はじまりのアリストテレス <家族論>1
以下は9月に諏訪にて開催されたアリ研の第12回合宿のさいに、小津安二郎ゆかりの「無藝荘」で会員に向けて行われた座長・荒木勝(岡山大学副学長)の講演を、文字に起こし構成したものです。まだ荒削りで編集が不十分な部分が残っていますが、取りあえずここに全文を連載しながら段階的にブラッシュ・アップしていきたいと考えます。些か長いものなので、前回の講演録「幸福の行方」と同様に何回かに分けて掲載しますが、連載終了時には再度編集をほどこし「戦略的思考を越えて4」としてひとつにまとめる予定です。また、その後、この4回の講演を「電子書籍」の形式で1冊の本として仕立てる構想もあります。忌憚ないご意見、ご感想をお寄せいただけるとうれしいです。[ 荒木勝講演録 2011年9月10日、蓼科「無藝荘」にて収録。編集・構成:石井泉 ]
このアリストテレスと現代研究会(通称:アリ研)で、不定期ではありますが、これまで何回か講演のかたちでお話をしてきました。それらはテーマとして、「正義論」「知慮論」「幸福論」というふうに大きく三つに分けることができます。きょうはこれまでの締めくくりとして、家族の問題を採り上げて少ししゃべってみたいと思います。「家族論」というほどまとまった話にはならないかもしれませんが、人間と社会、あるいは国家のことを考えるときに、家族の問題を避けて通ることはできない。それは、人と人が「共に生きる」ということの根幹にある重要なテーマであるからです。
しかも、家族は非常にアクチュアルな「いまここにある」実践的な問題であり、過去から現在、そして未来へと継続的に語りつづけていかなければならないものです。「国家論」への橋渡しともなる大テーマでもあります。その端緒となるお話をし、誰にとっても身近な家族という問題を考えることで、今後のみなさんのよりよい日々の生活や社会活動などの実践にあたって、少しでもそのヒント、考え方の糧になることを汲み取っていただければ、私としてもうれしい限りです。
私自身の家族との対話、そのなかで語られた話題から入りましょう。最近、私の息子------といってももう20代半ばですが------と、いろいろ話をすることがあるのですが、その話のなかで気づかされたことがあります。
みなさんご存知の歌手・俳優の福山雅治の最近のヒット曲に『家族になろうよ』というのがある。息子に教えられてその曲を知ったのですが、それは「百年経っても好きでいてね」という歌詞ではじまります。「みんなの前で困らせたり それでも隣で笑ってくれて 選んでくれてありがとう」とつづいていくのですが、要は男と女が出会って結婚する、そのさいの誓いの言葉みたいな感じの歌なんですね。
著作権の問題もあってここに歌詞のすべてを出すわけにはいきませんが、互いに孤独と寄り添いながらも愛し合い、お父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんみたいに強く優しい人になって、助け合い支え合って、どんな辛いことも乗り越えてゆける家族になろうよ、しあわせになろうよ、という歌なんです。いかにもいまの結婚式なんかで歌われそうな歌です。
気づいたことというのは一言でいうと、昔私自身が結婚した当時よく歌われていた曲と対比すると、そこに大きな違いがあるということなんです。歌にはその時代の社会背景が映り込むといわれますけど、私たちの世代が結婚したころは、当時流行っていた佐良直美の『世界は二人のために』という歌が代表するように、「私」と「あなた」が世界の中心にあって、自分たちが良けりゃいいじゃんみたいな、ある意味で自分本位というか、良くも悪しくも自己中心的な内容のものが多かった気がします。
自己中心的ということでいえば一見逆のようだけど、フォーククルセイダーズの『青年は荒野をめざす』なんかもそうですよね。言ってみれば、「家」から離脱して、自分の、自分たちだけの世界を求めるみたいな......。まあともかく、当時作られた歌に、演歌などのわずかな例を別にすれば、父や母、おじいちゃん・おばあちゃんのことなんかが歌詞に出てくることはまずなかったといっていい。
私が結婚したのは25の時ですが、福山雅治のこの歌には、そのときから現在にいたる数十年という時の流れと、当時と今の「若者」の抱く夢や考え方の大きな変化を感じざるをえません。このような、家族とその思いをテーマにした歌が大ヒットするというのは当時は考えられなかった。この違いはいったい何なんだろうか、と。
当然そこには、この数十年の間の世界情勢の変動や、いろいろな社会の特徴的な出来事など、急激な時代の流れというものが複雑に絡み合って、それらが以前と違う「いま」をつくる要因になってきたという事情があるでしょう。
いま現在のことに焦点化すれば、私たちの社会や生き方にもっとも大きな変化をもたらしたものは、言うまでもなく、3月11日に日本を襲った大災害です。この数十年の間の、われわれこの日本に住む者にとって最大の危機は、あの東日本大震災によってもたらされた。そして、未だそれは収束したと過去形で言える事態に至っていない。しかも、この未曾有の災厄は、被災現場の外的物的な被害というにとどまらず、日本で暮らす人々の身心に言い難い衝撃をあたえ、根本的に人間の「生き方」に対する考え方に大きな見直しを迫ってきている。『家族になろうよ』という、このささやかなひとつの歌にさえ、「それ」は大きく影響しているのです。
もちろん、震災の前から家族や共同体の崩壊ということは指摘されていましたが、この震災はその問題を、いっきょに目の前の現実として前景化しました。普段はあまり家族のことなど考えない人たちにまで、家族や共同社会の問題をつきつけています。この大震災をきっかけに、幸せに生きるとはどういうことか、みながひとつの家で暮らすとはどういうことか、これまで「繁栄」の影に隠れがちだった、共同体や家族といったもののあり方を、私のような親たちの世代だけでなく、感性の豊かな若者たちがいろいろ考え、模索しはじめたということに、この歌の、歌詞の変化は大いに関係していると私は思います。
この夏、津波による甚大な被害を受けた地のひとつである宮城県の石巻に行ってきました。じっさいに「その場」に身を置いてみることで、いろいろなことを感じ、考えました。災害にあったところを何箇所か友人に案内してもらったのですが、あたり一帯が瓦礫と化したある場所の真ん中に一件の家があるところがあった。二階建ての新しい家だったらしいのですが、家といっても、その残骸というか、かつて建っていたことがなんとかわかる程度に形をとどめているだけのもの。
その家のかろうじて残っている壁を見たら、そこに子どものような字で「ホーム」と書いてあったのです。もう人が住めるような家ではないけど、そこに、まぎれもなくどなたかが暮らしていた家、ホームであったことを示し、記そうとする意思がはたらいている。その手で描いた文字を見て、私の胸に何かしら熱いものが込み上げてくるのを抑えることができませんでした。
子どものころの伊勢湾台風とか、この前の阪神・淡路大震災とか、私が知っているだけでも日本はこれまでに大きな災害を経験しています。しかし、この東北の地に来て、住む家も全部根こそぎなくなって、いまだに人が帰って生活できない荒涼たる地がひろがっているのを見て、茫然たる思いがしました。これほどの被災は、経験はおろか具体的には想像すらできなかった。みなさんもきっとそうでしょう。
私たちはそんな「苛酷」という言葉で言い尽くすことさえできない状況に、戦後の日本人として直面しているわけですが、「私に何ができるか」と考えたときに、この震災以前に、人類の長い歴史の中で洪水とか地震とかの大災害をきっかけに、いろんな人たちがいろいろなことを考えてきたという事実を思い起こしました。そんなことを取り上げてお話するのも、ささやかながら私にできることのひとつかな、と考えたわけです。
「復興」に向けて喫緊の「現実的」課題が山積みしている状況のなかで、まずはそれらの課題に急いで取り組んでいかねばなりませんが、逆に一方でこのようなときであればこそ、広い視野と長い時間スケールのなかで、人間と社会に関して、哲学的な、つまり普遍的で原理的な面から、少し思いをこらしてみるのもまた意味のあることなのではないでしょうか。

最近のコメント