○私の新たなトラヴェローグ

三村さんちの旅日記:No.07三村 聡
― きっかけは桜花 ―
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▲ トヨタ九段ビル

 新しい勤務地は千代田区九段の靖国神社前にあるトヨタ九段ビル。新天地に勤務してようやく1週間がたった(4月8日)。九段界隈の桜は、千鳥ケ淵、靖国神社、皇居北の丸と満開で、長引く不況もどこ吹く風、沿道は行列で押すな押すなの大盛況である。お花見の人達で職場近くの食べ物屋さんはどこも超満員、ランチにありつくまでに一苦労した。

 ようやく空いている蕎麦屋を見つけ、あわただしく食事を済ませて、人の波をかき分けるように職場へ戻った。事件はその時起こった。トヨタ九段ビル正面玄関の大きなガラス張りの自動扉が開いたとき、春風に舞った桜の花びらが、すっーとエントランスのなかまで運ばれ、総合受付前に立つ守衛さんの足元に落ちた。その瞬間である、突然「ハッ」と、なんとも表現しがたい不思議な感覚に包まれた。床に落ちた一枚の花びらに身体が吸い寄せられるような、それでいて妙に懐かしい感覚にうろたえた。どうしたことだ、何だ、どうしたんだ、感覚の所在を突き止めようと大脳を超えて全ての脳みそ群に問いかけ命令を発した。はたして、ようやくレスポンスがあった。ずいぶん長い間忘れていた遠い過去の記憶が蘇った。

― 25年前の思い出 ―
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▲ 現在の北の丸の桜花

 人生の最初の転機である花の都を目指し上京したのが、1979年4月。中野区野方で1年間の浪人暮らしを経て、何とか大学へ入学。80年4月入学式、場所は日本武道館。両親も田舎から上京、とりわけ母にとっては生まれて初めての東京。はるか25年前、若かりし日に桜花の下で迎えた家族との光景が蘇る。海軍志願兵の生き残りである父や自分の父親(私の祖父)をミンダナオで亡くした母にとって、武道館へ通じる皇居北の丸の桜花や「九段の母」で詠われた靖国神社の“天を突くような大鳥居”は、息子の入学式とは別に、二人の心には特別な風景に映ったようだ。しかし、突然、いま私が包まれた不思議な感覚の源は、そのときの九段界隈を彩る桜花の思い出とは少し違う。さらに、記憶を辿った。

 入学式を終え、野方の下宿に引きあげた。当時の下宿は、トキワ荘よろしく、古い木造2階建てで、入り口の観音扉を開けると、下駄箱と階段があり、1階、2階とも真ん中が廊下になっていて人が歩くとギシギシと音を立てた。左右に真鍮製のドアノブが並びそれぞれの部屋が続いている。全ての部屋が、四畳半の和室に半間の押入れ、半間のキッチンという間取りである。トイレと洗面所は共用で、トイレは水洗だったが鎖を引くと頭上のタンクから水が落下する方式のもので、今は見かけることが少なくなった。水道は2、3日使わないだけで、赤い錆が出た。幸い私の部屋は2階の道路に面した角部屋で、日当たりと風通しだけは良かった。

― 母の涙と桜 ―

 入学式の人ごみと電車の乗り継ぎに疲れた両親を気遣い、下宿に着くとお茶を入れて一服した。部屋には、折りたたみ式の安物の小さなちゃぶ台と机しかない。式でもらった書類をながめているうちに、ふと気がつくと母が泣いている。東京に出した一人息子が大学に合格した安堵感も少しあったようだが、母の涙は、そのちゃぶ台で自炊して粗末な食事をしながら、一人暮らしをする私の姿を思い浮かべての涙であった。田舎者ゆえ、親戚はおろか知り合いも無い大都会で生きてゆく息子の身を案じ、門出を祝す気持ちより、心配の方が強くなって嗚咽する母を、馬鹿者と父がとがめた。父は立ち上がり、窓を開けた。めでたい門出に泣くやつがあるか、戦争に取られるわけじゃあるまいし。

 その時、下宿の庭先にあった桜の古木から散る花びらが風に運ばれて、畳とちゃぶ台に、はらはらと舞い落ちた。父は立ったきり、しばらく外を眺めたままだった。突然の予期せぬシーンに驚いたが、肩を丸めて俯いた母の姿に親のありがたみを感じ、私も涙が湧いてきた。そして、今日の日を大切にしようと誓った。その夜、狭い四畳半に家族3人で眠った。翌日、両親は愛媛へと帰っていった。母は新幹線ホームの別れ際まで、私の無事を気遣っていた。どちらが見送られているのか判らないありさまだった。

 早いもので、それから丁度、四半世紀が過ぎた。その時の桜花と母の涙が蘇った。今では、両親は東京に出てくることはおろか、大好きだった近所の道後温泉にさえ行くことが叶わぬほど老いてしまった。野方の下宿も取り壊され、桜の古木も今は跡形も無い。

― また旅を続けよう ―

 1959年愛媛県小松町(現在の西条市)生まれ、45歳。これまで人生に転機が3度巡ってきた。最初は、東京へ出る決断をした25年前。次は結婚と就職。そして3度目は、20年間勤務した職場に自ら別れを告げ、人生の新たなトラヴェローグを始めた今まさに2005年4月である。

 春風に飛ばされオフィスに舞い落ちた九段の桜が、私の新たなトラヴェローグの始まりに25年前の初心を思い起こしてくれた。桜の花びらの思い出により、自己満足に過ぎないが、これまでの足跡を振り返って、人生の棚卸しをしたい気分になった。たかが人生、されど人生、人生の折り返し地点を過ぎた自分をゆっくり振り返ってみたい。それにしても人の出会いや別れの季節に絢爛に咲き誇り、そしてたちまちにして儚く散りゆく桜花は、古より、日本人の深層にどれほど多くの思い出をつむぎ込んできたことであろうか。

 次女、理乃(あやの)の15歳の誕生日記念に添えて 2005年4月8日

2005年4月 8日 22:14 | コメント(0) | トラックバック(0) |