近況の報告を兼ねて書いてみます。
……さて、4月以降、大学の仕事に追われていますが、日増しにがっかりすることが多くなりました。
ことに、大学の使命が大学間競争に勝つこと、と述べている大学トップの再就任挨拶の文章に接したときは、大学もとうとうここまで来てしまったか、という感慨にとらわれ落胆しました。
東大をはじめ国立・私立の「世界一流」校ともなると、多くの大学はその生き残りの方へと関心が傾き、大学経営の論理が出すぎています。研究教育の国際的拠点作りという目標も、生き残り戦略の1つとして考えられています。そこに日本の大学人の底の浅さを痛感します。
西洋の大学の原点はソルボンヌやオックスブリッジですが、その原点はプラトンのアカデメイヤやアリストテレスのリュケイオンです。それらの学園ではなにを教えていたのか。
今、私の最初の本になる予定の『アリストテレス政治学の位相』の第1章部分の草稿を書いていますが、アリストテレス学派と言われた人々の書いたといわれる書物の目録を見ると、今日風にいえば
論理学
倫理学
政治学
政治哲学と実践的政策
法学
家政・経済学
文学、詩学、歴史学
民俗学
弁論術
自然学
とくに物理学、生物学
数学
美学
医学
天文学
音楽
そして哲学、神学
アリストテレスの最高の弟子のひとりにテオプラストスという人がいました。アリストテレスが彼の声を、神のごとき、玉のような美声と評してその名を与えたとされていますが、2千人の学生が集ったといわれています。またその葬儀にはアテナイの市民がほとんどすべて参列した、ともいわれています。
そのテオプラストスの講義題目に面白いものがありました。
風について
老年について
エロースについて
幸福について
神ががりについて
匂いについて
精神錯乱について
そのほか膨大な書が書かれたとされていますがほとんど残っていません。
大学もまた原点に還るべきでしょう。自然と人間と神的なものについて研究し、人間を教育する場になることをまず第一の目標とすべきでしょう。
だれが日本のユニバーシティを大学と訳したのか知りませんが、おそらく明治の文教政策を考えた知識人でしょうが、当然かれらは中国の教育制度、わが国の伝統的な教育制度を念頭においていたはずです。
中国の古典『大学』では、
古之大学所以教人之法也
と、哲学的人間学が冒頭に置かれています。
また、その経の冒頭に
大学の道は、明徳を明らかにするにあり、と。
それに朱子の註があり、
大学なるものは大人の学なり、と。
国際交流もまた、世界から優れた技術者を引き寄せることだけではなく、人間と人間、学問の内容における真の交流に重点をおくべきでしょう。
荒木



コメントする*印は入力必須項目です。