荒木 勝 講演録 「幸福の行方」(9)最終回

2008年7月10日 10:35

(8)からつづく

 どうやら、やっとひとつの結論にたどりつきましたが、これで終わらないのが人生というもの(笑)。
 では、どうやったらその「魂のある種の活動」を行うことができるのか。忘我入神というけれど、「狂」に陥らないための、“正しい”忘我入神の方法をどのようにして見出し、身につけるのかといった未解決の問題が残ります。それはヨーロッパや東洋の長い知的伝統のなかでも議論されつづけている、「狂信」と正しく信じる「正信」という、ふたつの「信」がぶつかるむずかしい問題です。
 さらに、そこにまたアレテーの問題も循環してくる。

 また身近な例をあげてみましょう。たとえば、日本の偉人のひとりに西郷隆盛という人間がいた。西郷という人はたいへんに宗教的な魅力をそなえた人だったらしく、一日西郷に触れると一日おぼれる。二日目はさらにおぼれ心酔し、三日、四日になると心中してもいいと思えるくらい西郷の周りにはオーラが漂っていたといわれています。つまりある面で人を狂わせる不思議なパワーを西郷という人物はもっていたのでしょう。

 そこで、じゃあ西郷は神なのかという問題がでてきます。西郷と神を分けるものはなんなのか。だれでも西郷は人間であって神ではないというと思いますが、それでは人間と神はなにがちがうのか。
 もちろん、私は西郷さんであれどんな偉い人であれ、人間と神はきちんと分けて考えなければならないと思っています。そこにはエンシュージャスムスの観点と、アレテーすなわち知慮の徳の観点の両方の結び付きから幸福の問題を考えていく必要がある、と。

 う〜ん、なかなか終わりませんが、あとはとりあえず各自の人生における「実践」の問題であるということにしておきましょう。じっさい、哲学に自分で考えることなしの「答え」を期待されても困りますし、解にいたるための正しいと思える「考え方」を示すのが哲学の役割です。そして“ともに”考えるということがとても大事なことでしょう。私だって、こうやってお話しながら、みなさんといっしょに考えているのです。考えるということは、しかも言葉で考えるということは、忘我入神じゃないけど(苦笑)、ともに、結び合いのなかで考えるということにほかならないのではないでしょうか。そして、答えがあるとしたら、それは各自の生き方のなかで探っていくしかない。
 「そして、人生はつづく」というわけです。

編集版「戦略的思考を超えて[3-1]」

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荒木 勝 講演録「幸福の行方」(8)

2008年7月 8日 10:41

(7)からつづく

 今回私は、幸福というのは無上の喜びをともなう精神の状態であるということを強調していますが、愛のアレテー=徳というものこそ幸福の最高の条件であるということを強くいっておきたいのです。つまり喜びは愛を語るさいに欠かせぬものだとか、あるいは愛を補完するものだとかいわれますが、アリストテレスによれば愛という徳こそが、人間の力によって獲得できる幸福のなかで最高のものだといえるのです。愛も知性の一種だとすると、それが人間の知の卓越的な力によって獲得が可能な幸福なのです。

 いわゆる運命、運の偶然のはたらきや転変に耐える知慮の力といってもいい。すなわち、①合理的理性を含んだ知性と理性の結合である知慮、そして②その知慮と結合した宜の徳、愛と正義のアレテーの発揮のなかに幸福があるということ。このことを肝に命じておいてください。

 ここまでのところは、多くの研究者のうちでもだいたい一致したアリストテレス理解だと思います。ただ、この2つのことだけで幸福になるための条件がすべて満たされることになるのでしょうか。私がみなさんに私の理解としてぜひとも述べておきたいのは、幸福にとって3番目の問題です。それは最前からでてきている「神与」ということに関連する事柄です。

 知慮によって獲得される幸福、そして愛の力によって行き渡る幸福。しかしそれだけではなくて、幸福にはもうひとつ別の視点から見ることのできる幸福がある。神的なものに出会うことによってもたらされる幸福がそれです。
 先の引用文をもう一度見てみましょう。

 「もし神々の人間への贈り物と考えられるべき何ものかがある、とするならば、幸福(エウダイモーニア)こそ神与のもの(テオスドートン)とするのが至当であり、それは最善のものであるだけに、人間の持つあらゆるもののうち、そのもっともふさわしいものであろう。

 ……

 しかし、たとえ幸福が神与のものでなく卓越性(アレテー=徳)とかなんらかの学習(マセーシス)や訓練(アスケーシス)によって生じるものであるにしても、それはやはりもっとも神的なものに属すると見られる。まことに、卓越性の報償であり目的であるところのものは、なによりも善きもの、したがってまたなんらか神的なもの、至福(マカリオン)のものであると思われる。

 ……

 すなわち幸福とは卓越性に即した、魂のある種の活動(エネルゲイア)である」

 この「神的なものに属する幸福」というものをどう考えればよいか、正直いって私にも長い間よくわからなかった。ところがあるとき、『政治学』の最後の第8巻でアリストテレスがひじょうに重要なことをいっていることに気づいたのです。そこにエンシュージャスムス(enthusiasmus)という言葉(ギリシャ語)が出てくる。英語でエンスージアスム(enthusiasm)。日本でも一種の俗語として「エンスー」なんて言い方で使うこともある。

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荒木 勝 講演録「幸福の行方」(7)

2008年7月 2日 10:37

(6)からつづく

 ここで、アリ研のこれまでの講義に参加していない人のために少し補足しておきますと、アリストテレスは実践的力量をもう少し細かく分けておりまして、そこにはいわゆる戦略的な思考や実践も含まれてきます。これまで「戦略的思考を超えて」ということでお話をしてきましたが、「反戦略」でない以上、そこに戦略的な思考をいっさい認めないということではないのです。

 これはわかりやすい例を出しますと、公認会計士などをはじめとするような、経理的、会計的な功利性、合理性の世界です。つまり、目的・手段を功利的に選択していくという戦略的な思考がないと、家庭も企業も政治もうまくいかない。世俗的な成功もその可能性が保証されないということになります。目的・手段の効率的な選択には当然、数字をふまえたうえでの的確な判断力が必要なわけで、そこではIQ(知能)を重視した思考が評価されるのです。

 ただ、この戦略的思考だけを極限的に追求していくとどうなるかということを考えてみていただきたい。結局それは目的にたいして、より功利的な手段を選択することばかりに思考が集中することになる。手段の合理的選択が目的に先行してしまう。そして、自分だけの、あるいは自社だけの、自分の家族だけの、自分の階層だけの利益になればよい、そのために成功すればよいということに帰着していくことになるでしょう。

 そうなると当然、当人以外の人や集団から、その成功は共有しえないから許しがたいという評価を下されるはめに陥る。利益を自分の会社だけにはいってくるようにして、その周りの外注先や諸々の関係者などが死にたえることになったら、それはやはり何のための企業かという大義や理念が問われることになる。また家族においても、自分だけが計算づくで楽しくいい思いをしても、妻や子どもたちとその思いを共有できなければ、真の楽しさを味わうことはできない。どこか充足しきれない空しさが心の底に残るでしょう。身近ことで言いましたが、そういう意味で戦略的な思考は“それだけでは”一時の幸福感に空しさがつきまとい、周りにも虚無的な気持ちを引き起こすであろうことは、やはりしっかりと自覚しておく必要があります。世の中、戦略ばかりになったら、こんな息苦しいことはありません。

 では戦略的思考を超えるものはなにかという本題に戻りますが、それはアレテー、卓越的力量とか徳と呼んでいるものの発揮と強く関わってくる。端的にいって、アレテーとは自分と他者との善、この場合利益といってもいいと思いますが、そのバランスをとることです。パブリック・グッズという言葉がありますが、このグッズ(goods)が善=財の両方の意味をもっていることを想起するとわかりやすいかもしれません。また、バランスは比例的配分と言い換えてもいいかもしれないけど、要は正義というのは、自分と他者との善=利益のバランスをとるというかたちでしか発揮できないことなのです。

 自社と他社の繁栄のバランスを保つ。夫と妻の愛情のバランスを配慮する。さらにいえば日本と世界との経済のバランスをとるといったような、そういう思考と行動が正義ということです。このバランスは同一ということではないし、必ずしも「私有」を否定しているのでないことは、前にお話したとおりですが。

2008年7月 2日 10:37 | コメント(0) | トラックバック(0) |

荒木 勝 講演録「幸福の行方」(6)

2008年6月30日 17:35

(5)からつづく

 以上のように、幸福とは徳を磨くことによってはじめて手にすることができるものだということ。だから欧米の知識層のなかでは、このアレテーをいかにして磨いていくかということが、いつも議論の底流を流れている。はじめに言ったように、アリストテレスをちゃんと読んでいるからですね(苦笑)。

 もちろん中国や日本においても、徳というのは人間性を形成するうえで昔から重要な言葉としてつかわれてきました。しかし、このアレテーは儒教的な意味でいわれる徳よりも、もっと広い概念としてあります。たとえば儒教的な徳は、親切心とか義の行い、惻隠の情とかを示す道義的な面を強くもっているものですが、ヨーロッパにおけるアレテーでなにがいちばん重要かというと、知性つまり知的な徳なのです。アレテーを磨くということは、知的な徳を磨くということ。たくさん勉強して知性を身につけることが人間を幸福にするんだという方向にヨーロッパの人々の思考は向かっていくわけです。

 幸福と幸運は異なると先ほど申し上げましたが、しかしもちろん、運も幸福の一要素であることを無視はできません。結局、どんなに奮闘努力した結果得た幸福でも、たいていは運がそこにはたらいている。アリストテレスは幸運といったものを度外視しているわけではない。
 たとえば幸運のなかには、夫婦関係やお金や仕事に関して運に恵まれるかどうかということが大きな要素としてある。
 アリストテレスはなかでもよき夫、よき妻に恵まれることが人生で最高の幸運だといっているのですが、お金だって一生懸命働いただけではなかなか儲からない。タイミングをうまくつかむとか、人との出会いとかのさまざまな偶然のはたらきがあってお金も儲かったり儲からなかったりする。仕事がうまくいくか、事業が成功するかといったことだって同様ですよね。
 子どもだって、優れた親から優れた子が生まれるとは限らない。その逆もあるわけです。それから男でも女でも美貌に恵まれることはかなり運ですし、会社の上司にとっては優秀な部下に恵まれるかどうかも運に左右される。友人や恋人もそうでしょう。

 アリストテレスにしても東洋思想にしても、やっぱりそれは人間の力を超えたなんらかの神的なもののはたらきによると考えているのであって、ある意味で幸運はその恵みであり贈与であるととらえておいた方がよい。

 私自身が専門にしている政治学にしても、あるいは経済学にしても完全には人の思うようには社会は動かないということを、いつも目の前につきつけられているんです。そのことは冷厳に見つめておく必要がある。経済学にしても、限られた部分的なことをピックアップして、その因果関係をアーキテクチャーとして数学的に分析はできても、全体的長期的な予測ということではほとんど説明できた験しがないわけです。政治に関しては、みなさんよくおわかりのように、「一寸先は闇」の世界です。そういう意味では、政治も経済も運というものに大いに左右されてくる。

2008年6月30日 17:35 | コメント(0) | トラックバック(0) |

荒木 勝 講演録「幸福の行方」(5)

2008年6月18日 11:43

(4)からつづく

 もう一度、今度はいくつか文節を区切って読んでみます。

 「もし神々の人間への贈り物と考えられるべき何ものかがある、とするならば、幸福(エウダイモーニア)こそ神与のもの(テオスドートン)とするのが至当であり、それは最善のものであるだけに、人間のもつあらゆるもののうち、そのもっともふさわしいものであろう。しかし、こうした問題は、おもうに別の考察の機会に譲るほうが似つかわしいであろう」

 アリストテレスにおいても、幸福というものは人間ひとりの力によって獲得できるものではない、といっているのですね。だけど、幸福が人間のもつもののなかで最善のものだ、と。
 しかし、人間に最高の贈り物を与えるのがなぜ神なのか。「こうした問題は、おもうに別の考察の機会に譲るほうが似つかわしいであろう」。別の考察の機会というのは、アリストテレスが書いた超難解な『形而上学』という書を指していると思われます。

 「しかし、たとえ幸福が神与のものでなく卓越性(アレテー=徳)とか、なんらかの学習(マセーシス)や訓練(アスケーシス)によって生じるものであるにしても、それはやはりもっとも神的なものに属すると見られる」

 これは少し難しいですね。たとえ幸福が神様によって与えられるものではなくて、卓越性とか徳と訳されることが多い人間がもっているアレテーとか、あるいは学習したり訓練して自分自身で一生懸命に努力して幸福が獲得できたとしても、それは神的なものに属するとされている。ここでまた、神的とはどういうことかという問題がでてくる。矛盾したような言い方だから、下手な洒落だけど、「アレー?」って誰もが思いますよね(笑)。
 自分自身が個人である人間としての努力のすえに獲得するのであれば、それは人間的なものであって神的なものにはならないんじゃないか、と。ところが、それはもっとも神的なものに属すると彼はいっている。ここではその理由を述べていないけど、はっきりと言い切っています。つづけましょう。
 

2008年6月18日 11:43 | コメント(0) | トラックバック(0) |