● ガラパゴス・ログ 3[フィンチ 篇]
意味の無いものなど何一つない。
空飛ぶ鳥の流線形の体、翼の形、嘴のサイズにいたるや
コンマ1ミリの差が生死を分かつのだから。
ダーウインの進化論とはいかなるものか、あまりに有名であるが簡単に説明したい。ダーウインの進化論のキーは、『自然淘汰』『適者生存』『生存競争』である。私の大学のA教授は、特に『生存競争』この日本語訳は不適切で、元の英語であるstruggle for existenceに競争などという意味あいは含まれていないとブツブツ呟いておられた(ただ日本語訳ではよくこのようなことがあるのではないかと思う)。自然界においては、環境変動により常に選択圧が動物にかかっており、その淘汰の力に耐えうる(適した)もののみが生存することを許される。選択圧とは、極端な例をあげると大干ばつや洪水などがそれにあたる。
1995年科学ジャーナリストであるジョナサン・ワイヤーの著書『フィンチの嘴』がピュリッツァー賞に輝いた。サブタイトルは「ガラパゴスで起きている種の変貌」であり、グラント教授夫妻(プリンストン大学)のフィンチという鳥の研究について書かれている。この本を読んで、私はガパラゴスにより強く惹かれた。
グラント夫妻は、ガラパゴス諸島の主にダフネ島マイナー(大小2つからなるダフネ島の小さい島)において、20年間すべてのフィンチの動向・体長・パーツの長さを詳細に記録し続けた。その結果、"進化は目の前で起きている"という結論を得た。それは、データを収集した結果、干ばつで餌が乏しくなった際に、嘴の長さでみた、あるフィンチの種における統計分布に2極化が起きたことによる。中間の大きさの嘴を持ったフィンチは干ばつを乗り切れずに死に絶えたのだ。そのことは何を意味するのだろうか。
ガラパゴス諸島は大小22の島からなり、島への宿泊は許されていなため、観光は常にクルーズという形がとられる。島から島への移動は基本的に夜で、寝台からスーツケースや小物やペットボトルが荒波に揺られて床に放り出される。その勢いたるやとにかく凄かった。というのも、乗船したゴロンドリーナ(ゴロンといって沈みそうな名前だと思う)は岬を行き交う旅行客の船の中でもかなり小さかったからだ。そんな状況ではあったが、ダーウインの時代の航海も荒波をこんなふうに乗り越えたのではと物凄くワクワクした。
サンタ・クルス島のチャールズダーウイン研究所の売店で、デザインが気に入りフィンチのポスターを購入した。ポスターには13種類のフィンチの絵が描かれ、中央の円グラフには食性による嘴のサイズの違いに基づく分類が記されている。13種類は、6種類が主に植物食、3種類が主に動物食、残る1種類のみが100%動物食に分類される。嘴の機能面についての性質は、破壊型と摘みあげ型と採集型があり、先の食性分類による3タイプの順番にほぼ対応している。
植物食6種を取り上げ比較してみると、同じ植物食とはいえ、その形態・体調や嘴のサイズは非常に多様で、餌となる実のサイズに対応させることでそのニッチ(生態的地位)を確立していることが分かる。ニッチとは環境の中で上手く生きる自分のフィールド(生活に必要な空間的領域・食性など)を指す。例えば、オオガラパゴスフィンチは大きい実を割り食べることが出来るが、小さい実を食べるにはその嘴は大きすぎる。また、食べた所で殻を割った消費エネルギー量が獲得エネルギー量を上回り、コストパフォーマンスが非常に悪い。よって、オオガラパゴスフィンチは、この計算に見合ったサイズ以上の実を選択的に食べる。その結果、オオガラパゴスフィンチはコガラパゴスフィンチが小粒の実を獲得する領域を侵さない。両者の間には食における利害関係はなく、互いに円満に食事を取ることが出来る。もし、利害関係が発生すると、互いのニッチが重なり両者はその空間なりを競争しなければならない。ただ、主にその戦いの結果、同じ種において先に説明した2極化が起きる。
干ばつで餌が乏しくなった際に残されるのは、食べやすい実が食べ尽くされた後の、嘴の形態に合わない、殻が非常に固い、コストパフォーマンスが悪い、などの理由で残された実である。よって、いかに残された食べ難い実を効率よく食べるかが問題となり、実を割る嘴のサイズが生存への鍵となる。
ここで、干ばつにさらされるフィンチを嘴の長さで分け山形グラフになったと仮定する。そして嘴の長さが中間帯のフィンチが、残された実を上手く食べられず死に絶える。その結果、山形のグラフの中央部分が0となり、2極化が起こる。単純化しているが、このようなことが実際に起きている。嘴の長さがその環境下で生存に適したフィンチ達は、2極に分岐したことで別々の種となる道を辿る。(ちなみに、種というのは基本的に相手を交尾対象と認めない段階の仕切りを指す。)これが、まさに "進化"なのだ。
船に揺られながら大小いろいろな島を点々と回遊したが、なかなかフィンチにゆっくりと間近で対面できる機会にめぐり会えぬまま時が過ぎた。ガラパゴスの動物たちは人を恐れないので、日常からは考えられぬほど間近では観察できる。それはダーウインが上陸した時代から変化はないようだ。ただ、フィンチはスズメのように餌を求め慌しく移動を繰り返すため、姿を発見してもだいぶ遠い木の上か、どこかへ羽ばたいてゆく姿が多かった。そんななかで、フロレアナ島のポストオフィス湾には多くの植物食のフィンチが木の上や茂みを飛び交っていた。ここで、ようやく夢にも見た状況が現実のものとなった。この旅の為に購入したキャノンのカメラを片手に、湾とラグーンをフィンチ追いかけ走り回った。
少年少女の捜し求めた青い鳥が幸福なら、私が追った青い鳥は専攻する生きた生物学への期待だった。どうも中高の勉強は(大学に入りやや改善されたが)、机上の勉強ばかりで、本来"まず現象ありき"の筈が"まず理論ありき"ばかりであった。私にとって、学ぶことの喜びは、現実と学問が体感を持って一致した瞬間であり、飛び交うフィンチは強烈なインパクトを持って『フィンチの嘴』と頭の中でコネクトした。その込み上げる感動は、今までに経験したなかで格段のものであり、ある種の集中力を持って私を完全に虜にした。

▲ Thorn shrubの実をついばむフィンチ
一方、今現在の人為淘汰が進む世の中を「進化」の観点で見てみると、残念ながら驚くべき悲しい状態となっている。ただ、進化という事象を知ることは、なぜ我々がいまここに生きているのかを解き明かすことであり、地球という環境で生きてきた生命の歴史を考えることだと思う。
もっと多く学び、生物学という観点で過去・現在・未来を見渡せるようになりたい。
