かな、そして誇らしくさえ思っていたのです。普通ならその頃、怪人二十面相とか明智小五郎とかいうのですが、それらとはひと味違う、すぐそこにある街の現実感のようなものがあったのです。それはミキちゃんが「ほら、あのおじさん、なんか臭うだろ！」という、そういう言い方とか「なんか秘密を隠している臭いがしないか」といいながら、遂に二人でおじさんの後をつけ始めるのです。</p>

<p>　ミキちゃんからすれば私はあのワトソン君なのでしょう。尾行のはずみで、例の事件の街へ行くケースもありますし、子供のことですからそんなに遠くに行くわけではないのですが、私たちは事務所に帰ってくると今歩いた道順を、地図を拡げて改めて辿ってみるのです。ただそれだけのことですが、私はそうしたいわば冒険を通じて、人間には鼻で嗅ぐにおいの他に「別の感覚（ミキちゃんの云う第六感）で嗅ぎ分ける臭い」のようなものがあるらしい、ということをおぼろに感じたのでした。</p>

<div class="sub2">—　強力な破壊力、おまえは臭い！　—</div>
　今云う「シカト」したりされたりという、子供たちのいじめの問題は、昔もやはりあって、中でも「おまえは臭い」という言葉は、かなりの破壊力を持っていることを、子供たちの誰もが暗黙のうちにみな知っていました。誰か目当ての子を探すと、側へ行って「ニーチャイ！ニーチャイ！」といって囃し立てるのです。ちょうど同じようなシカト語に「エンガッチョ！エンガッチョ！」というのがありましたが、それに近いものです。この方は必ずしも臭いとは限らない訳ですし、そしてまたずいぶん難しい理屈もあるようですが（網野善彦著「無縁・公界・楽」など）、何しろその子が特別に臭い訳でもなんでもなくて、実体の空無な、それ故にこそ強烈な力を発揮する「臭い」であるそれが、なぜ強力な「シカト語」なのかはわからないまま、自分でもそう云われたくない、と、いつも警戒していたように思います。といっても実体がない「臭い」なのですから、どうしようもないのですが・・・。

<div class="sub2">—　よなげやのムラオカさんち　—</div>
　私の家の向側に「よなげや」のムラオカさんという家がありました。よなげやというのは、東京中に巡らされた壕やどぶ川を浚って、鉄くずやたまには貴金属の落とし物を浚って、それを売り捌く商売です。今で言えば立派なリサイクル業です。おじさんは細い体つきに胸までもあるゴム長靴を履いて仕事から帰ってきます。おばさんは大きな体で山のように、そのまま溶け出してしまいそうな感じで、その家の大きな暗い、湿っぽい土間の奥で一日中居眠りをしていました。その傍らの土間ではおじさんが今日の収穫物を、パイスケと呼ばれる大きな1m以上もある、竹製の笊にぶちまけて、大きな磁石で掻き回しながら、鉄とそうでない金属を選り分けていて、大きな磁石も珍しかったし、何よりもその先にずらずらと釘やいろいろな鉄が繋がってくるのが面白くて、いつも傍に坐ってみていました。

<p>　土間にはいつも、天井に届く程、錆びた針金や、何かの機械の部品とか、とにかく鉄くずの梱包が積み上げてあるのです。ですから土間は錆びた鉄くずの酸性の臭いとどぶ泥の生臭い臭いがしていました。このよなげやのムラオカさんちの土間にはいつもどぶから上がったばかりのべい独楽がブリキのバケツに幾つも入っていて、気に入ったのがあれば分けてもらえるから、特に男の子たちには隠れた人気があったのです。それはどこかの子供がコマ遊びの最中に、どぶ川に弾き飛ばしてしまったものですが、そういうのは前の持ち主が一生懸命、強い独楽を作ろうと改造したもので、かなり強そうな面構えをしているのです。駄菓子屋で売っている鋳込んだままの新品の独楽とは、重みや貫禄が全く違うのです。もう錆びかかっているものもありますが、それを更に自分なりに、例えば道路のアスファルトにこすって回転軸の芯を研ぎ出したり、相手と当たる角を削り出したり、表面に松脂を溶かして天保銭を埋め込んだり、鉛を溶かして埋めて、とにかく重戦車のようなどっしりとした独楽を作るわけです。仕舞には手がすっかりドブドロと金気の臭いで、幾ら洗っても取れなくなってしまうほどです。今のような除菌時代には到底考えられない事です。</p>

<div class="sub2">—　車の排気ガス遊び　—</div>
　車道と歩道が分かれたカイセイドーロ（改正？道路）というのが初めて通ったのですが、といっても今のように車がたくさん通るわけではなくて、当時の運送はトラックとかオート三輪よりは、結構馬力も盛んで、大きな荷車を引いた馬がよく通りました。それに近在の農家からやってくる肥桶を積んだ牛車はたいがい朝と夕方の二回、ですから、子供たちはいい遊び場にして、そんなふうにべい独楽を研いだり、スケートをしたり、自転車の練習をしたりするのです。そんな時、これも忘れていた臭いの記憶の一つですが、たまに自動車がやってくると、みんな一斉に遊びを止めて、自動車の通り過ぎた後の道路に一列に並ぶのです。そして一斉に深呼吸して、いま通り過ぎた車の排気ガスの臭いを嗅ぐのです。これが子供たちの官能をたまらなく刺激して、自動車が通るたびにやるのです。今のシンナー遊びみたいなものかもしれません。またガソリンも今のものとは違うのかもしれません。本当にいい匂いでした。

<div class="sub2">—　へんな臭い遊び　—</div>
　何だか私の子供時代の匂いはどぶ泥の臭いとか排気ガスとか、あまりいい匂いの記憶がありません。

<p>　こうしてひとたび「臭い」記憶が蘇ると、次から次へと出てくるもので、我ながら仰天しながら書いていますが、こんな臭いの遊び？がありました。確か3〜4歳の、もちろん学齢前のことです。近所の子供たちと、今まで続けてきた遊びを突然中止して、お互いの腕を捲くって唾液を掛けると、今度はそれを片方の手で激しく擦り合うのです。摩擦の熱で乾いてきたら、すぐに鼻を当ててその臭いを嗅ぎあうのです。ただそれだけの事で、遊びといえるのかどうか、そして、もしそれをフロイト先生がご覧になったらなら、何とおっしゃるのか、と、ふと興味深く思うのですが・・・。</p>

<div class="sub2">—　メンコの役をふられた学芸会　—</div>
　先に述べた「よなげやのムラオカさんち」の向かい側にキリスト教の教会があって、教会と云ってもドブ板長屋の棟割りの中の一軒に住む、初老の牧師さん夫妻が、自宅をそのまま教会にしているもので、そこでは子供たちのために日曜学校というのを開いていて、そこに行くと、牧師夫妻のお話やキリストの事蹟を描いたぬりえが貰えたり、何よりも当時のその辺の暮らしの中では得られなかった、独特なモダンなお菓子のクッキーの、確か今にしてみればアニスのような、ふだん家で感じる匂いとは別の甘やかな匂いを、子供ごころにも深く吸い込んでいました。先日妹と話す機会があったのですが、やはり妹も覚えていて、毎回、小さな紙袋を渡されて、それに献金として一銭銅貨を一枚入れた、というのです。

<p>　その当時の私の家の匂いというと、関東大震災と昭和の大恐慌のあおりで、父は親代々の薬屋を失敗してしまい、酒に浸る日々だったそうですが、私が生まれたのを機に酒を断って、私の知る父は、熱心な禅宗の信仰者の姿でした。ですから家の中は常に線香の匂いが漂っていたし、お菓子ときたら、いつも父がお寺から貰って来る供物の打ち菓子にしても、どこか線香のにおいが染みていたものです。</p>

<p>　母の懐が木酢の匂いであったことは先に述べましたが、父の懐はというと、こちらは常に抹香の匂いと、仁丹のような匂い。薬屋を仕舞ったとはいえ、局方の薬以外の漢方の薬もずいぶんあって、お腹を壊した時など煎じて飲まされてもいましたから、そんな匂いがしていたのです。つまり日曜学校の匂いと、我が家の匂いのコードが違っていた、という訳です。</p>

<p>　この父親の懐の匂いは、後で、もう一度、今度はスパイスとかハーブという匂いにコードを変えて、1950年頃ですが、私の画家としての生活に大きな転機をもたらすことになったのです。そして更にもう20年を経て、冒頭に述べた、食のアートイベント並びに「チャングムの誓い」への発想と繋がっているのだということを、この記事を書きながら、ありありと思い浮かべ、自覚するに至ったのです。「チャングムの誓い」などは全編が漢方ならぬ韓方薬の香りに満ちた物語りですから・・・。</p>

<p>　さて、余談が長くなりましたが、その日曜学校のクリスマスの催しで、劇をする事になって、本来ならキリスト誕生の話になるのに、その一年後には、第二次世界大戦が始まろうというときのことですから、銃後の子供たちの心構えを説いた、勧善懲悪劇です。大勢の悪い友達が、一人のよい子供を誘惑するといったその劇で、私は事も有ろうに、代表的悪ガキの役を振られ、マルメンと云われていた大きな円形のメンコをおでこに付けさせられて登場し、一斉に「そうだ、そうだ、それがいいや」と大声で叫ぶのです。もうそれが嫌でいやで、恥ずかしくって、そんな或る日曜日、劇の練習の最中に、チリンチリンとベルの音がして生ゴミ集めの車が来たのです。当時はおじさんが大八車に大きな黒い箱を乗せて、集めにきたものですが、教会の裏口を開けて作業を始めたのです。その臭いが突然練習の劇の中へ流れ込んだものですから、思わず「あっ、臭い」と云ってしまった私は、牧師の奥さんに、そんな下品な事を云ってはいけません。だからメンコが相応しいといって叱られてしまったのです。そうか臭い事は下品なのか、おれは下品なんだからメンコの役なのか、と、なんともやり切れない気持ちになって、いっそクリスマスなんか休んでしまおうかと何度思ったか知れません。結局何とか終わらせたのですが、日曜学校そのものも、また劇とか芝居というものもいっぺんに嫌いになってしまったのです。</p>]]>
        
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    <title>臭いの自分史3</title>
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    <published>2007-09-03T09:22:35Z</published>
    <updated>2008-04-15T08:27:51Z</updated>

    <summary> —　父と訪ねた馬小屋の臭い　— 　父の臭いでもう一つ思い出すのは、厩の臭いです...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<p></p>

<div class="sub2">—　父と訪ねた馬小屋の臭い　—</div>
　父の臭いでもう一つ思い出すのは、厩の臭いです。場所は高田馬場辺りか板橋のあたりかはっきりしないのですが、或る時父に連れられて知り合いの家を訪ねたのですが、何とその家の横手の馬小屋に1頭の馬がいて、道を通る馬とは違って、すぐ傍で見る馬はかなり大きくて、その馬の鼻面を親しげに撫でる父をみて、驚くと同時にその時初めて父が馬に乗れる事を知って、急に父が大きく見えたのです。その家はもしかして馬力の運送屋だったのかもしれませんが、父親はよくここに馬を見に訪ねてくる、と云っていたような気がしています。そして何よりもその馬小屋の馬の臭いにも驚いたものです。町中ですから先の鶏舎と同じように、近所は果たしてどうだったのか。

<p>　明治16年生まれの父は、日露戦争時、近衛騎兵上等兵として従軍したということで、馬は得意だという話を聞かされました。当時はよく家に、近所の若い徴兵期の青年が、やがて自分も体験する筈の軍隊とか戦場体験を聞きに来ていましたが、そんな時私は父のあぐらの膝の中に納まって、父の見せる勲章とか従軍手帖（軍隊手帖？「一つ、軍人は・・・」というのが書いてある例のあれです）などを一緒に眺めていました。まあこの60年間、徴兵制度というものを知らない今の平和な日本の青年は、何といっても幸せなのだと思います。</p>

<div class="sub2">—　削りたての鉛筆の匂い　—</div>
　私は若い頃から、西脇順三郎の詩が好きで、初期の詩集『旅人かへらず（<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4766413717?ie=UTF8&amp;tag=cafeface-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4766413717">西脇順三郎コレクション (1) 詩集１</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4766413717" alt="" style="border: medium none  ! important; margin: 0px ! important;" border="0" height="1" width="1" />）』を先輩から借りて筆写していたのですが、或る時、その先輩に連れられて、慶応大学の学部長室に先生を訪ねることになったのです。そして首尾よく私の筆写した『旅人かへらず』をお見せして、サインを頂くことが出来たのですが、そのとき先輩の主宰する詩誌で特集した先生の詩集「L'OMBRE」を見せられたのです。その巻頭に載っていた詩ですが、

<p><span style="color: rgb(153, 102, 0);">　「秋」<br />
　タイフーンの吹いている朝<br />
　近所の店へ行って<br />
　あの黄色い外国製の鉛筆を買った<br />
　扇のように軽い鉛筆だ<br />
　あのやわらかい木<br />
　けずった木屑を燃やすと<br />
　バラモンのにほひがする</span></p>

<p>　というのですが、ここまで読んだとき突然、それまで子供心に大事にしていた匂いの記憶を、突然思い出したのです。本当に人間の記憶の回路は、こんな緊張した場面でも、突然、あらぬ方に繋がるもののようです。</p>

<p>　それは小学一年生の時、私の一年六組だけがその当時では珍しく男女組（共学）でした。何しろ「男女七歳にして・・・」という時代ですから、それは珍しい事で、共学といっても教室では、黒板に向かって右側が男子、左側が女子の席という具合に、男女同数がぴっちりと分けられて、お互いに遠くから相手の様子をうかがっている、といった具合でした。そしてそれはずっと六年生まで続いたのですが、そんな中に一人、奇妙な匂い、そう削りたての鉛筆のような匂いの女の子がいたのです。</p>

<p>　当時女の子はおかっぱでしたが、その子は「ちびまる子ちゃん」ふうではなく、肩のところまで長くしていたのがちょっと目立っていて、何かの弾みに隣り合うこともあって、そんなときこの削りたての鉛筆の匂いがするのです。その頃は誰でも「肥後の守」という二つ折りのナイフをセルロイドの筆箱に持っていて、鉛筆はそれで削ったものです。そう気がついてからは、毎日のように、何本も何本も削っては、私の筆箱の中はいつも削りたての、先の尖った鉛筆がいっぱいに並んでいました。今でも右の掌の親指の付け根のところに、ぽつんと青い点がありますが、その頃、その研いだ鉛筆の芯の先端で、誤って突いてしまったのが、入れ墨のようになって、未だ消えずに残っているのです。</p>

<div class="sub2">—　四畳半のアトリエは灯油の臭い　—</div>
　西脇先生のお宅や研究室に通い始めたその頃の私は、長い療養所生活を卒業して、やっと東京の片隅へ出て、絵描きとして出発を果たしたばかりの時でした。そのころの匂いの記憶といえば何といってもテレピン油（油絵の具の溶剤）の匂いですが、アパートの四畳半をアトリエにして、その一方で以前から謄写版による版画（シルクスクリーン）を制作してきたので、自然の成り行きで、生活のために謄写印刷の仕事を引き受けては、それが結構忙しくて、その四畳半は、印刷工場の、こちらの方はインクの溶剤が灯油でしたので、それに冬などはストーブも灯油ですから、狭い部屋中に灯油のガスの刺激的な臭いが、常時充満していて、鼻を痛めてはそれがもとで冬はいつも風邪を引いているしまつでした。

<p>　ちょうど私が所属していた公募展「美術文化協会」は春3月に上野で開かれるので、制作のピークは1月、2月。鼻をぐずぐずにしながら四畳半の壁いっぱいに、つまり横一間半（約2.7m)、縦8尺（約2.4m)くらいに張ったキャンバスに挑んでいました。ところが、その四畳半に移りたての、最初の展覧会の制作で、あまり一杯いっぱいにキャンバスを作ってしまったので、いざ、搬入ということになって、一間の掃き出しから、作品を対角線にして出そうとしても、どうしても通過してくれないのです。出す時のことを考えずに、とにかく少しでも大作を、と気負っていたのです。泣く泣く作品の木枠を壊して、やっと搬入にこぎ着けたものです。</p>

<div class="sub2">—　魚臭に悩んだモンテーニュ家　—</div>
<div style="margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; float: left; width: 210px; background-color: rgb(51, 51, 51);"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/10/ki10_02.jpg" alt="はいじまようじ" height="296" width="210" /><br /><span class="cap2">モンテーニュが新婚時代を過ごしたという、ラ・ルーセル街23番地、25番地の家の正面（左端ビル）。</span><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/10/ki10_03.jpg" alt="はいじまようじ" height="263" width="210" /><br /><span class="cap2">同じく左手前のビル。通りはガロンヌ川方向へ（いずれも撮影は筆者）。</span></div>　堀田善衞著『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087477495?ie=UTF8&amp;tag=cafeface-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4087477495">ミシェル城館の人</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4087477495" alt="" style="border: medium none  ! important; margin: 0px ! important;" border="0" height="1" width="1" />』全3巻は、モンテーニュ好きの私にとって随想録の時代背景や、ミシェルの人となり、伝記を知る、格好の、そして楽しい読み物です。

<p>　私は20代の初め頃から、モンテーニュの『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861450241?ie=UTF8&amp;tag=cafeface-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861450241">随想録</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861450241" alt="" style="border: medium none  ! important; margin: 0px ! important;" border="0" height="1" width="1" />』に親しんで来た手前、何かのおりにぜひ、モンテーニュの城館を訪ねてみたいと思い続けてきたのですが、04年5月、ちょっとした用事があって私たち夫婦でヨーロッパを訪ねたおり、長年パリに住む義妹の案内で、それを果たすことになったのです。</p>

<p>　城館はボルドーから60kmも田舎ですから、まずボルドーの市街、ミシェルの新婚時代を過ごした家やミシェルが市長を務めたボルドー市庁舎、或は高等法院庁舎などから訪ねる事にしました。そしてまず義妹がミシュランの案内書を頼りに探し当ててくれたのが、ラ・ルーセル街23番地、25番地です。ミシェルの家系は曾祖父の代からこの地で、回船業を中心とした商業を、葡萄酒、大青（パステル）の染料、鮭その他の塩魚を各地へ売りさばく大商人でした。問題は塩魚です。先述の『ミシェル城館の人』によると、これが大変な悪臭を発する甚だ近所迷惑の商売だったようです。かのエラスムスはその『対話集』の中で、この塩魚屋に対して「塩魚屋よ、阿呆の臭太郎」と呼びかける始末です。</p>

<p><br />
<div style="margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px; float: right; width: 320px; background-color: rgb(51, 51, 51);"><img src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/10/ki10_04.jpg" alt="ガロンヌ川" height="209" width="320" /><br /><span class="cap2">ガロンヌ川。ボルドーの港は川港だ（撮影／遠藤恵子）。</span></div>　ご存知のようにミシェルはアンリ4世に仕える帯剣貴族でしたが、その貴族という地位にとって、一方で商人であるということも芳しからぬ事の上に、事も有ろうに塩魚屋というのは最も具合の悪いもので、祖父の代から、何とかこの魚臭を抜き去ることに、多大の努力が払われたというのです。もちろんわがミシェルの頃にはすっかりそれは消え去って、身のこなしも、考え方もすっかりと立派に帯剣貴族となってアンリ3、4世の政界で活躍する訳ですが、その倉庫兼事務所のあったこの家は、今ではそれぞれ別の人の住居になり、そんな匂いは遠い昔の事として、静かな佇まいを見せています。車がやっとすれ違えるくらいの、細い石畳の道を挟んで、3〜5階建ての家が並び、その一軒の戸口高くに、わがミシェル・ド・モンテーニュの事蹟を記した金属の板が打ち付けてあるのを見ている時、暑い日差しの中、ガロンヌ川の波止場の方から、ふと、潮風とともに立ちこめる、問題の強い魚臭を嗅いだような錯覚に襲われたのです。そして長い事忘れ去っていた私自身の魚臭の記憶が激しく蘇ってきたのです。</p>

<p>　私は子供の頃、たぶん6〜8歳のころですが、絶えず歯痛に悩まされてきました。荒川という比較的大きな川が近くを流れていたのですが、その川沿いの工場街の一角に「鯖の神様」と呼ばれている小さな石の祠があって、これが、虫歯の治療に霊験があるということを、何処からか聞きつけて来た母が、お供えの生鯖を一匹携えては私を連れてお参りにいったものです。この辺一帯は荒川の海運を利用したさまざまな大工場が密集していたのですが、その中の一つに干し鰯（か）の製造工場があって、常に魚の腸樽（わただる）が積んであり、焼け付くような魚臭が立ちこめていたのです。思わず鼻をつまんで駆け出したくなる臭いです。多分それらは陸送では憚られるので、腸樽専用の船を使って運んだのでしょう。その魚臭はなるほど、歯の痛みにも増して、かなり堪え難いもので、母と私はお参りもそこそこに、真夏の酷暑の中、汗びっしょりになりながら、少しでも早くそこを逃れるように、小走りに通り抜けたものです。</p>

<p>　ガロンヌ川ならぬ荒川の魚臭が、同じような暑さの中、凡そ70余年の時を隔てて、突如蘇ったというわけです。<br />
＊　＊　＊</p>

<p>　しかし、こうして書いてきて、凡そこれらどれを取っても、一つとして心地よい匂いというものの記憶ではなく、余りにも貧しく、ある場合には少しばかり下品でさえあることに愕然たる思いです。この先いくら思い出してもそれは変わらないのではないか、と思えるくらいです。例えば西脇先生の研究室で突然襲われた鉛筆の臭いの記憶にしても、上の魚臭にしても、すぐその場の誰かに、或は同行の義妹にもそしてワイフにさえ、話すことが憚られる気がして、再び記憶の底の元あった場所へ、意識下へと慌てて圧し隠す始末でした。と考えてくると、だとしたら、いくら洗っても洗っても血の「臭い」が取れなくなってしまった、あのマクベス夫人の手のように、何と狂わしいことでしょう、私の一生は。（おわり）</p>]]>
        
    </content>
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    <title>『消えゆくことば』の地を訪ねて</title>
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    <published>2007-04-20T14:02:49Z</published>
    <updated>2008-04-27T14:03:40Z</updated>

    <summary>図書紹介 私は今、友人である木下哲夫さんが翻訳したマーク・エイブリ（イングランド...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">図書紹介</div>

<div style="float: left; margin: 2px 15px 5px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560026173/cafeface-22/ref=nosim/" target="_top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560026173/cafeface-22/ref=nosim/" target="_top"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4560026173.01._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="「消えゆくことば」の地を訪ねて" border="0" /></a></div><p>私は今、友人である木下哲夫さんが翻訳したマーク・エイブリ（イングランド生まれでケベック在住のジャーナリスト、詩人）の［<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4560026173?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4560026173">「消えゆくことば」の地を訪ねて</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4560026173" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />］という本を読みながら、これは浩瀚な読書家揃いのアリ研（アリストテレスと現代研究会）の皆さんをはじめ、多くの方に是非とも読んで頂けたら、と願って紹介させて頂く次第です。</p>

<div class="sub2">―　マクドナルドを背負った言葉に　―</div>
<p>　今世上では小学生から英語を教えるかどうか、といった問題がテレビや新聞を賑わしていて、日本人のアイデンティティの在り処が、言葉の問題を軸にして誰の心にも陰を落としています。</p>
<p>　しかしこの本自体はそういう際物的なものでは決してなく、それどころか、オーストラリアから北極圏まで、ウェールズやイギリス諸島のマン島、なかには母音を持たない言葉、81個の子音を発音しなければならないコーカサスのカバルディアン語とか、とにかくそうした世界中の少数民族を実際に訪ねて、その民族のことばが、ウォールマートとコカコーラ、あるいはマクドナルドを背負ったことばに置き換わって消滅してしまいそうな、そういう瀬戸際の人々を訪ね、実際にそれらのことばをしゃべったり聞いたりして取材した、切実なレポートです。そしてまたこれも一つの貴重な言語論でもあるのです。</p>
<div class="sub2">―　無文字社会の言葉　―</div>
<p>　今の私達の常識では、ことばといえば音声と文字表記とがペアになっていますが、ここで取り上げられている少数民族の言葉は、すべてが音声言語で、つまりいわゆる無文字社会のものです。文字を持たない民族、といえば皆さんはすぐさま、アリ研のメールで話題に上ったレヴィ・ストロースの「野生の思考」や、これもやはりアリ研のサイトで石井さんでしたかが出されていた、川田順造のアフリカでのフィールドワークを中心にした無文字社会、口頭伝承の研究があります。が、この書は、これらとはひと味違うもの、つまり現在地球を支配しようとしている強大な言語との凄まじい確執のドキュメントになっている、ということなのです。</p>
<p>　例えば国家政策による暴挙としか思えない、こんな例もあります。アボリジニのジャル族の場合、1910-70にかけての話ですが、数千人の子供たちを家族から引き離して孤児院に入れて、白人として英語で教育を受けさせた、というのです。支配され、抑圧されてジャル族の多くは、先祖の「ことば」を恥ずかしい言葉と思うようになり、口が重くなっていく、というのです。</p>
<p>　「私は五歳の時に母の元から連れ出されました」「それまでは、母とジャル語とグーニヤンディ語を話せたのです」といいながら自分達を拉致して行く警官を“ヤワダロ・ワイノワジ”つまり「馬に乗り、人を鎖でしばる人」という言葉をつくって呼んでいたというのです。私は、この警官に鎖で拉致される少女の話を映画で見たように記憶しています。映画の場合は孤児院から抜け出して家に帰ってしまうのですが、孤児院での凄まじい教育の映像を記憶しています。</p>
<div class="sub2">―　地球の言語の豊かさに感動／状況に悲観　―</div>

<p class="quo">「旅先ではどこでも、危機に瀕する言語をじっさいに話す人びと、少数文化に忠誠を尽くす人びとのことばに努めて耳を傾けた。自分のことばがやがて滅ぶかもしれないと知った人びとは、その重荷をどのように背負っているのだろうか。／また諦めは人びとの心をどのように蝕むのだろうか。／それより何より、これほど多くの言語が失われようとしている状況は、人類の歴史を左右する重要な契機ーー言語の多様性を顧みず、楽観派に言わせれば世界共通の魂、そうでないひとによれば魂のない単一文化をめざす指向ーーにあたるのではないかというわたし自身の勘の正しさも確認したかった。何千という言語が危機に陥ったからといって、心配する必要は本当にあるのだろうか。本書で答えを出そうと思う最大の問題は、これである。」（p17）</p>
<p>　自分達のことばの話し手がだんだん少なくなって、遠くない将来には消え失せてしまう、という恐れから、彼等の或る地域では、古老たちの話をテープに録音したり、それを文字にして留めようという（著者は延命運動というのですが）運動を起こしたりするわけですが、それは多くの場合、ことばが暮らしの日常から、博物館のものになってしまいます。その上に「書きことばになって以来、英語の影響がマン島語の構文に混乱をもたらした」というアイルランドの学者T・F・オライリーの報告ですが、これなぞ今の私達が自分の周囲をちょっと見回してみれば、必ずしも他人事ではないことに気付くはずです。</p>
<p>　しかしそれでも、そうした努力をせずにはいられない気持ち、またそれがどれほど有効なものか、と、著者と一緒になって心配しながら読むのですが、一方、そうした文字を持たない民族が、自分達の言葉の生命力、言霊を信じて、この地球上に今なおこれほどたくさん存在し、多様な言語生活を営んでいるという、その地球の豊かさに感動してしまうのです。</p>
<div class="sub2">―　口承と文字と　―</div>
<p>　ではアリ研の私達には身近な「ホメロス」はどうだったのでしょうか。かのメディア論で名高いマーシャル・マクルーハンは『グーテンベルグの銀河系』という本で、ホメロスの口承詩をメディアという面から語り起こしていますが、今の私達は文字を追いながら楽しむことが出来る、いやそのようにしか手立てがないのですが、それならば万葉集は、今まで音声で伝えられてきた詩を新来の漢字というもので書きとどめる、ということになった時、詩とその形式の上に何が起こったのでしょうか。</p>
<p>　或は人々の生活がどのように変わったのでしょうか。万葉集の場合はそれでも、音と対応させた万葉仮名による表記法だが、もう一つの古事記のほうは、太安麻呂が漢文として書き取った時に、稗田阿礼の脳内に凝縮されていた言霊のうえに、世界の構造に、いったいどんな変化が起こったのだろうか。稗田阿礼以前の民俗的王権と古事記以後の文字を持つ律令国家への転換。それまで語り部の記憶に詰め込まれていた言霊が、突然文字という舶来のぴかぴかのメディアに置き換わるときの気持ち、いや、置き換えるときの権力者の誇らしげな、或はそれを承けての人々の限りない先進文化への憧れの気持ちは一体どのようなものだったのだろうか。</p>
<p>　この本では文字を持たなかった社会、それまで長老たちの頭の中にぎっしりと詰込まれていたそのトーテムの歴史や世界観、考え方の構造といったものが、文字というものを作り出して、それに留めようとする時に起こる、軋轢というか、齟齬というか、とにかく音声のことばと文字が必ずしもぴたっと重なりあわない、そういういらだち、諦め、の状態が随所に伝わってきます。</p>
<p>　それにもう一つ、この本にはレヴィ・ストロースの “差異はじつに豊穣である” とか “これまでの進歩は、差異があったからこそ可能になった”とかいう有名な言葉も紹介されながら（P386)、「あらゆる文化の産物を、地上のどこからでも手に入れて消費できるようにようになる反面、一切の独創性を失う恐れに直面し、怯えている」といった消費万能の現代世界への目配りもされているのです。</p>
<p>　とにかく目次を並べてみましょう。</p>

<p>第一章　パトリックの言葉<br />
第二章　夢見る人びと　北オーストラリアの言語<br />
第三章　世界を組み立てる<br />
第四章　見えず、聞こえず　ユチュー語<br />
第五章　ドント・ヴォリ、ビ・ヘービ<br />
第六章　墓を出る　マン島語<br />
第七章　ボロ語の動詞<br />
第八章　獅子のことば　プロヴァンス語<br />
第九章　縁から溶ける<br />

第十章　フンボルトの鸚鵡<br />
第十一章　脱出術　イディッシュ<br />
第十二章　蘇生<br />
第十三章　ことばの鉄柵　ウエールズ語<br />
第十四章　全地のおもて<br />
訳者あとがき<br />
出典</p>
<p>となっています。<br />
（終わり）</p>
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    <title> 池田忠利の漂流物アートが観せる『人間喜劇』そして『地球悲劇』</title>
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    <published>2006-09-22T14:23:23Z</published>
    <updated>2008-04-28T02:13:36Z</updated>

    <summary>“渚”それは、池田忠利の限りない創造の場です。 　それは単に池田の使う素材が渚に...</summary>
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        <category term="No.07：池田忠利の漂流物アートが観せる『人間喜劇』そして『地球悲劇』" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div style="color: #666600; margin:30px 0px 0px 0px; padding:2px 0px 2px 0px; text-align: center; font-weight: bold;">“渚”それは、池田忠利の限りない創造の場です。</div><br />
<p>　それは単に池田の使う素材が渚に漂着する海の漂流物だから、というばかりではありません。勿論それもあるが、それよりももともと池田の脳内風景には、つねに、あのルネサンスのヴィーナスを生み出した、生命創造のエロスの波が泡立てる、渚の息遣いが息づいているのです。
</p>
<div class="sub2">―　漂流物という特徴的な素材　―</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 4px; width:214px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ララバイ" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki07_01.jpg" width="214" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap">&nbsp;▲ ララバイ</span></div><p>　特に台風の後などに池田は早々に渚に出てはそこにうち寄せられている数多のいわばゴミの中から、自分の作品の素材になりそうなモノを丹念に選り分けてはアトリエに拾って帰る、ということを長年してきました。</p>
<p>　“素材になりそうなモノ”　といってもこの時点では恐らく池田自身にだって、果たしてそれがこの先どのような作品になるのかなど皆目判らないわけだし、それにこういう部品が欲しいといったところで、そんなモノが都合よく打ち寄せられているとは考えにくいのです。その辺りの機微を池田は「自分に対して媚びを売ってきたモノを掴まえる」のだと言います。</p>
<p>　そこにどれほどの可能性が潜んでいるか計り知れない漂流物を、いっときの自分の美意識で裁断してしまうのではなく、選ぶ主体を、私から漂流物という向側にシフトさせて、渚の生命的な泡立ち共々自分の脳内風景に持ち込もうというわけです。</p>
<p>　一昔前なら、そのものを拾おうとする行為の原因はあくまでも池田自身の中にある、と考えられてきたのに対して、そうではなくて、池田に拾うという動きを与えているのは、相手の漂流物というモノや、渚という環境の側の役割が大きいという、これは今、しきりに取り沙汰されている言わば“アフォーダンス（Affordance)”といった認知科学の先端的な「場」の概念に近しいものです。</p>
<p>　しかし池田の場合、そうしたアフフォーダンスで終わるわけではなくて、さらに次ぎ次ぎとひき起こされる漂流物たちとの絶え間ないコラージュの掛け合い、という作業があるわけで、この時点ではおそらくさまざまな生物的な形態が現れては消え、消えては現れしているに違いないのです。ちょうど渚という、生物と環境が互いにしっかりと絡み合って生きる場にあって、生命という布を織りなしていくうえでの、その絡み合いの相互的で瞬間的な行動をそのままになぞるように……。そして、その絡み合いの中から、世界に向かって限りなく開いていく絶え間ない自己創出にこそ、池田の更なる今日性があるといえるのではないでしょうか。</p>

<div class="sub2">―　“創造の胚”がうみだす怪物的な様相　―</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 10px; padding: 4px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ブルージュ" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki07_02.jpg" width="240" height="314" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap">&nbsp;▲ ブルージュ</span></div><p>　そういう彼の創り出す生物たちは、人間を始め種類も名前も判らぬ魚の類、鳥、或いはドラゴンといった仮想的聖獣の類、と実に多様なのだが、これら全ては、例えば人物にしても魚にしても、素直に人、或いは魚のかたちであるわけではありません。互いに目一杯メタモルフォーゼされて、挙げ句の果てにはどこか怪物じみた表情をさえ与えられているです。</p>
<p>　例えば池田の最近作『南海のクリオネ』。テレビコマーシャルにも登場したりして、海の妖精などと人々の人気を集めてきたあの北海の小動物だが、これも池田によって可愛いというよりも異様なもの、何かの器具の部品を顔、特に眼窩や口に見立て、特徴的な鰭と胴体部分は、波に洗い晒されて海の息吹をいっぱいにしみ込ませた木片の、捻れたような形をうまく生かしてコラージュすることで、全体として、池田は自分の創作のテリトリーである房総という南海の海流に揺れながら漂う小さな妖精とし、しかも、どこかに怪物じみた表情を与えているではありませんか。</p>
<p>　しかしこの怪物たちはどれも、この作品が象徴するように、決して人に危害を加えたり、都市を破壊したり、といった黙示録的な暴力を隠し持っている、というわけではない。それどころか、その動作、表情はどこか幼児性を匂わせて、そのために少なからず喜劇的で、どれもこれも特有の、何んとシニカルな哄笑を湛えていることか。つまり様々なストレスに悩む現代の都会的環境の中で、どこか癒し系のキャラを振られているものといえます。池田の作品が多くの人々に愛される一つの理由ではないでしょうか。</p>

<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 5px; padding: 4px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="たま誤？" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki07_04.jpg" width="320" height="222" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap">&nbsp;▲ たま誤？</span></div><p>　では何故素直に人のかたち、素直に魚のかたちではないのか。つまりこうした怪物性の所以とはいったいどこにあるのだろうか。ここで私は、先に見た、この作家のうちに広がる渚の脳内風景の、その核心部に宿り、渚の泡立ちによって絶えず多様な形態の発生が促されている“創造の胚”といったものを考えてみたいのです。</p>
<p>　「胚」。一般的には母胎に宿って、本来ならば、最終的に揺らぎのないノーマルな形を育むはずの胚が、ひとたび池田の脳内風景に“創造の胚”として宿る時、順次形態が発生してゆく過程で、木ぎれの堆積とか、機械や器具の断片的な廃品に見られる、例えば錆とか不慮の破壊といった自然の刻印、また人間が使い古した手の痕跡といった、平たく言えば池田にとっての他者性の絶えざる作用が、産み出すものを多様化、奇形化の方向へと逸脱させて、つねに怪物性をおびた形態へと分化させてしまうという、そういうことではないだろうか、と思うのです。</p>

<div class="sub2">―　いっそう鮮やかな逸脱を企てるデジタル画　―</div>
<p>　そのような“創造の胚”を持つ渚の脳内風景を,　池田は更に、今度はP.C.上に外化させることで、ひとたび生み出した形態をさらに自由に歪曲、増幅しながら、物質的なリアリティを希薄にした、それ故に一層美しく逸脱した怪物たちを生み出し始めています。此処でも池田は、漂流物のコラージュという年来の自分の方法をデジタル上に移し替えることで、一枚のデジタル画として、デジタル時代の表現の新たな可能性を獲得しようとしているのです。</p>

<div class="sub2">―　渚”それは、絶えず文明の波が洗う境界　―</div>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 5px; padding: 4px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="SC ― ドラゴン犬" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki07_03.jpg" width="320" height="185" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="cap">&nbsp;▲ SC ― ドラゴン犬</span></div><p>　そうした彼の創り出す怪物たちを全体として見渡すときに、そこに人間以上に人間的な、動物を超えた動物たちの演ずる、一場のシニカルな『人間喜劇』を観ることになるのです。が、どうでしょう、私たちの地球では今、コンピュータの世紀として明けた21世紀だったのだが、その最初のパフォーマンスは、イラク戦争という殆ど絶望的なコンピュータ戦争だったし、そのうえにエイズ、狂牛病、サーズ、鶏インフルエンザ、オゾン層の破壊もあげられるでしょう。そのように殆ど休む間もない攻撃の他者性を内発してやまぬこの文明を思うとき、もはや我々はこの文明の行く手を制御する有効な手だてを失ってしまったのではないか、という思いに駆られるのです。そして漂流。いま我々の文明自体が漂流し始めたのだ！</p>
<p>　ここに於いて池田の生み出す漂流物アートの怪物たちは、当の作者自身にさえ制御出来ない力を帯びて、一見、喜劇を演じていたかにみえたそれらの表情の、一枚裏側に隠されている『地球悲劇』の重さを露わにしてくるかもしれないのです。</p>
<p>　果たして今日以後、池田の脳内風景の渚には、いったいどのような文明の漂流物が流れ着くのか。</p>


<p class="quo2">＊文章は以前、彼がベルリンで個展を開いた時のカタログに書いたものに、手を加えたものです。</p>

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    <title>“クローンド・ヴィーナス”のワークショップ1</title>
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    <published>2006-09-22T14:07:45Z</published>
    <updated>2008-04-27T14:13:49Z</updated>

    <summary>「悟空よ！」について ―　ワークショップという美術体験　― 　最近私は、昨05年...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">「悟空よ！」について</div>
<div style="text-align:center;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_05b.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_05b.jpg" width="230" height="173" class="mt-image-none" style="" /></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_05a.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_05a.jpg" width="230" height="173" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_05d.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_05d.jpg" width="230" height="173" class="mt-image-none" style="" /></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_05c.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_05c.jpg" width="230" height="173" class="mt-image-none" style="" /></span></div>
<div class="sub2">―　ワークショップという美術体験　―</div>
<p>　最近私は、昨05年と一昨年の二年間に、立て続けに3つの小学校の生徒に対し、“クローンド・ヴィーナス”と名付ける私の絵画のワークショップをする機会に恵まれました。</p>
<p>　これらは学校側からの教育的要請というより、美術館活動の一環として行われたというところが特徴的でした。</p>
<p>　従来、美術館というものは、いわゆる美術作品の蒐集／展示という重要な機能を持つものです。普通なら美術館を訪れた子ども達に、すでに出来上がった作品を展示して鑑賞させる筈のものですが、これはそうではなくて作家を学校に派遣して、作家のさまざまな遣り方で子ども達が自分の作品を作ってみる、いわば生（なま）の美術体験をするというものです。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 0px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_01.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_01.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　初め行ったのは2004年8月の夏休み。東京都練馬区立美術館の企画による練馬区立第三小学校5年生56名に対してです。次の年2005年6月には国際芸術センター青森（以下ACAC）という美術館による青森市三内小学校3年生30名に、もう一つは同じく青森市甲田小学校6年生60名に対するもので、そのいずれもテーマは“クローンド・ヴィーナス”のワークショップ「悟空よ！」というものでした。この内練馬区立美術館の方は通常の美術館活動の他に、美術家によるこうしたワークショップを十年以上にも亘って続けてきたベテラン美術館だし、もう一つのACACの方は創立4年という若い美術館ですが、国内外の作家を招聘して、アーチスト・イン・レジデンス（以下AIR）という作家滞在型の美術展に特化された、そのための宿泊棟や大きな制作棟を具えたユニークな美術館です。私も去年05年春のAIRに参加して80日間にわたるそこでの仕事をし、青森の小学校へのこのワークショップはその一環として行ったものです。（<a href="ki05_01.html">亀甲館だよりNo.05：「わたくし的AIRな80日間」参照</a>）</p>


<div class="sub2">―　“クローンド・ヴィーナス”とは、“悟空”とは？　―</div>
<p>　まず「クローンド・ヴィーナス／Cloned Venus」つまりクローンされたヴィーナスですが、これは私の絵画の方法に対する呼び名です。それは、いちど完成した自分の作品の任意の部分を切り取って、新しいキャンバスや紙の上に置き、その一片を生命の細胞に見立ててそこに込められた様々な絵画的要素を、恰もクローン（一種のコピー）するように描き継いで、別の新しい絵画を生み出してゆく、という、つまり自分で自分の絵をコピーしてゆく方法です。なぜそんなことを始めたのか？</p>

<p>　今から25～6年も前のことですが、一つにはこのIT時代とか複製技術時代といわれる、そういう時代に、自分の絵画に“オリジナル”という考え方を私なりの遣り方でひとまず保留にして、改めて絵画というものの意味を問い直したい、という気持ち。（当然の成り行きであの&#169;もフリーにしました）ですから基になった絵はさまざまに分化されて音楽のCDでも作るみたいに私の絵は、どれもどこか面差しが似たような作品がこの空間に偏在する気分で、たくさんの作品が生み出されます。それは一方でちょうどあの孫悟空―窮地に追い込まれると自分の体毛を一とつまみ抜いて、口に含んでふっと息を吹きかけ、たちまち無数の自分をコピーしてしまう、あの孫悟空の“分身の法”（これも一種の神話的クローン？）を思い起こさせるものでもあります。</p>
<p>　じつは私は画家といってもべつに美術の専門教育を受けたわけではなく、勝手に画家と決め込んでそう言い触らしているだけのものですから、ましてや教育についてはまったくの素人です。そのためそれが学校本来の美術のカリキュラムとどう関わっていくのか、についてさえも私には必ずしも分明の限りではありませんでした。</p>
<div class="sub2">―　出来ない坊主という自分の子ども時代　―</div>
<p>　ですから美術館からその依頼を受けた時、私の心の中にはほぼ60年以上も前の小学5年生当時の記憶があるだけで、それによると私は、常に病気がちで学校にはろくに出られず、当然授業も理解出来なくて、いつも“出来ない坊主”、学校嫌いの子どもでしたから、以後とんと学校という場所に足を踏み入れることがありませんでした。</p>
<p>　それともう一つ、凡そ60余年に及ぶ画業の果てに行き着いてしまった、こんなデタラメな私の描き方などを他人様に教えても、果たして何の役に立つのか、という思い。気取るようですが『絵は結局、教えられない』なのです。それならば何を教えるのか！</p>

<div class="sub2">―　貧しい子ども時代のレアリテ／鮮烈な16&#176;C体験　―</div>
<p>　いろいろな思いが行き交う中、そんな「出来ない坊主」の授業の中で、先生のおっしゃることが殆ど理解出来ないなりにも、はっと胸を突かれるような出来事が幾つかあったことに気づきます。</p>

<p>　例えばある時、先生が突然「この部屋の今の温度は何度くらいか」と質問されるのです。別に理科の時間ではなかったのですが、小学5年生の秋のことです。そのとき「温度」ということはもちろん知っていましたけれど、それはあくまで教科書の中のこと。正直のところ普段私はそんなふうに考えたこともなく、つまり今まで、今日は寒いとか、暑いとか、いやうそ寒いなどと、今はやりの“体感”というアレで済ませて来たわけですから、当然答えられなかったのです。結局16&#176;Cだったのですが、それは今でもハッキリ覚えているくらいに印象的な出来事でした。今感じているこのひんやり感は「そうか、これは16&#176;Cなのか！」という驚きです。今にして思えば、まるで自分の掌にサリヴァン先生が書いてくれたWATERという文字に、突如この世界を感得したというヘレンケラーの、そのような（大げさですが）驚きでした。</p>
<p>　結局私は75歳の今日まで、幾度かこうした「ヘレンケラーの水」的な体験に出会い、その思いに縋って自分の絵画を組み立てて来たようにも思えるのです。ならば、その“ヘレンケラーの水”的世界感得体験をこそ、子どもの達の中に創り出すような、単に絵の描き方を教えるのではない、そんな方法を一つの“システム”としてワークショップの中に埋め込んではどうか。つまり16&#176;C／ロゴスと今感じているヒンヤリ感／パトス、ありふれた設定ですが、その二項の往復運動をです。</p>
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    <title>“クローンド・ヴィーナス”のワークショップ2</title>
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    <published>2006-09-22T12:15:57Z</published>
    <updated>2008-04-27T14:18:55Z</updated>

    <summary>「悟空よ！」について ―　制作のストーリー　― 　いろいろ考えた末それを以下のよ...</summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="No.08：クローンド・ヴィーナス”のワークショップ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/haijima/">
        <![CDATA[<div class="asset-name_b">「悟空よ！」について</div>
<div class="sub2">―　制作のストーリー　―</div>
<p>　いろいろ考えた末それを以下のような三つの段階に整理してみました。<br />
第1段階：まず生徒自身にコンビニなどで段ボールの空き箱をゲットしてきてもらって、その段ボール箱に各自ドローイングをする事から始める。<br />
第2段階：描き上がった箱の綴じ目を解いて、一枚の平面に展開し、自分が描いてきた絵の総体を改めて捉えなおす。<br />
第3段階：今度はそれを思い思いに切ったりちぎったり、してその断片を張り合わせながら、再び今度は別の平面なり立体作品を作ってゆく、という三段のシステムです。</p>

<div class="sub2">―　第1段階／なぜ段ボール箱なのか／絵画を生きる　―</div>
<div style="float: right; margin: 8px 0px 5px 15px; padding: 0px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_04.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_04.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　まずここで使った段ボール箱は、六面体―つまり6つの平面を持ちますが、これは絶えずどの面かが床に接しているか、向こう側に廻っていて一度に全部の面を見通すことが出来ないもの、という意味のものです。同時にそれは私達が日常目にする“世界”、一度に全部を見通すことが出来ないこの世界、とか、一瞬の未来に何が起こるか見通せない私達の“生”の表象でもあります。</p>
<p>　一方、街のスーパーや量販店などからゲットして来た段ボールの空き箱には、たいていの場合、例えば産地からキュウリやトマトといった農産物や、ティシューとかシャンプーなど日用品の輸送に使われたものなので、そうであれば、それなりのデザインがすでに箱の何面かに印刷されています。</p>
<p>　生徒にはまず今自分が目の前にしている箱が、単なる箱ではなく、自分たちの日常生活に深い関わりのあるものだ、ということを知ってもらって、その表面のデザインを自分なりに捉えて、そのデザイン的要素を自分がこれから描こうとするドローイングの要素に変えながら描き次いでいきます。</p>
<p>　全部を一度に見通せない段ボール箱を前にして、そこに自分のドローイングを描いていく、ということは、定かではない自分の一瞬の未来へむけて、一瞬前の手の記憶を紡ぎながら、自分の力で自分を創り出してゆく、そういう意味を持っています。つまり私達には、ただ待っていればやってくる未来、というものは無く、我々の生は一瞬一瞬を自分の未来に向けて創造して行くことで、はじめて自分の生としての形を成さしめる、というものです。ですから全部が見通せない段ボール箱に描いていくことによって、絵画という“美術作品”をつくるというよりは、このワークショップの全体で、生徒自身の“生”をそこに“創り出して”いく、つまり絵画を“生きる”という、このことこそまさに私の“クローンド・ヴィーナス”の方法そのものです。</p>
<p>　そのためには「絵は白い紙、キャンバスに、自分の心の“内面に抱く”何かのイメージを描くもの」という「絶対的な自分」を基にした従来的な考えをいったん保留して、自分を、段ボール箱にすでに施されているデザインと自分、という“関係的な自分”として捉え直すことで、自分中心の自分を相対化し、世界の大きな編目の中の一つの結節点としての自分、として捉えなおすということが必要になります。</p>

<div class="sub2">―　第2段階／箱の綴じ目を開く／全体を見通す視点　―</div>
<p>　そして第二段階で箱のとじ目を一カ所解いて、その立体の箱絵を一枚の平面に展開してみます。それまでは二面かせいぜい三面くらいしか見渡せなかったものが、その段階に来て初めて自分が描いてきた作業を全体的に、つまり神の目で見渡せることになります。立体物であったときは相応の脈絡を持っていると思っていたはずのドローイングですが、平面に開いて改めて見直してみると、そうした脈絡は当然ながらそれほどスムースなものではなく、至る所で自分がして来たことのギャップや段差、唐突に終わってしまう線や、面や色彩の隣り合わせの違和感など、予想を超えたことが起こっていて、その波立ちへの戸惑いと新鮮な驚きに満たされます。</p>


<div class="sub2">―　第3段階／不条理を超える生　―</div>
<p>　そして第三段階では、その平面のドローイングを、自分の好きなところへナイフを入れ、或いは手で破いたりして、切り刻んでいくように促します。当然これは子ども達にとってはかなり不条理なことで、一斉にブーイングが起こります。せっかく描きあげたものを突然破かせられるわけですから無理もありません。これはその前の段階、描き上げた段ボール箱を平面に開くときにも幾らか起こりましたが、子ども達は開くことによって起こる新しい視点への興味を感じ、難なく取りかかったものです。しかし今度は超えるべき段差が大きすぎるのかもしれません。せっかく作り上げて来たモノやそれに込めた命を全否定されるような不条理感。これは私自身が自分の作品にナイフを入れるときにも、ふと込み上げてくる思いでもあります。それとおよそモノを「壊す」とか「紙を破る」とかいうことにつき纏う不道徳的、反社会的な匂いを感じ取るということもあります。</p>
<div style="float: left; margin: 8px 15px 5px 0px; padding: 0px;"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ki08_06.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/haijima/2008/04/27/ki08_06.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></div><p>　もちろん子ども達にはさまざまにプランの説明をし、例えば有り合わせの新聞紙などを静かに破いたり、モシャモシャに丸めたりして、紙が発する音や、モシャモシャの紙の形の不思議さを見せながら、子ども達の持つとらわれの気持ちを相対化してゆきます。</p>
<p>　そうして出来た切れ端、線や面、アクションのギャップや、違和感を秘めたその切れ端を、新しく捉え直しながら、なるべく遠くの断片と、出来たら隣りの友達の切れ端と交換したりしながら、そうして出来る今までとは違う脈絡を生み出すように繋ぎ合わせていきます。</p>
<p>　勿論ここでどうしても破りたくないという子どもには、それはそのままさらに完成させるようにしますが、感動的なことは、そういう子どもでもそこで仕上がり、というのではなく、平面に開いた時に見たギャップや段差、つまり混沌に満ちた画面を、一つの統一的な画面として新しい脈略を創造して行くことです。</p>
<p>　こうした遣り取りの中で子ども達は、紙を前にしたときに、それを破くということの快感とか、折ったり汚したりしたいという行為の誘惑を、むしろ紙の方から、絵の具の方から促されるように敏感に反応して、しかもそれを躊躇無く、的確に自分の表現に変えてゆく