松島沖のウミネコ
nous letter
2011年4月 6日 14:31

悪夢に咲くマグノリア

3.11東日本大震災から3週間と3日が過ぎた。

なにをどう書いて、本欄を再開したらよいか考えあぐねている。
無理して書く必要もなかろうが、このままでは、間があくほどに書く意欲もきっかけもなくなってしまいそう。
思いつくこと、身辺のことから、なにか書きはじめてみよう。

やはり震災前の自分のことから辿ってみたい。

前回、そして前々回、私は本欄で夢と現実が地続きであること、そして映画と現実との連続性について書いた。
きっかけは、2月に入ってから見た地震の夢である。ここ何年も、見た夢は目覚めてすぐ忘れてしまうことがほとんどだが、この夢はなぜか気になって、覚えていて、前々回ある展覧会について書くつもりが、キーを打つ手が自然にこの夢の方へ向いたのだった。

<このときは書かなかったが、目覚めたあと、私の頭のなかには「バンダ・アチェ」という言葉が呪文のように響いていた。「溶ける宝石」という言葉も、いま思うと何やら暗示的である>

そして2月の終わりの休日、久しぶりに家人とふたりで近くの映画館へ行き、『ヒアアフター』を見た。C.イーストウッドは好きなので、私は新作をいつも楽しみにしていた。

前にも書いたが、冒頭近くでいきなり津波のシーンが出てきて、CGなどを駆使したこういう「驚かせ方」を滅多にしないイーストウッドに「えっ! なにこれ?」となり、でも、その意外性を逆に驚き楽しみ、同じ特撮でもイーストウッドはやはり一味違うな、などと妙な感心の仕方をしながら、その迫力ある「リアル」な映像に見いったものだ。

<震災後『ヒアアフター』が日本で上映中止となったのを知ったのはいまから数日前だ>

このときは、地震の夢のことをほとんど忘れかけていた。津波に襲われる場所は明らかに東南アジアのどこか(場所の設定はインドネシアのスマトラ島であることがあとでわかった。ロケ地はハワイらしい)だからか、やはり「バンダ・アチェ」という言葉が頭蓋にこだましていたのを覚えている。いま思うと、映画のあと食事しながら、一言「この前、地震の夢を見たんだ」と家人に語ったような気もする。

生と死の世界の連続性が主題のひとつであるともいえる『ヒアアフター』であるが、私は映画と現実を連続させようとするイーストウッドの映画作法について本欄に書いたのだった。私のなかには、夢と現実、映画と実人生、死と生が、それぞれパラレルに通底し合っているのではないかという「直感」がいつもある。そのことを証言することが芸術表現の根幹にある目的因のひとつではないかと思うのだが、直感とはある意味で前言語的なものなので、それは意識の自然状態=無意識がまず感じとる(声として聴き取る)ものを、夢として、運動するイメージの光の束で頭蓋のスクリーンに映し出す。
夢とは無意識がおこなうイメージのブリコラージュである。

しかし、まさかそれが、このようなかたちで「本当」になるとは、誰が予想しえただろう。

誤解しないでいただきたいが、言うまでもなく私はあらかじめ地震を予想し予言していたわけではないし、ましてそのことを誇ろうとするものでもない。予知はそれが予知であることをその時点では認識できず、事後的に「あれは予知だったのかもしれない」と了解されるしかないものである。予知とは予想ではなく、予測でもない。「予め知る」とは書くが、予め知っていたことを知ることができるのは、必ず「後」になってからである。

だから、その予知をする人間は、予言者といより詩人ランボーのいう見者(ヴォワイヤン)あるいは幻視者(ヴィジョネール)に近い存在なのかもしれない。『ヒアアフター』では、マット・デイモンがその役(霊媒師)である。

だから私は、地震とそれにともなう津波が起こることを事前に知っていたわけではないのだが、しかし、夢と現実が理科の実験用具「通底器」のようにつながっていることを、今回意図せず、自分が自分にまざまざと実証してしまったような気がしているのだ。そして、震災の前に自分が書いたものが、夢(映画)と現実との連続性自体を入れ子式にテーマ化していたことに、一種の「めまい」に似た不思議な心地になっているのである。

来るべきものが来た、「わかっていた」という思いと、起こってはならぬことが起こってしまった、「取り返しがつかぬ」という思いとに手足を縛られたまま、悪夢の海に投げ出され、いまだその海をただよっているようである。

3月11日、地震が発生した時、私は地下鉄日比谷線に乗っていた。
急に電車が止まったと思ったら、グラグラっと大きく揺れはじめた。揺れはかなり長く感じた。続けて余震がなんどか来た。

地下でこれだけ揺れるのだから、地上はどれほどかと思った。相当大きなヤツ(地震)が起こったなと嫌な予感がしたが、もっと来るかも知れないと、車内にはしばし緊迫した空気がただよった。

携帯は通じず、なかなか情報が入らない。電車はいちばん近い仲御徒町の駅までノロノロと移動し、プラットホームで扉を開けたまま停車した。車内放送は「情報が入り次第お知らせします」と同じ文句を繰り返すばかりで、善くも悪しくも何も状況がわからないからか、乗り合わせた「取りあえず大丈夫」な人々は意外に冷静沈着な様子で、ホームの自販機で飲み物を買ったり、トイレに行ったり、階段の影で煙草をすったり、車内で本を読んだりして、新しい情報が入り、電車が動き出すのを待っている。

この日は結局6時間ほど地下鉄構内で足止めをくい、かろうじて先に動きはじめた他線(大江戸線)に乗り換え、比較的近くにある家内の実家に行った。実家には就活の最中だったという甥っ子が来ていた。訪問先の会社で地震に遭い、そこから3時間ほどかけて歩いて来たという。

TVで人家を襲う津波の映像を見てショックを受けた。まだどれほどの災害規模か見当もつかないものの、これはたいへんなことになったと思った。強烈なデジャ・ヴュ(既視感)も伴ったが、スマトラ島バンダ・アチェの津波災害や『ヒアアフター』の映像記憶と重なったのかもしれない。しかし、これはここから地続きの「身近なところ」で起こった、起こっているということが、やはり一番のショックだった。

自分の家に帰りついたのは、各在来線が運転を再開した翌日の昼ころである。

その後、1週間ほど、電車の運行も不安定で、九段の事務所には出勤せず(できず)、家でニュースばかり見ていた。刻々と事態は予想を大きく越える、かつて経験したことのない規模と深刻さであることが明らかとなっていく日々だった。そこに原発の事故が「現在進行形」の危機として加わり、現実はいつ終るともしれぬ悪夢の様相を呈しはじめた。

TVは長時間見ていると、見ているだけで気が滅入り鬱いでくるので、TVから離れて本を何冊か手に取ってみた。おかしな言い方だが、石牟礼道子の『苦海浄土』(池澤夏樹個人編集=世界文学全集版、河出書房新社)がいちばん「しっくり」ときた。「近代」がもたらした地獄の世を語る言葉が闇のなかの夜光虫のように神々しく輝いて見えた。

かつてある知り合いの心理カウンセラーが言っていた。悪夢とはいつ終るかわからず、永遠につづく気がするからこそ悪夢なのだ、逃げたくても逃げられないからこそ悪夢なのだ、と。

私たちは、悪夢を終らせる手だてをどこに探せばよいのだろう。
終らせるのではなく、鎮めるための方法を考えるしかないのかもしれない。

20110406.jpg・・・きょう、さきほど、石牟礼道子と多田富雄の往復書簡『言魂』(藤原書店)を読み終えた。いま、このとき、ふたりの「いのちと魂をめぐる」言葉の往還に一読者として立ち会い、文字通り魂がふるえる思いがした。表紙カバーには、本書にも印象的に登場する辛夷(こぶし)の花の写真がつかわれている。

私の事務所の近くに、毎年この時季、白い見事な花をつける木がある。震災後、なぜかいつもの年以上に気をひかれ、美しく見えて、数日前にたまたま購入したばかりのスマートフォン(iPhone)のカメラで写真に撮った。

本サイト「カフェ・ヌース」のトップページ画面上で使用した写真がそれである。

じつは、意識してくらべたことがないので、私にはこれが辛夷(こぶし)の花なのか白木蓮なのか、見分けがつかない。おそらく、白木蓮だろう。しかし、このさい、小さな差異はどうでもいいことのように思える。どちらもモクレン属Magnolia(マグノリア)であることにかわりはなく、この出会いにもうひとつの、悪夢とは別の夢の力が作用しているのを感じるから。

なにやら、とりとめのないままに書きはじめてから2日がたってしまった。このままアップしてしまおう。

いま、ちょうど、大地震発生から3週間と5日目のあの時刻になろうとしている。


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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。