
▲ マングローブのコロニー
ようやく日が昇ってきた早朝に、朝食も取らず10人乗りボートで海に繰り出した。向かうは、マングローブのコロニー。入り江や小島のような地形にマングローブが密林状態で茂り、その間の海をボートですり抜けてゆく。
途中、ボートはエンジンを切り、オールに切り替えた。海亀がいるのだ。ボートはうっそうと茂るマングローブを横目に、奥深くへ進んだ。時折、海亀が呼吸をしに水面までやってくる。ただ、見つけたと思ったら次は数十メートル先から顔を出す。なかなかその姿を捉えることは難しい。諦めかけたその時、ふと気が付いた。亀を探すのに夢中で、意識していなかったのか。
蝉が絶え間なく鳴いている。それも物凄い勢いで、どの方角のマングローブ林からも聞こえてくる。きっとおびただしい数の蝉がいるのだろう。

▲ グンカンドリ
そこに、遠くのマングローブ林から小鳥の囀り。あっちから、こっちからも。時折、遠方で飛び立つその姿は黒い影のように見えた。一羽、二羽・・見ると大抵は2羽飛び立つ。つがいだろうか。
そして、聞こえてくる小魚がダイブした水音。水面に目をやると、小さな植物の種子が沢山浮いている。魚の跳ねる音に加え、マングローブがたわわに付けた実が落ちる音がする。軽やかに水に着地するのだろう、その音は雨垂れのようにさり気無い。
目を閉じると、自然の音が広がる。一心に聞き入ると、体がその場所の広がりを認知してゆく。日本では感じられない圧倒的な広さだ。マングローブの林は海の入り江をぐるりと取り囲み、向こうの方までずっと続いている。海面は驚くほど穏やかで、風も凪いでいた。
辺りを見回し、息を深く吸い込んだ。蝉が合唱し、鳥が囀り、魚が跳ね、種子が落下し、音に集中すればするほど不思議と静けさを感じた。体の芯が少しずつ熱くなり、心躍った。
子供の頃は、心に深くあったのは田舎の田圃の情景だった。真っ青な空に大きな入道雲が沸き立ち、緑輝く稲穂が風に靡く。水路は空の雲をたたえ、時折の風が肌に心地よい。そんな田舎の光景が心に焼き付いていた。しかし、中学高校と歳を重ねるにつれ、田舎の夏に見た感動はなくなった。心の景色になってしまったのか? そう思うと悲しかった。
そこに、感覚をフルに使った新しい景色が広がった。力強い光景は、生命の生死を時の流れとして組み込むような大地。目を閉じると静謐を湛えながら心中に大きく広がる。それは帰宅した後も脈々と生き、ふと顔を覗かせる嬉しい感覚となった。
そして最近気が付いたが、田舎の光景が何故変化したのか。それは、もちろん自分の成長した事に加え、環境の変化もあったのだろう。コンクリートで固められた水路に魚のめっきり減った川。田舎の家の近く社を守る鎮守の森も、昔の威厳はどこへやら、木が手入れされすぎて向こう側が見える。

▲ アシカと細かいプラスチックのゴミ
少し飛躍気味に思えるかもしれないが、ガラパゴスも例外ではない。一部の海岸には色取り取りのプラスチックが流れ着き、白い砂浜、真っ青に透き通った海に暗い影を差す。日中に砂浜で日向ぼっこするアシカのコロニーで、夢中にカメラを向けた。帰宅後、写真を整理していて初めて気が付いた、アシカの後ろに細かいプラスチック片が散乱していた。そして、観光客を乗せた船の汚水垂れ流し。船の周りにペリカンが集まり、海に洗剤の泡が浮く。それを考えると、第二の心のオアシスとなったマングローブ林もいつか窮地に追いやられる時が来るのではないかと不安になる。
ガラパゴスは、世界遺産第1号である事や、いま世界中が環境保護という目的に一斉に着手している事から保護の運動が盛んである。ただ、本土ではネコが青足カツオドリの雛を襲ったり、観光客などが持ち込んだ外来植物が固有種を優勢に駆逐している状態だ。
海はどこまでも通じていて、私達の生活環境を考えることは、回りまわってガラパゴスの環境へと繋がるのではないかと思う。
当初、父の人生のトラヴェローグ仲間である中央大学O教授と同志社大学K教授の2人は、父をガラパゴスへ誘いました。そのガラパゴス行きの話を聞きつけた私は、勉強のために同行させてもらえるように父にお願いしました。私は理学部物質生物学科で生物学を学んでいる20歳の学生です。
結果、都合のつかなかった父に代り、私が参加できるようになりました。ただし、ガラパゴス行きに察して父から2つの条件が出されました。ダーウィンの『進化論~フィンチ(鳥)』に関する書物1冊を読み、それを検証してくることと、このサイトにヘタでもいいから紀行文を投稿することでした。
その約束をして2005年3月中旬、2人の先生と高校生になるO教授の姪御さん、それに私の4人で約2週間の行程で南米エクアドルにあるガラパゴス諸島を巡ってきました。そのときの思いでを何篇かに分けて投稿します。 三村 伊予


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