三村さんに触発されて。
全共闘時代に学生生活を送った団塊の世代は戦後の保守体制に革新=マルクス主義をぶつけることでなにかが始まるのではという思いがあった。
しかし結局は体制の中にからめとられていく。
その焦燥感、挫折感を癒すデラシネとかディアスポラという言葉が心地よかった。
根の張った既存の権力、価値観、エピステーメから自分を解き放していくにはまさに「漂流移民」であるしかない。
「大きな物語」が終わり、価値を相対化し続けて生きていくことが、唯一残された方法のように思えた。
宗教もイデオロギーもいらん。まして「正義の味方」は必要ない。…歴史的評価は変わる。
ただ、おじさんはその実、企業や社会組織の中に仮の「居場所」を確保しながら、TVをみるようにその中の異邦人をみて飼っている。
北米で出会ったグリーンカードホルダーの同世代の人々こそ、真のディアスポラのように
思っていたが、彼らとて望郷の念に駆られている。
「もうステーキはいやや。日本に帰ってお茶漬け食いたい」
「そんな脂ぎった顔してようゆうわ」
彼らもその中に異邦人を飼い慣らしていくしかないのだろう。
そうした人々と若者のおり場のなさとはどうちがうのだろうか。
思いつくまま。
蕎麦谷
異邦人
若者の迷い、その根底に横たわるもの〜アキバ殺人
最近、就職指導をしていて感じることと、アリ研での話題を重ねて考えていて感じることを書いてみました。
うまくまとまりませんでした(笑)
現在の世界の人口はおよそ60億人であり、2006年の国境を越える人の移動は年間8億4000万人を数える。その80%が観光客であると言われているが、一方で外国への労働、留学や、はてはテロリストの移動まで、その目的は多岐にわたる。
それでは、人はなぜ移動するのか?人間は動物であり、動物とは動く物であるから移動する。その移動の理由は「生存」のためである。動物は自らの生存のために獲物や食糧である資源を求めて移動する。さらに、人間の場合、その資源は物質的なものだけでなく、非物質的や文化的な資源も対象となろう。たとえば、荒木先生の中国への移動は、先生の好むと好まざるにかかわらず「学問」という文化・教育的観点での移動による「知的資源」を国家間で互いに求めあっている。
世界レベルで本格的な移動が始まったのは、ヨーロッパではギリシャやローマの時代であろうか? アジアでは中国の領土拡大の歴史そのものであろう。さらに大航海時代を経て世界は近くなり、そして産業革命による鉄道、自動車、飛行機の出現(交通手段の発達)は、人の移動速度と量を圧倒的に増大させた。その背後には、奴隷や植民地という資源の確保も大きな移動の目的とされた。
現代日本では、憲法22条において移動の自由は保障されている。つまり、肉体と精神は内外を問わず自由に移動することができる。そして、インターネットや携帯電話に代表される情報通信手段の飛躍的な普及が、情報移動の制約までもを完全に解き放った。わが国におけるその地理的象徴が秋葉原である。
かつて、人の移動についての取り決めについて法的にも定かでなかった時代に、日本人の多くが「移民政策」という名のもとで資源を求めてブラジルへ新天地を求めて移動した。現在、私の勤務する豊田市の人口は42万人で、そのうち2万人近くがブラジル人(長期滞在者や移民)であり、さらに中国からの留学生がコンビニや飲食店をはじめ街のあちらこちらで働いている風景が日常に溶けている。ある地域では住民の半数がブラジル人で占められ一つのコミュニティ(生活文化)を形成している。しかし、その一方でわが国に外国人受け入れに関する確たる方針や法律が無いことも事実である。戦前のアジア諸国へ対する奴隷(強制労働)、植民地政策と敗戦による現行憲法、民主国家への切り替えとの狭間でブラックホールとして曖昧にされてきた領域であろう。
この国家としての曖昧さと国境を越えて情報が瞬時に行き来する世界に今の若者達は生きている。そして社会へ出るタイミングで、己が生存のための資源を求めて移動する権利を行使する自由を与えられる。伝統的な地域コミュニティを持つ青森から、全てが自由かつ無秩序に解き放たれた東京、そして生活の糧をえるために静岡へ彼は移動した。工場労働者としての現実社会と、ネット社会というバーチャル世界の双方で自己の存在を証明しながら暮らしてみた。
そしてその併存社会のなかで、彼は日本人でありながら漂流移民と化したのではあるまいか。その顛末が、リアル/バーチャル双方の象徴世界として求められるはずであった「自らの居場所」秋葉原での自己崩落であった。そこに現代日本の若者の根底に横たわる深い心の迷いがある。
そしてその迷いは心の闇(病巣)として増殖を続けているように思えてならない。
三村
Re:現代社会のバベル状況
下は「アリ研」のメーリングリストに投函されたものですが、まさに“今”の問題を指摘した、すぐれて公共的な内容をもつものだと思いますので、ここに紹介させていただきます。前後の文脈がわかりづらい点は、他の目的で書かれたメール文である性格上お許しください。(石井)
荒木先生、石井さま、みなさま
秋山です
荒木先生
私のつたない意見に、的確な方向性を与えていただき、ありがとうございました。
いろいろ考えねばならないことが、一つのメールに集約されており感激しました。
石井さま
イリャニトゥ監督の『バベル』。まだ見ておりませんが、ぜひどこかでみたいと思います。(時間もお金もないくせに、どうも映画館でないと映画には集中できないんですよ。家では最近TVもあまりよくないですね。集中しすぎなのかなあ)
荒木先生のご呈示された「アキバ事件の主人公の絶望」を社会学的にどうみるか、ということはM氏だけでなく、今の社会学者に共通するテーマだと思います。
政治・経済の問題として考えるポイントは、まさに荒木先生のご指摘されたとおりだと思います。このアプローチの記事は、この数日新聞各紙が取り上げています(乱暴に要約すれば、安定した雇用、安心できる生活環境がないから社会的に孤立してしまい、ちょっとしたきっかけで犯罪行動を起こす。社会システムとして若年層支援をしなくてはならない、という主張です)論旨は僕もまったく正しいと思います。
ただ、今回の事件に限らず、若者・子どもの事件、それもキーワード化されたものを以て現代社会の問題点を明らかにすることの限界もあるように思います。
つまり、事件は、突出した「結果」が先に出てしまうので、その「原因」(犯罪の動機)を示さなければ、その事件が繰り返されるという不安が社会の側に強く働くと思います。そうすると、原因を何とかして説明しなくてはならないという要求が生まれてきます。
そこに「アキバ」とか「ハケン」というキーワードが結びつくと、何かおどろおどろしいもの、自分たちとは異質なものという意識も入り込んでくるように感じます。キーワードがその人の固有性を消してしまい、どんどん一人歩きを始めると、事件の本質には届かないように考えています。
また、もう一つの懸念は、若者・子どもの犯罪の動機をどこから求めて来るか、ということについて、状況から犯罪の動機が明確でない(あるいは一般常識から犯罪の動機が推測しにくい)事件の場合、犯人(容疑者)の精神鑑定が積極的に導入されていることです。
精神医学が、じつは治安維持の不可分な関係で発達してきたのは、『時代がつくる「狂気」 精神医療と社会』(芹沢一也著 朝日選書 825) に詳しくあります。
近況報告(三村)
アリ研の皆様
豊田市の大学へ勤務して2年目を迎えました。
昨年度、大学の地域への貢献を目的に小職が中心となり、行政が行うタウンミーティングや企業が行う従業員向けの調査ではなく、大学が第三者機関として「豊田市民の声」を広聴するために「豊田市まちづくり懸賞エッセイ2007」を企画しました。
現在、どこの自治体でも産官学NPOの「協働」によるまちづくりが盛んにおこなわれていますが、この企画では大学とNPOが連携して主催し、行政、企業、マスコミが支援するというスタイルを重視しました。因みにこのNPOは、トヨタ自動車OBが中心になって活動されています。昨年実施で約400通の応募がありました。また、メンバーのSさんのご協力により、Sさんの会社の方も2名受賞されました。とてもすばらしい作品です。下記のホームページから見れますので、覗いていただきたいと存じます。
ここで寄せられた「生の声」を分析して、行政や企業に伝えて行くことにより、大学やNPOとしてPDCAを回しています。とりわけ多かった意見が、平成の大合併で7市町村が合併した現在の豊田市は、中心市街地周辺では道路交通環境が整備されつつありますが、新しく合併された側の旧6町村では道路環境の整備が遅れています。寄せられた意見の中で最も多かった声が、中学生や高校生の朝夕通学時における自転車、歩行者事故への恐怖体験でした。こうした観点からは道路延長のためでは無く、歩道、自転車道の整備(質の向上)のために「道路財源の確保」は必要であると感じました。
再来週には、大学近隣の「逢妻地区(約10000戸)」小中学校、地域関係者の方々と一緒に、半日かけて「地域の安全確保(交通、防犯)」の観点から現地調査に参加する予定です。こうした経験を教育モデルにして、本学の学生たちを積極的に地域活動へ「協働」参加させてゆきたいと考えています。
さて、一昨日、後援依頼団体であるトヨタ自動車さんから「豊田市まちづくり懸賞エッセイ2008」実施について名義使用許可を頂けました。2007に続き、豊田市、豊田商工会議所、豊田信用金庫、中日新聞さんなどにも後援していただいています。その内容を昨日大学HPへアップしました。昨年度の受賞作品と合わせて覗いてください。
http://www.gakusen.ac.jp/u/machi/essay_bosyuu.html
現在、8月2日に本学部創設10周年企画「まちフェスタ in みかわ」という企画を進めています。次回は、この企画がHPにアップされたらご紹介いたします。日本野鳥の会にもご後援を頂いている企画で、洞爺湖サミットを念頭に置いて、三河地域の市民向けに環境問題を中心に豊田市長やトヨタ自動車さん、朝日新聞から天声人語の執筆担当者、地元の児童文学作家や市民代表として環境カウンセラーなどを講師としてお招きしたり、名古屋グランパスや清水エスパルスのフィジカルコーチなどにも声をかけてスポーツ=健康をテーマに加え、1日楽しんでいただくという企画です。さらに地元の農業指導員や農林高校に協力してもらい、ファーマーズマーケット(地産地消を超えた、生産者が生産プロセスを直接消費者に伝えながら販売する)を開催します。またトヨタ自動車のご協力により、屋外での東海地震対策を想定したハイブリッドカーの活用や減災イベントなどを企画しています。
当然のことながら、大学の教員や職員は理論・理屈には長けていますが、こうした企画には口は動きますが、なかなか身体がついてきてくれません(笑)。この企画、プログラムの構想から講師依頼、後援名義の依頼、さらには愛知県教育委員会や豊田市教育委員会に掛け合って、豊田市内の小中学校、高校の校長会で紹介してもらい、全小中学校、高校へ案内を配布してもらうなど、大汗かきながら研究室に泊りの日も含め頑張ってます。東海地区の皆様、ぜひ、ご参加ください!
長くなりましたが、近況報告です。
三村
グローバリズムと民主化
中国から帰国早々、慌ただしいなかでのお便りありがとうございます。
短い文のなかに、漠然とながらも圧縮された思いが感じ取れます。
また、ぼくもアタックスのHPを拝見しました。
グローバリズムと民主化の問題、なんとも巨大な現代社会のアポリアが
目の前に立ちふさがっていることを痛感する思いです。
先日の朝日新聞に出ていたマルクス再評価の短い記事で、いまこそ、「自
然」「土地」を根源に据えた彼の“初期”の哲学に目を向けるべきだという主張
があったのが思い起こされます。専門的なことはよくわかりませんが、
ぼくには「アリストテレスに還れ!」という先生の声ともダブって聴き
とれました。
石井



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