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    <title>カンガエドコロ</title>
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    <title>無藝荘後日談[3] 『東京物語』を観て</title>
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    <published>2011-11-04T05:27:14Z</published>
    <updated>2011-11-04T05:48:14Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　小津作品についてのこの小論も、やっとなんとか『東京物語』に辿りつきました。この作品はこれまで何回かは見ていたのですが、やはり『晩春』『麦秋』と続けて鑑賞するとまた違った観方ができたように思います。<br />
　やはりこれまで通り、以下アトランダムですが『晩春』『麦秋』との比較/関連も交えて感想を羅列していきたいと思います。</p>

<p>　　<strong>／／／東京物語／／／</strong><br />
 <br />
〈1〉よくよく考えてみると　『東京物語』というタイトルがこの作品にとって極めて大きな意味を持つように思います。<br />
　　　<br />
　＜本当に相応しいタイトルかどうかちょっとした疑問も浮かびます、、、　それは　確かに老夫婦の東京旅行（成長した子供たちの生活地への訪問）が大きなテーマですが、それと対比される故郷/尾道での部分も大きく　むしろ実質的には『東京/尾道物語』とも言うべきストーリーのようにも思われます。＞<br />
 <br />
　＜特に、出だしと終わりの部分が ともに尾道の風景/景色を港を中心に極めて印象的に提示されています、、、＞<br />
 <br />
　そしておよそ大半の日本人は、誰でもが夫々の『東京物語』を胸に秘めており、かく言う私も　バブル経済前の1978ー83年に過ごした　東京時代が何にも代えがたい『東京物語』として存在します、、、、、<br />
 <br />
　＜丁度その時代には、私が好きな写真家の荒木経惟氏(アラーキー)がたしか『東京物語』というタイトルの写真集を出したと記憶しています＞<br />
 <br />
　＜小津のこの作品は、『東京物語』というタイトルにして　はじめてこれ程までに世界的にも名声を博したような気がします、、、、＞　　<br />
 <br />
〈2〉配役は『麦秋』を基本的には継承しつつ、原節子を二男（多分戦死）の嫁とし　あと三男と　歳の離れた次女を加えての更に大家族に設定し　かつ、地方(尾道)で生活する年老いた親と　そこを離れ中央（東京）に生活する成長した子供との対比を中心に壊れつつある（壊れてしまった）家族の姿が描かれます。</p>

<p>〈3〉東京は華やかな表の姿＝皇居/銀座/デパート（「はとバス」での東京観光等）と　言わば現実的な裏の姿＝子供たちの生活の場である下町が登場し『晩春』『麦秋』以上に深みのある描かれ方をします。<br />
　　　<br />
〈4〉この時代（1953年頃）の生活の場としての「東京」は、住宅事情がかなり厳しく、基本的に職住一体で　わざわざ田舎から出てきた両親をゆっくりもてなす余裕は無いようです。　（生活に追われる毎日も、、、）<br />
　　<br />
　＜町医者　山村聡の家では、中学生の長男の勉強机を廊下に出さざるを得なく　ひと悶着起こります、、、＞<br />
　　<br />
　＜『晩春』『麦秋』では鎌倉がベッドタウンとして位置づけられており、生活にもなにかゆとりが感じられていたのに、、、、＞　　</p>

<p>〈5〉「家族論」としては、子供が成長した時の親との関係の難しさ（特に配偶者との新たな生活で独立してから）と、血縁者/姻戚者（この場合死亡した二男の嫁である原節子）の情の在り方が問題点として浮かび上がってきます。<br />
　　<br />
　＜結局、「血縁」が家族の情の基なのかどうかが問われているような、、、＞<br />
　<br />
　＜東山千栄子の葬儀の後での家族の食事の場で、昔の家族旅行などの思い出/エピソードを語り合いますが　そんな共通の記憶にしか家族の絆は無い様にも思われます、、、、＞<br />
　　<br />
　＜そしてこの食事の場面は、『麦秋』に於ける家族写真と同じ意味合いがあると思います、、、＞<br />
 <br />
〈6〉「東京」ならぬ「熱海」での場面が意外に興味を惹きました</p>

<p>　　ａ　俗悪な時代風潮としての夜遅くまでの旅館の騒がしさ<br />
　　ｂ　男女入り混じっての麻雀風景<br />
　　ｃ　流しの歌うたいたち　（流れる歌謡曲は特定できませんでしたが）<br />
　　ｄ　老夫婦の海岸での語らい　等</p>

<p>〈7〉もう一つ、笠智衆が　尾道の古い知人達を尋ねて深夜にまで及んで酒を飲む場面/エピソードは意外に重要なものだと思いました。<br />
　　<br />
　＜「軍艦マーチ」が背景に流れたのは、サンフランシスコ講和以降なので可能だったのでしょうか、、、、<br />
　ここでは、年老いた男たちが昔を懐かしむと同時に　父親としての子供へかけた期待とその結果/現実の失望を語り合い　永遠に？繰り返される人間の業＝愚かさを見せつけます。＞</p>

<p>〈8〉中学生の長男が勉強するのは　英語のリーダーですが、これは当時の日本の置かれた状況を十分に暗示しています。</p>

<p>〈9〉原節子が東山千栄子と枕を並べて寝るシーンが有りますが、これは『晩春』の京都の旅館での　原節子/笠智衆のものと　パラレルに置かれたものと思われます。</p>

<p>　＜小津安二郎は　原節子の　寝顔にオブセッションが有るようです？？＞</p>

<p>〈10〉最後の方で、笠智衆は原節子に　東山千栄子の「時計」を形見として渡し、原は東京への帰りの車中でこの「時計」をしっかりと見つめますが、これは「時間」が真の主役である『東京物語』の総てを語りつくしています。</p>

<p>〈11〉東京の象徴として「煙突の風景」が３度、生活の象徴として「洗濯物」が度々、また『麦秋』と同じような「雲が棚引く空」が挿入されます。</p>

<p>〈12〉大阪に住む大阪志郎が演じる三男の位置づけ描かれ方が、今ひとつ不十分に感じられました。</p>

<p>〈13〉『晩春』『麦秋』で殆ど登場しなかった宗教（仏教/神道等）が『東京物語』ではお寺での仏教式葬儀やお墓の描写でしっかりと出てきます。</p>

<p>〈14〉『東京物語』の最後では、結局年老いた笠智衆と残された未婚の末娘である香川京子が『晩春』と同じような状況に置かれることになります、、、、　　<br />
　　　<br />
　＜また香川京子を小学校の先生役とし、尾道の小学校の授業風景を取り入れることにより、未来への明るい希望のようなものを感じさせています、、、＞</p>

<p>〈15〉『晩春』『麦秋』『東京物語』三作とも　鉄道（の絵）がかなり上手く巧みに使われていると思います。</p>

<p>〈16〉クラシック音楽作品の編成で例えるなら　『晩春』がヴァイオリンとピアノのソナタ、『麦秋』は弦楽六重奏曲　そして　『東京物語』は４楽章の交響曲作品です。</p>

<p>〈17〉「諦観の思想」を２時間１５分のなかで、淡々と語りつくした『東京物語』は　やはり日本を代表する映画作品の一つであると確信しました。<br />
 <br />
　相も変わらず　まとまりのない感想を書き連ねましたが、『晩春』『麦秋』『東京物語』<br />
の三作品を　いつの日にか　もう少しじっくりと多角的に比較分析してみたいとも思います。<br />
 <br />
そして、鑑賞者に色々な解釈/観方を可能にする小津安二郎の映画作品は　真に「自由に開かれた映画作品」だと思います。（2011.10.23）<br />
 <br />
　庵頓亭主人</p>]]>
        
    </content>
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    <title>無藝荘後日談[2]『麦秋』を観て</title>
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    <published>2011-10-28T08:17:23Z</published>
    <updated>2011-10-28T08:25:06Z</updated>

    <summary>先の『晩春』に続いて『麦秋』をじっくりと鑑賞いたしましたので、その感想を何時もな...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p>先の『晩春』に続いて『麦秋』をじっくりと鑑賞いたしましたので、その感想を何時もながらのアトランダムで綴りたいと思います、、<br />
 <br />
〈1〉昭和26年に芸術祭参加作品として撮影・封切された『麦秋』は明らかに２年前の『晩春』の続編（姉妹編）として企画・制作された作品で　それは家族劇としてのストーリーは言うまでもなく、配役や場面の設定など様々な面で明確に読み取れます</p>

<p>〈以下具体的に、、〉<br />
a）まずタイトルそのものが　「春」にたいして「秋」です　<br />
b）『晩春』は海岸に打ち寄せる波でエンドとなるが　『麦秋』はまさに海岸に打ち寄せる波の映像からスタートする（どういう訳かそこには　子犬が挿入されが、、、）<br />
c）姓は変えてあるが主要登場人物の名前は同じ（父・娘・その女友達ｅｔｃ　）<br />
d）主な場面を構成する鎌倉の家が共に殆ど同じ造りのもの＜但し『晩春』に頻出した、玄関を捉える画面に登場する「ミシン」（＝不在の母の象徴）はここには出てきません＞　<br />
e）勤務地/東京と生活の場/鎌倉を列車で行き来する設定は同じ<br />
f）同じ名前の飲み屋（多岐川）の登場<br />
 <br />
　＜以下　おもに両作品を比較しながらの感想を披瀝していきます、、＞<br />
 <br />
〈2〉『晩春』が最少家族だったのに対して『麦秋』の方は大家族を中心に据えてともに　結婚適齢期？の娘の結婚を機に家族(の一部)が離別していく様を描いていきます<br />
 <br />
　＜『晩春』は基本的に二人の登場人物に焦点を合わせたストーリー展開で無駄のないほぼ完ぺきな造りだが、『麦秋』の方は人物が多いだけ少し話が込み入っておりまた様々な挿話もあり若干散漫な印象を与える＞<br />
 <br />
〈3〉『麦秋』も制作された時代背景（戦後６年目でサンフランシスコ講和締結）をいやというほど感じさせる<br />
　　　<br />
a）戦争からの未帰還者の存在（原節子の次兄）<br />
b）子供の多さ（戦後のベビーブーム）<br />
c）朝鮮特需による景気の上向き、多少の社会の落ち着き<br />
d）踏切に掛かった表示の英文併記（占領軍向け）<br />
 <br />
〈4〉多分観客として想定された様々な立場の女性達を考慮して、女優陣に彼女たちの共感を得る役柄（はまり役）を適格に演じさせている<br />
　　　　<br />
　　原節子＝適齢期を少し過ぎた娘のあるべき姿<br />
　　東山千栄子＝娘の幸せな結婚を案ずるあるべき母親の姿<br />
　　三宅邦子＝大家族の中でのあるべき嫁の姿　=>　舅・姑・小姑との関係<br />
　　杉村春子＝男やもめの一人息子の行く末を案じるあるべき母親の姿<br />
　　淡島千景＝婚期を逃す料亭の一人娘のあるべき姿<br />
 <br />
〈5〉日本文化・風景としては　歌舞伎や築地の料亭が登場し　鎌倉大仏と奈良の里山や屋敷、風に揺れる実りの麦畑など　日本のあるべき原風景が最後に堂々と描かれます<br />
 <br />
〈6〉新たに導入された視点としては　中央（東京）と地方（秋田/奈良）の問題が提示されます<br />
 <br />
　　＜　これは　律令制時代から続く日本の基本的な問題構造です　＞<br />
 <br />
〈7〉東山千栄子の登場は、この後の『東京物語』を準備する役どころで、娘の結婚による幸せを願う　あるべき日本の母親の姿を存在感溢れる（？）無表情で演じ切ります<br />
 <br />
　　＜　チェホフ『桜の園』のラネーフスカヤ夫人以上の当たり役です　＞<br />
　　　<br />
　　＜　家族写真を撮る場面で、その後父・母の二人だけで撮るのは　まさに『東京物語』への橋渡しの意味を持ちます、、、＞<br />
 <br />
〈8〉家庭で大人だけでケーキを食べる場面が二度ほど出てきますが、小津はケーキのもつ華やぎ・贅沢さに敏感なようです、、、、、<br />
 <br />
　　＜　『晩春』でもケーキは重要な役割を持っていました、、、、＞<br />
 <br />
〈9〉原節子が歳の離れた資産家の二男の縁談を蹴り、家族皆が懸念する子持ちの後妻を選択し秋田へ行くのは、相手の人柄、信頼性、確実性を重視する点で　女の幸せの観点からは説得的な合理的判断です<br />
 <br />
〈10〉適齢期の女性を　既婚派　対　未婚派で対比させたり、二人の幼い男の子達の反抗期を描いたりした、多彩な挿話の盛り込みときめ細かな演出は　芸術祭作品にふさわしい豊かな出来栄えです<br />
 <br />
〈11〉基本的に善人しか登場せず、多少の波乱や起伏のドラマはあものの全体に静かに時が流れて行く感じは、鑑賞後には充実した感動を与える秀作です<br />
 <br />
　　＜　逆に、そこが　時代に敏感な当時の若手映画人から疎んぜられた？　理由かも知れません、、、、＞<br />
 <br />
〈12〉音楽は、女声合唱やオルゴールの調べが使われており、内容にふさわしい暖かく落ち着いたものになっています<br />
 <br />
〈13〉チボー家の人々」「麦と兵隊」など　言及される文学作品もよく考えられています<br />
 <br />
〈14〉２度ほど挟まれる「大空」の映像の意味は今一つ不明です<br />
 <br />
　　＜一つは風船が流れていき、一つは単なる秋の空です、、、＞<br />
 <br />
 <br />
『晩春』以上に纏りの無い感想になってしまいましたが、『麦秋』は繰り返し鑑賞する価値のある　見どころの多い素晴らしい作品です、、、、、（2011.10.9）<br />
 </p>

<p>庵頓亭主人</p>]]>
        
    </content>
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    <title>はじまりのアリストテレス ＜家族論＞5</title>
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    <published>2011-10-27T07:16:34Z</published>
    <updated>2011-10-28T15:33:26Z</updated>

    <summary> 　ところで、これまで私はディカイオンという言葉をたびたび使い、それを「正義」あ...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
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        <category term="はじまりのアリストテレス＜家族論＞" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><br />
　ところで、これまで私はディカイオンという言葉をたびたび使い、それを「正義」あるいは「正」と訳してきましたが、一般的にディカイオンは「権利」の意味で使われる場合が多い。最後に、いま言った重層性という観点から、人間の共同性を成り立たせるために欠くことのできないこのディカイオンという言葉をどう理解するかという問題を考えておきたい。</p>

<p>　ギリシャ語のディカイオンは日本語で「権利」と訳されることが多い。ラテン語でイウスですが、英語のライトという単語がそうですね。日本ではそれぞれがこの権利という意味を第一に担わされている。<br />
　われわれが生きている近代社会は、この権利という言葉の意味に強く照明をあてて社会や人間の関係を制度化し展開してきたと考えることができる。たしかにそれはそのとおりと言ってよいでしょう。しかし、ほんとにディカイオン＝権利でいいのだろうか。社会をディカイオンに基づいてつくるのはよいとしても、ディカイオンを権利という意味に限定して理解するのはどうなんだろうと私は思うわけです。</p>

<p>　というのも、アリストテレスを原典から読むと、そのディカイオンという言葉は義務に対する権利という狭い意味で一義的につかわれているわけではないことがわかります。つまり、繰り返すようですが、ディカイオンは「権利」であると同時に、あるいはその前に「正義」あるいは「正」という意味であるわけです。「権利」をこの「正義」「正」と合わせて多義的にとらえ、社会におけるディカイオンのあり方を多様な側面から考えていく必要があります。</p>

<p>　長い社会の歴史のなかで、その「権利」の問題がさかんに議論されてきたのはご存知でしょうが、近年はまた、ことにヨーロッパのなかで新しい角度から人間としての権利をめぐる論議が活発化しています。それは、端的に言うと権利と「人格」の問題です。「人権」という概念からさらに、「人格権」いうようなかたちで権利概念を拡張していこうという新しい方向性が出てきているのです。</p>

<p>　アリストテレスは人間を矛盾的・重層的存在としてとらえていると申し上げましたが、それは一人の人間の人格においてもあてはまる見方です。<br />
　しかし、そもそも人格とは何か。これはまた難しい話になりますけど、ギリシャ語では「プロソーポン」という言葉がそれにあたり、ラテン語の世界では「ペルソナ」。英語では「パーソン」という言葉ですから、「ライト・オブ・パーソン」すなわち「人格権」というかたちで、権利概念の拡張が行われているのです。<br />
　で、人格権とは何かっていうと、みなさんもご承知のように、たとえば典型的な使われ方の例として「法人格」というのがある。法律的に、たとえば私の所属する岡山大学は法人格を持っている。大学や企業は人間ではないのだけど、ある組織が人間の人格のようにその「格」に応じたふさわしい権利をもつ。たとえば処分権とか所有権とか、その他諸々の権利ですね。<br />
　それはもともと、人間が社会のなかで生活するときのさまざまな人の権利を集団、組織にあてはめているわけです。</p>

<p>　そもそもの語義からして、一般的によく使われるペルソナとかパーソンっていう言葉は「仮面」を指していて、その延長で役者＝役を演じる者という意味をもっている。<br />
　人間はこの世に生を受けたときに、何もないところでポツンとひとり無名の個人として存在をはじめるのではなくて、生まれ落ちるとすぐに家族の成員という立場や資格を示す「お面」を付けることになるわけですよ。この面は「顏」といってもよく、人は生まれてから成長するにつれ、いくつも顏をもつことになる。つまりある男性が成人すれば、大人の男としての顏をもち、夫としての顏をもち、父親としての顏をもち、企業人としての顏ももち、そして市民としての顏をもつ。<br />
　<br />
　じっさい、ギリシャ語のプロソーポンという言葉には顏という意味もあり、仮面という意味がある。人間存在それ自体がいわば複数の顏をもち、さまざまな面を幾重にも重ねてつけて生きていることを、このプロソーポンという言葉は示している。だから、そうだとすると、その一つひとつの現れがペルソナなり、パーソンであると理解できると思います。</p>

<p>　そうすると、そのペルソナやパーソンに応じた権利というものがそこに当然付着してくるわけです。だから、権利という側面から言うと、人間としての、一個人としての権利、父親としての権利、あるいは母親としての、子どもとしての権利、企業人としての、市民としての権利、そういうものが幾重にも重なった重層構造をなして人間社会を成り立たせている、ということが言えるのです。<br />
　単に言葉の語義の問題としてではなく、そのことをもう一度真剣に考え直していく必要があるんじゃないか。複雑に絡み合っているからこそ、己の権利を主張するだけでなく、何が正義であり真の公正といえるのかを、まさにディカイオン（正）の問題として重層的に考えていくことが必要なのです。</p>

<p><br />
　ここで家族のことに戻りますが、この人格と権利の問題は、ディカイオンの視角から、家族や地域や国家の重層的な関係のあり方の問題として考えることができる。<br />
　最近は、主権を国家ではなく地域に移して、地域主権の確立を実現すべきだと語られることが多くなっていますが、これは主権という以上、権利の概念ですよね。だとすれば、今いったように、人間や社会の存在そのものが重層構造をなした人格権の重なりとしてあるわけなので、当然、国から地域にすべての主権が委譲されるということはありえないわけですよ。人格における権利自体が重層構造をなして展開しているのですから、国の権利もあれば地域の権利もある。もちろん、個人の権利もある。そして、各々のなかにさらにいくつもの権利の層が重なって存在している。<br />
　<br />
　そういう意味で私は、個人から出発して家族の権利、そしてまた、家族の構成員の権利、そして地域の住民としての権利、というかたちで、出発点を個人と家族の権利に置いて考えていくのがわかりやすくてよいと思っています。それを基本にして、社会全体の「正しい」かたちをつくりなおしていく必要があるのではないか、と。分権ということで自治体ができること、やるべきことはもちろんありますし、私自身が一大学の施策として地域の復興ということをやろうとしているわけですけど、そのためにもやっぱり、この家族の再建という問題を考えることなしに、真の地域の再建はないだろうと思っているのです。</p>

<p>　それは、個人としておのれが生きる喜びや生きる意味と不可分の問題です。美しくいえば「自己完成」とか、卑俗な言葉で立身出世、野心、名誉欲。これら自体はけっして悪いものではないし、それが社会全体の「利」に資する結果を生むのであれば、これほど歓迎すべきこともない。<br />
　しかし、現実には個と全体の利害は必ずしも一致しないし、いまのグローバル化した社会はあまりに複雑怪奇で、一個人が何から手をつけ、何をどうしたらよいのか非常にわかりにくい世界になっている。</p>

<p>　そんな世界情勢のなかで、今回の震災を機に「私たちに何ができるか」を考え、人々や社会の役に立ちたいと思っている人が増えている。これはすばらしいことです。しかし、一個人がいきなり大きなことをしようとするには無理があるし、いくら大規模なことをやってもそれが一人ひとりの個人の扶けにならないようではしょうがない。じっさいにできることからはじめ、それがよきことかどうか、相手の身になって考えてみることが大事だし、実践的な態度です。</p>

<p>　自己と他者というものを考えたときに、だれでもいちばん「身近か」なのは家族でしょう。だから、一個人が社会や国の救済、再建という方にいきなりいくんじゃなくて、その中間に、家族の問題を自分と結び付けるかたちで考えていく。自分の家族と、他者にとってのその人の家族。そして、それを通じて地域の復活の問題を考えていく。そういうかたちでの展望というものを考えていく必要があるというふうに思うわけです。</p>

<p>　......ということで、本日のお話をそろそろ終えなければなりませんが、アリ研でも当初から議論してきた、「宗教」という大きな問題がのこされています。ここまで個人、家族、そして地域の救済、再建の話をしましたが、究極的には魂の救済という問題がある。それは「幸福」に深く関連したことでもある。<br />
　そのひとつのアリストテレス的な展開として、エンスージアスムス、つまり忘我入神状態こそが幸福の絶頂である、神とひとつになるということが、幸福の最大の到達点だということを、すでに前の「幸福論」の講演でお話しました。</p>

<p>　きょうはですね、そのエンスージアスムスというのは確かに究極的な人間の幸福のあり方ではあるのだけど、そのためにはどんな手段をつかっても構わないということではなく、やはり、そこへ至るための自覚とプロセスが大事なんだということを改めて強調しておきたいのです。</p>

<p>　第一に、個人が大事とはいっても、人はひとりで生きているのではないという当たり前の事実をしっかり見つめてほしい。　<br />
　私たちはひとりの個人ですが、家族のなかのひとりであり、会社のなかのひとりであり、地域のなかのひとりであり、そして国家のなかのひとりである。そういう様々な立場、環境、条件などが異なる重層的な関係と状況のなかで、それぞれの問題や悩みの一つひとつに直面し、乗り越えていくということを通じてこそ訪れてくるのがエンスージアスムスの世界ではないかな、と、いま、そういうふうに私は思っています。困難に立ち向かい、必要なプロセスをきちんと踏んでいく。そういう粘り強い努力を抜きにして、究極的なエンスージアスムスの世界はおそらく訪れることはないだろう、と。</p>

<p>　そういう最高の幸福へと至る道は、とんでもなく困難極まる道です。すぐに実現できるようなものではないどころか、自分が生きているうちに実現できるかどうかもわからない。ある面で「シジフォスの労働」に似たものだという話を『アリストテレス政治哲学の重層性』という本のなかに書きました。しかし、それがどんなに困難であっても、また、いかに他の人から無意味だと揶揄されるような事柄であっても、当人にとってはそれこそが究極的な幸福への道なのです。人は、その幸福へのプロセス自体に生きること、人間であることの意味を見出すことのできる存在なのです。</p>

<p>　話を終えるにあたって、この私の本『アリストテレス政治哲学の重層性』（創文社）から引用することをお許しいただきたい。論文ですので少し硬い表現になっていますが、いまの私にとって言いたいことは、ほぼこの文に尽くされていると思われますので。</p>

<p><em>　理想国家建設への絶えざる志向、共同的なものと個的なものとの合一への志向、それはアリストテレスにおいても、絶望的なほど実現困難な理想であった。しかしながらこのような理想追求の、シジフォスの労働にも似た人間の努力は、アリストテレスにおいて無意味なものではなかったはずである。アリストテレスにおいては、美しいもの、善なるものへの知的かつ実践的欲求こそが、人間に固有の存在性であったのではなかろうか。もしも人間がその固有の存在性を保とうとするならば、それは善美を追求する動的生を生きなければならない。そうでなければ、人間は、人間存在であることを辞めるほかない。アリストテレスにおいては、人間においてこそ、善と存在とはともすれば乖離しつつも、志向においては一致する。今筆者の脳裏に浮かぶのはこのようなアリストテレス理解である。</em><small>（『アリストテレス政治哲学の重層性』第六章「国家論の構造」より）</small></p>

<p>　これでこの連続講演をひととおり終えますが、アリストテレスの哲学は「終わり」の思想ではなく、「はじまり」の思想です。私たちが何か大事なことを決め、何か善きことをはじめようとするとき、2300年の時を超えて、アリストテレスはいつでも何度でも私たちの前に甦ってくるでしょう。</p>

<p>　（終わり）<br />
<a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/-1.html">＜家族論＞1に戻る</a></p>]]>
        
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    <title>無藝荘後日談[1] 『晩春』を観て</title>
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    <published>2011-10-24T01:47:32Z</published>
    <updated>2011-10-27T03:09:23Z</updated>

    <summary>先のアリストテレスと現代研究会合宿に関連しての　ささやかな後日談を少々   実は...</summary>
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        <name>izumi_ishii</name>
        
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        <category term="庵頓亭夜話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p>先のアリストテレスと現代研究会合宿に関連しての　ささやかな後日談を少々<br />
 <br />
実は　やはり蓼科『無藝荘』での小津体験？が気になり　何とかもう一度　じっくりと小津映画を見直してみたいなと思いつつ　今日もふらりと　行きつけの大型書店に立ち寄り　映画本のコーナーなどを眺めていたら　なんと其処に「小津安二郎大全集」なるＤＶＤ廉価版が置いてありました。<br />
 <br />
それで、早速購入してきたわけですが　その内容は以下の通りです、、、、<br />
 <br />
『東京物語』『麦秋』『晩春』『父ありき』『風の中の牝鶏』『一人息子』『戸田家の兄妹』『お茶漬けの味』『長屋紳士録』の9作品のＤＶＤ9枚が税込で1980円。　販売はコスミック出版です。<br />
 <br />
映画の版権/著作権のことは良くわかりませんが、最近はこんな廉価版が　流通しているのに　正直　驚いた次第です、、、、、、<br />
 <br />
どちらにしても、これからの秋の夜長　一作づつ　じっくりと鑑賞していきたい　と思っています、、、、（2011.9.23）</p>

<p>　<strong>／／／ 晩 春 ／／／</strong></p>

<p>　先に御紹介したように小津作品の激安ＤＶＤを購入しましたが、先ず最初に『晩春』をじっくり鑑賞しましたので　それに関しての感想をアトランダムに以下少々、、、、<br />
 <br />
＜その後、小津関係の情報入手のため『監督小津安二郎』(蓮実重彦/ちくま文庫)、『小津安二郎の反映画』(吉田喜重/岩波現代文庫)の２書を購入いたしましたが、取り敢えず眼を通すのは　年譜・作品目録のみに留めて、わたくし独自の感想を　取り纏めました、、、、、＞<br />
 <br />
〈１〉原作は広津和郎『父と娘』とのことで、まさに父ひとり娘ひとりの最少家族が　娘の結婚により壊れて行くのを非常に巧みに　また淡々と描いた秀作です。<br />
 <br />
〈２〉昭和２４年５－９月で撮影　９月封切（当に私の誕生した時）された作品で　当時の日本の状況（敗戦後４年、朝鮮動乱前夜、サンフランシスコ講和以前）をいやがうえにも感じさせる内容だと改めて認識いたしました。<br />
　　＜勿論　あらすじ/ストリーは父と娘を中心とした家庭劇ですが　色々と深読みすれば　時代背景をいやと言うほど感じさせる　作品でもあります、、、＞<br />
　<br />
　例として　<br />
　①道路標識/コカコーラの看板挿入による米軍の占領<br />
　②東海道線列車の描写と　下山/三鷹/松川事件<br />
　③ゲーリークーパー似のお見合い相手（アメリカの象徴）と仕方なく結婚する娘/原節子（日本の心）＝日米同盟<br />
　　＜この見方は少し飛躍しすぎかも知れません、、、、＞<br />
 <br />
〈３〉二階建ての鎌倉の家を主な舞台に物語は展開し、一階に父二階に娘が寝起きする設定ですが　そこに置かれた家具（すわり椅子＋テーブルのあるなし）が最後まで重要な意味を帯びているように思われます。<br />
 <br />
〈４〉お茶会のシーンでスタートし、中ほどに能の舞台（主人公二人が鑑賞する）を配し　かつ鎌倉の鶴岡八幡宮？　京都の清水寺竜安寺の石庭などを重要な場面に取り入れるなど　将に日本文化・観光案内をも兼ねる映画の造りになっています。<br />
 <br />
〈５〉冒頭、終幕のほか　主要な場面転換時に挿入される鎌倉近辺の風景が極めて印象的/象徴的な意味合いを持つと思います。<br />
 <br />
〈６〉原節子はその大柄で派手な風貌から　古風な？一人娘の役柄ではミスキャストかなとも思いますが、笠智衆　杉村春子は将に当たり役で嵌っています。　　　<br />
　　＜どうでも良いことですが、ここでの笠智衆の風貌が何となく文化庁長官の近藤様を彷彿とさせます？？、、、、＞<br />
 <br />
〈７〉余りにも典型的/類型的な「父ひとり娘ひとり」の離別の姿ですが随所に娘を嫁がせる父親の心に響くセリフが炸裂し、ある意味でありうべき父と娘を描いた「メルヘン」と言えます。<br />
 <br />
〈８〉場面のつなぎに無人の部屋を挿入したり　所々に登場人物のどきりとさせる　または意味不明/無意味なセリフを言わせたりする小津の演出は、チェホフの４大戯曲を彷彿とさせます。　　<br />
　　＜独特のユーモアと　不条理劇の味わい、、、、＞<br />
 <br />
〈９〉音楽も、場面場面によく考えられており申し分のない出来栄えです。<br />
　　＜「巌本真理のバイオリン独奏会」など、誠に心憎い扱いです、、、、＞<br />
 <br />
 <br />
　以上　あまりにとりとめのない勝手気ままな感想ですが悪しからず、、、、（2011.9.30）</p>

<p>　庵頓亭主人</p>]]>
        
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    <title>はじまりのアリストテレス ＜家族論＞4</title>
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    <published>2011-10-21T06:32:33Z</published>
    <updated>2011-10-28T15:31:52Z</updated>

    <summary> 　やっとアリストテレスです（笑）。 　アリストテレスの『政治学』第三巻で、国家...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p><br />
　やっとアリストテレスです（笑）。</p>

<p>　アリストテレスの『政治学』第三巻で、国家の構築に際して人間を考えたときに、三つの原点となることを述べている箇所があります。その三つの順番を逆にして私なりに整理をしてみますと、人間が国家をつくっていくときの出発点は、それがどんな体制の国家であれ、まず第一に生きた人間がそこにいること、そのこと自体にある。当たり前のことですが、忘れられがちな大事なポイントです。<br />
　ギリシャ語にグリクテースフィスケーという言葉がありまして、私は「甘美さ」と訳しているんですけど、これは人間の存在それ自体の自然的な美しさ、しかも甘さをともなったようなそういう美しさを指す言葉なんです。人間というものは、生きていることそれ自体が甘美な喜びをもたらす素晴らしい存在である、ということをアリストテレスは力説し、彼の思想の根幹に据えるわけです。<br />
　<br />
　これは、アリストテレスが断固として主張していることで、私は彼のこの考え方を究極の個人主義だとみていますが、「個」を押さえ付けず、個人として自分の力で自分の好きに生きていくことがいかに甘美で素晴らしいことか、彼は認めているわけです。</p>

<p>　私たちにとってそのひとつのアングロサクソン的な表現の例が、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』ですね。誰もが知っているように、絶海の孤島にたどり着いた一人の人間と一匹の犬が、その島で頭と身体を思いっきりつかって生きのびていく物語です。どんな文明の恩恵もないと思われる島で自分の暮らしを築き、一人だけで「社会生活」を維持していくわけですね。もちろん大変な苦労をともなうわけですが、そこには生きていることそのものの喜びが純粋なかたちで現れ、あふれている。<br />
　人間は一人では生きていけないと言ったけど、人でなくとも犬が一匹いれば生きていけるのか！？とつっこまれそうですが（笑）、ともかく生きることへのパワーの素晴らしさ、生きること自体への喜び、というものがここで強調されているわけですね。</p>

<p>　だけど、まあ、それは長続きしない、と。アリストテレスだったら、それだけでは------つまり、人間一人で生きていくだけでは------なかなか持続性がもてない、というでしょう。かりにロビンソン・クルーソーのように、その気になれば人間、一人で全部自給自足できるとしましょう。その「甘美さ」も味わえたとする。しかし、それでも人間は「最終的には」けっして満足できないだろうとアリストテレスは言うんですね。完全に自給自足で一個人が生きていけるとしても、それで満足できないのが人間の性（さが）であり、自然本性であると。</p>

<p>　結局、人間というのは、「共に生きたい」「集団をつくりたい」という欲求に支えられている。そして、面倒で大変なこともあるけど、人間は複数で共に暮らすことのほうがいろいろ便利でたのしいということも、経験的に学んでいくわけです。</p>

<p>　しかしまた、人間が複数で、集団で生活するときに、そこにあるバランス感覚が生まれないと、すぐに分裂・解体してしまい、持続性が出てこないだろうとアリストテレスはつづける。そのバランス感覚こそ「正義」であるというわけですね。<br />
　だからたとえば、どんな未開社会でも、文明化された社会でも「交換」のシステムがありますし、家族のなかの人間どおしでものを交換したり配分したりということが日々生じるわけです。するとたとえば、家族のなかでものを配分するときの公平さという問題が生じてくるし、家族の外（社会）でも当然、資源の分配やものや土地の私有・共有の問題が出てくる。あるいはもっと敷延して言えば、自然資源や環境と人間の生活、「自然からの贈与」と社会発展のバランスをどうとるかという問題が生じてくる。</p>

<p>　そういう状況下で、やはり「正しさ」という感覚抜きに人間社会はうまくいかず、そしてそこで生きる個人の欲求は満たされていかないだろう、と。だから「正義」の感覚、アリストテレスで言えばディカイオン＝「正」の感覚がいかに重要であるか、ということになってくるわけです。<br />
　「正義」は、まず感覚的レベルで複数の人間がそれを共有することからその基準ができあがっていくものですが、それを一定程度安定した社会をつくるために「使える」ものとするためには、やはり「約束事」をものに書きつけて承認し合うというところまで行かなければいけない。まあそれが、法律、法の世界を生み出していくのだという方向に彼は論を展開していきます。つまり、法から国家ができる、国家は法的な共同体だという共通の理解が生み出されていきます。これが二番目の論点。</p>

<p>　しかしさらに、まだそれだけでは、社会で幸福に生きるには足らないという考え方が、特に今回強調したい三番目のポイントです。結局、人間というのは、いま言ったように共に生きたいという欲求に支えられている。そのためには、「正義」の基準が必要で、そこに「法」が生まれる。ただし、この場合の「共に生きる」というのは、法の正義とは別次元の共同性、というか相互性の問題であり、より根源的な生の欲求として捉えていく必要があります。</p>

<p>　ここにアリストテレスならではの「友愛」の世界があります。つまり、相手によい（良い、善い）と思うことをしたいという欲求を考慮することなしに、よき人間社会はできていかないだろう、とアリストテレスは言うのです。<br />
　友愛の欲求は端的に言うと、自分への愛ではなくて相手（他者）への愛です。相手によいと思えることを自分がやってみたいということ。しかも、その思いを相互に抱き合うこと。この友愛抜きにどんな社会も成り立たないだろう。成り立ったとしても、そんな愛のない、喜びのない社会は長続きしない、と。<br />
　たとえ話でいえば、どんなに権力を持った王様がいても、その王を愛し、愛されるひとりの女性がいなければ、どんな権力もどんな富もむなしい------。比喩として語られることですけども、それは誰しもが認めることでしょう。</p>

<p>　以上のように、アリストテレスの世界ではこの三つの視点／論点が折り重なって、家族や国家が織りなされていくということになるのです。ただ問題は、この三つの視点はそんなに予定調和的に整然と組み合わされて、できていくわけではないということ。<br />
　自分が一個の人間として生きることの素晴らしさを拡大しすぎてしまうと、共に生きていこうという友愛の世界と矛盾してくるでしょう。また、正義にしても、正義感覚はみなが共有しているけれども、立場や利害の反する者同士の間で、何が具体的なかたちで正義を実現できる基準になるかっていうと、これがきわめて難しい。正義をめぐる争いがそこに当然出てくる。つまりこの3つの視点はそれぞれが矛盾し対立するような関係性をはらんでもいるのです。</p>

<p>　だから、そこから闘争・戦争ということが不可避的に生じる可能性もある程度は常にある。しかし、そのことを視野に入れつつも、この3つの矛盾する欲求をバランスよく満たす家族や会社や国家や地域共同体というものを形成する努力を不断につづけていかなければならない、ということです。<br />
　このようなメッセージをアリストテレスの政治哲学から読み取っていくことに、現代に生きるわれわれが彼を読むことの意味があると思います。</p>

<p>　アリストテレスは、実践のともなわない「理想家」だと見られることが多いのですが、それは彼のテクストをしっかりと読まないことからくるひとつの誤解だと私は思っています。しかも、彼の哲学が血の通わない抽象的な理論であるとする向きもありますが、それも逆ではないか、と。たしかに彼はある種の理想家ではありますが、しっかりとした人間観察、人間理解に基づいて、自分の思想を生きようとした実践家でもあると私は考えています。端的にいえば、プラトンのイデア（理想）と異なり、アリストテレスの場合、理想と現実は地続きのものです。<br />
　彼の書物を丹念に読むことを通じて、私にもやっとそのことがわかってきた気がしています。困難ではあるけれど「理想」に向けて現実を押し上げようと、思考と実践を近づけようと志向する、そんな相反するような重層的な要素をもった存在が人間なのだという理解がアリストテレスの基本にあるいちばん重要なことであると、私はこの場を借りて強調しておきたいと思うのです。</p>

<p><a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/-1.html">＜家族論＞1に戻る</a> ｜<a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/post-30.html"> ＜家族論＞5へ続く</a> </p>]]>
        
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    <title>はじまりのアリストテレス ＜家族論＞3</title>
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    <published>2011-10-18T09:03:49Z</published>
    <updated>2011-10-21T07:23:00Z</updated>

    <summary> 　震災後の日本の「復興」と社会構造の変革を考えたときに、ともかく時間がない、す...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p><br />
　震災後の日本の「復興」と社会構造の変革を考えたときに、ともかく時間がない、すぐに手を打たねばならないということで復興計画や政策案を国は次々と出してはくるのだけど、私自身はそのこと自体に違和感を持たざるをえないところがあります。それでは、結局なにも根本的に変わらないのではないか。</p>

<p>　何でもかんでも経済的な面での復興を優先して、「そのため」のものづくりとか人づくりとか組織づくりとか、そういう言葉、文脈で語られていくものばかりで------。何度もいうようにそれはそれで大事だし、しっかりと現実的に考え実行していかなければならないことはわかります。しかし、それが何のための実践であり、どういう哲学、考え方や価値観に基づいているのか、という人間を人間たらしめる面を無視して、手段や方法論ばかりが先行していていいのか、と言いたい。</p>

<p>　人間の真の幸福とは何か、人間にとって自然とは何か、人間がその自然と共生するとはどういうことか、そんな原点的な問いに則しながら、人と自然、人と人のつながりを構築していくような考え方、そういう発想がいまの政治にはほぼ完全に欠けているんじゃないか。それは、すぐに「これだ！」というふうに答えが出るようなことではないかもしれません。だけど、そういう思考＝志向抜きに、その場しのぎの性急な解決策ばかりを求めても「過ち」は繰り返されるばかりです。<br />
　この度の震災で亡くなられた方々を、まずはしっかりと手厚くお弔いしなければならないことは言うまでもありませんが、それと同時に、あとに残されたわれわれは、しっかりとこの災害から教訓を学び、活かして生きのびていかなければならない責任がある。「お金」と「スピード」偏重のこれまでのやり方を見直し、戦略的思考を超えた発想で取り組む必要があるのです。<br />
　<br />
　たとえば今回、アリ研のメンバーの一人が見せてくれた、トヨタ財団の広報誌『JOINT』7号に出ていた、あの漁村の復興に思いを託した発言。記事のタイトルは「漁労文化を置き去りにした復興であってはならない」というものでした。一例として、私自身こういう発言に共感する部分がある。<br />
　風習というかエートスというか、ともかく人間が長い時間をかけて自然との共存関係のなかで築き、育んできた生活習慣や「文化」を、復興や再開発という名のもとに簡単に無視してしまってはならない。私の言う「自然に則して」というのは、外的な環境としての自然と共存するという意味と同時に、人間のもっている自然的な本性に則して、人間の集団、共同社会をつくっていくという方向性をつねに考えておくということです。<br />
　そのためには、ある程度の時間がどうしても必要なケースがある。しかし時間がかかるから効率的でないといって、それを簡単に無視し消去してはならない。失ったものを取り戻すのは容易ではないけれど、逆にだからこそ、ある固有の文化やエートスに対する尊敬の念や配慮というものを欠いてはならないと強く思うのです。</p>

<p>　しかも、その自然に則したかたちでの人間集団であることと同時に、それぞれが個々の意見を出し合い、議論をしていく場をつくるということも大事なことです。短絡しないでほしいのですが、「自然に則して」といっても、ただ黙って成り行きにまかせればいいということではありません。どうすれば「自然」に則することになるのか、それは自然にわかるものではない。自覚的に自然や人々の暮らしを観察し、自然や人間について考え、そしてその思いを共有し、合意するために議論することが、どんな活動の基底にも欠かせないことなのです。<br />
　社会というものは、多種多様な人格や個性をもった人たちが集まってできています。だからこそそこに「公正」とか「正義」の問題が出てくるのですが、それらの問題を「みんな」で考え、議論しながら解決していくという姿勢が大切で、それにはそのための「対話の場」が必要です。私は、古代ギリシャで重要なはたらきをしたアゴラ（フォーラム、すなわち広場）を、そのような場として復活させ、機能させたいと考えているのです。</p>

<p>　いまの政治には、そういった場や機会をつくるということへの目配りというか、配慮があまりに足りないのではないか......。議論といってもそのテーマや内容の検討といったことだけでなく、そのための場や機会をどうやってつくっていくか、というノウハウを含めて、政府だけでなく各自治体も考えていく必要があるということを、付け加えておきます。</p>

<p>　さて、そこで人間にとって何がいちばん大事なのか考えると、誰でもが何よりもまず自分の生活が第一ということがあるわけで、結局、個人の生活の安泰性をどう確保するかという「選択」の問題が当然つきまとってくるわけです。まあ、人間の誇りとか尊厳というのは、とにかく自分の意志で自由に選択できることにあるんだ、と。そういう意味で人間の個人性の重視ということを、やっぱり優先順位の先頭におかなければいけない。これは確かなことだと思います。</p>

<p>　しかし同時に、普段はあまり意識しませんが、人間が危機に直面したとき、人間はひとりでは生きていけないという事実と向き合わざるを得なくなる。人間の集団性とか共同性とか、そういう他者との関係を抜きにしては自分というものの存在さえ危うくなるということに気づき、その問題を真剣に考えなければならなくなるわけです。<br />
　人間存在の究極的な根拠として個人と家族や地域、さらにいえば国家など「共同体」の問題を抜きに、人間の幸福のことなど考えられないだろうということが、3.11以後、いま急激に表面化し、さまざまな具体的かつ普遍的な問題として当然のごとく浮かび上がってきているわけです。</p>

<p>　その問題をアリストテレスの考え方と照合して整理したらどういうふうになるか、考えてみましょう。</p>

<p><a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/-1.html">＜家族論＞1に戻る</a> ｜ <a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/post-28.html">＜家族論＞4へ続く</a> </p>]]>
        
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    <title>はじまりのアリストテレス ＜家族論＞2</title>
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    <published>2011-10-17T03:06:56Z</published>
    <updated>2011-10-21T07:06:09Z</updated>

    <summary> 　そんな大災害にまつわるエピソードとして有名なものに、聖書に出てくる「ノアの箱...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p><br />
　そんな大災害にまつわるエピソードとして有名なものに、聖書に出てくる「ノアの箱船」がありますが、私たちのテーマである古代ギリシャの社会やアリストテレスの哲学もそういう災害とは無縁ではありませんでした。<br />
　たとえば、みなさんご存知のように、プラトンなどを読みますと、彼の話には洪水など大災害をもたらした出来事がその元になっていることが多い。名高いものとしてはアトランティス大陸の沈没にまつわる話がありますが、彼の『法律』という書物には、あるとき大洪水があって、そこから生きのびた人々が自分たちで人間の社会をつくっていくという話が展開されています。</p>

<p>　また、じっさい古代ギリシャの歴史を見ますと、西暦で紀元前8世紀前後くらいに大洪水があって、「暗黒時代」が200〜300年くらいつづいたといわれていまして、その後になって、各地にポリスができてくるっていう、そういう流れになっているわけです。そして紀元前5世紀ころにギリシャは「黄金期」を迎えるのですが、そういうことをプラトンにしてもアリストテレスにしても覚えていて、大洪水の後どういうふうに、どういう社会ができてきたのかという話を二人ともするわけです。</p>

<p>　詳しく見ていくと、プラトンとアリストテレスの見方、考え方にはきわだった違いがあるのですが、興味深いことにどちらも変わらずに共通して重要なのは「家族」なんです。家族としての人間集団のつくり方っていうのがまずあって、それで、その家族という概念が拡大して、集団としても大きくなっていって、ポリス＝国家といわれるものができあがっていくっていう、そういう話の展開がベースになっているのです、両者とも。</p>

<p>　ところがそのプラトンの物語はですね、大洪水後にできた家族のあり方は、ギリシャ語ではデユナステイアと言いますが、翻訳でいうところの「家父長制」なんです。イメージとしては「一つ目の巨人」が洞窟のなかで女と子どもたちを支配するような、そういう家族があって社会ができたというのが根っこにあるんですよ。そういう強大な権力を持った巨人が家族を支配している。それがだんだん変わっていって、みんなが会議をするようになって国家ができてくる......。そういう流れを描いているのがプラトンです。</p>

<p>　いっぽうアリストテレスの世界は、オイコノミアー（家政学）と言われる場合の「家政」、そのなかで位置付けられる家長による統治ということになって家族論・国家論が展開されていく。オイコノミアーは英語のエコノミー（経済）の語源でもあります。<br />
　この家長という言葉はギリシャ語でパトリケーアルケーで、これも「家父長」と訳されて日本では理解されていくわけですけども、そこには微妙だけど大きな違いがある。アリストテレスの場合はパトリケーアルケー（家長、家父長）といっても、要するに家の「大黒柱」である、家政の中心的人物である男が統治するひとつの集団のことを家族と言っているのです。そのイメージはプラトンの「一つ目の巨人」が一方的に力で支配する家族とかなり様子が異なっています。<br />
　アリストテレスでは、家族は家長である父親が息子や娘たちを限りなく愛する世界として展開していきますし、妻を一般の「奴隷」と同等とは見なさず、自由人として処遇するという社会を考想している......。<br />
　<br />
　二人の思想家の良否をそう単純明解に決めつけることはできませんが、いずれにしても、ギリシャの二大哲人の考えたことが、「大洪水の後」に人間が構築するのはまず「家族」だということに着目して、それぞれの哲学を構築したということは極めて大きな意味のあることだろうと私は思っています。</p>

<p>　少し横道にそれますが、そんなこんなで想像をひろげてみると、日本のように互い滅ぼし合うほどの戦乱は少なく、総じて穏やかで、自然にめぐまれた地はそうはないんじゃないか。しかも、この「無藝荘」にちなんで言いますと、小津安二郎の映画のような、たとえばきょうの蓼科のように『秋日和』にめぐまれた、季節感のある繊細な美的感覚に彩られた幸福な生活をしてきた民族はあまりないんじゃないかと思います。</p>

<p>　隣の中国なんかへ行きますともう、満州なんか荒涼とした大地だし、南に行けば亜熱帯、西は大平原で、しかも数千年に渡って戦乱につぐ戦乱を経験しているわけですよね。三国志のなかに登場する諸葛孔明の「家」なんかも、流浪の民としてあちこち渡り歩いたかたちでなんとか生きのびていくことしかできない。<br />
　戦乱での殺戮も何十万人単位で生き埋めにするとか、人々は凄まじい社会環境になかで生活をしているわけです。巨大な国家ができて戦争をやると農民たちは右往左往し、行き惑うことになる。そういう意味で一定の土地で安定した生活をするということはなかなか許されないような社会を中国人は経験してきた。<br />
　<br />
　ヨーロッパも同じような国家的、民族的事況があって、落ち着いて安定した生活をおくれた時代はあまりなかったんじゃないか。とりわけ有名な例ではユダヤ人がそうですね。結局、自分たちが生まれたバビロニアとかから族長が出て、「旧約」などによるとパレスティナへやって来て、で、パレスティナにはいろんな問題があって、エジプトに逃れる。そしてエジプトから帰って「乳と蜜の流れる」パレスティナの地に王国をつくるのだけど、それもまたローマ帝国に滅ぼされて、世界へ流浪の旅に出るわけですよ。</p>

<p>　ここ数年、私は中国へ行くことが多いのですが、中国各地で様々な人々と会話したりしていろいろ考えると、中国の人たちにとって、やはり家族、あるいは親族、氏族の紐帯をどうやってしっかりと構築するかっていうことが、国家を構築する以前にものすごく重要な問題としてあったと思えてくる。近年においても、華僑をはじめ、中国の人たちが家族的に強く結束していることは当然のこととしてわれわれも見てきています。</p>

<p>　ユダヤ人たちも同様です。世界を流浪しながらもっとも大事に思ったのは、家族の紐帯をいかに強固にするかということ。ユダヤ人として、人間の能力を最大限に発揮して生きのびていく、そういうユダヤ人同士の関係を築き、知恵の共有化をはかってきた。</p>

<p>　ここでは特別強調はしませんが、もちろんアングロサクソンの世界でも、彼らなりの形、方法で「家」を存続させてきたということはあるわけです。そのような家系・家族の形態と民族や国、宗教との関係に関しては、他にもまだまだ語らなければならない事例が多々あります。<br />
　通俗的な例としては、F.コッポラの映画などでみなさんもご存知の、南欧社会からアメリカへ渡ったひとつの典型的「ファミリー」として『ゴッドファーザー』の世界とかですね、「家族」にもいろいろな形があります。<br />
　しかし、これ以上は際限がなくなるので、話を戻しましょう。</p>

<p>　さて、3月11日に日本を襲った大洪水ならぬ巨大な地震と津波、そして原発事故。「その後」の日本の社会を、われわれはどう生きていけばよいのか。どのように地域や国を建て直していくべきなのか。そのためには、人がこれから生きていくうえで、家族あるいは家というものをどう考えていくのがよいのか。　<br />
　おじいちゃん・おばあちゃんの生活をどう考えていくのか。息子や娘、孫たちの未来をどうしていくのか、ということをこの機にしっかりと考え直していく必要がある。いま少し述べたように、誰にとっても身近で切実な問題を、広い視野と多様な視角のなかで、それこそ「世界の知恵」に照らして考え直す時期にきたんじゃないかと思います。</p>

<p>　息子との話をきっかけに、福山雅治の『家族になろうよ』を聴いて、社会的にもそんなヘクシス（心の傾き）が表れてきているのではないか、と私は直感的に思いました。いわゆる「共同体」や「公共性」の問題は、日本の社会が直面している課題として大震災の前から議論されていましたが、いま身をもって多くの人々が、まず自分たちにいちばん「近い」家族の問題に触れ、それに向き合おうとしているのではないか、というようなことを感じたわけです。</p>

<p>　そういう意味で、大震災からの復興と家族の問題とはひとつのセットになったものとして考えていく必要があるだろうと思います。</p>

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</p>]]>
        
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    <title>はじまりのアリストテレス ＜家族論＞1</title>
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    <published>2011-10-14T06:33:53Z</published>
    <updated>2011-10-21T07:04:28Z</updated>

    <summary> 以下は9月に諏訪にて開催されたアリ研の第12回合宿のさいに、小津安二郎ゆかりの...</summary>
    <author>
        <name>izumi_ishii</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p><br />
<em>以下は9月に諏訪にて開催されたアリ研の第12回合宿のさいに、小津安二郎ゆかりの「無藝荘」で会員に向けて行われた座長・荒木勝（岡山大学副学長）の講演を、文字に起こし構成したものです。まだ荒削りで編集が不十分な部分が残っていますが、取りあえずここに全文を連載しながら段階的にブラッシュ・アップしていきたいと考えます。些か長いものなので、前回の講演録「幸福の行方」と同様に何回かに分けて掲載しますが、連載終了時には再度編集をほどこし「戦略的思考を越えて4」としてひとつにまとめる予定です。また、その後、この4回の講演を「電子書籍」の形式で1冊の本として仕立てる構想もあります。忌憚ないご意見、ご感想をお寄せいただけるとうれしいです。</em><small>[ 荒木勝講演録　2011年9月10日、蓼科「無藝荘」にて収録。編集・構成：石井泉 ]</small></p>

<p>　このアリストテレスと現代研究会（通称：アリ研）で、不定期ではありますが、これまで何回か講演のかたちでお話をしてきました。それらはテーマとして、「正義論」「知慮論」「幸福論」というふうに大きく三つに分けることができます。きょうはこれまでの締めくくりとして、家族の問題を採り上げて少ししゃべってみたいと思います。「家族論」というほどまとまった話にはならないかもしれませんが、人間と社会、あるいは国家のことを考えるときに、家族の問題を避けて通ることはできない。それは、人と人が「共に生きる」ということの根幹にある重要なテーマであるからです。</p>

<p>　しかも、家族は非常にアクチュアルな「いまここにある」実践的な問題であり、過去から現在、そして未来へと継続的に語りつづけていかなければならないものです。「国家論」への橋渡しともなる大テーマでもあります。その端緒となるお話をし、誰にとっても身近な家族という問題を考えることで、今後のみなさんのよりよい日々の生活や社会活動などの実践にあたって、少しでもそのヒント、考え方の糧になることを汲み取っていただければ、私としてもうれしい限りです。</p>

<p>　私自身の家族との対話、そのなかで語られた話題から入りましょう。最近、私の息子------といってももう20代半ばですが------と、いろいろ話をすることがあるのですが、その話のなかで気づかされたことがあります。<br />
　みなさんご存知の歌手・俳優の福山雅治の最近のヒット曲に『家族になろうよ』というのがある。息子に教えられてその曲を知ったのですが、それは「百年経っても好きでいてね」という歌詞ではじまります。「みんなの前で困らせたり　それでも隣で笑ってくれて　選んでくれてありがとう」とつづいていくのですが、要は男と女が出会って結婚する、そのさいの誓いの言葉みたいな感じの歌なんですね。</p>

<p>　著作権の問題もあってここに歌詞のすべてを出すわけにはいきませんが、互いに孤独と寄り添いながらも愛し合い、お父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんみたいに強く優しい人になって、助け合い支え合って、どんな辛いことも乗り越えてゆける家族になろうよ、しあわせになろうよ、という歌なんです。いかにもいまの結婚式なんかで歌われそうな歌です。</p>

<p>　気づいたことというのは一言でいうと、昔私自身が結婚した当時よく歌われていた曲と対比すると、そこに大きな違いがあるということなんです。歌にはその時代の社会背景が映り込むといわれますけど、私たちの世代が結婚したころは、当時流行っていた佐良直美の『世界は二人のために』という歌が代表するように、「私」と「あなた」が世界の中心にあって、自分たちが良けりゃいいじゃんみたいな、ある意味で自分本位というか、良くも悪しくも自己中心的な内容のものが多かった気がします。<br />
　自己中心的ということでいえば一見逆のようだけど、フォーククルセイダーズの『青年は荒野をめざす』なんかもそうですよね。言ってみれば、「家」から離脱して、自分の、自分たちだけの世界を求めるみたいな......。まあともかく、当時作られた歌に、演歌などのわずかな例を別にすれば、父や母、おじいちゃん・おばあちゃんのことなんかが歌詞に出てくることはまずなかったといっていい。</p>

<p>　私が結婚したのは25の時ですが、福山雅治のこの歌には、そのときから現在にいたる数十年という時の流れと、当時と今の「若者」の抱く夢や考え方の大きな変化を感じざるをえません。このような、家族とその思いをテーマにした歌が大ヒットするというのは当時は考えられなかった。この違いはいったい何なんだろうか、と。<br />
　当然そこには、この数十年の間の世界情勢の変動や、いろいろな社会の特徴的な出来事など、急激な時代の流れというものが複雑に絡み合って、それらが以前と違う「いま」をつくる要因になってきたという事情があるでしょう。</p>

<p>　いま現在のことに焦点化すれば、私たちの社会や生き方にもっとも大きな変化をもたらしたものは、言うまでもなく、3月11日に日本を襲った大災害です。この数十年の間の、われわれこの日本に住む者にとって最大の危機は、あの東日本大震災によってもたらされた。そして、未だそれは収束したと過去形で言える事態に至っていない。しかも、この未曾有の災厄は、被災現場の外的物的な被害というにとどまらず、日本で暮らす人々の身心に言い難い衝撃をあたえ、根本的に人間の「生き方」に対する考え方に大きな見直しを迫ってきている。『家族になろうよ』という、このささやかなひとつの歌にさえ、「それ」は大きく影響しているのです。<br />
　<br />
　もちろん、震災の前から家族や共同体の崩壊ということは指摘されていましたが、この震災はその問題を、いっきょに目の前の現実として前景化しました。普段はあまり家族のことなど考えない人たちにまで、家族や共同社会の問題をつきつけています。この大震災をきっかけに、幸せに生きるとはどういうことか、みながひとつの家で暮らすとはどういうことか、これまで「繁栄」の影に隠れがちだった、共同体や家族といったもののあり方を、私のような親たちの世代だけでなく、感性の豊かな若者たちがいろいろ考え、模索しはじめたということに、この歌の、歌詞の変化は大いに関係していると私は思います。</p>

<p>　この夏、津波による甚大な被害を受けた地のひとつである宮城県の石巻に行ってきました。じっさいに「その場」に身を置いてみることで、いろいろなことを感じ、考えました。災害にあったところを何箇所か友人に案内してもらったのですが、あたり一帯が瓦礫と化したある場所の真ん中に一件の家があるところがあった。二階建ての新しい家だったらしいのですが、家といっても、その残骸というか、かつて建っていたことがなんとかわかる程度に形をとどめているだけのもの。　<br />
　その家のかろうじて残っている壁を見たら、そこに子どものような字で「ホーム」と書いてあったのです。もう人が住めるような家ではないけど、そこに、まぎれもなくどなたかが暮らしていた家、ホームであったことを示し、記そうとする意思がはたらいている。その手で描いた文字を見て、私の胸に何かしら熱いものが込み上げてくるのを抑えることができませんでした。</p>

<p>　子どものころの伊勢湾台風とか、この前の阪神・淡路大震災とか、私が知っているだけでも日本はこれまでに大きな災害を経験しています。しかし、この東北の地に来て、住む家も全部根こそぎなくなって、いまだに人が帰って生活できない荒涼たる地がひろがっているのを見て、茫然たる思いがしました。これほどの被災は、経験はおろか具体的には想像すらできなかった。みなさんもきっとそうでしょう。<br />
　私たちはそんな「苛酷」という言葉で言い尽くすことさえできない状況に、戦後の日本人として直面しているわけですが、「私に何ができるか」と考えたときに、この震災以前に、人類の長い歴史の中で洪水とか地震とかの大災害をきっかけに、いろんな人たちがいろいろなことを考えてきたという事実を思い起こしました。そんなことを取り上げてお話するのも、ささやかながら私にできることのひとつかな、と考えたわけです。<br />
　<br />
　「復興」に向けて喫緊の「現実的」課題が山積みしている状況のなかで、まずはそれらの課題に急いで取り組んでいかねばなりませんが、逆に一方でこのようなときであればこそ、広い視野と長い時間スケールのなかで、人間と社会に関して、哲学的な、つまり普遍的で原理的な面から、少し思いをこらしてみるのもまた意味のあることなのではないでしょうか。</p>

<p><a href="http://www.cafe-nous.com/kan/2011/10/post-26.html">＜家族論＞2へ続く</a> </p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アルケー</title>
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    <published>2011-06-24T02:38:06Z</published>
    <updated>2011-06-27T05:00:25Z</updated>

    <summary>アリストテレス『形而上学』第５巻《哲学用語辞典》　 　〜私的読解による超訳の試み...</summary>
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        <name>izumi_ishii</name>
        
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        <![CDATA[<p>アリストテレス『形而上学』第５巻《哲学用語辞典》　<br />
　〜私的読解による超訳の試み〜 石井泉（アリストテレスと現代研究会メンバー）</p>

<p>第1章　アルケー</p>

<p>アルケーとは、まず、①ある物やある事のはじまりにあたるところ、その始点を指しています。たとえば線とか道とかを例にとれば、こっちの端がもう一方の端へのアルケーであり、反対に向こう側からこちらへ向かっている場合は向こうの端がアルケーであるというふうに言うことができます。</p>

<p>次に②何事をなすにしても、そのもっとも善い結果を生むための出発点となる最初の行いを意味することもあります。たとえば私たちが何かを学ぶとき、必ずしも私たちはその原理（原理自体にもアルケーの意味がありますが）から学ぶとは限らず、私たちにとって身近でなじみのある事柄から学びに入っていくことがあります。その場合、それが学びのアルケーとなります。</p>

<p>さらに、③事物が成り立つためのおおもと、それなくしてはありえないような基本の構成要素もアルケーと呼びます。たとえば、船ではその竜骨、家でいえば土台石などがそうで、また、動物を例にとると、ある人は心臓を、ある人は脳を、またある人はそれ以外の部分をその動物のアルケーであると考えることがあります。</p>

<p>しかし、さらにアルケーは④事物自体のなかには、あるいはその一部としては存在していないのに、それによってその事物が生成し、運動や変化がはじまる外的な第一の原因を示すことがあります。たとえば、子どもはその父と母が原因となって生まれるのだし、人同士の争いは誰かの告げ口やつまらぬウワサなどが原因で生じることもあります。このときの「原因」はアルケーに他なりません。</p>

<p>それはまた、⑤変容したり転身したりすることが、自分自身の内にある原因（アルケー）によってではなく、別のある者の意思によってなされるとき、そのある者をアルケーと呼ぶことができます。たとえばポリス（都市国家）においてこれを運営する者や主権者がアルカイ（アルケーの複数形）と呼ばれ、また同様に、ディナステイア（権力政治）、バシレイア（君主政治）、ティラニデス（僭主政治）などもアルケー（アルカイ）になりうるのであり、この場合アルケーは統治や政権を意味する言葉になります。<br />
それは、技術者においても当てはまることです。たとえば、建築（英語でアーキテクチャー）関係の諸技術を身につけ指示を出す棟梁（建築家）の術がアルケーを意味する「アルキ」テクトニケーといわれるのは、そのためなのです。</p>

<p>⑥物事や存在の意味を認識するさいに、その認識対象が成り立つための第一条件となるものもアルケーです。たとえばあることを論証するさい、その前提となる仮定を論証のアルケーであると言って問題ありません。</p>

<p>------ここに述べたことからわかるように、アルケーという語の適用例すべてに共通するのは、それが事物にとっての発端であること、つまりその存在、その生成、その運動、その認識すべてのはじまりにある「それ」であることです。ただし、アルケーのうち、あるものはその事物に内在しており、あるものはその外部にある。したがって、フィシス（自然）の原理や法則も、ストイケイオン（元素、構成要素）も、人を動かす思想や意志も、本質も、ト・フー・ヘネカすなわち（それ自体が目的であるところの）目的も、すべて同様にアルケーといってよい面をもっています。<br />
アルケーは、多様な物事の存在や認識、運動、そして善や美のはじまりであると同時に、はじまりのなかにその目的や結果をもたらす要因を包み込んだ概念であるといってよいでしょう。</p>]]>
        
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    <title>ローマでの休日＝チッタ・エテルナを尋ねて</title>
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    <published>2011-02-01T06:52:24Z</published>
    <updated>2011-02-03T01:23:29Z</updated>

    <summary><![CDATA[ No.1&nbsp;No.2&nbsp;No.3&nbsp;No.4&nbsp...]]></summary>
    <author>
        <name>nous_s</name>
        
    </author>
    
        <category term="庵頓亭夜話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[
<div class="antontei_t"><img width="530" height="125" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ta03.jpg" border="0" alt="ローマでの休日＝チッタ・エテルナを尋ねて" /></div><!-- タイトル背景 -->
<div class="antontei_m"><!-- 記事背景 -->
<div class="antontei_m3"><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /><br /><a href="#n01"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.1</a>&nbsp;<a href="#n02"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.2</a>&nbsp;<a href="#n03"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.3</a>&nbsp;<a href="#n04"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.4</a>&nbsp;<a href="#n05"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.5</a>&nbsp;<a href="#n06"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.6</a><br /><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /></div>
<div class="antontei_m1" id="n01">No.1　パンテオンの造形美</div>
<div class="antontei_m2">先日、BSTVの番組で、作家須賀敦子さんとイタリアに関する番組を観ていて、無性にローマのことが思い出され、何か書かずにはいられなくなりました、、、、〈といって、私のローマ体験なんて高々知れたものですが、何時ものとおり思い入れだけは深いので、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">やはり取り上げる最初は、番組でもかなり象徴的に捉えられていたパンテオンで、そこを初めて訪れた時の感動は、私の記憶の中で今も鮮明に息づいています。</div>
<div class="antontei_m2">勿論、あの天空をみはるかすポッカリ空いた天頂の穴や、ドーム内の伽藍／彫刻像は当然のこととして、むしろ私は、円形／球形／方形を巧みに組み合わせたその全体の建築デザインセンスに、ただただ感心することしきりでした。</div>
<div class="antontei_m2">ということで、12月としては例外的にポカポカ陽気の数時間を、この万神殿（パンテオン）の周囲を何周も歩き回ったりその前の広場のカフェに陣取ってビールを飲んだりして、極めて貴重な時間を過ごしました、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n02">No.2　ボルサリーノが似合う？ポポロ広場</div>
<div class="antontei_m2">ボルサリーノと言えば、何か西洋のマフィアを連想させる語感ですが、私の場合それはローマのポポロ広場のすぐ側にある、洒落た紳士物の帽子のお店です、、、、、、</div>
<div class="antontei_m2">ブリュッセル時代に帽子の魅力に開眼した私は、東京／銀座のトラヤなんかにもごくたまに立ち寄りますが、ボルサリーノのソフトは、ん万円もして思わず退いてしまいます。</div>
<div class="antontei_m2">それで、2回目のローマ訪問のおりには、何とかこの帽子屋さんの本店まで出掛けて行って、念願の洒落たソフトを日本の半額で買いました。</div>
<div class="antontei_m2">その後は、心浮き浮きその帽子を被ってポポロ広場にテーブルを張り出したカフェで、マフィア気取り？　でサングラスにパイプを燻らせながらお茶をした次第です、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n03">No.3　骨まで愛する西欧人（ローマ人）</div>
<div class="antontei_m2">ローマの高級ブティック街であるヴェネト通りの入り口辺りに、骸骨寺として有名なサンタマリア・デラ・コンチェチオーネ教会があり、私も野次馬根性丸出しで訪ねてみました。</div>
<div class="antontei_m2">その時は、思っていたよりも空いていて入り口で愛想の良い坊さんに僅かな見学料を支払って拝観しました。</div>
<div class="antontei_m2">そして、その聞きしに勝るグロテスク趣味は結構な見物でしたが、少し雰囲気に慣れてくると、何となく西欧人が髑髏を偏愛する気持ちも解からないではなくなりました？？？</div>
<div class="antontei_m2">ただ今でも一つだけ不思議に思うのは、カメラでの撮影禁止の表示を無視してそのインテリアの素晴らしさを写真に撮った筈が、後で現像に回してみるとぼやけてハッキリと写っていなかったことです、、、〈やはり洋の東西を問わず、不謹慎な不心得者にはそれなりの報いが有るようです、、、、〉</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n04">No.4　罰当たりなヴァチカン詣で</div>
<div class="antontei_m2">ヴァチカン美術館に出掛けるにはどの時間帯にするかが重要な思案どこです。</div>
<div class="antontei_m2">そこは何時も見学者の長蛇の列で、朝一番にするのかいっそ遅がけの3時過ぎにするのか、本当に悩ましいところです、、、、、</div>
<div class="antontei_m2">で私は、二回目の訪問時には大きな声では言えませんが禁じ手を使い、通常の時間帯（朝10時頃）に出掛け、何食わぬ顔で比較的列の前のほうにいた日本人団体客の一郡に紛れ込み　インチキなショートカットを実行しました、、、、〈もちろん入場料は自分で払いましたが、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">でも悪いことしたヴァチ（カン）なのか、美術館の中に大切なガイドブックを置き忘れる羽目になりました。〈やはり、神様は不心得者には懲らしめを与えるもののようです？？？？〉</div>
<div class="antontei_m2">肝心の美術館の展示の内容／中身に関しては、追って後程紹介します、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n05">No.5　ヴィヴァ「J・P・Ⅱ」</div>
<div class="antontei_m2">順序が逆かも知れませんが、前回はヴァチカン美術館を取り上げたので、今回はその裏手に位置する（これも裏表逆か？）サン・ピエトロ寺院というか、むしろその前の広場についてです。</div>
<div class="antontei_m2">最初にローマを訪れたのは1993年の9月でまだ暑い盛りでしたが、どういうわけか私は午前10時前地下鉄を降り立って多くの人の流れに沿って、いつの間にかこの有名な広場まで来てしまっていました、、、、〈別にカソリックの信者でもないのに、、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">というのは、その日は丁度水曜日に当たっており、毎週この広場で行われるローマ法王の一般喝見が行われたので、まさに全世界のカソリック信者の善男善女が世界各地から集まってくるのでした。</div>
<div class="antontei_m2">それは信仰を持たない単なる野次馬に過ぎない私でも、当時の法王ジャン・ポール二世の人気の凄さは膚で感じられ、喩は不適切かも知れませんが野外ロックフェスティバル（ウッドストック）もかくやとういほど揃いのTシャツや幟／旗などをうちふる群衆の熱気にたじたじとなったほどでした。〈もちろんそんなのはごくごく一部分で、あとは普通の南欧／中南米からの農協さん？の団体だったと思います〉</div>
<div class="antontei_m2">という訳で、先年4月、先の法王が亡くなられたときの世界の信者の悲嘆の様子も十分に納得が行くものでした、、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n06">No.6　闇の中から浮かび上がるカラヴァッジョ</div>
<div class="antontei_m2">2回目のローマ訪問の一つの目的は、カラヴァッジョの作品をできるだけ鑑賞することでした。〈カラヴァッジョなんぞに興味を抱いたきっかけは、マタイ受難曲だったか、ロ短調ミサ曲だったかのCDのブックレットの表紙に使われていた作品に、その光のコントラストの巧みさに思わず引き込まれてからです、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">〈素人の私でも簡単に理解できますが、カラヴァジョの絵は光と闇のコントラストを巧みに配することにより劇的な表現力を実現し、観るものに強烈な印象を与えます。それには、もちろん絵の題材や全体の構図も当然あるでしょうが、、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">それで、ローマのパンテオンのすぐ近くにあるお目当ての教会に辿りついたのは、昼休みで一時的に扉を閉めてしまう、丁度10分ぐらい前の時間だったと思います。</div>
<div class="antontei_m2">全体に薄暗い教会堂のなか、はやる気持ちで絵のありかを求めましたが、主祭壇から少し離れた一画に少し人々が群れており、そこに目的の絵が架かっているとすぐに判りました。</div>
<div class="antontei_m2">しかしその一画に近づいてみると、薄暗い中で左右に対面して架けられた絵は、なんと鑑賞者がコインをボックスに差し入れることにより一分間ほどライトが照らされてハッキリと観える仕掛けになっていました。</div>
<div class="antontei_m2">今にして思えば、こうして寺守りに追い出されるのを気にかけながら、コインを投げ入れて鑑賞するのはカラヴァッジョの作品を嗜む最上の方法だったのかも知れません、、、、、</div>

<br /><div class="antontei_m2">2011.1.24</div>
<div class="antontei_b"></div><!-- ボトム背景 -->
</div><!-- 記事背景ここまで -->
]]>
        
    </content>
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    <title>ヴェネチアの舟歌</title>
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    <published>2011-01-26T02:53:10Z</published>
    <updated>2011-01-26T02:49:37Z</updated>

    <summary><![CDATA[ No.1&nbsp;No.2&nbsp;No.3&nbsp;No.4&nbsp...]]></summary>
    <author>
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        <category term="庵頓亭夜話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[
<div class="antontei_t"><img width="530" height="125" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ta02.jpg" border="0" alt="ヴェネチアの舟歌" /></div><!-- タイトル背景 -->
<div class="antontei_m"><!-- 記事背景 -->
<div class="antontei_m3"><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /><br /><a href="#n01"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.1</a>&nbsp;<a href="#n02"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.2</a>&nbsp;<a href="#n03"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.3</a>&nbsp;<a href="#n04"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.4</a>&nbsp;<a href="#n05"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.5</a>&nbsp;<a href="#n06"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.6</a>&nbsp;<a href="#n07"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.7</a><br /><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /></div>
<div class="antontei_m1" id="n01">No.1　ヴェネチア！ ヴェネチア！ 私の「夢の島」</div>
<div class="antontei_m2">これまで行った場所で一番好きな処は何処かと、色々考えてはみるものの、やはりそれはヴェネチアに落ち着いてしまう。</div>
<div class="antontei_m2">実際に訪れたのはたった二度だけで、最初が1994年の確か11月の僅か3日間だけ。でこのときはベルギーに在住だったので、そこから慌ただしく空路で往復したっけ。</div>
<div class="antontei_m2">二度目は丁度その10年後にあたる2004年の12月初めで、この時は日本から発って先にローマで一週間、そのあとヴェネチアで一週間と、まあ割と余裕のある日程だった。</div>
<div class="antontei_m2">それでも私の心の奥底では、ヴェネチアの運河路地教会堂美術館広場バールカフェ、、、、、で過ごした総ての"時間"が、いまもゴンドラで聴く舟唄のように流れている、、、、</div>
<div class="antontei_m2">それは、ついに見果てぬ「夢の島」のようでもある、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n02">No.2　冬の夕暮れにサンマルコ広場へ、、、</div>
<div class="antontei_m2">ヴェネチアに入る交通手段／方法は、鉄道か陸路で橋を渡るのが一般的だと思います。</div>
<div class="antontei_m2">そして、私も最初訪れた時は空港からタクシーで橋を渡って入りました。〈そしてこの時は、予約してあった筈のサンタルチア駅の近くのホテルが駄目で、旅行案内所で急遽ホテルを探しなおすという苦い経験をしました、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">そんなことがあってか、二度目はサンマルコ寺院近くの海岸に面したホテルを予約し、空港からは水上バスに乗って海上から入りました。</div>
<div class="antontei_m2">冬の夕暮れ時、沈みゆく夕陽を浴びながら薄靄のかかったサンマルコ寺院あたりを目指して進む船に揺られて訪れた「夢の島」ヴェネチアの佇まいは、今も私の脳裏に焼き付いています、、、、〈何か、ヴィスコンティ映画『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハそのものみたいに、、、、、〉</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n03">No.3　ヘミングウェイに乾杯！</div>
<div class="antontei_m2">Harry's Barは、作家ヘミングウェイが通ったとかで、ヴェニスでは有名なスポットのようで、私も御多分に漏れず二回目の一週間は毎日夕刻になると一杯ひっかけに出掛けました、、、、</div>
<div class="antontei_m2">サンマルコ広場を横切ってフェニーチェ劇場へ向かう初めての橋を渡って左に折れ、そのまま海のほうに少し歩いた左手にその入り口はあり、一番最初の時は少し気遅れがしましたが思い切ってドアを開けて入ってみた訳です、、、、</div>
<div class="antontei_m2">夜の食事を主にしたレストランになる一時間程前を目掛けて出掛けたので、丁度客がカフェからレストランに変わる境目で、何となくざわついた店内も予想以上に広くゆったりした印象でした、、、</div>
<div class="antontei_m2">それから、ほぼ同じ時刻に一週間通い詰めて、いつも同じカクテル（スゥィート・アニーと言う名前が気に入ったので）を注文をし続けた私は、しまいにはギャルソンの挨拶「ウナセラ」にも鸚鵡返しで上手く応えられるようになりました、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n04">No.4　現代美術に疲れたら川風を浴びて、、、、</div>
<div class="antontei_m2">アッカデミア美術館を出て少し東の方向に向かって歩くと、グッゲンハイム美術館に辿りつきます。</div>
<div class="antontei_m2">ここはパラッツオ・ヴェニール・ダイ・レオーニという18Cの屋敷を買い取ったユダヤ系の富豪が開いた現代美術館で、ニューヨークにも有名な同名の現代美術館があります。</div>
<div class="antontei_m2">ヴェネチアとしては歴史の新しいむしろモダンな建物に、20Cの現代美術作品が要領よく展示されており十二分に楽しめますが、それ以上の目玉はカナルグランデ（大運河）に面したそのテラスです。</div>
<div class="antontei_m2">展示室から直接出られるこのテラスで、心地よい川風に吹かれながら大運河を行き交う様々な船を眺めていた時の解放感は、なかなかに得難い思い出として今も生き続けています、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n05">No.5　サン・バルナバのコンサート</div>
<div class="antontei_m2">最初のヴェネチア訪問の際、夜のコンサートに出かけたのはサン・バルナバ教会です。〈私は海外の観光旅行先では、必ず夜のエンタテーナメントを当たります、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">その時の曲目はもうハッキリ覚えていませんが、どうもモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラの交響協奏曲が入っていたようにも記憶しています、、、、</div>
<div class="antontei_m2">そして、コンサートの合間の休憩時間に息抜き/煙草の一服のために教会の外に出て見上げた11月半ばの夜空に、煌めく多くの星座が散りばめられていたようにも思います。</div>
<div class="antontei_m2">この教会の脇を流れるサン・バルナバ運河は、昼間は八百屋さんの船が舫われることと、確か映画『旅情』で女優キャサリン・ヘップバーンがダイビングしたことで有名です。</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n06">No.6　黄金のサン・マルコ寺院</div>
<div class="antontei_m2">数あるヴェネチアの名所でもやはり一番そこにふさわしいのは、サン・マルコ寺院だと思います。</div>
<div class="antontei_m2">海上からサン・マルコ広場を望むと、この寺院は大半が総督宮殿に隠れてしまいますが、広場の真ん中から眺めるとその規模の大きさや建築様式の特異さが十二分に理解できます。</div>
<div class="antontei_m2">中へ入ると真っ先に眼を奪われるのが、その金色をベースとした溢れんばかりのモザイクの荘厳さと美しさです。</div>
<div class="antontei_m2">場所的にもその歴史的成り立ちからも、明らかに東方コンスタンチノープルの影響が大であるこの寺院は、そのバルコニーから二基の円柱を通して遥か海上を眺めるとき、ヴェネチアが真に海上都市であることを実感させてくれます、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n07">No.7　ゲットーの発祥の地を訪ねて</div>
<div class="antontei_m2">ゲットーといえば、中世以降欧州でユダヤ人が都市の中で集団的に隔離集住させられた一角を示すコトバで、その発祥の場所こそヴェネチアに存在します。〈須賀敦子『ヴェネチアの宿』にも、ここは極めて印象的に取り上げられています、、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">サンタ・ルチア駅前のスカルツィ橋からカナルグランデ左岸側を少し歩くとカンナレッジョ運河を渡る橋があり、そこをその運河に沿って左へ廻りまた少し先に進むとゲットーの入り口があります。</div>
<div class="antontei_m2">私は、二度目の訪問のそれぞれに此処を訪れましたが、4ー5階建ての建物に囲われたやや大き目な広場の、人気のないひっそりとした佇まいが一番印象に残っています、、、、</div>
<div class="antontei_m2">この地域は、構造的にも外部から隔離可能（通じる橋を閉鎖すれば）になっていますが、ヴェネチアの臍とも言うべきリアルト橋を中心として、海側の玄関口 サン・マルコ広場の丁度対角線の反対側に位置することが、その存在の特殊な歴史性／重要性を象徴していると、私は深く確信しています、、、、</div>
<br /><div class="antontei_m2">2011.1.20</div>
<div class="antontei_b"></div><!-- ボトム背景 -->
</div><!-- 記事背景ここまで -->
]]>
        
    </content>
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    <title>私の『ふらんす物語』</title>
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    <published>2011-01-21T02:12:55Z</published>
    <updated>2011-01-24T07:42:25Z</updated>

    <summary><![CDATA[ No.1&nbsp;No.2&nbsp;No.3&nbsp;No.4&nbsp...]]></summary>
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        <name>nous_s</name>
        
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        <category term="庵頓亭夜話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[
<div class="antontei_t"><img width="530" height="125" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ta01.jpg" border="0" alt="私の『ふらんす物語』" /></div><!-- タイトル背景 -->
<div class="antontei_m"><!-- 記事背景 -->
<div class="antontei_m3"><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /><br /><a href="#n01"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.1</a>&nbsp;<a href="#n02"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.2</a>&nbsp;<a href="#n03"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.3</a>&nbsp;<a href="#n04"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.4</a>&nbsp;<a href="#n05"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.5</a>&nbsp;<a href="#n06"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.6</a>&nbsp;<a href="#n07"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.7</a>&nbsp;<a href="#n08"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.8</a>&nbsp;<a href="#n09"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.9</a>&nbsp;<a href="#n10"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.10</a>&nbsp;<a href="#n11"><img width="11" height="10" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_ya.jpg" border="0" alt="line" style="vertical-align: middle;" />No.11</a><br /><img width="490" height="2" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line2.jpg" border="0" alt="line" /></div>
<div class="antontei_m1" id="n01">No.1　フランスとの馴初め</div>
<div class="antontei_m2">敬愛する荷風散人の『ふらんす物語』は明治40年（1907年）代の作品で、近代日本の青春欧州紀行物語として愛読してきました。〈それにしても、この作品の背景がもう100年も前のことになるとは、改めて感慨を深めます〉</div>
<div class="antontei_m2">私のものは、勿論そんな名作とは全く次元の異なる"凡人のわたしが出会った／感じた"おふらんす"についての雑文です"。</div>
<div class="antontei_m2">幼少の（ガキだった）頃に、最初に"ふらんす"に出会ったのは、今はそのタイトルも歌詞もしっかり思い出せない小粋な唄で、たしか出だしは「お菓子の好きなパリ娘・・・・・」だったと記憶しています。</div>
<div class="antontei_m2">そしてこのフレーズの少し後に「なんとか　エクレール・・・・・」などと言う句だりがあり、それで私にはこのエクレアというお菓子がパリ＝フランスにしっかりと結びついてしまいました。</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n02">No.2　ヴェルレーヌの悔恨（アーンのメロディー）</div>
<div class="antontei_m2">10年ほど前から、何故かフランス（語）の歌曲に心惹かれるようになりました。〈そして、フランスのポピュラーな唄はシャンソンと呼ばれているのに、クラッシックの歌曲はメロディーと言われることを知りました、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">言うなれば、19C前半のベルリオーズ以降フォーレ、ショーソン、ドビュッシー、ラヴェルを経て20C半ばのプーランクまで主なフランスの作曲家は、ボードレールやゴーティエ、マラルメなどの愛誦詩にそれぞれの個性にふさわしい節をつけて、まさにメロデイーの饗宴を競っています、、、、</div>
<div class="antontei_m2">しかし、そのなかで私が最も心奪われる唄は、一般には余り馴染みの無いR.アーン（あのM.プルーストと特別の間柄だった）が、ヴェルレーヌの詩を甘美かつ痛切に歌い上げた『D'une Prison（監獄から）』という作品です。</div>
<div class="antontei_m2">ヴェルレーヌがランボーとのあの有名な一件からぶち込まれた　ブリュッセルの牢獄で着想されたとおぼしい詩には、切実な悔恨の心情と心の平安への思いに溢れており、聴くものの心を撃たずにはいられません。〈私は、このブリュッセルの監獄に使われていた建物の近くをよく散歩していました、、、、、〉〈ブリュッセルはフランス語圏なので、少し乱暴ですが"ふらんす"と見做します、、、、〉</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n03">No.3　コート・デュ・ローヌ</div>
<div class="antontei_m2">この時期になると、ボージョレー・ヌヴォーの話題が色々出始めるようですが、私はお酒は好きなほうでそれもワインは好みなのですが、どう言うわけかあまりそれ（ボージョーレ）には興味は湧きません。</div>
<div class="antontei_m2">つまり、味覚の発達／開発が悪くて味の違いがそれ程判らず、もっと言えば、少し酔ってしまえば所詮酒の味なんてそんなに違いがないのでは、、、なんてかなり不遜な？ 考えもあります、、、〈但し、基本的にどケチな名古屋人なのでコストパフォーマンスには割と敏感で、かつ少なくとも不味いものは即座に判断できるつもりです、、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">2001年の都合半年ぐらいを、フランスのローヌ河沿いのヴァランスという小都市に仕事の関係で滞在しました。</div>
<div class="antontei_m2">その辺りは、フランスワインのブランドの一つであるコートデュローヌの産地のほぼど真ん中に位置していたようで、宿の近くのスーパーではサンジョセフとかシャトーヌフパプなどの銘柄がかなり安く手に入るため、当時はこまめに買って嗜んでいました。</div>
<div class="antontei_m2">残念ながら、名古屋のお店には余りローヌのワインは置いていないようですが、私はこのような経験から言えばワインといえば何をさて置いても、やはりローヌです、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n04">No.4　夏の宵</div>
<div class="antontei_m2">ベルリオーズの初期の作品に『夏の夜』というタイトルのオーケストラの伴奏でメゾソプラノが歌う素敵な歌曲集があります。</div>
<div class="antontei_m2">私がこの曲を初めて聴いたのが、1992年の秋のシーズンで場所は確かアントワープのデ・ジンゲルという名前の文化会館のホールだったと記憶しています。〈指揮はPh.ヘルヴェッヘで歌手、オケは覚えてません〉</div>
<div class="antontei_m2">この時、初めて滞在したベルギーでの何時までも明るく何か心が浮き浮きとする「夏の宵」の印象と、この曲集の6つの唄がピッタリとシンクロナイズしたので、それ以後この曲集と欧州のサマータイムの宵の思いでが切り離せなくなりました。〈これは全曲良いのですが、特に最初の曲「ヴィラネラ」（＝定型詩の一つの名称）が特に夏の宵にはピッタリ〉</div>
<div class="antontei_m2">私は緯度がそれほど高くない地域のサマータイム導入はあまり効果／意味がなく、基本的には反対です、、、、、</div>
<div class="antontei_m2">それから、先々回ご紹介したR.アーンの曲集の中にも少し時期は早めですが、Mai（5月）というタイトルの心が浮き立つような素敵な唄があり、これもなかなか捨てがたいです、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n05">No.5　オペラコミック礼賛</div>
<div class="antontei_m2">数年前何の気なしに購入したCD「Operette‐Passion」は、古き良フランスの香り／薫りを満載したとてもご機嫌な二枚組のコンピレーションです。</div>
<div class="antontei_m2">オペレッタ＝オペラコミックは（正確にはイコールでは無いようですが、、、）は、19C半ばから20C前半にウィーンやパリで流行った喜歌劇でストーリー自体は他愛のないものの、愛すべき魅力に満ちたメロディーに溢れた唄が、聴くものを限り無い寛ぎの世界へ誘ってくれます。</div>
<div class="antontei_m2">一枚目はシュトラウス二世、レハールなどのウィーンものが中心で、二枚目はオッヘンバックなどフランスの作曲家のものが集められていますが、総て歌詞はフランス語でヒアリングにも最適で、誠にもってこいです。〈あのR.アーンの作品も入っています、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">第一次世界大戦以前の欧州には、これほど蠱惑的で人間味に溢れた文化／芸術が花咲いたと心底実感でき、あまりにも遅れて生を享けてしまった悲運を嘆くことしきりです、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n06">No.6　プロヴァンスの並木道</div>
<div class="antontei_m2">つい先だって、A新聞で（日本の）並木道の読者人気ランキングに関する記事が載っていました。</div>
<div class="antontei_m2">そこでは、北大構内の並木がベストとして挙げられており、まぁ妥当だとは思うものの、私のベストは違います。</div>
<div class="antontei_m2">フランス高速道路A7を降りてサン・レミ・プロヴァンスに向かうルートD99の途中数キロは、それは素晴らしい並木のトンネルです。</div>
<div class="antontei_m2">北大の並木はポプラですが、私は植物に疎いのでそれが何の樹だったか定かではありませんが、2001年の初夏初めてそこを通過してから、そのあと続けてわざわざ2往復もクルマで爽快に飛ばして駆け抜けた快感は、今も私の心と身体の記憶の奥底にしぶとく息づいています、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n07">No.7　フランス語事始め</div>
<div class="antontei_m2">フランス語を学び始めたキッカケはベルギーへの赴任だったから、もう15年以上も前のことになります。</div>
<div class="antontei_m2">色々試みてみましたが、やはり一番大切でかつ有効だったのは、基本単語約2〜3000語の徹底的な体得と、それをベースとした基本的短文約200の繰り返しによる習得だったと、今にして思います。</div>
<div class="antontei_m2">単語集と基本文型集をそのカセットテープとともに、ほぼ毎日時間が許す限り聴いていると、約半年経った頃に急に言葉の基本的な輪郭が把握できたようで、それからはフランス語に対する抵抗感／違和感が全くなくなったように思います。〈これは、子供や若い人ならもっと時間は少なくて済むと思われます、、、、〉〈この方法は、殆どどんな言葉にも適用できると思います、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">このように基礎ができたら、あとは興味に任せてひたすら様々な文章を読むなり、映画や歌などを聞き込んで色々な表現に慣れることだと思います。</div>
<div class="antontei_m2">但し、やはり現地で使えるようにする為には、やはり何処かの会話教室かクラスに通う必要があると思います。</div>
<div class="antontei_m2">私は、もうこれ以上他の外国語を学ぶ気力／根性はありませんが、フランス語をある程度習得したお陰で、ものの見方に幅ができ、世界が拡がったのは確かです、、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n08">No.8　山の上の芸術の街</div>
<div class="antontei_m2">南フランスには、中世からの切り立った小高い山（丘）の上にこじんまりと拡がる街が、アチラこちらに点在しています。</div>
<div class="antontei_m2">私がこれまでに訪れたそんな街で一番心に残っているのは、カンヌ／ニースの中間辺りに位置するサン・ポール・デ・ヴァンスです。</div>
<div class="antontei_m2">確か1994年の7月に約一週間ほどカンヌに遊んだ折、クルマでそこへ出掛けてほんの半日ほど滞在しただけですが、初めて訪れた山上の素敵な"芸術の街"として、その佇まいが深く心に刻まれています。</div>
<div class="antontei_m2">特に此処の目玉はマギー美術館と呼ばれる現代美術中心の施設で、ジャコメッティなどの現代彫刻が巧みに配置されたその庭園で迎えた地中海の夏の夕暮れが、今でも微かに記憶の奥底に蘇ります、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n09">No.9　チェットと歩けば、、、、</div>
<div class="antontei_m2">チェット・ベーカーという、はるか数十年も前に亡くなったアメリカのジャズトランペッターがいます。〈この人は、トランペットの他にもモノセックスな感じのヴォーカルでも有名でした、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">私はもう1992年から約3年間のベルギー在住中、3度目ぐらいのパリ訪問の際に、今となってはその動機／理由は思い出せませんが、凱旋門の近くのFNAC（日本でいえば新宿紀伊国屋か）で彼の『Chet』というスローバラードのCDを買って、それをウォークマンで聴きながらパリの街を彷徨い歩きました、、、</div>
<div class="antontei_m2">それは季節は秋で、パリは小雨に煙るぐずついた天気でしたが　そこではアンニュイでかつ鮮烈なチェットのバラードの旋律が　ドンピシャリとハマッたようでした。</div>
<div class="antontei_m2">しかしその後　同じCDを聴きながら雨のそぼ降る日本の街を歩いてみても、残念ながらその時と全く同じ感覚（フィーリング）は二度と味わえません、、、、〈そんなこと、言わずもがな、当たり前か、、、、〉</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n10">No.10　オランジェでの邂逅</div>
<div class="antontei_m2">この前、青柳いづみこさんの最新文庫本を読んでいたら、「リヨンからヴァランスを過ぎてオランジュ辺りまで来ると、空の色や空気ががらりと変わる」というようなことが書いてあり、全く同感でした、、、、</div>
<div class="antontei_m2">2001年7月真ん中あたりの土曜日、当時滞在していたヴァランスから高速でオランジュに入りクルマを止めて街中を散策しました、、、、</div>
<div class="antontei_m2">勿論お目当ては古代ローマ時代に造られた野外の円形劇場で、早速入場料を払いそこの観客席の最上階からの眺めを楽しみました。</div>
<div class="antontei_m2">ところが遥かに小さく見える舞台から、とても素晴らしいピアノの演奏が聴こえてきたので（曲はもう忘れました）、そこまで降りて行ってそのピアノ弾きを見て本当にビックリしました。</div>
<div class="antontei_m2">なんとそこでは、あの神童と謳われたE.キーシンが翌々日のサマーコンサートの為の練習をしていたのでした、、、、</div>
<div class="antontei_m4"><img width="490" height="7" src="http://www.cafe-nous.com/nous_mtos/kan/images/antontei_line.jpg" border="0" alt="line" /></div>

<div class="antontei_m1" id="n11">No.11　アヴィニオンへの憧れ</div>
<div class="antontei_m2">アヴィニオンはローヌ河に面した今も中世の面影を残すとても素敵な街です。</div>
<div class="antontei_m2">此処は14C初め歴史上有名な「アヴィニオンの幽囚」で法王庁がローマから一時的に移されたことを契機に栄え、今もその名残を留めているようです。</div>
<div class="antontei_m2">ということで、観光の目玉は法王庁で、荘重にして華麗な建物は往時の教会権力とその財力の大きさを十二分に示しています。〈あちこちの室内を装飾するフレスコ画の美しさが今も瞳の奥に焼き付いています、、、、〉</div>
<div class="antontei_m2">此処には、2001年ヴァランスに滞在していた5ヶ月の間に高速道路A7を使って3回ぐらい訪れましたが、7月に演劇祭が催されるような芸術の雰囲気に溢れた美しい街並みを、またぜひ一度訪れたいと心から願っています、、、、、</div>
<br /><div class="antontei_m2">2011.1.15</div>
<div class="antontei_b"></div><!-- ボトム背景 -->
</div><!-- 記事背景ここまで -->
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    <title>哲学は役に立つか　〜アリ研の合宿報告に代えて</title>
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    <published>2010-09-29T05:14:45Z</published>
    <updated>2010-10-06T03:05:53Z</updated>

    <summary> 　9月17,18,19日、第11回アリストテレスと現代研究会（通称アリ研）の勉...</summary>
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    </author>
    
        <category term="アリ研合宿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p><br />
　9月17,18,19日、第11回アリストテレスと現代研究会（通称アリ研）の勉強会合宿が長野県の諏訪で行われました。</p>

<p>　<img alt="100929.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/letters/images/100929.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />参加者は、座長の荒木勝教授（岡山大学）を含め、これまでで最多の16名。合宿初参加は2名。若き女性弁護士Hさん、それと、遅れてではありますが、公務で超多忙の近藤誠一さん（文化庁長官）も駆けつけてくれました！<br />
　勉強会は荒木訳アリストテレス『政治学』の輪読、荒木先生自身によるコメンタリー、参加者との質疑応答、そこから広がる現代的問題・課題を自由に討議するという、いつもどおりの「対話」形式で行われました。</p>

<p><span style="color:#2f4f4f">　[写真は、合宿に参加された三村聡さん（愛知学泉大学教授）が送ってくれたもの。私が帰京した翌日、ケイタイで撮った写真ということですが、見た瞬間感激しちゃったので、使わせてもらいました。題して「天孫降臨」とでも？。これぞ光の御柱！　大きな水たまりは、むろん諏訪湖です]</span></p>

<p>　以下、報告というより、復習をかねて、思うまま独語的に何か書いてみます。<br />
　(会員のひとり秋山和平さんもブログ<a href="http://wahei.blog.ocn.ne.jp/fudan/2010/09/11_be17.html">「ふだんの冒険」</a>で合宿のことを書いてます）</p>

<p>　＊</p>

<p>　今回講読を行った『政治学』第7巻は次のような書き出しではじまります。</p>

<p><em>　最善の国家体制について、それに相応しい探求をしようとする者は、まず第一に最も望ましい生活とは何であるか、をはっきりさせておかねばならない。</em></p>

<p>　最善の国家とはどんな国家かを考えることは、最も望ましい生活とはどんな生活かを考えることと同義であると言っているわけですが、こんなさりげない一言さえ、マジに理解しようとすると、じつに多くの問いが言葉になろうとして頭のなかに疑問形のまま渦巻きます。</p>

<p>　まず、国家のあり方と生活（英語でライフですから、人生あるいは生そのものとしても訳せる）を同列に置くこと自体「ほーっ！？」と思います。しかし、そもそも、アリストテレスの言う、</p>

<p>　最善って？　国家って？　望ましい生活って？</p>

<p>　アリ研は正式には「アリストテレスと現代」研究会といいますが、現代社会に生きている私たちの「いま」の視点から、およそ2300年前にアリストテレスの遺した言葉（概念）を検討し、理解することを旨としています。<br />
　無理して「現代」に結び付けなくとも、学問的歴史的研究はできるだろうし、じっさいそんなアリストテレス研究者はいるし、っていうか、それが「主流」でしょう。しかし、多かれ少なかれ、学問の世界でも「時代」から完全に超越して、まっさらな「客観的」視点から単独のものとしてテキストを読むことはできないはずです。ですから、なにも無理しているわけではなく、それが私たちにとっての自然体です。</p>

<p>　アリ研は、大学の先生も多くいますけど、アリストテレス自体を「客観的」に研究しようとする専門家の集合体ではありません。「客観的」とは何かというややこしい定義はスルーして言うと、現代という「文脈」にアリストテレスの哲学を入れ込んだときに、それ（アリストテレス）はどう読めるのか。そしてまた、アリストテレスの知の体系と現代を照合したとき、それ（現代という時代）はどのように理解できるのか。相互貫入的に問いと問いをぶつけ合い、合わせ鏡のように反射していく。<br />
　アリストテレスを読むことが、「現代」とそこで生きる自分を見つめ返すことにつながるわけで、それを学究的にではなく、自分たちそれぞれの生き方において自覚的に行おうとするのがアリ研です（と、勝手に定義してしまいます）。その意味で、座長を除き、私たちはみなアマチュアです。アマチュアの特権として、自由に読み、考えよう、と。</p>

<p>　しかし、アリストテレスがスゴイと思うのは、そんな素人でもそれなりにアリストテレスを少しずつ読み込んでいくうちに、彼の思考形態自体にそんな知の技法が内包されているのではないかと感じられてくる点です。アリストテレスというよりはアラキトテレス（荒木先生）の読み（理解・解釈の広さ・深度）の凄さなのかもしれませんが、おそらくそんな読みさえ、対象がアリストテレスであることに因っているはずなのです。少なくとも、そう「感じ」られる。フラクタルというか、「入れ子」構造というか、、、。</p>

<p>　「問い」といいましたが、ひとつの問いは次々に別の問いを生み、連関していく。万学の祖といわれるほどのアリストテレスの広大無辺な知の領域は、その問いの連鎖と重層性によって拓かれたのかという気さえしてきます。きわめて高度な博物学的知性といったらよいか（というか、まさに彼は博物学の祖でもあるといってもいいわけです。世界ではじめての生物学者ともいわれています）。<br />
　彼の書物は問いの視線＝「観察」による記述が主で、こうすべきだという「答え」を容易に示してはくれない。それも非常にアリストテレス的ではないかと思うのですが、問いは言葉であっても、答えは言葉を超えて、各自の生き方のなかに探るべし、とでも言っているような。</p>

<p>　以前、アリ研が発足したころ、荒木先生と話をしたときに、ずばり「（アリストテレスの）哲学は生きることに役に立つのか？」と乱暴な問いかけをしたことがあります。そのとき先生から「役に立つ！」と、はっきり応えていただきましたが、それはある意味で「答え」ではない。つまり、荒木先生の「答え」ではあっても、私の「答え」ではない。私が「そうか！」と納得しない以上、私にとっての答えにはならないわけで、じっさい、はっきりとそう明言した先生の態度には驚き、感動しましたが、それを聞いても「ふーん、そうか」といった程度の反応しか、自分のなかに起こらないのです。</p>

<p>　自分で問うていながら、その応えから私に生じたのは「そうか、役に立つのか。だけど、どういう風に役に立つのか。役に立つとはどういうことなのか」といった新たな問いなのです。先生の答えは新たな問いの契機を内包した「応え」であり、他者から言葉による答えを教わっても、それだけでは決して自分の答え（言葉）にはならないということの実例がここに示されている。私は、先生がそう言うのなら、そうなんだろう。なんとなくだけど、そうであるような気がする、といった程度の諒解の仕方しかそのときはできませんでした。当然と言えば当然です。</p>

<p>　でも、あまり厳密性に拘泥せずに、問いに応えようと言葉にしてみる（アウトプットする）ことは大事です。</p>

<p>　というのも、今回の勉強会で、私なりにわかりかかってきているかなと思えたことがあります。そうであるような気がする、といった程度の理解、というか直観的な把握の仕方、それも多分「あり」なんだということです。そんな感覚も、言葉によって、ある言葉がきっかけとなって、引き起こされる。</p>

<p>　話は少しジャンプしますが、「観想こそ最高の実践である」という禅問答のような、逆説的なアリストテレスの言葉が今回の勉強会での対話のなかで荒木先生の口から紹介されました。一見（一聴）なんのことかさっぱりわかりません。<br />
　しかし、「役に立つ」という言葉の目的語を仮想すると、なにがわからないかが、ぼんやりとわかってくる。つまり、この場合は、活動体としての「生」（エネルゲイア）。エネルゲイアがなんたるか、よくわからないまま口にしていますが、これまでの「お勉強」の蓄積と直感から推理すると、観想すること（考えること）は「生命の活動（つまり、生きること）」として最高の実践（行為）であるととれるのです。相反する観想と実践が裏返って、メビウスの帯のように一枚につながってくる。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　「人は生まれながらに知ることを欲する」（『形而上学』の冒頭の言葉）のであれば、知るとは見ることでもありますから、「知ること」は観想（観察的思考）することでもある。しかも、それは「人」特有のことであり、人ならではの行為であると拡大解釈も可能であり、そうすると（アリストテレスは知性活動をする人間を「神」の次に位置づけているから）、観想することは他の生命体を含めた「生物」にとって最高の活動（実践）ということになる。</p>

<p>　しかも、人は生きているのだから、生活がある。考えるためには、そのためのよき生活環境が必要ですから、そのために最も望ましい生活（グッド・ライフ）とはなんであるか、をはっきりさせなければならない。社会的動物であるヒトは一人では生きられない。では、集合的に生を営むひとつの単位を社会たらしめる国家とはなにか。どのような国家（体制）が最善の国家なのか。この場合、国家をなんらかの共同体と捉えてよい。</p>

<p>　グッド・ライフ（善き生活）とは、アリストテレスが別の箇所で述べていることですが、閑暇（スコーレー、簡単に言ってしまうと学び＝遊びであるような自由時間。スクールの語源）を人が持てる社会を形成できるかどうかにかかっている。そして、そういう社会こそが最善の国家ということになっていくという論理の糸がなんとなく見えてくる。つまり、閑暇をもてない社会では観想などできないからです。<br />
　では、具体的にはどうすればよいのか。答えはひとつではなく、しかも、時代や環境によって、また人が置かれた状況・条件や能力によって異なってくる。人それぞれが、個人のアレテー（徳、技量）に応じ、さまざまに交差する関係の織り糸で構成される共同性のなかで、考え、実践していくこと、、、。</p>

<p>　そのためには善（自分にとっての善きこと。また「共通善」）とは何か、正義とは何かという問いを「正しく」問うことが欠かせないわけで、それも各自が、個人で、あるいは集団（コミュニティ）で考え、実践していかねばならないわけで、、、。</p>

<p>　いま話題のマイケル・サンデルが「ハーバード白熱教室」（NHKで放映）での講義や、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152091312?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4152091312">これからの「正義」の話をしよう</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4152091312" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』という本で提起するような難問（アポリア）が、複雑怪奇にからみあっているのが現代社会です。簡単に答えが出ないからこそ難問なわけですが、また部分的に答えが出たとしても、パッチワーク的な場当たり的処方箋では、なにも根本的には解決しない。<br />
（ちなみに、この『正義の話を〜』ではグッド・ライフ good life が「善良な生活」と訳されていますが、これはどうだろう？　「善良」というのは、ちょっと違うような気がしますが。<br />
　なお、サンデルの「正義論」をめぐって、現代西洋社会正義論とアリストテレス哲学の関連を論じた荒木先生の講義録を、本アリ研サイトに掲載の予定です。しばらく、お待ちください）</p>

<p>　だからこそ、まずは、その問題の全体や本質、原理といったことを「ぼんやり」とでもいいから（全体は、ぼんやりとしてしか把握できない。事細かに「現実」のすべてを言葉では記述できないのと同様に）、直感的に把握する感性的な力が必要。それをまずはキャッチ（修辞的に言うと視覚で「見る」前に嗅覚的に「におい」で感知）し、全体（普遍）と部分（個別）を照合し、そのバランスをとるべく「言葉」にしていく行為、その悪戦苦闘の過程が、おそらく「哲学（フィロ・ソフィー＝愛知）」するということなのだろうと思われます（「ぼんやり」は「あいまい」とビミョーに異なります）。そんな面倒なことを、人はなぜやんなきゃなんないのか。なぜ、できるのか。・・・やっぱり「愛がなくっちゃね」（矢野顕子の歌）ということ？</p>

<p>　その意味では、荒木先生の「哲学は役に立つ」という言い方は正しい。そんな風に考えられるようになってきたというわけです。</p>

<p>　補足ですが、アリストテレスは観想の最高形態として「音楽」を挙げているようです（ようです、というのは、まだそこまでテキストの講読／講義がすすんでいないからですが）。とすると、フツーは最も生活に役立たない無駄なものとされる音楽＝観想が最高の実践であるということになる！？<br />
　音楽（聴覚）的な知のあり方、機能。これも、考えてみたいテーマではありますが、、、。</p>

<p>　＊</p>

<p>　・・・こんなことを考えていた矢先、アリ研の合宿に参加されたメンバーの一人から、会員のメーリング・リスト上に、「役に立たないものは芸術ではない」という命題が提示されました。この命題は正しいか？と。上に書いたこととはまったく別の話題から出たものではありますが、この合宿（勉強会）を経た者としては、Nさん（美術史の先生）らしいこの意地悪な（？）ねじれた挑発的命題を見たとき、思わずクスッときました（メンバーの顏が見える、思い浮かぶといったことも、じつは大切です）。</p>

<p>　このような命題はアリ研という文脈から見たとき（合宿ではやはり『政治学』第7巻の第1章に出てくる「有益」という単語をめぐってちょっとした議論がありました）、一つの問いとしてとても面白くて、さすがNさんのひねり技！と唸ったものです。</p>

<p>　これは問いかけとしてそれ自体に意味のあるもので、まともに正面から応える必要もないと思いますが（おそらくNさんもそれを承知のはず）、上のことを書いたあとでは、敢えて挑発にのって、こう応えておきたい気になりました。</p>

<p>　そのとおり！　役に立たないものは芸術ではない。「善く生きる」ために役に立たないものは哲学ではない、のと同様に。</p>

<p>　＊</p>

<p>　全プログラムに参加できず、途中でメンバーと別れた私は、帰りの電車まで少し時間があったので、伊東豊雄さんの建築を見るために諏訪湖博物館まで諏訪湖畔をぶらぶらと散策。そしてその後、信州蕎麦を食してから、上諏訪まで戻り、温泉で一汗流して帰京しました。</p>

<p>　蛇足：この「ひとりエクスカーション」で立ち寄った<a href="http://www.katakurakan.or.jp/" target="_blank">「千人風呂」片倉館</a>は良かった！　最近読んだ（なんと、風呂まんが！）ヤマザキマリの『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047261270?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4047261270">テルマエ・ロマエ</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4047261270" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』を思い出してしまったくらい。これは主人公が古代ローマと現代日本をお風呂を介して往還するおかしなまんがです。むろん、まんがですから「おかしな」というのは讃め言葉ですよ。</p>

<p>＜石井＞</p>]]>
    </content>
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    <title>アリ研第10回御殿場合宿の報告</title>
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    <published>2010-03-11T10:37:11Z</published>
    <updated>2010-05-03T08:13:39Z</updated>

    <summary>3月5、6，7日、アリストテレスと現代研究会（通称アリ研）の合宿が御殿場で行われ...</summary>
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        <category term="アリ研合宿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>3月5、6，7日、アリストテレスと現代研究会（通称アリ研）の合宿が御殿場で行われた。第10回目にあたり、参加者もちょうど10名。この哲学の勉強会合宿は半年に1回開かれる。スタートから数えると、アリ研に早くも5年が経過したことになる。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="100311-2.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/letters/images/100311-2.jpg" width="340" height="255" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>勉強会はアリストテレスの主著のひとつ『政治学』を参加者が輪読し、段落ごとに座長の荒木勝先生がコメンタリーを加えながら読解していく講義スタイルで行われるが、そこに参加者が質問や感想をはさみ、ときにボケとツッコミの間合いで、アリストテレスの思考を「現代」と照らし合わせていく。今回の講義も、いつもながらに刺激的でスリリングであった。<br />
アリストテレスという名前は知られてはいても、日本ではほとんどきちんと読まれてこなかったこの2300年も前の哲学者の、広範かつディープな思想のスゴサにその都度驚き、その射程が更新され、先へ先へ、奥へ奥へと伸びていく。そしてまた、出身地や世代や職場の異なる私たち参加者それぞれの、現代社会にたいする見方が広がり、一旦カオス化しながらそこにシグナルを探り当てるかのように、一見掛け離れた事象がつながり、深まっていく（ような気がする）。</p>

<p>今回の合宿では『政治学』の4巻の終わりまで読解が進んだ。<br />
次回からは7巻に移り、『政治学』を最後の8巻に向けて読み継ぎながら、いよいよアリストテレス哲学の根幹に位置するとされる『形而上学』を徐々に繙いていくことになる。<br />
次の5年、10年でどこまですすむことができるか。このせっかちな市場主義の世の中で、目立たぬながらもじつに遠大で途方もなく大それた企図である。<br />
ちなみに荒木勝の翻訳・注釈による『政治学』全巻が、この夏ころ発刊される予定。<br />
荒木教授によれば死ぬまでに（？）『形而上学』を完成させたいとのことである。</p>

<p>アリストテレスのテキストとは別に、「現代を読む」うえでの今回の課題図書は内田樹の『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106103362?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4106103362">日本辺境論</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4106103362" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』であった。私は前から内田氏の本やブログのファンであり、物事の考え方や関心の向き方、嗜好に似ている部分があることをよく感じる。年齢も近いし、「フランス文学」出身だし、映画や音楽など同じ文化体験をしていたようだし（80年代の同じ時期、ともに世田谷区の尾山台に住んでいたことがあるのを最近知った）。昨年秋、たまたま担当した彼の講演をまとめる仕事でその姿を見かけ、一言だけ挨拶をかわしたことがあるが、これもたまたま本屋で見かけ読みはじめたばかりの最新刊『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062159546?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062159546">現代霊性論</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4062159546" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（釈徹宗との対談）を合宿に持参した。荒木先生は鈴木大拙全集の『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003332318?ie=UTF8&tag=cafeface-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4003332318">日本的霊性</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=as2&o=9&a=4003332318" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』が収録されている巻を持ってきていて、そこになにかがシンクロしたような、「霊性」が機能したような気がしたが、そんな気がしただけであろうか。まあ、この場合、「気」がはたらいた気がすればそれでよいわけなのだが。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="100311.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/letters/images/100311.jpg" width="340" height="255" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>参加者のひとりに美術史の先生がいて、勉強会の一コマに、ジャポニスム----フランス印象派やフォービスムにおける日本美術の影響をめぐる講義があり、恒例となりつつあるこのN教授の美術史講義も、合宿の大きな愉しみのひとつになってきている。<br />
今回のこのテーマは、プログラムに予定されていた<a href="http://www.polamuseum.or.jp/">ポーラ美術館</a>の作品観賞に合わせたもので、講義のあと2台のクルマに分乗して箱根まで出かけた。<br />
途中、あいにくの雨と霧で富士を拝むことはできなかったが、美術館周辺の葉のない樹木が水墨画のように幽遠に霞み、どこかスピリチュアルといってもよい風合を漂わせていた。<br />
宿の研修所へは、近くの温泉の白濁した湯にみなでつかり身体を浄め（？）暖めてから戻った。この温泉巡りも、アリ研合宿では恒例のこととなっている。</p>

<p>なお、この合宿の最中、宿で参加者と懇談しているときに私のケイタイが鳴った。<br />
私の耳に聴こえてきたのは、写真家で友人の小林洋治さんが亡くなったことを報せる、奥さまからの声だった。偶然にも、私と小林さんが携わったある仕事の話題が出ていたときのことである。<br />
そのこともここに記し、記憶にとどめておきたい。<br />
私は7日の夕方東京に帰り、翌8日の告別式に参列することができた。</p>

<p>私はこのところ、たまたま目の具合が悪く、合宿の間中ずっと半眼状態の涙目であった。<br />
講義の合間には愉快な雑談が飛び交い、アリストテレスの「笑い」や落語、吉本漫才の話題も出て、そのときはじっさい涙が出るほど大いに笑いもした（そういえば、小林さんは落語が好きだった）。<br />
そして、雨の美術館。<br />
目の痛みと笑い、そして悲しみ......。<br />
雨と涙がとめどなく流れた。</p>

<p>＜石井＞</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アリ研第9回合宿報告　（付：松山取材報告）</title>
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    <published>2009-09-01T10:44:19Z</published>
    <updated>2010-05-03T08:14:29Z</updated>

    <summary>長野県・諏訪でアリストテレスと現代研究会（アリ研）の第9回合宿が行われました。諏...</summary>
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        <category term="アリ研合宿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafe-nous.com/kan/">
        <![CDATA[<p>長野県・諏訪でアリストテレスと現代研究会（アリ研）の第9回合宿が行われました。諏訪は2度目の合宿地となります。<br />
あいにく私は仕事で愛媛県・松山への出張と重なり合宿への参加はできませんでしたが、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fs%3F_%5Fmk%5Fja%5FJP%3D%2583J%2583%255E%2583J%2583i%26url%3Dsearch-alias%253Dstripbooks%26field-keywords%3D%2590%25AD%258E%25A1%258Aw%2581%2540%2583A%2583%258A%2583X%2583g%2583e%2583%258C%2583X%26x%3D0%26y%3D0&tag=cafeface-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">政治学</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=cafeface-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』の読解やギリシャ美術史の講義、創意あるエクスカーションなど、ひらめきと高揚感に満たされた勉強会になった模様です。例によって、今回幹事を務められたN.I.さん（naohnaohさん）の「週末日記」から引用させていただき、報告の報告といたします。</p>

<p>＊</p>

<p>２８日(金)は、朝から第９回「アリストテレスと現代」研究会の諏訪合宿の準備をしました。午後２時半に全国各地から集まったメンバーが揃いました。二泊三日の合宿研修のカリキュラムは、「政治学」第４巻第１２章の輪読から始まりました。<br />
国家体制いかにあるべきか、というアリストテレス政治学の根幹部分のため、初っぱなから議論が白熱しました。第１２章だけで３時間近くかけて議論しましたが、選挙を控えた時期故に中味の濃い話ができました。</p>

<p>夕刻、皆で山から歩いて下りて、まるみつデパート５階の「和みの湯」で汗を流しました。<br />
その後、いつもお世話になっている割烹「一楽」で懇親会をしました。<br />
生麩のずんだ和え、焼き茄子の大和芋蒸し・うに添え、アサリの酒盗和え・山芋短冊、ズワイガニと菊の花の胡瓜巻きの酢物、滝川豆腐、マグロ赤身・ヒラメ・ヤリイカ・甘エビの刺し身、ホタテしんじょの冬瓜巻き・射抜きゴボウ・煮タコ・オクラの煮物。<br />
いずれも主の腕と熱意が伝わる料理でした。焼きおにぎりの茶漬けを食べてお開きとなりました。<br />
今の季節に毎日打ち上げられる諏訪湖のミニ花火を見て、ホテルに行くメンバーと別れました。<br />
 <br />
諏訪合宿二日目の２９日(土)は、朝８時過ぎからわが家にメンバーが集まり、前日に引き続き「政治学」第４巻第１３章の国家体制のあり方に係る部分の輪読から始めました。Ｏ大学Ａ座長による解釈を受けて、メンバーそれぞれの専門分野、経験からの意見が続出して、おおいに議論が盛り上がりました。<br />
一段落してから、メンバーのＴ大学Ｎさんによるギリシャ美術史の講演がありました。テーマは「アルカイックとクラシック」、ＢＣ５００年頃を境にギリシャ彫刻の表現がどう変わったのかを勉強しました。</p>

<p>午後からは恒例のエクスカーションで霧ヶ峰八島湿原に行き、秋の気配が漂う高原を散策しました。東俣林道を抜けて、御柱の木落とし坂を経て、六峰温泉の熱い湯に入りました。最初は熱さにしりごみしていた仲間も、湯のインパクト、入浴後の爽快感に満足した様子でした。<br />
諏訪の街に戻って６時から居酒屋「ばんや」で懇親会をしました。料理も可愛いお姉さんのサービスもよく、オヤジ一同皆気持ちよく酔っぱらいました。湖岸まで歩いて、花火を見てから解散しました。</p>

<p>３０日(日)は午前中に第１４章の輪読、解釈と全体総括を行いました。来年３月に予定されている次回合宿は、御殿場、浜松を候補地とすることになりました。<br />
メンバーを上諏訪駅に送ってから、もう１日諏訪に滞在するＡ大学Ｍさんと下諏訪みなみ温泉に行き、無人の掛け流し湯でゆったりくつろぎました。岡谷の「浜丑」で背開き、じか焼きの香ばしいうな重を食べ、買い物をして戻りました。<br />
夕方から、Ｍさんと高知「酔鯨」吟寿、地元「御湖鶴」純米吟醸、東京あきる野「しろやま桜」を飲みながら、選挙報道を見て過ごしました。<br />
 <br />
＊</p>]]>
        <![CDATA[<p>ちなみにこの8月28日、29日、私は松山において、アジアにおける「伝統文書（古文書）」の発掘・保存と異文化（多文化）の共存などをテーマとした座談会と親睦会にJOINT誌の編集者として参加しておりました。</p>

<p>たいへんに意義のある奥の深い議論が展開されましたが、なかでも発言者のひとりから、国家や民族を超えて「人類」としての視点から、固有であると同時にすべての人間が共有すべきものとして文化（文明といったほうがよいか？）をとらえていかねばならないという意見が表明され、感銘を受けました。</p>

<p>固有とか伝統という言葉は狭義のナショナリズムに回収されるおそれがあるが、いまはあまり厳密な言葉の定義に拘泥すべきではない。部分と全体、固有と普遍、一と多、大と小のバランスを今後どのようにとっていくかが、私たち現代に生きる人間の、困難ではあるが避けられない道である、と。<br />
アリストテレスの考えかたとも共通性する点を感じ共感しました。</p>

<p>また、以下は蛇足ですが、この論点に近い問題系はアリ研の今回の合宿でも酒を酌み交わしながら議論されたはずです。課題図書のひとつである『逝きし世の面影』（渡辺京二・著 平凡社ライブラリー）のことが、松山の地においても私の脳裏に浮かんでいました。この書は、きわめて優れたエートス論であり、また「外」からの視線をオリエンタリズムとして単純に排除することなく、いかに「内」との思索の往還のなかで己を相対化・普遍化するかという、近代をとらえ直すうえで、見事な知略につらぬかれた本だと思います。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="090901.jpg" src="http://www.cafe-nous.com/letters/images/090901.jpg" width="350" height="263" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>このような議論が歴史と文学の地である松山において行われたのも、なんだか粋でおもしろいと思います。諏訪においても恒例の温泉めぐりが行われたようですが、私もちゃんと道後温泉につかってきましたよ（^_^;）。</p>

<p>＜石井＞</p>]]>
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