若者の迷い、その根底に横たわるもの〜アキバ殺人

2008年7月 1日 11:40

 最近、就職指導をしていて感じることと、アリ研での話題を重ねて考えていて感じることを書いてみました。
 うまくまとまりませんでした(笑)

 現在の世界の人口はおよそ60億人であり、2006年の国境を越える人の移動は年間8億4000万人を数える。その80%が観光客であると言われているが、一方で外国への労働、留学や、はてはテロリストの移動まで、その目的は多岐にわたる。
 それでは、人はなぜ移動するのか?人間は動物であり、動物とは動く物であるから移動する。その移動の理由は「生存」のためである。動物は自らの生存のために獲物や食糧である資源を求めて移動する。さらに、人間の場合、その資源は物質的なものだけでなく、非物質的や文化的な資源も対象となろう。たとえば、荒木先生の中国への移動は、先生の好むと好まざるにかかわらず「学問」という文化・教育的観点での移動による「知的資源」を国家間で互いに求めあっている。

 世界レベルで本格的な移動が始まったのは、ヨーロッパではギリシャやローマの時代であろうか? アジアでは中国の領土拡大の歴史そのものであろう。さらに大航海時代を経て世界は近くなり、そして産業革命による鉄道、自動車、飛行機の出現(交通手段の発達)は、人の移動速度と量を圧倒的に増大させた。その背後には、奴隷や植民地という資源の確保も大きな移動の目的とされた。
 現代日本では、憲法22条において移動の自由は保障されている。つまり、肉体と精神は内外を問わず自由に移動することができる。そして、インターネットや携帯電話に代表される情報通信手段の飛躍的な普及が、情報移動の制約までもを完全に解き放った。わが国におけるその地理的象徴が秋葉原である。

 かつて、人の移動についての取り決めについて法的にも定かでなかった時代に、日本人の多くが「移民政策」という名のもとで資源を求めてブラジルへ新天地を求めて移動した。現在、私の勤務する豊田市の人口は42万人で、そのうち2万人近くがブラジル人(長期滞在者や移民)であり、さらに中国からの留学生がコンビニや飲食店をはじめ街のあちらこちらで働いている風景が日常に溶けている。ある地域では住民の半数がブラジル人で占められ一つのコミュニティ(生活文化)を形成している。しかし、その一方でわが国に外国人受け入れに関する確たる方針や法律が無いことも事実である。戦前のアジア諸国へ対する奴隷(強制労働)、植民地政策と敗戦による現行憲法、民主国家への切り替えとの狭間でブラックホールとして曖昧にされてきた領域であろう。

 この国家としての曖昧さと国境を越えて情報が瞬時に行き来する世界に今の若者達は生きている。そして社会へ出るタイミングで、己が生存のための資源を求めて移動する権利を行使する自由を与えられる。伝統的な地域コミュニティを持つ青森から、全てが自由かつ無秩序に解き放たれた東京、そして生活の糧をえるために静岡へ彼は移動した。工場労働者としての現実社会と、ネット社会というバーチャル世界の双方で自己の存在を証明しながら暮らしてみた。
 そしてその併存社会のなかで、彼は日本人でありながら漂流移民と化したのではあるまいか。その顛末が、リアル/バーチャル双方の象徴世界として求められるはずであった「自らの居場所」秋葉原での自己崩落であった。そこに現代日本の若者の根底に横たわる深い心の迷いがある。
 そしてその迷いは心の闇(病巣)として増殖を続けているように思えてならない。

三村

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