きわめて長い時間、数千年といっていいと思いますけど、人類の長い暮らしのなかで、幸福とかhappyという言葉で呼ぶようになった人間のもとめるある状態は、大きくいってふたとおりの見方ができるのではないでしょうか。
ひとつは、幸福とは自分の力を超えた何か神的なものと触れ合うこと。
その神的なものというのは、ヨーロッパや日本、あるいは中国といった国や民族を超え、また、固有の宗教を超えた、人間の力がおよばぬ力である、と。それが神的なものでして、たとえばこの場合、神(シン、カミ)とは中国最古の説文解字にもあるように雷(カミナリ、神鳴り)の稲妻からきているという考え方があります。つまり、目には見えないけれど、あるとき、あるものを発動する超自然的な力。
それは日本語(和語)のカミという、万葉集とか古事記とかに出てくる言葉についての本居宣長の説も同様であって、人間個人の思惑や力を超えた不思議なパワーのことをカミ(神)という言葉で表していたのでしょう。
そういう点では、古代ギリシャのダイモーンにも通じるところがある。自己という人間個人を超えた何か神的なものの導きと関連している事柄であることが、幸福という言葉のなかに大きな要素として含まれているのです。
もうひとつは、その神的なものの導きとは別に、人間の生活のなかでなんらかの快適で喜びにあふれるような状態を、長い人類の歴史をとおして「幸福」として呼んできたといえるだろうと思います。
しかし、このふたつの面だけが幸福のすべてなのだろうか。もちろん、ともに欠くことのできない幸福の要素だけど、どうもこれだけでは幸福の全体像というか、真の姿を取り逃がしてしまうのではないかと、いまの社会とアリストテレスの考え方を両目で見ながら最近よく考えるんです。
わかりやすくいうと、たとえば日本国憲法13条の基本的人権の項目。これによると誰でもその個人の生命の安全と、自由、幸福を追求する権利があり、保証されていると記されている。つまり、幸福は個人の欲求に基づいて追求できる事柄であるということが、はっきりと述べられているんですね。このことからもいえるように、ことに近代以降は、幸福は個人である自分の力によって獲得できるものとする考え方が共通の理解として大勢をしめている。
それはそれで私としても異存はありませんが、しかし肝心な問題は、ではそのように考えられている幸福を私たちはどうやったらものにすることができるのかということですよね。方法論の問題だけではありません。何が真の幸福なのか、そしてそれをどうやってつかむのか、おそらくその両方が“同時に”必要なのです。アリストテレスに則して考えてみましょう。
アリストテレスはいろいろなところで幸福について書いていますが、いちばん力をいれて述べていると思われるのは『ニコマコス倫理学』という倫理に関する本です。日本語訳の問題もあって、簡単にさっと読めるような代物でないところが悩ましいところですが、できるだけ多くに人に読んでもらいたい、たいへんすばらしい論究がなされている書です。私自身、あと20年くらいのうちには、なんとか読みやすいものにしたいと思っているもののひとつです。一見してイメージがとらえにくい飲み込みづらい文ですが、私が試みに訳したところを読んでみましょう。第1巻第9章からです。まず、全文を。
「もし神々の人間への贈り物と考えられるべき何ものかがある、とするならば、幸福(エウダイモーニア)こそ神与のもの(テオスドートン)とするのが至当であり、それは最善のものであるだけに、人間の持つあらゆるもののうち、そのもっともふさわしいものであろう。しかし、こうした問題は、おもうに別の考察の機会に譲るほうが似つかわしいであろう。しかし、たとえ幸福が神与のものでなく卓越性(アレテー=徳)とかなんらかの学習(マセーシス)や訓練(アスケーシス)によって生じるものであるにしても、それはやはりもっとも神的なものに属すると見られる。まことに、卓越性の報償であり目的であるところのものは、なによりも善きもの、したがってまたなんらか神的なもの、至福(マカリオン)のものであると思われる。
さて、幸福は、広く人々に共通に行き渡るものである。事実、卓越性にたいして不具合ではない全ての人は、何らかの学習と心遣いによって幸福を獲得することができるであろう。またこのような仕方で幸福であるのは、運(テュケー)によって幸福であるのにまさるものだとするならば、やはりそのような仕方で人は幸福になりうるものであるとするのが至当であろう。というのは、自然に即してある物は、可能なかぎり美しくあるものとして、そのような本性をもっており、技芸に基づくものも、その他いかなる因に基づくものも、これと同様なものである以上、最善の因によるものはいっそう美しいものであろうからである。もっとも重大でもっとも美しいものを運に委ねることはあまりにも不当であろう。
この問題にたいしては、われわれの議論からも明白になるだろう。すなわち幸福とは卓越性に即した、魂のある種の活動(エネルゲイア)である。」《1099b11-27》(つづく)



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