以上のように、幸福とは徳を磨くことによってはじめて手にすることができるものだということ。だから欧米の知識層のなかでは、このアレテーをいかにして磨いていくかということが、いつも議論の底流を流れている。はじめに言ったように、アリストテレスをちゃんと読んでいるからですね(苦笑)。
もちろん中国や日本においても、徳というのは人間性を形成するうえで昔から重要な言葉としてつかわれてきました。しかし、このアレテーは儒教的な意味でいわれる徳よりも、もっと広い概念としてあります。たとえば儒教的な徳は、親切心とか義の行い、惻隠の情とかを示す道義的な面を強くもっているものですが、ヨーロッパにおけるアレテーでなにがいちばん重要かというと、知性つまり知的な徳なのです。アレテーを磨くということは、知的な徳を磨くということ。たくさん勉強して知性を身につけることが人間を幸福にするんだという方向にヨーロッパの人々の思考は向かっていくわけです。
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幸福と幸運は異なると先ほど申し上げましたが、しかしもちろん、運も幸福の一要素であることを無視はできません。結局、どんなに奮闘努力した結果得た幸福でも、たいていは運がそこにはたらいている。アリストテレスは幸運といったものを度外視しているわけではない。
たとえば幸運のなかには、夫婦関係やお金や仕事に関して運に恵まれるかどうかということが大きな要素としてある。
アリストテレスはなかでもよき夫、よき妻に恵まれることが人生で最高の幸運だといっているのですが、お金だって一生懸命働いただけではなかなか儲からない。タイミングをうまくつかむとか、人との出会いとかのさまざまな偶然のはたらきがあってお金も儲かったり儲からなかったりする。仕事がうまくいくか、事業が成功するかといったことだって同様ですよね。
子どもだって、優れた親から優れた子が生まれるとは限らない。その逆もあるわけです。それから男でも女でも美貌に恵まれることはかなり運ですし、会社の上司にとっては優秀な部下に恵まれるかどうかも運に左右される。友人や恋人もそうでしょう。
アリストテレスにしても東洋思想にしても、やっぱりそれは人間の力を超えたなんらかの神的なもののはたらきによると考えているのであって、ある意味で幸運はその恵みであり贈与であるととらえておいた方がよい。
私自身が専門にしている政治学にしても、あるいは経済学にしても完全には人の思うようには社会は動かないということを、いつも目の前につきつけられているんです。そのことは冷厳に見つめておく必要がある。経済学にしても、限られた部分的なことをピックアップして、その因果関係をアーキテクチャーとして数学的に分析はできても、全体的長期的な予測ということではほとんど説明できた験しがないわけです。政治に関しては、みなさんよくおわかりのように、「一寸先は闇」の世界です。そういう意味では、政治も経済も運というものに大いに左右されてくる。
しかし、ここが肝心ですが、先ほどからお話しているように、幸福は幸運だけでは得ることができないというのも事実でしょう。運に恵まれるだけでは、人間はけっして満ち足りることはない。運には幸運もあれば、当然不運もある。そんな運に翻弄されながらも、自分の力で幸福を獲得したいという欲求が万人のなかに必ずみられる。
ですから逆にいえば、どんな逆境にあってもその逆境に折り合いをつけ、そこに幸せを見いだしていくように私たち人間の誰もが努力することも事実なのです。そういう意味で、幸福は幸運に還元できないというふうにアリストテレスはいっているのです。
そうすると、では幸福とは、詰まるところいったいなにかということになりますが、彼は幸福とは、われわれのなかのもっともよい事柄を追求することにあるとしているのです。聞き慣れない言い方で最高善といいましたけど、もっとも善いものを私たちが追求しようとするときに幸福は訪れるだろう、多くの人々もそういうふうに考えるだろうといっているんですね。運も努力のうちだ、という言葉を思い出してもらってもいいでしょう。
だから問題は、では最高に善きものとはなにかということになる。もっとも善いもの、卓越的なものとはなにかということが、『倫理学』の最重要テーマになってくるのです。
これまでにも少しお話しましたが、アリストテレスはそれをふたつに分けて、知性的な力量と実践的な力量というふうにいっている。それらを獲得し発揮したときに、ほんとうの歓びすなわち幸福が訪れるだろうと彼は考えている。
ひとつは知的な力量による、知ることの歓び。なんの役に立つのかという以前の、純粋に知ることの歓び。科学などの発明・発見などでも、真に優れた研究者はそういう純粋な動機から大きな成果をあげる場合が多い。宗教的な面で、悟りを得ることとか神を見る体験とかも、そういう知性による幸せにほかならないでしょう。
それからたとえば美術や音楽。美的なものを見たり聴いたりしたときの歓び。それも美にたいする卓越した知性のはたらきとして幸福の範疇に入ってくるだろう。
実践的な力量は自分と自分の隣人、隣近所というだけでなく、たとえば夫や妻、子どもなどを含めた家庭でもそうですが、自分と“他者”によい事柄をもたらすための力量。これもまた幸福とは切れない関係がある。大勢の人たちに喜びをもたらすという場合、企業でいえば経営者の実践的力量が問われることになるのです。
さらに自分の国や世界全体に、幸せをもたらすといったかたちで実践的力量を発揮しなければならないのが政治家です。いうまでもなく、知的、実践的力量は互いに関連しあっているものなのですが、わかりやすくいうとこういうことになるでしょう。要は、卓越的力量(アレテー)とは知的、実践的力量を指しており、これらを発揮したときに得られる喜び(歓び)が幸福であるという考え方は、多くの人が納得し共有できる考え方だろうということです。(つづく)



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