三村さんに触発されて。
全共闘時代に学生生活を送った団塊の世代は戦後の保守体制に革新=マルクス主義をぶつけることでなにかが始まるのではという思いがあった。
しかし結局は体制の中にからめとられていく。
その焦燥感、挫折感を癒すデラシネとかディアスポラという言葉が心地よかった。
根の張った既存の権力、価値観、エピステーメから自分を解き放していくにはまさに「漂流移民」であるしかない。
「大きな物語」が終わり、価値を相対化し続けて生きていくことが、唯一残された方法のように思えた。
宗教もイデオロギーもいらん。まして「正義の味方」は必要ない。…歴史的評価は変わる。
ただ、おじさんはその実、企業や社会組織の中に仮の「居場所」を確保しながら、TVをみるようにその中の異邦人をみて飼っている。
北米で出会ったグリーンカードホルダーの同世代の人々こそ、真のディアスポラのように
思っていたが、彼らとて望郷の念に駆られている。
「もうステーキはいやや。日本に帰ってお茶漬け食いたい」
「そんな脂ぎった顔してようゆうわ」
彼らもその中に異邦人を飼い慣らしていくしかないのだろう。
そうした人々と若者のおり場のなさとはどうちがうのだろうか。
思いつくまま。
蕎麦谷
異邦人
2008年7月 1日 11:53
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