松島沖のウミネコ
nous letter
2011年5月30日 16:36

朝崎郁恵と「女の声」の力

何日か前、家人とふたりで香川の金毘羅さん詣に関するTV番組を何気なく見ていたら、バックに静かに流れている音楽に耳が引き寄せられた。番組自体を私たちは興味深く面白く見ていたが、それとは別に、映像のうしろに控えめなかたちでシンプルなピアノの伴奏にのって流れてくる歌、というよりその声に、なんというか清冽な「気」といったものを感じたのだ。ある程度年季の入った女性のシブく侘びているけど純な声、その独特の節回し、海面を浮き沈みするクラゲのように揺れる微妙な音程と声の抑揚。

これ、歌ってるの誰だろう?

番組の終わりに出たクレジットでその歌い手の名を見つけたが、咄嗟に名字を覚えられず○○郁恵という名の方だけを頼りに、購入して間もないiPad2を手元に持ってきて、Googleから検索してみた。榊原郁恵が当然のことながらいくつもヒットしてくるが、もちろん違う。ウ〜ン、、、と、いろいろ見ているうちに、ふと朝崎郁恵という文字が目にとまり、あっこれ! たぶん。

当たりだった。
YouTubeで音と映像を見ながら、この人はたしか数年前にUAと共演したことがある人であることを思い出した。そうか、あの人か! しかし、その後、この人の存在が気にはなっていたが調べもせず忘れたままでいたのだ。予感と記憶が瞬時につながった。
で、iPadのボリュームをあげて聴いてみたところ、、、! 
一種の衝撃といってよかった。
その声を聴いたとたん胸にグッとくるものがあり、反射的に涙が出そうになった。歌詞の意味はまったくわからないのだから、その歌声の魅力=魔力としかいいようがない。

歌詞の意味が意識に入ってこないのは、事後的な確認だが、この朝崎郁恵という歌い手は奄美出身の「唄者(うたしゃ)」で、奄美の昔ながらの言葉をそのまま使っているのだから、ヤマトンチュウである私たちにわからないのは当然といえば当然だったわけだ。しかし/だから、意味のわからぬ歌詞はかえってある種の呪文のような作用をもたらしたともいえるかもしれない。
この「神懸かった」歌謡に一瞬で引き込まれたのは、はじめて同じ奄美の元ちとせの『わだつみの木』をラジオで聴いて以来のことで、この声に私は二度目の衝撃を受け、ある意味でそれ以上の「深さ」(とでも言っておくしかない)を感じた。聴く者の心を深いところで揺さぶると同時に癒すような力があるように思った。

このあとさらにネットで調べたところ、朝崎郁恵とは知る人ぞ知る歌い手で、多くの歌手やミュージシャンから崇敬され、一部に熱狂的なファンがいる人であることがわかってきた。
音楽好きを自認する身からすれば、これまでこの類稀な歌い手(歌手とは呼びづらい)を知らなかったわが身を恥ずべきかもしれないが、むしろ、遅れてでもあれ偶然この人の存在を知ることができたことを幸運と感じるべきだろう。

で、彼女の唄をちゃんと聴きたくて、あわててCDを探したが、近場のショップやレンタル店の棚には見つからなかった。amazonで調べると彼女名義で7、8枚出ているのがわかり、さっそく「まずは1枚」と注文した。現在すでに70歳を過ぎているらしい年齢からいえばその作品数はけっして多くないが、そもそもプロ(それで「生計」を立てているという意味で)の歌手ではないし、いわゆる「島唄」が注目されるようになったのも比較的近年のことであるのを思えば、一般のショップやブックオフなどで入手しづらいのは無理もないと納得する。

朝崎郁恵FEATURING BEST おぼくり~ええうみ
どれにするか迷った末に私が買ったのは『朝崎郁恵 Featuring Best おぼくり〜ええうみ』という一枚で、一種のベスト盤だけど(いずれ全曲コレクションしたくなりそうだけど)、届いてすぐ聴いてみて、、、やはり素晴らしい! なんとなくアナログのレコード盤で聴いてみたい気もするが、でもそのオーラ(アウラ)は、CDの1曲目に針を落とした(比喩的な言い方だけど)瞬間から伝わってくる。ベンヤミンの指摘する「複製技術」をもってしても、このオーラは容易に消去しえないとでも言ったらよいか。

沖縄の古謝美佐子の『天架ける橋』同様、愛聴盤の一枚になるのは必至!という感じである(ネーネーズも大好きだった)。
この二人の唄者はむろん歌い方も経歴も見た目の印象も風合いの異なる存在だが、似ているのは、その歌の子守唄的な面、あえて言えば子ども・大人を問わず、魂をおだやかに鎮め、やすらかに眠らせるような祈りの唄/声であることだ。じっさい、あの歌を長く聴いていると、感動すると同時に心を穏やかにしてくれるので、いつのまにか眠りに落ちていた自分に気づく、といった態なのだ。

そして「女」であること。母であり少女のままであるような。
琉球の信仰、ノロとか姉妹(おなり)神という言葉も想起されてくる。柳田国男の「妹の力」とか。私はロマンティックななかに精霊や、ちょっと「狂」的なものを感じさせるcoccoも嫌いではないが、朝崎さんの声は、さらにそれを突き抜けた先の落ち着きというか風格がそなわっていて、哀しさのなかに凛と乾いた透明感がある。

さらには、ニライカナイとか。
金比羅さんの番組になぜ奄美の歌が使われていたか。ちょっと不思議な気がするが、同じ山の神でも、金毘羅さんには海(船)の安全を祈願する山の神様という面があるらしい。じっさい、ここに遠路から来て詣でる船乗りや漁師も多いらしい。番組では「はまさき」という歌がつかわれていたが、これが浜の先、海の向こう(ニライカナイのある場所)の意味だとすると、なんとなくながら、この曲をつかった番組ディレクターの意図も理解されてくる(違うかも知れないけど)。

ともかく、上に書いたような「予備知識」はどうでもよろしいので、朝崎郁恵を知らない人はぜひ一度聴いてみてほしい。
大袈裟な言い方だけど、これは、3.11以後の(そして原発事故以後の)世界には、より深く響き渡るはずの、励ましでも諦めでもない静かな祈りの声である。これまでと違う世界が水平線の向こうに見えてくるような気がする。

ちょっと脱線すると。リバイバルした坂本冬美がこのところ人気を博しているが、彼女と細野晴臣と先に亡くなった忌野清志郎の3人で少し昔にHISというグループをつくっていたことがあるのをご存知だろうか。HISというのは細野(H)、忌野(I)、坂本(S)の頭文字をとって付けた名前だが、私はこの「異色」3人組が好きで、HISのアルバム『日本の人』も結構よく聴いていた。

彼らの曲に『幸せハッピー』というのがある。このなんともユルく心地よい曲を今度われわれのバンドのレパートリーに加えたいとメンバーからのリクエストがあって、「イイネ!」ということになっているのだが、それがきっかけとなって、私のなかで朝崎さんのこのCDアルバムに収録されている(ボーナス・トラックの)ある一曲へと連想の糸がのびていった。

語呂合わせの冗談みたいだが、『幸せハッピー』とまるで「対」の姉妹であるかのように『ありがとサンキュー』という曲が朝崎さんの歌にあるのだ。この曲はかつてNHK「みんなのうた」でオンエアーされたものとのことで、『幸せハッピー』はレゲエ風、『ありがとサンキュー』はハワイアン風という違いはあるが、ともに南島的脱力系というか、あんまり欲張らずピリピリしないで、ゆったりとみんなで楽しく生きようよ、みたいなリズムと詞とメロディー。

ついでに鏡像風語呂合わせタイトルで言うと、もうひとつ『さよならグッバイ』っていう曲はないんだろうか。これはガムラン風にして、組曲にしたらおもしろいんじゃないか、、、。
いつかは、だれでも、さよならグッバイをいわなければならないときがくる。わたしの人生「幸せハッピー」でした。みなさんのおかげ。ほんとに「ありがとサンキュー」。悔いることなく「さよならグッバイ」が言えます、、、みたいな。

(と半分冗談で書いた後に、念のために「検索」してみたら、じっさいに『サヨナラ・グッバイ』という歌があるらしいのがわかった。それも、「初音ミク」っていうバーチャル・アイドルの音声合成・DTM(デスクトップミュージック)だとか!? 聴いたことないし、あまり興味もないけど。
また、これもあとでわかったことだけど、朝崎郁恵が一般に知れ渡ったのは、細野晴臣がはじめて彼女の歌をラジオで紹介して、それが反響を呼んだことがきっかけらしい。さもありなん)

徒し事はさておき、朝崎郁恵の唄/声はわれわれがどうやったって真似できるものではないけど、『ありがとサンキュー』だったら、真似でなくたって結構この曲のほのぼのとした味は出せそうだし、私は9月に予定されている地元老人ホームでの慰安コンサートの演奏曲目のひとつとして提案しようかとマジに思っている、、、の、だけど。

最後にもう一度言っておきたいのだが、朝崎郁恵だけでなく、ここに挙げた女性の歌い手は誰ということなく、私はみな好きである。私が男だからという理由もあるかもしれないが、そう単純ではなく、男性原理を軸に発展してきたといえる近代とその文明を、同伴者として責めることなく寛容に包み込みながら批判し、発展とか競争とか進歩といった価値観に基づく社会生活に疲れた人間を心の深部から癒すことができるのは「女の声」の力だという気がするからだ。

「復興」ということを考えるとき(唐突なようだが、いまは何を書くにもそのことが念頭を離れない)、私たち一人ひとりがまず心のなかで、この文明の価値観に遠からず別れの挨拶をおくるための「覚悟」っていうか、準備をしておくべきなんだろうと思う。その挨拶に添える音楽には彼女たちの歌声が似つかわしい。母であり少女であり、生活者であり巫女である、スフィンクスでありセイレーンであるこの女たちの声からは、「弱き者」「虐げられた者」「棄てられた者」のもつ悲しさと来るべき時代への無言の希望、そして幸せへの祈りが、大地から湧き出る陽炎のように立ち上ってくるのではなかろうか。

ついつい大袈裟で構えた言い方になってしまったけど、この憂鬱な日々、こう書くことで、自分なりの「覚悟」を決めようとしているのかもしれない。いいかげん鬱うつとばかりはしてられないもんね。

2011年5月12日 11:49

春の子どもフェスタに出演

やはり4月末(29日)の祝日、私は近隣のバンド仲間たちと地元のイベントに参加した。これまでもときどき、このブログで私の小さな音楽活動(活動というほどのことはないのだけど)のことに触れてきた手前、このイベントの「演し物」のひとつとして野外の舞台に立ち、演奏したことを、簡単に報告しておくべきだろう。

このイベントは埼玉県草加市が毎年春に開く『春の子どもフェスタ』という、結構規模の大きい市民祭りのひとつで(同フェスタ実行委員会主催、草加市青年会議所支援)、今年は3.11の大震災のため自粛して中止してはどうかという意見も一部にあったらしいが、ご存知のように埼玉は家を失った被災者/避難民の受入れを積極的に行っており、このフェスタに「がんばろう ニッポン!」として慰労と励ましの趣旨を加え、フリーマーケットや屋台などの売り上げの一部を寄付にまわし、義援金を募るチャリティ・イベントとして実施することになった。そして、それならぜひ「応援」の歌(音楽)がほしい!ということで、急遽、バンドの中心メンバーのひとりを通して出演のオファーを受けた次第なのである(むろん無償だし、機材類もほとんど自前)。

私たちも急なことで迷ったが、返事を急がねばならず、できることなら何かやりたい(手伝いたい)という気持ちもあって、ほとんどのメンバーが趣旨に賛同し、当日都合のつかない人以外はともかく「出よう」と決めた。震災以来、何かと気の鬱ぐ日の多い私たち自身の気分転換にもなればいいな、という思いもあった。3月に予定していた私たち自身の「春よ来い!コンサート」も、寸前に震災があり、計画停電の影響もあって今年は見送りにしたので、気持ちが若干くすぶったままだったという事情もある(代わりにメンバーだけの内輪な文字通りのホームコンサートを開き、これがとびっきり楽しかったのだけど、やはり聞き手(聴衆)がいてほしいわけで)。

110512.jpgその私たち「春よ来い」チームの出番は12時からおよそ30分くらいとのことで、ほとんどリハーサルの余裕もないままに、松原団地駅に近い綾瀬川左岸のだだっぴろい広場に集合し、その仮設ステージに立ったのだった!
(あとで聞いたところによると、この日のフェスタに、松原遊歩道のフリーマーケットと合わせて3万人ほどの人が訪れたらしい。写真は開演前の会場、ぼつぼつ人が集まりはじめた)

このステージのための編成メンバーはスタッフを含め、男女半々、年齢的には高校生から私のような「おじさん」、会社員から主婦までが入り混じる、かっこよく言えばハイブリッドで多彩な、しかしただのごちゃまぜともいえる十人あまり。
曲によってメンバーが入れ替わりながら、J-POPナンバーから比較的なじみの「リンダ・リンダ」「夢」「チェリー」「幸福論」「さくら」「遠く遠く」の計6曲を演奏。私はギター(エレアコ)とジャンベを担当。

演奏の出来不出来は聴いてくれた人に訊くとして(つまり、その場で喝采してくれた人もいたけど、自分的にはあまり自信ない)、それよりなにより、短い時間とはいえ、大空の下で陽光を浴び風に吹かれ(じっさい譜面が飛ばされそうになり洗濯ばさみで押さえた)、ついでに恥ずかしさも吹き飛ばして、多くの人々の前で皆で思いっきり演奏したあとの気分は、とても爽やか、というか大層晴れやかなものだった。皆も、多分同じだったと思う。

終了後、バンド・リーダーの家に集まり、ささかな「打ち上げ」。ビールが格別に旨く感じる、そんな一日の終わりでした、とさ。どんと晴れ。

2011年5月 9日 15:45

亡き友からのメール

先月末の話になるが、facebookを試しにやってみようと思い立ち登録したところ、すぐにある人から「友達リクエスト」のメールが届いて、驚いた。「友達リクエスト」というのは、ユーザーならご存知のように、facebook内の友達、つまり通信仲間としてこの人を承認するかどうかを訊ねるものだ。

facebookの反応の速さに驚いたというばかりではない。

私が登録のさいに記した「プロフィール」をもとに、その事項と関係のありそうな人物として「ある人」が自動的に割り出されたのであろうが、facebookのそのメールに記された名前と写真を見てびっくりし、動揺してしまったのだ。facebookは実名が原則で、同姓同名の人がいた場合の混乱を回避するために自分の写真を貼り付ける。それを見るかぎりこの「友達」は、まさに正真正銘の私の友達で、古くから親しいつきあいが細々とながらもつづく数少ない友人だったひとりだ。

「だった」と過去形で書いたが、それはつまり、メールで承認をもとめてきた「友達」は、承認するまでもなく私の友達だったが、彼はすでに亡くなっている故人だったからだ。

亡くなったのは昨年のことだが、このメールの2週間ほど前(4月11日)に写真家だった彼(Lieuichiくんとしておこう)の一周忌に合わせた「遺作展」を、家内とともに四谷三丁目のギャラリーに見に行き、やはり大学時代の私の友人だった彼の奥さんと言葉を交わしたばかりのことだった(遺作展の案内状を最初に投函してすぐにあの地震があった。なにより、原発の事故に気が滅入った。もう人間もこの世界もおしまいなんじゃないか。あの人(夫)はこの嫌ぁ〜な、気分の悪くなる状況を知らずに逝ってよかったように思う」というようなことを語ってくれたけど、別の話になるのでこれ以上触れない)。

このメールを受け取った何日か後、facebookの彼のページを見て、遺作展の「広報」のために彼でない誰か(奥さん?)が彼の名と写真でfacebookを活用しようとしていたことがなんとなくわかったが、「友達リクエスト」のメールが届きそれを目にしたときは、死んだ彼自身が「向こう」の世界から通信してきたような気がして「えっ!」と思い、うれしいような切ないような、なんとも不思議な心持ちになったわけなのである。

彼にはいたずら好きな一面もあったし、仕事で行き、生前の彼との最後の別れともなった四国取材は、何かといわく付きだった(長い話になるので、やはりここでは触れないが、私のもうひとりの亡くなった友人カメラマンと関係していること、それとは別に、Lieuichiくんの生前の意思により、彼の死の報せを受けたのは四十九日を過ぎたあとであり、私は彼の死にショックを受け落ち込んだこと、その後催された昨年の「送る会」には、母の法事と重なったため私は出席がかなわなかったことだけを記しておきたい)。

 ★

bunmiojisan110509.jpgじつはこの日、Lieuichiくんの遺作展に行く前に、渋谷で映画を見た。
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』である。大震災の前から見たいと思っていたものだが、震災後はじめて映画館で見る映画として、これを見ることができた。
ティム・バートンが審査委員長を務めた昨年(2010年)のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品だから、ご存知の人も多いだろう。

タイ東北部を舞台として、森と都会、動植物と人、過去と現在、闇と光(なによりも東南アジア特有ともいえる濃密な「闇(陰)」と気配)、死と生との交感/交歓、つまり死者と生者の一種の「霊的交信」を描くこの映画を見てから四谷での遺作展に赴いたことも、いまから思うとなにやら暗示的である。「意味」は、事後的に、つねに遅れて生成されるものだとしても。

映画のチラシには次のような惹句があった。

いくつもの時を生き 穏やかに 目を閉じる。いつかどこかで また会える。


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Profile

石井 泉/いしい いずみ
東京出身。明治学院大学文学部フランス文学科卒。長きにわたり、出版社、編集プロダクションに在籍、主に科学・芸術関係の雑誌、書籍編集およびデザイン、公共施設の展示プランニング等を手がける。2006年に独立し、「エディション・ヌース」として事務所を開設。科学・芸術・哲学の領域を、横断的な視点で編集・表現していく感性と技を模索しつづけている。最近は依頼に応じてエッセイの執筆なども行う。