無藝荘後日談[3] 『東京物語』を観て
小津作品についてのこの小論も、やっとなんとか『東京物語』に辿りつきました。この作品はこれまで何回かは見ていたのですが、やはり『晩春』『麦秋』と続けて鑑賞するとまた違った観方ができたように思います。
やはりこれまで通り、以下アトランダムですが『晩春』『麦秋』との比較/関連も交えて感想を羅列していきたいと思います。
///東京物語///
〈1〉よくよく考えてみると 『東京物語』というタイトルがこの作品にとって極めて大きな意味を持つように思います。
<本当に相応しいタイトルかどうかちょっとした疑問も浮かびます、、、 それは 確かに老夫婦の東京旅行(成長した子供たちの生活地への訪問)が大きなテーマですが、それと対比される故郷/尾道での部分も大きく むしろ実質的には『東京/尾道物語』とも言うべきストーリーのようにも思われます。>
<特に、出だしと終わりの部分が ともに尾道の風景/景色を港を中心に極めて印象的に提示されています、、、>
そしておよそ大半の日本人は、誰でもが夫々の『東京物語』を胸に秘めており、かく言う私も バブル経済前の1978ー83年に過ごした 東京時代が何にも代えがたい『東京物語』として存在します、、、、、
<丁度その時代には、私が好きな写真家の荒木経惟氏(アラーキー)がたしか『東京物語』というタイトルの写真集を出したと記憶しています>
<小津のこの作品は、『東京物語』というタイトルにして はじめてこれ程までに世界的にも名声を博したような気がします、、、、>
〈2〉配役は『麦秋』を基本的には継承しつつ、原節子を二男(多分戦死)の嫁とし あと三男と 歳の離れた次女を加えての更に大家族に設定し かつ、地方(尾道)で生活する年老いた親と そこを離れ中央(東京)に生活する成長した子供との対比を中心に壊れつつある(壊れてしまった)家族の姿が描かれます。
〈3〉東京は華やかな表の姿=皇居/銀座/デパート(「はとバス」での東京観光等)と 言わば現実的な裏の姿=子供たちの生活の場である下町が登場し『晩春』『麦秋』以上に深みのある描かれ方をします。
〈4〉この時代(1953年頃)の生活の場としての「東京」は、住宅事情がかなり厳しく、基本的に職住一体で わざわざ田舎から出てきた両親をゆっくりもてなす余裕は無いようです。 (生活に追われる毎日も、、、)
<町医者 山村聡の家では、中学生の長男の勉強机を廊下に出さざるを得なく ひと悶着起こります、、、>
<『晩春』『麦秋』では鎌倉がベッドタウンとして位置づけられており、生活にもなにかゆとりが感じられていたのに、、、、>
〈5〉「家族論」としては、子供が成長した時の親との関係の難しさ(特に配偶者との新たな生活で独立してから)と、血縁者/姻戚者(この場合死亡した二男の嫁である原節子)の情の在り方が問題点として浮かび上がってきます。
<結局、「血縁」が家族の情の基なのかどうかが問われているような、、、>
<東山千栄子の葬儀の後での家族の食事の場で、昔の家族旅行などの思い出/エピソードを語り合いますが そんな共通の記憶にしか家族の絆は無い様にも思われます、、、、>
<そしてこの食事の場面は、『麦秋』に於ける家族写真と同じ意味合いがあると思います、、、>
〈6〉「東京」ならぬ「熱海」での場面が意外に興味を惹きました
a 俗悪な時代風潮としての夜遅くまでの旅館の騒がしさ
b 男女入り混じっての麻雀風景
c 流しの歌うたいたち (流れる歌謡曲は特定できませんでしたが)
d 老夫婦の海岸での語らい 等
〈7〉もう一つ、笠智衆が 尾道の古い知人達を尋ねて深夜にまで及んで酒を飲む場面/エピソードは意外に重要なものだと思いました。
<「軍艦マーチ」が背景に流れたのは、サンフランシスコ講和以降なので可能だったのでしょうか、、、、
ここでは、年老いた男たちが昔を懐かしむと同時に 父親としての子供へかけた期待とその結果/現実の失望を語り合い 永遠に?繰り返される人間の業=愚かさを見せつけます。>
〈8〉中学生の長男が勉強するのは 英語のリーダーですが、これは当時の日本の置かれた状況を十分に暗示しています。
〈9〉原節子が東山千栄子と枕を並べて寝るシーンが有りますが、これは『晩春』の京都の旅館での 原節子/笠智衆のものと パラレルに置かれたものと思われます。
<小津安二郎は 原節子の 寝顔にオブセッションが有るようです??>
〈10〉最後の方で、笠智衆は原節子に 東山千栄子の「時計」を形見として渡し、原は東京への帰りの車中でこの「時計」をしっかりと見つめますが、これは「時間」が真の主役である『東京物語』の総てを語りつくしています。
〈11〉東京の象徴として「煙突の風景」が3度、生活の象徴として「洗濯物」が度々、また『麦秋』と同じような「雲が棚引く空」が挿入されます。
〈12〉大阪に住む大阪志郎が演じる三男の位置づけ描かれ方が、今ひとつ不十分に感じられました。
〈13〉『晩春』『麦秋』で殆ど登場しなかった宗教(仏教/神道等)が『東京物語』ではお寺での仏教式葬儀やお墓の描写でしっかりと出てきます。
〈14〉『東京物語』の最後では、結局年老いた笠智衆と残された未婚の末娘である香川京子が『晩春』と同じような状況に置かれることになります、、、、
<また香川京子を小学校の先生役とし、尾道の小学校の授業風景を取り入れることにより、未来への明るい希望のようなものを感じさせています、、、>
〈15〉『晩春』『麦秋』『東京物語』三作とも 鉄道(の絵)がかなり上手く巧みに使われていると思います。
〈16〉クラシック音楽作品の編成で例えるなら 『晩春』がヴァイオリンとピアノのソナタ、『麦秋』は弦楽六重奏曲 そして 『東京物語』は4楽章の交響曲作品です。
〈17〉「諦観の思想」を2時間15分のなかで、淡々と語りつくした『東京物語』は やはり日本を代表する映画作品の一つであると確信しました。
相も変わらず まとまりのない感想を書き連ねましたが、『晩春』『麦秋』『東京物語』
の三作品を いつの日にか もう少しじっくりと多角的に比較分析してみたいとも思います。
そして、鑑賞者に色々な解釈/観方を可能にする小津安二郎の映画作品は 真に「自由に開かれた映画作品」だと思います。(2011.10.23)
庵頓亭主人

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